絶対強者の襲来
人狼を収容した隔離区画には、妙に重苦しい静けさが漂っていた。
頑丈な金属壁に囲まれた部屋の中央には、厚い特殊ガラスで覆われた独房がある。その奥で、人狼は身じろぎもせず座っていた。両手両足は拘束され、身体には何本もの検査用ケーブルが繋がれている。
それでも、苦しそうな様子は見せない。むしろ――こちらを観察していた。
その視線を感じながら、俺はガラス越しに人狼を見つめ返す。
「……さっきから、ずっとこっちを見てるな」
俺が呟くと、隣に立っていた神代が少しだけ目を細めた。
「はい。黒瀬さんが来てから、ずっとです」
「俺に何か用でもあるのか?」
「それは、まだ分かりません。ただ……あの人狼、さっきから身体の中にあるものが妙に動いています」
「身体の中にあるもの?」
「適応細胞です」
また、その言葉か。
最近は少しずつ聞き慣れてきた気がする。魔石や魔物のコアについて調べる中で確認されている、正体の分からない細胞だ。
魔石は活動を失った適応細胞や、その細胞残滓が長い時間をかけて固まったものらしい。一方、コアは生きた適応細胞そのものが集まり、凝縮されたものだ。
そして、その生きた適応細胞は――俺の身体にも存在しているらしい。
「それで、俺を見ると何か変わるのか?」
「……警戒、だと思います」
神代がそう答えた直後だった。
人狼が、ゆっくりと顔を上げた。黄色く光る眼が、真っ直ぐに俺を射抜く。
そして――。
『……三年前』
「…………は?」
思わず声が漏れた。
人狼は、それ以上何も言わない。ただ、じっと俺を見ている。
「三年前って……」
俺が一歩、ガラスへ近づくと、神代も無言のまま俺の横へ並んだ。
「俺のことを知っているのか?」
返事はない。
しばらくして、人狼がゆっくりと口を開いた。
『……あの場所で……見た』
「!」
背中に冷たいものが走る。
「俺を?」
『……落ちた』
「…………」
その言葉だけで十分だった。
俺が三年前に落とされた場所。あの深層。俺が死んだと思われていた、あの事故現場。
「……お前も、あそこにいたのか?」
人狼は、ほんの少しだけ頷いた。
『いた』
短い返答だった。それだけなのに、頭の中が一気に騒がしくなる。
事故。深層。あの灰色の異常な空間。そして、あの場で見たもの。全部が一本の線で繋がろうとしている。
「じゃあ、あの時に俺を襲った連中は――」
『……知らぬ』
「知らない?」
人狼の眉が、わずかに寄る。
『あいつらは……違う』
「何が違うんだ?」
『……分からない』
それ以上を聞こうとしたところで、人狼が小さく頭を振った。言葉を探しているようにも見える。
『俺は……あの後……』
そこで声が途切れた。
『……ずっと、あそこに……いや……落ちて……分からない』
「……」
俺はそれ以上、聞けなかった。
人狼がどれだけの時間、あの深層で生きていたのか。どうして人間だったこいつが、こんな姿になったのか。そして、三年前の事故のあとに何を見てきたのか。
まだ何も分からない。ただ一つ、こいつは三年前のあの場所を知っている。
「……あの時、俺の身体に何が起きた?」
人狼の眼が、わずかに揺れた。
『……変わっていた』
「何が?」
『お前の身体』
人狼は、自分の胸元を掴むように指を動かした。
『……普通じゃなかった』
「それで?」
『……適応、していた』
その言葉を聞いた瞬間、神代が俺を見る。俺も神代を見返した。
『……お前も、適応したのか?』
以前と同じ問いだった。だが今度は、その言葉がやけに重く聞こえた。
「……俺の場合、ダンジョンに適応したってことか?」
人狼は首を横に振る。
『違う』
「違う?」
『……お前は……違う』
「何が?」
人狼は答えない。ただ、目の奥に明確な戸惑いが浮かんでいた。
『我々とは……違う』
「だから何が違うんだよ!」
思わず声が大きくなった、その時だった。
隔離区画全体に、けたたましい警報が鳴り響いた。
『警備システム作動! 第七外周区画に侵入者を確認!』
「侵入だと?」
神代が即座に振り向く。俺も監視モニターへ目を向けた。
そこには、黒い外套のような装甲に全身を覆われた人影が映っていた。頭部まで完全に覆われ、顔は見えない。口元には呼吸器らしきものまで装着されている。
侵入者は一人だった。だが、警備が敷かれた施設内を、ためらうことなく進んでいる。
『第二防壁、閉鎖します!』
警備員の声とともに、分厚い防壁がゆっくりと降り始める。だが、人影は歩みを止めない。
防壁の前まで来たところで右手を軽く上げると、その表面を黒い波紋のようなものが走った。
次の瞬間――。
『第二防壁、停止!』
『駆動系が止まりました!』
『原因は!?』
『不明! 電力は供給されています!』
閉じかけていた防壁が、その位置でぴたりと止まっている。
「……壊したんじゃない?」
俺が呟くと、神代も画面を見つめた。
「内部のエネルギー伝達が遮断されたようにも見えます。ただ、映像だけでは断定できません」
だが、その答えを確かめる暇もなかった。
警備ドローンが一斉に飛び出す。
『迎撃します!』
十機近いドローンが、電磁パルス弾と拘束光を同時に放った。しかし、人影が指を鳴らした瞬間、空間がわずかに歪む。黒い波紋がドローンの群れを覆ったかと思うと、次の瞬間にはすべての機体が落下していた。
『動力停止!』
『制御系も応答しません!』
画面の中で、ドローンが次々と床に落ちていく。
「……これも、防壁と同じなのか?」
「現象は似ています。ただ、何が起きているのかまでは分かりません」
神代も画面を見つめていた。少なくとも、通常の破壊とは違うように見える。防壁もドローンも、外見には大きな損傷がないまま、動くことだけを止められていた。
『Sランク部隊、前へ!』
通信が響いた。
隔離区画の廊下へ、複数のSランク探索者が走り込んでいく。
「今度こそ止めろ!」
一人が斬りかかった。しかし、黒い人影は腕をわずかに動かしただけだった。探索者の身体が宙へ浮き、そのまま数メートル吹き飛ばされる。
もう一人が剣を抜き、斬りかかろうとした。
黒い人影は、そちらへ頭部をわずかに向けただけだった。
次の瞬間、探索者の腕がぴたりと止まった。
「……動けない?」
震える声が響く。探索者は肩や手首に力を込めているようだったが、剣を振り下ろすことすらできない。
黒い人影が何をしたのかは分からない。少なくとも、頭部に目が見えるわけでも、相手に触れたわけでもなかった。
それでも、探索者の腕は動かないままだった。
人影はそれ以上攻撃せず、その横を通り過ぎていく。
機械を停止させた現象と、探索者たちに起きたことが同じ原理なのかは分からない。だが、相手がこちらの攻撃を簡単に封じ、反撃するまでもなく無力化していく状況は変わらなかった。
殺す気がない。なのに、止める手段がない。
そんな状況だった。
そのとき、後方の通路からセナが駆け込んできた。
警報を聞いて現場へ駆けつけたのだろう。倒れた探索者たちを目にすると一瞬だけ表情を強張らせたが、すぐに黒い人影へ視線を戻した。
「待ちなさい! これ以上、先には行かせない!」
セナは腰の剣を抜いた。握った柄から刀身にかけて、まばゆい光が広がっていく。
彼女の能力――ライトセイバー。
手にした武器に光をまとわせ、攻撃の威力を底上げする能力だ。光を帯びた刀身が、薄暗い通路を白く照らし出した。
セナは剣を構え、相手の動きを慎重に見極めていた。正面から力任せに斬りかかるのではなく、黒い人影が一歩踏み出すタイミングに合わせて横へ回り込み、装甲の継ぎ目を狙って間合いを詰める。
「はあっ!」
鋭い斬撃が、黒い装甲の継ぎ目へと走った。
だが、刃が届く寸前、装甲の表面に黒い波紋が浮かんだ。刀身を覆っていた光が、その波紋に触れると同時に消えてしまう。
「なっ……!」
強化を失った剣が、狙った継ぎ目の縁を打つ。甲高い音が響いたものの、刃は弾かれ、黒い装甲には傷一つつかなかった。
セナはすぐに距離を取り、剣を構え直した。
継ぎ目を狙った一撃は、刃が届く直前まで狙いどおりの軌道を保っていた。それなのに、肝心の光だけが消えた。攻撃を防がれたというより、攻撃の威力を生み出す力を奪われたように見えた。
それでもセナは、すぐにもう一度能力を使おうとした。剣そのものは壊れていない。ならば、ライトセイバーを発動させればいい。
「ライトセイバー!」
刀身に光をまとわせようとする。
しかし、何も起きなかった。
「……え?」
セナの表情が変わる。
もう一度、力を込める。普段なら応えるはずの能力が、まるで存在しないかのように反応しない。
「嘘……どうして……?」
セナは剣を見つめたまま、何度も能力を発動させようとした。だが、刀身は輝かなかった。
「ライトセイバーが……使えない?」
声が震えていた。
「急に力が出なくなった……!」
黒い人影は、そんなセナを静かに見下ろしている。
セナは歯を食いしばり、能力が使えないまま剣を構えた。強化がなくても、ただの剣として戦うことはできる。彼女は再び踏み込み、今度は相手の腕を狙って斬りつけようとした。
だが、黒い人影が腕をわずかに動かしただけで、セナの身体は横へ弾き飛ばされた。
「セナ!」
周囲の探索者が叫ぶ。
セナは床を転がり、どうにか起き上がった。しかし、剣を握り直しても、ライトセイバーの光は戻らなかった。
黒い人影は彼女にとどめを刺そうともせず、再び歩き出した。倒れた探索者たちにも手を出さない。ただ、行く手を阻む者を退け、先へ進んでいく。
「……何なの、あいつ……」
セナの呟きは、警報の音にかき消された。
俺はモニターを見つめたまま、拳を握り締めていた。
「……相手の力を封じる能力、ってことか?」
「その可能性はあります。ただ、それだけでは説明がつかない部分もあります」
神代は険しい表情で答えた。
「防壁やドローンが停止した現象と、セナさんの能力が使えなくなった現象には、黒い波紋が関係しているように見えます。ですが、探索者たちが吹き飛ばされたり、動けなくなったりした現象まで、同じ原理なのかは分かりません」
「じゃあ、何が起きてるんだ?」
「まだ分かりません。機械と人間の能力という、仕組みの異なるものに似た異常が起きています。何らかの共通する原理があるのかもしれませんが、今の段階では推測にすぎません」
神代の声には、慎重さが滲んでいた。
機械を止めるだけなら、まだ分かる。セナの能力を封じるだけでも厄介だ。だが、異なる仕組みを持つものに同じような異常を引き起こしているのだとしたら、俺たちが知っている能力の常識そのものが通用しない可能性がある。
そのとき、画面の中の黒い人影が隔離区画の最奥までやって来た。そして、ようやく立ち止まる。
『黒瀬旭を呼べ』
マスク越しのようなくぐもった声が、通信機から響いた。
「……一人でここまで来たのか」
俺は呆然としたまま呟いた。
施設の警備を突破し、防壁を止め、ドローンを落とした。Sランク探索者たちを退け、セナの能力まで使えなくした。
それなのに、死者は一人も出ていない。
それが逆に怖かった。こいつは――殺そうと思えば、もっと簡単に殺せる。そう思えてしまう。
「神代」
「はい」
「……あいつ、かなりヤバそうだな」
「はい。少なくとも、これまで戦った相手とは次元が違います」
その直後、黒い人影が隔離室の厚い扉へ手を添えた。
手のひらから黒い波紋が広がり、電子錠の表示が次々と切り替わる。複数のロックが、ほぼ同時に解除された。
扉がゆっくり開いていく。
「……おいおい」
俺は思わず一歩下がった。
そいつは人狼を閉じ込めている隔離室の前まで来ると、ガラス越しに人狼を見る。
その瞬間だった。
人狼の顔から、これまでになかった怯えが浮かんだ。
『……あれは……』
人狼の声が震える。
『……上だ』
「上?」
俺が聞き返すと、人狼は黒い人影から目を離せないまま呟いた。
『……俺たちとは……違う』
それだけだった。だが、その言葉には、これまでとは違う恐怖が滲んでいた。
黒い人影は、静かに人狼を見つめた。
『……久しいな』
人狼は何も答えない。ただ、目の前の存在に怯えたまま、身を硬くしていた。
やがて、黒い人影が俺へ頭部を向けた。
『ようやく見つけた』
「俺を?」
『そうだ』
俺は拳を握る。
その言葉を聞いた瞬間、また三年前の記憶が蘇った。あの四人。俺を依頼で深層まで連れていき、最後には俺を突き落とした連中。
「……あいつらも、俺を連れていくようなことを言ってたな」
思わず口から漏れた。
けれど、目の前の存在は、あの四人とは明らかに違う。あいつらには、ここまで圧倒的な力はなかった。
何より、人狼の反応が違う。こいつは――この黒い人影を恐れている。
そのとき、神代が一歩前へ出た。黒い人影との距離は、もうそれほど離れていない。
神代は相手の頭部から足元まで視線を走らせた。装甲の継ぎ目、姿勢、わずかな動作。普段なら、そこから身体の状態や力の流れについて、何らかの手掛かりを得られるはずだった。
ところが、神代はすぐに眉を寄せた。
「……おかしいです」
「何がだ?」
「何も見えません」
「……は?」
思わず聞き返した。
目の前には、黒い装甲に覆われた人影がいる。これだけはっきりと見えているのに、何も見えないとはどういうことだ。
「姿は見えています。でも、私の眼で捉えられるはずの情報が、まったく得られないんです」
神代は目を細め、もう一度相手を観察した。
「身体の内側も、力の流れも分かりません。装甲の表面から読み取れるものもない。そこに存在していることは分かるのに、それ以上のことが何一つ見えてこないんです」
「装甲が邪魔してるんじゃないのか?」
「その可能性も考えました。ですが……」
神代は、わずかに言いよどんだ。
「黒瀬さんの変身後も、装甲の内側までは完全に見通せません。それでも、身体が変化している兆候や、装甲の表面に現れる反応から、ある程度のことは推測できました。でも、あれは違います。観察するための手掛かりそのものが存在しないように感じるんです」
「手掛かりそのものが……?」
「はい。目の前にいることは分かっているのに、私の眼で探ろうとすると、その先だけが空白になってしまう。まるで、そこに何も存在していないかのように」
神代の声には、普段の冷静さとは違う戸惑いが滲んでいた。
これまで、彼女の眼が何かを捉えられなかったという話は聞いたことがない。相手の能力や動きを分析し、俺には分からないことまで見抜いてきた神代が、ここまで困惑しているのだ。
「……黒瀬さんの変身と、何か関係があるんでしょうか?」
「いや、俺に聞かれても困るんだが……」
「そうですよね」
神代は小さく息を吐いたが、視線を外そうとはしなかった。
「ただ、同じ適応に関係している存在だとしても、同じ仕組みで進化しているとは思えません」
「進化……?」
「黒瀬さんの場合、身体そのものが変化しています。私の眼でもすべてを理解できるわけではありませんが、変化の兆候を捉えることはできます。ところが、あれは、その変化を追うことすらできないんです」
神代は黒い人影の頭部へ視線を向けた。顔は完全に覆われ、目さえ見えない。
「視線による干渉も、試せません。相手の目が見えないうえに、私の眼で捉えられる手掛かりもない。これでは、能力を仕掛ける足掛かりがありません」
神代は唇を引き結んだ。
「もし、あれも適応細胞に関係する存在なら……黒瀬さんとは、まったく違う方向に進化したのかもしれません」
「……俺とは違う、か」
俺は思わず自分の手を見た。
三年前の事故をきっかけに、俺の身体には何かが起きた。モンスターと戦えば身体が勝手に変化し、以前にはなかった力を発揮するようになった。
だが、目の前の存在は、セナの能力を使えなくし、機械の動力まで止めている。それなのに、神代の眼をもってしても、その仕組みは分からない。
俺の身体に起きた変化とは、根本的に異なる何かを身につけているのだろうか。
考えたところで、答えが出るはずもなかった。
『三年前、お前は死んだはずだった』
「…………」
『だが、生き残った』
黒い人影が、一歩だけ近づく。
『そして、変わった』
俺の背筋に冷たいものが走る。
『お前の身体は、地球だけのものではなくなった』
「……どういう意味だ?」
『お前は地球の環境で生きながら、我々と同じものを受け入れている』
俺は自分の手を見る。
適応細胞。変身。魔物のコアに反応して生まれる、あの異常な力。
「……それで、俺を連れ戻しに来たのか?」
黒い人影は答えない。代わりに、ゆっくりと告げた。
『我々は、お前を殺すために来たのではない』
短い沈黙。
『お前を迎えに来た』
「…………」
『お前には価値がある』
神代が眉をひそめる。
「何の価値です?」
黒い人影が、初めて神代へ頭部を向けた。
『彼は、地球の環境でも生きられる』
『そして、アビスの環境にも耐えられる可能性がある』
俺は息を呑んだ。
『しかも、人の形と知性を失っていない』
神代の表情が強張る。
『我々が長く求めてきたものだ』
黒い人影の声が、初めて僅かに熱を帯びた。
『完全適応個体』
俺は思わず眉をひそめる。
「……それが何だってんだ」
『我々は、それを――』
一拍置いて、黒い人影は告げた。
『パーフェクトソルジャーと呼ぶ』
「……は?」
思わず間の抜けた声が出た。
黒い人影は、静かに俺を見つめている。
『お前は、その可能性を持つ』
自分が何なのかなんて、俺自身が一番分かっていない。ただ、三年前から身体に何かが起き、モンスターと戦えば勝手に変化するようになった。
そして今、アビス側はその変化を、完全適応個体の可能性だと言っている。
「……兵士にしたいってことか?」
黒い人影は、否定しなかった。
俺は拳を握り締める。
「ふざけんな」
黒い人影は、何も言わない。ただ、最後に一言だけ告げた。
『考える時間は与える』
その言葉が妙に不気味だった。まるで、断るという選択肢すら最初から想定しているかのように。
俺は目の前の存在を睨み返す。
三年前の事故。自分の身体に起きた変化。人狼の言葉。そして、目の前に現れたアビス側の存在。
まだ何も分からない。それでも、一つだけはっきりした。
――三年前のあの事故は、俺が思っていたよりずっと大きな何かに繋がっている。
そして、その中心にいるのは――どうやら、俺自身らしい。
*
同じ頃、別の場所では、一つの映像が繰り返し再生されていた。
黒い重装甲に全身を覆われた人物が、施設の防衛網を次々と突破していく。画面の前に集まった研究員たちは、装甲の映像を拡大して確認していた。
「……相変わらず、すさまじい装甲ですね」
「ええ。あの硬度は、こちらの技術では再現できません」
これまで確認されてきたアビス側の装備は、こちらの兵器とは明らかに違っていた。異常な硬度と耐久性を持ちながら、装着者の動きをほとんど阻害していない。ウォッチャーが長く警戒してきた理由の一つでもある。
「ただ……黒瀬の変身形態も、似た構造を持っています」
「見た目だけなら、ですね」
研究員が記録映像を切り替える。そこには、変身した黒瀬の姿が映っていた。
「黒瀬の装甲は、外部環境を遮断するように変化しているように見える」
「それが、アビスの装甲と同じ目的だと?」
「まだ断定はできません。装着しているのではなく、自分の身体そのものが変化している点も違います」
画面の中で、黒瀬の装甲が淡く脈動していた。見た目には似ていても、両者が同じ仕組みで成り立っているとは限らない。
研究員は施設の侵入記録を呼び出した。
「もう一つ、気になることがあります」
映像が切り替わる。黒い人影が防壁に手をかざした直後、表面に黒い波紋が走り、駆動系が停止した。続いて、同じような波紋がドローンの群れを覆い、すべての機体が落下する。隔離室の扉では、電子錠に波紋が走った直後、ロックが解除されていた。最後にはセナの剣にも波紋が走り、刀身の光が消えている。
「防壁やドローン、電子錠にセナの能力。少なくとも、この四つには共通する現象が見られます」
「機械の駆動系と人間の能力に、同じ原理が働いている可能性があるということか?」
「可能性はあります。ただ、現時点では、何を介して干渉しているのかも分かりません」
研究員は映像を停止させ、黒い波紋が走る直前の場面を確認した。
「機械の動力を止める技術なのか、それとも能力の発動にまで干渉できるのか。電子錠は解除されていましたが、ほかの機械は停止しています。何がどう作用しているのか、今ある記録だけでは判断できません」
「探索者たちが吹き飛ばされたり、動けなくなったりした現象も関係しているのか?」
「それも不明です。あれまで同じ原理だと決めつけるのは早いでしょう」
研究員は難しい顔で腕を組んだ。
「今のところ確実なのは、黒い波紋が現れた直後、機械や能力に異常が起きたということです。原因を特定するには、もっと詳しい分析が必要です」
誰も、すぐには答えられなかった。
ウォッチャーが長年追ってきたアビスの武装。そして、黒瀬の身体に突然現れた装甲。見た目には似ていても、その成り立ちは同じとは限らない。
「まだ、何かが足りない」
研究員が呟いた。
画面には再び黒い重装甲の幹部が映し出された。顔は完全に隠れている。声も密閉型の呼吸装置に遮られ、昔の面影を聞き取ることはできない。
ウォッチャーが確実な事実として記録したのは、こちらの技術では再現できないほど高硬度な武装が存在することだった。
黒い波紋が引き起こす現象については、まだ原因を特定できない。共通する仕組みがあるのかどうかも、今後の調査を待つ必要があった。
少なくとも、この時点では。




