俺に監視役がつくらしい
特別隔離棟に入ってから、まだ一日しか経っていない。
それなのに、俺はすでに、この生活に慣れ始めていた。部屋は十分な広さがあり、ベッドも寝心地がいい。風呂もあれば簡単な調理ができる設備まで整っている。食事だって用意してもらえるし、配信を続けるための機材も揃っていた。
もちろん、監視カメラはあるし、窓には格子が嵌まっている。自由に外出できないのだから、普通の部屋と同じとは言えないだろう。それでも、家賃も食費もかからず、配信も続けられる。
こうして考えてみると、今までの俺の生活よりもずっと快適なのではないだろうか。
「……いや、さすがにそれはどうなんだ」
誰に聞かせるでもなく呟いたところで、答えが返ってくるはずもない。
そんなことを考えていると、部屋の扉がノックされた。
「黒瀬さん、少しよろしいでしょうか」
協会の職員だった。手には、ずいぶんと分厚いファイルを抱えている。
「どうぞ。開いてますよ」
俺が返事をすると、職員は扉を開けて入ってきた。手近なテーブルにファイルを置き、椅子を引いてから、こちらに向き直る。
「今後の生活と観察体制について、改めて説明させていただきます」
「昨日もいろいろ聞きましたけど、まだあるんですか?」
「残念ながら、まだあります」
職員は苦笑した。
どうやら、俺のこれからの生活は、俺が思っている以上に面倒なものになりそうだった。
「まず、黒瀬さんには当面の間、単独でのダンジョン探索を控えていただきます。変身が発生する条件も、変身後の身体を元に戻す方法も、現時点では分かっていません。さらに、あの黒い剣についても、判明していないことばかりです」
「まあ、そうでしょうね」
自分の身体に何が起きているのか、俺自身にも分からないのだ。協会がすべて把握できているはずもない。
「そこで、観察を続けながら、万が一の際に黒瀬さんを止められる可能性のある探索者を、近くに配置することになりました」
「止められる人、ですか?」
「はい。変身後の黒瀬さんは、本人の意思とは関係なく動くことがあります。声をかければ止まるとも、本人が意識を失えば止まるとも限りません。一般職員だけでは、対応が間に合わない可能性があります」
職員はファイルを開き、何枚かの資料を確かめた。
「今回、監視役の候補として名前が挙がっているのが、Sランク探索者の神代恵理さんです」
「神代……恵理?」
聞き覚えのない名前だった。少なくとも、俺の知っている範囲では面識はないはずだ。
「Sランクなら、俺を力ずくで止められるってことですか?」
「いえ。神代さんを選んだ理由は、単純な身体能力や戦闘力ではありません」
職員は首を横に振った。
「神代さんは、身体能力だけを比較すれば、Sランクの中では低めの方です。しかし、彼女の目には特殊な能力があります。相手と視線を合わせることで、その動きを封じられる可能性があるのです」
「……目を合わせるだけで?」
「正確には、視線を通じて作用する特殊能力です。それだけでなく、相手に幻影を見せることもできます」
職員は、俺の反応を確かめるように一度言葉を切った。
「黒瀬さんの変身後の身体に、神代さんの能力が通用するかどうかは分かっていません。それでも、身体能力で上回って押さえ込むよりは、止められる可能性があると考えています」
「つまり、その人が俺のストッパーになるかもしれない、と」
「そういうことです。ただし、確実に止められるという保証はありません。あくまでも、現状で考えられる対策の一つです」
なるほど。
俺の身体が、俺の意思を無視して動く。普通の人間が力ずくで止めようとすれば、相手が怪我をする危険もある。けれど、身体そのものの動きを封じられるなら、話は違う。
「それで、その神代さんを監視役に選んだんですね」
「理由は、それだけではありません」
職員はファイルを閉じ、今度は少し柔らかい表情になった。
「神代さんは非常に真面目な方で、観察や記録も几帳面にこなされます。黒瀬さんの状態を継続的に確認し、変化の兆候を見逃さないためには、特殊能力だけでなく、そうした性格も重要だと判断しました」
「……なるほど?」
「黒瀬さんの安全を守るためには、非常時に止められる可能性があるだけでなく、普段から体調や行動をきちんと把握できる人間が必要ですから」
妙に説得力のある話だった。
俺は自分の生活を振り返る。食事は適当に済ませることが多かったし、配信に夢中になれば寝る時間だって遅くなる。体調管理をきちんとしていたかと聞かれれば、胸を張って肯定できる自信はない。
そんな俺を毎日監視するなら、真面目で几帳面な人間の方が向いているのは間違いないだろう。
「……その人、大変そうですね」
「神代さんも承知のうえで引き受けてくださっています」
「俺のことを、どこまで聞いてるんだろう……」
「必要な情報は共有しています」
職員はそう答えた。
俺としては、あまり知られたくない生活上の失敗もあるのだが、今さら隠しても仕方がないのかもしれない。
「神代さんが来られる前に、もう一人、黒瀬さんに会いたいという方がいらっしゃっています」
「俺に?」
「はい。先日のワーボア戦で一緒に戦った、星宮セナさんです」
「ああ、セナちか」
思わず声が出た。
あの一件のあと、彼女とは協会を通じて何度かやり取りをしていたが、直接会うのは久しぶりだった。
「こちらで事情を確認したうえで、短時間の面会を許可しました。お通ししてもよろしいですか?」
「もちろんです。俺も話したいことがありますし」
「では、呼んできます」
職員が立ち上がり、部屋を出ていった。
しばらくして、再び扉が開く。
「やっほー。元気そうじゃん、黒瀬さん」
明るい声とともに顔を出したのは、星宮セナだった。
探索者としての装備ではなく、動きやすそうな私服姿だ。けれど、立ち居振る舞いには、ダンジョンで何度も戦い抜いてきた人間らしい無駄のなさがある。
彼女は俺の向かいに座ると、まずは少しだけ表情を引き締めた。
「この前は、助けてくれてありがとう」
「いや、無事だったなら何よりだよ。こっちも、セナちが手伝ってくれなかったらどうなってたか分からないし」
「それは、お互いさまってことで」
セナはそう言って笑ったが、すぐにその笑みを引っ込めた。
「……ただ、ちょっと気になってることもあるんだよね」
「俺の身体のこと?」
「うん」
彼女は小さく頷いた。
「あのとき、ワーボアと戦ってる最中に、黒瀬さんの動きが急に読めなくなった瞬間があったんだよ。こっちも必死だったから、ずっと追いかけられたわけじゃないけどさ。Aランクの中でも上位にいるつもりの私でも、あの動きを相手にされたら、いつまで対応できるか分からない」
セナは自分の手を見つめ、少しだけ眉を寄せた。
「それに、最後の方はもう、黒瀬さんが自分で動きを止めようとしてるのに、身体が言うことを聞いてないように見えた。あれは……正直、怖かった」
その言葉に、俺は返事を詰まらせた。
実際、怖いのは俺自身だ。自分の身体が何をするのか分からない。そのうえ、誰かを傷つける可能性まであるのだから。
「……悪い。巻き込んじまって」
「いや、そこは謝らなくていいって」
セナはすぐに首を横に振った。
「私を助けようとしてくれたことまで、悪かったことにしないでよ。あそこで黒瀬さんが来てくれなかったら、私だって危なかったんだから」
「でも、今度も同じことが起きたら……」
「うん。それは私も心配してる」
セナは誤魔化すことなく頷いた。
「黒瀬さんが助けに来てくれるのは嬉しい。でも、そのあと身体が勝手に動いて、誰かを傷つけるかもしれないんでしょ? それは何とかしないといけないと思う」
彼女は少し考えてから、俺の目を見た。
「だから、協会に話せることは話しておくつもり。ワーボアと戦ったときのことも、私が見た黒瀬さんの動きも、できるだけ詳しく伝えるよ。動画も残ってるし、役に立つかもしれないから」
「助かるよ。俺自身、あのとき何が起きたのか、全部は覚えてないからな」
「だったら、なおさらでしょ」
セナはようやく、いつもの笑顔に戻った。
「それと、配信で剣が出てきたときのことも、結構びっくりしたんだからね。あれ、見せようとして出したんじゃないんでしょ?」
「違う違う! あれは本当に、勝手に出てきたんだって!」
「うん、配信を見てれば分かるよ。黒瀬さん、途中から明らかに慌ててたし」
「分かるなら、あんまり突っ込まないでくれ……」
「えー、面白かったのに」
セナは楽しそうに笑った。
俺としては笑い事ではないのだが、彼女があまり深刻になりすぎないようにしてくれているのも分かった。
「まあ、次も同じことが起きないとは言えないけどね」
「そこは否定してほしかったなあ……」
「だって、私にも分からないもん。だから、これからはちゃんと対策を考えようって話」
セナは椅子から立ち上がると、最後にもう一度、俺を見た。
「無理はしないでね、黒瀬さん。今は、自分の身体のことを優先していいと思うから」
「……ああ。ありがとな、セナち」
「どういたしまして。それじゃ、またね」
セナは軽く手を振り、職員に案内されて部屋を出ていった。
その背中を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。
彼女は強い。Aランクの中でも、身体能力や実戦能力はトップクラスだろう。ワーボアとの戦いでも、ただ俺に助けられるだけではなく、自分で敵の弱点を狙い、こちらが攻撃するための隙を作ってくれた。
それでも、俺の身体が暴走したときに止められるとは限らない。戦闘能力が高いことと、俺の身体を止める手段があることは別の話なのだ。
その違いを踏まえたうえで、協会は神代恵理という人物を選んだのだろう。
そう考えていると、さっきの職員が戻ってきた。
「お待たせしました。これから、神代さんに入っていただきます」
「分かりました」
俺は姿勢を正した。
扉が開く。
最初に目に入ったのは、後ろで一つに束ねられた長い髪だった。実用性を重視した軽装の探索者装備に、腰には短剣が一本。無駄のない立ち姿からは、経験を積んだ探索者らしい落ち着きが感じられる。
そして、その顔を見た瞬間、俺は言葉を失った。
――似ている。
三年前の事故で失った、あの仲間に。
もちろん、同じ人間ではない。髪型も違うし、細かな顔立ちにも違いはある。それなのに、目元や顔の輪郭、ふとした表情に、記憶の中の彼女を思い出さずにはいられなかった。
「……黒瀬さん?」
神代が不思議そうに俺を見た。
「あ、すみません。知り合いに、ちょっと似ていたもので」
「そうなんですか」
彼女は少し首を傾けたものの、それ以上は尋ねなかった。
代わりに、職員が紹介を進める。
「こちらが神代恵理さんです。神代さん、こちらが黒瀬旭さんになります」
「神代恵理です。よろしくお願いします」
神代は落ち着いた声で挨拶し、軽く頭を下げた。
「黒瀬旭です。よろしくお願いします」
俺も頭を下げる。
それから神代は、俺の顔をじっと見た。
「配信の映像は、ひと通り確認しました。変身したときの動きは、かなり特殊ですね」
「自分でも、どうなってるのか分からないんですけどね」
「映像を見る限りでは、周囲を無差別に破壊するというより、敵と認識した相手に攻撃を集中させているように見えます。ただ、それだけで安全だとは判断できません。何を敵と認識しているのか、その基準が分からない以上、味方が攻撃対象にならない保証もありませんから」
淡々とした説明だったが、言っていることはもっともだった。
実際、俺自身にも、変身後の身体が何を基準に動いているのか分からないのだ。
「それで、神代さんには俺の監視役をお願いすることになったんですよね」
「はい。協会から、そのように聞いています」
「俺を止められる可能性があるって」
俺がそう尋ねると、神代はほんの少しだけ表情を引き締めた。
「私の目には、特殊な能力があります。相手と視線を合わせることで、動きを封じられる可能性があるんです。それに、幻影を見せることもできます」
「幻影まで……」
「ただし、黒瀬さんの変身後の身体に、どこまで通用するかは分かりません。あの状態が普通の人間と同じ仕組みで動いているとも限りませんし、私の能力が効くと決まったわけでもありません」
神代はそこで言葉を切り、俺の目を見た。
「正直に言えば、私も少し怖いです。もし能力が通用しなかったら、私一人では対処できないかもしれませんから」
「……それでも、引き受けてくれたんですか?」
「はい。誰かが近くで観察しなければ、いつまで経っても何が起きているのか分かりません。それに、もし本当に止められる可能性があるのなら、試してみる価値はあると思いました」
彼女は決して、自分なら何とかできると豪語しているわけではなかった。むしろ、できない可能性も理解したうえで、それでも引き受けたのだろう。
「協会も、私の能力だけでなく、日々の観察や記録をきちんと続けられることを重視したようです。黒瀬さんの身体に変化が起きたとき、それが何に由来するのか判断するには、普段の状態を把握しておく必要がありますから」
「なるほど。普段の様子まで、しっかり見られるわけですね」
「そういうことです。黒瀬さんの安全を守るためにも、変化の兆候を見逃さないためにも、日常の記録は大切です」
神代はごく当然のことのように話していた。
特殊能力があるから非常時に期待されているだけでなく、普段から地道に観察し、必要な記録を積み上げることも自分の役目だと考えているらしい。
真面目な人なんだろう。
俺のように、面倒なことはつい後回しにしてしまう人間とは正反対かもしれない。
「それと、もう一つ。黒瀬さんの生活についても、少し管理させてもらいたいんです」
「生活、ですか?」
「はい。食事や睡眠、それから配信の予定などです。身体の状態を調べるなら、生活習慣も無関係ではないでしょう。睡眠不足や食事の偏りが続けば、体調に変化が出る可能性もあります」
「いや、まあ……それはそうですけど」
「これまでの記録も確認しましたが、食事を簡単に済ませたり、睡眠時間が不規則になったりすることがあったようですね」
「……協会、そこまで調べてるんですか」
「必要なことですから」
神代は少しも悪びれずに答えた。
「もちろん、黒瀬さんを実験材料のように扱うつもりはありません。健康状態を把握しておくことは、黒瀬さん自身を守るためにも必要です。変化の兆候を見落とさないためにも、生活の記録は取らせてください」
「分かりました。そこは協力します」
食事や睡眠まで管理されるというのは、少し落ち着かない。けれど、自分の身体が勝手に動き出す原因を探るためにも、できることはしておいた方がいいだろう。
何より、今の俺は一人でダンジョンに潜ることもできないのだ。ここで反発したところで、状況がよくなるわけでもない。
「では、まずは数日間、この体制で様子を見ましょう。問題がなければ続けますし、何かあれば協会と相談して対応を考えます」
「数日間、ですか。てっきり、今日からずっと管理されるのかと思いました」
「最初から期間を決めずに始めるより、お互いに確認した方がいいでしょう。私も、実際に黒瀬さんと過ごしてみなければ分からないことがありますから」
「なるほど」
俺は頷いた。
神代が協会から命令されているだけなのか、それとも自分の意思でもこの役目を引き受けたのか。まだ分からないことは多いが、少なくとも彼女は、俺を頭ごなしに危険人物扱いしているわけではなさそうだった。
「ちなみに、神代さんは断ることもできたんですか?」
「もちろんです。ですが、引き受けると返事をしましたから」
神代はあっさりと答えた。
「私の能力が通用するかどうかも、確かめなければ分かりません。黒瀬さんの身体が、どんな状況で動き出すのか。何を危険と判断するのか。そして、どうすれば止められるのか。少しずつでも、分かることを増やしていきたいと思っています」
「……頼もしいですね」
「そうでしょうか。私も、どうなるか分からないことばかりですけど」
神代は困ったように微笑んだ。
その表情を見て、俺はまた、三年前の仲間のことを思い出していた。
やっぱり、似ている。
顔立ちだけではない。未知の危険を前にしても、必要以上に怯えず、自分にできることを考えようとするところまで、どこか似ている気がした。
もちろん、別人なのだから、同じように考えたり、同じように行動したりするとは限らない。俺の勝手な思い込みかもしれない。
それでも、彼女なら、俺の身体が突然変わってしまったとしても、すぐに取り乱して逃げ出すようなことはないのではないか。そんな気がした。
「それでは、まずは今日の予定を確認しましょう。食事は決まった時間に取ってください。睡眠時間についても、できるだけ一定にしてもらえると助かります」
「はいはい」
「黒瀬さん」
神代は俺をまっすぐに見た。
「ちゃんと寝てください」
「……はい」
思わず、返事が素直になってしまった。
なんだろう。この人には、あまり適当な返事をしてはいけないような気がする。
「では、確認ですが、今日は何時に起きましたか?」
「朝の八時くらいです」
「昨夜は何時に寝ましたか?」
「ええと……」
俺は視線を逸らした。
神代は、そんな俺を静かに見つめている。
……どうやら、これからは変身の兆候だけでなく、俺の生活習慣までしっかり監視されることになりそうだった。




