第一話 花嫁修行 実技編
#第一話 花嫁修行 実技編
シェリル・ラングリス子爵令嬢は間違いでグレイグ・ヴェルナー伯爵子息に求婚された。
互いに惹かれ合い、本当の求婚の後、ヴェルナー伯爵家としてふさわしい女性になるようにと花嫁修行が開始した。
グレイグさまと身長差があるから、ヒールも少し高いものを履いているけれど、これが中々大変。
床のタイルの隙間にヒールが入ると足首から折れてしまうし、常につま先立ちになっているから思ったより疲れる。
令嬢は走らない、というけれどあれは本当は令嬢は走れない、だと思う。
きっと三歩進まないうちに足首をぐぎっとひねって倒れる自身がある。
コルセットで締め付けられ背筋が伸びるのはいいけれど、前を屈めないから足元が見られなくて怖い。
誰がこんなものを考えたのかしら。
グレイグさまはなくても充分細くてステキだとおっしゃるけれど、伯爵家以上の集まりでは皆してらっしゃるそう。
していないのは田舎者か使い走り(子爵の事!!)なのだそう。
姿勢正しく立つ、歩く、階段の昇り降りとステップアップするけれど、今は歩くところまで。
きちんと歩けない状態で階段にチャレンジしたらきっと落ちて怪我をする。
考えただけで怖い。
忙しいグレイグさまがお休みの日には時々様子を見に来てくださる。
「シェリル、あまり無理はしなくていいんだよ。俺がしゃがめばいいんだから」
「グレイグさまはどのような場面を想像しておいでですか」
グレイグさまは不器用で鈍感で気が利かなくて背が高いから、きっと二人きりの時を想像されているはず。きゃー。
「ん?シェリルを・・・すまない」
ほらね。
「とにかく、皆様の前で並んで立った時に子供を連れていると思われるのは嫌です。グレイグさまのお言葉は嬉しいけれど、頑張ります!」
そうして歩く練習を始めるとしばらく見とれていたグレイグさまの何かを刺激したのか口を押さえて去って行かれる。
クリスタはアリアさまの専属侍女だったけれど、今は私の専属侍女兼マナー講師をしてくれている。
今年二十六才で子供の頃からアリアさまにお仕えしていて、アリアさまが心を許している一人。
「シェリル様、そろそろお疲れでしょう。少し休憩いたしましょう」
クリスタはそう言いながらいつの間に用意したのか、テーブルに置かれたカップにティーポットからお茶を注いだ。
「あ、今日のお茶はダージね。ダージなら私はセカンドフラッシュが好きだわ」
休憩のお茶を飲む時でさえ黙って飲めない。
香りを確かめ、銘柄を当てて初めて口に出来る。
飲んだ事のないお茶は香りだけという事も何度もあって、休憩中も脚をぶらぶらさせる子供のようだった。
「シェリル様は本当に物覚えが早くて張り合いがありますわ。では今日のカップは?」
「今日はダービーね。手触りがよくてお茶の温かみも伝わるけれど、取っ手はしっかり熱を伝えないようになってる。どうしてかしら」
ダービーは金彩をふんだんに使った豪華なものだけれど、見た目に騙されて口にすると紛い物がよくあるのできちんと触って確かめる。
侯爵様や公爵様などをお招きした時だけに出る特別なカップなのに、逆にお招きされた時に分からないのでは恥ずかしいとアリア様は遠慮なく使わせてくれる。
「さすがシェリル様、見た目に騙されず物の素晴らしさを見極められていますね。持ちやすいけれど、熱が伝わりにくい取っ手の形を研究した結果、このようになっているようです」
クリスタは褒めて伸ばすタイプだ。
私が叱られた事は(もちろん主を叱る侍女はいないけれど)全くない。
うまくいった時も、もう少しという時もいつも褒めてくれる。
短い時間で習得しなければならないプレッシャーがあるけれど頑張れるのはクリスタのおかげだ。
短い時間、そう。
私は一次評価にグレイグさまを選び、アリアさまからも伯爵家の一員として相応しいと選ばれた。
つまり、グレイグさまと結婚する時には、王族、公爵、侯爵にご挨拶に伺わなければならない。
グレイグさまが伯爵を継ぐまでの半年間の間に色々なものを習得する必要がある。
「さ、クリスタ。休憩はそろそろおしまいにしてもう少し歩く練習に付き合って」
背もたれに任せていた上半身を起こして浅く腰掛け直す。
脚を手前に寄せて重心を前に移動させ、手を太ももに置き両ひざが開かないように注意しながら下半身に力を入れてまっすぐ立ち上がる。
全く、脚を広げて手すりに掴まり「どっこいしょ」と言いながら立つのが理にかなっているのに。
「それでは、姿勢を綺麗に保つ練習をしましょう。頭に本を乗せて、カーテシーをお願いします」
あー、これはエミリーから聞いたやつね。
大丈夫。
頭に本を載せるのならやった事あるわ。
クリスタから手渡された本を頭の上にそっと載せる。
エミリーの話だと、意地悪なお義母さまは生卵を転がしたお皿を頭の上に載せさせるみたい。
生卵が割れて汚れるのを想像するだけで嫌だけど、本なら割れる心配もないし安心だわ。
・・・いいえ、頭は本を載せるようには出来てないわ。
「クリスタ、この練習は少し考える必要があるわ。バランスを取ろうとすると変な姿勢になるわ」
言って本から手を離す。
前にずり落ちて行くのを頭の向きで調整する。
上を向いて顎を突き出すような格好になるので、ついでに口を尖らせて突き出した。
クリスタは必死に笑いを堪えていたけれど、それもすぐに決壊した。
「うふっうふっ、あははははっ、すいまっ、うふふっ」
口を押さえたままお腹にも手を当て肩を震わせる。
だいぶん気に入ったみたいなので、笑いが収まりそうになったらわざと尖った口をして覗き込むと再び笑ってお腹を押さえる。
「シェリル様、おやめ、あははっ!」
そうして十分程は笑わせて解放した。
散々笑ったくせに、笑いが収まると急に冷静になる。
「シェリル様、失格です!」
「だから言ったのに。散々笑ったから合格でもいいでしょ」
「人前でその顔をされて失笑を買ってアリア様が耳まで赤くされるのが想像出来ますよ」
アリアさまならその時点で赤の他人になってると思うけどね。
「うーん、そうね、では籠を持って来て。それを被ってその上に本を置けば変な口にならないわ」
「分かりました。では少しお待ちください」
クリスタは部屋を出ていきしばらくすると手に籠を持って戻って来た。
籠を頭に被った令嬢は本を頭に載せる。
これなら全然大丈夫!
大丈夫だけどクリスタはまたしても笑いを堪えるのに精一杯だ。
「クリスタ、どう?これなら平気よ」
いっその事笑わせてやれ、と自慢げに勢いよく振り向いたら本が滑るように落ちていく。
一瞬拾おうかと思ったけれど、姿勢が崩れるのが嫌で落ちるままにした。
「シェリル様・・・、落としましたよ」
「クリスタ、拾って頂戴。自分で拾うなんてしないものでしょう?」
クリスタはやれやれといった感じでしゃがんで本を拾ってくれる。
「参りましたシェリル様。それでこそ伯爵夫人としての振る舞いです」
「皆様待ってらっしゃい!完璧な立ち居振る舞いと笑いでヴェルナーにシェリルありと言わせますわ!」
「本当にシェリル様は何においても前向きになられるのですね。グレイグ様が惹かれるのも分かります」
クリスタはそう言って微笑んでくれた。




