鬼菱の最期
死人注意
荒野の男たちはそれぞれの得物を振り上げて、今まさに組み合おうとしていた。数に勝る鬼菱側は余裕ある顔で相手に絡む。鬼菱も自ら太刀を振りかざした。
手下たちに囲まれた夜烏は叫んだ。
「出て来い!おまえら!」
突然、草が割れた。次々と男たちが飛び出る。
鬼菱を信じきった男たちは、さして周りに気を払ってはいなかった。突然の伏兵に浮き足立つ。夜烏はにやりと笑った。
「枯れ草色の布もあるってことを教えてやらあな」
次々と現れる男たちは山鳩色の絹を投げ捨てる。
「その布は!」
鬼菱が色を失った。夜烏は得意そうに言葉を続ける。
「これは禁色の麴塵の布だ。この寒々しい色合いのどこがいいのかわっかんねーけど、ま、とにかく帝の布よ」
どれだけ鬼菱が右大臣の信頼を集めようとも、しょせん日陰の身、その絹を間近に見たことなどなかった。
「形勢逆転だな」
「固まれ! しょせん相手は烏合の衆です」
草を踏む音を立てて集う男たちを夜烏たちが蹴散らす。敵も戦い慣れた男たちだが、一瞬の気落ちが隙を生んだ。
瞬時に煌いた太刀の軌跡が合図となった。男たちは凄まじい雄たけびをあげ、手近な相手に飛びついていった。
盾は倒され、人は転がる。離れて構えた鬼菱側の射手は敵・味方の入り混じった動きに翻弄された。狙いを定めかねているうちに不意に背後の影に気づく。麴塵をまとった新たな一団が自分たちの周りを取り囲む。
「何奴っ!」
無意味な問いを口にした男は寸時に命をそれ限りとした。太刀先を輝かせた明烏が勢いよく相手を切り捨てる。
未だ武の時代には遠い頃だ。ましてや男たちは武士などではなく、見様見真似で武具を振るうならず者どもだ。その闘いはけして洗練されたものではなかった。
棒を長めに握って振り下ろす大男を、千虎が苦もなく突き飛ばした。二人がかりで組み付いた男たちもあっさりと弾く。勢いに負けて引いた者たちを周囲の手下が倒していく。
「うわああああああ」
鬼菱側の下っ端が突然叫びを上げてその場を逃れようとした。が、すぐに静かになった。
「バラバラに逃げても的になるだけです!」
叫ぶ鬼菱は手下を何とか集めると、自分を芯にして楕円の形の陣を取った。
「ここはいったん引きましょう!」
「させるかよっ」
閉じた形の陣は堅固だ。夜烏側の男たちが打ちかかると囲むような形に変じて中に取り込み、叩きのめして吐き出す。
楕円はじりじりと動き始める。
「入り込むな! 石を投げろ!」
夜烏の声で物が投げ入れられると、楕円は速度を上げていく。
不意に、陣が崩れる。明烏と千虎が肩を並べて突き入ったのだ。その気を逃さず盗賊たちが切れ目なく続く。固まっていた男たちは乱れた。
「くっ……」
率いていた鬼菱が息を呑むと、目立たぬようにするりと抜けた。人の死角の端を渡りいつの間にか外れにまで来た。
「そりゃあ、つれねぇんじゃないの」
かさり、と枯れた草を踏む音が響いた。艶のある黒い袍が影のように見える。鬼菱は苦笑した。
「やはり喰えない性格ですね」
「そんなもんだろ。捨て子上がりの盗賊育ちだ」
向き合った二人は互いの得物に手をやったまま薄い笑いを張り付けている。
「もとからだと思いますよ。盗人から盗む不届きなガキは他にもいましたが、二本も指切られてわめかなかったガキはあなたぐらいのものでしょう」
傾きかけた陽が対峙する男たちを照らす。
「涙ぐんではいましたがね」
「おかげで拾われたんだから、意地は張るもんだねぇ」
その一角だけは喧騒が届かぬかのように静かな殺意だけが満ちている。夜烏は両手の太刀をわずかに持ち上げた。
「私は気が進みませんでしたよ。なんだか悪い予感がしましたね」
「まあ、当たったわけだ。今頃な」
ざっ、と刀が振られる。が、飛びのいた鬼菱が握った鉄菱を投げつける。夜烏は右手に握った側の太刀でそれを全て弾き返す。
懐に手をやりながら、声だけは穏やかに鬼菱が煽る。
「いいえ。少なくとも私には最初から災いの種ですよ。けがの熱も引かぬうちに飯の盛りが悪いだの、弟に字を教えろだの好き勝手言い放題。頭に抑えられてなきゃとっくに切ってましたね」
話しながら、息も乱さず飛ばした菱を夜烏はとっさに避けると高く飛び正面から狙う。
命と勝機を比べた鬼菱は、命を選んで横様に走る。しかしそれはしばしの延期でしかなかった。
着地する以前に投げた左の太刀が、鬼菱の右腹を貫いた。
「………太刀は大事にしろって教えたじゃないですか……」
「悪ぃな。最近別のやり口も学んだもんで」
倒れた鬼菱の手が震えながら動く、夜烏はためらう様子もなく右の太刀を使った。
枯れた草に滴る血が、たいした間もなく乾いた土に吸い込まれていく。鬼菱の死相は次第に濃くなる。こちらの気配に気づいた手下の何人かが駆け寄ったが、近づく暇もなく夜烏側の男たちに捕まった。
「念仏でも唱えてみな」
死にかけた僧形の男は微かに笑った。形だけはそのままでもとうの昔に捨てたものを今更拾うつもりはなかった。
逃げ切った者さえ少なかった。
戻ってきた海賊たちも出くわした残党どもを手際よく片付けた。
たまたま通りかかって一つ二つ殴られた通行人も、少々脅されて放された。あたりは既に濃い闇に包まれている。
「よーし、河岸を変えるぜ」
湿っぽい仕事を終えた夜烏が、ことさら明るく声をかけると手下たちが勢いよく応えた。
「近場に猟師だの何だのが都に出たときに泊まるとこがあるんだが、そこを抑えといた。今頃熱々の狢汁が出来上がってるぜ。酒もたんとある。動けねえやつはそこに転がってるあいつらの盾に載せて運べ」
さっそく男たちが指示に従う。夜烏は幾人かの肩を叩き、また別のいく人かをねぎらう。
「今夜は夜通し呑むぜ! おい、おめえ今度も干物持ってきたんだろうな。こないだのあれはえらく旨かったぜ」
海賊の一人が干物を取り出し掲げるとと周りの盗賊たちも破顔する。一仕事終えた後の興奮が仲間の死さえ軽くしている。陽気な男たちは軽口を叩きながら移動を始めた。
夜烏は女を探した。すぐにしなやかな姿を見つけ傍による。
「ご苦労だったな、夕月」
「退屈だったわ」
黒衣の女は笑みの影さえ浮かべない。
「すまねえな。あいつらの動きが読みきれなかったんでね」
「そう」
「夜は空けてあるのか」
夕月は頷いた。前回の闘いの際に受けたことなど微塵も感じさせない。並の女なら二の足を踏むはずだ。
「なら、おまえは俺の宿に行け」
測るように見返す女に夜烏は少し苦い顔をした。
「妙な意味じゃあねえよ。おまえんとこの女は不満は言わねえが最近少々ふさぎこんでやがる。辛気くせえからどうにかしろ」
「返してくれるの」
男は口の端を歪めた。
「まさか。友好の証だろ、あの女。これを機にしっかりと預かるから話しとけ。今夜は帰らないから一晩付き合ってやれ」
夕月はしばらく黙って夜烏を見つめたが、やがて応えた。
「わかったわ」
そのままくるりと踵を返すと、寄ってきた海賊に言葉を伝え、そのまま現れた方向に消えていった。
夜烏はその後姿をいくらか陰鬱な表情でしばらく眺め、それから急に高笑いすると辺りのやつらの背を叩いた。




