6.残業術(?)筆頭
世の中の人が帰宅し、家族と会い、食事を取り、夢の中にいる頃。
空間術筆頭、リーナ・アグレリアは、天八座本部に居た。
「うっげぇぇぇぇ!残業だぁぁぁ‼」
リーナは頭を抱え机に蹲っていた。本気で嫌そうだ。
「なんで残業なの⁉帰らせろ!お酒飲ませろ!」
天八座本部の一室には珍しく誰も居ない。何時もは二、三名残業をしている。リーナはその残業組を茶化す側だった筈なのに今日は茶化される側だ。
ただ、まだ誰かいる事は分かる。
机の上に入れたばかりの珈琲がある。そして、その隣の机には開けっ放しのインク瓶もある。多分、資料室か騎士団のどこかに行ったのだろう。
「リーナ」
その声に反応し顔を上げる。チーロが隣の机に乗っていた。
「なぁにチーロ」
「声上げすぎてると怒られるわよ」
リーナには前科があった。ついこの間も残業時に現実逃避として叫んだら、目の前の席にいた年下の同僚に騒がしいと言われた。
「だいじょーぶ。今日は帰ったみたいだし。きっと課題に追われてるんでしょ」
「ほんとかしら。誰も居ない訳では無いんでしょ」
「そーそー、多分一人は確実。いつも通りだったらもう一人いるね」
リーナの思う残業組と言えば三人だ。
一人目は『幻創術筆頭』だ。現役大学生でありながら元最年少の天八座。
二人目は『精神感応術筆頭』だ。名門校の入試の歴代最高得点を叩き出した。
三人目は『強化術筆頭』だ。天八座の良心。そして、天八座の指揮をとる人でもある。
大体この三人は夜遅くまで残業をしている節があると勝手にリーナは思っている。
(あーヤダヤダ。報告書とか明日でいいじゃん)
そう思いながらリーナは万年筆のキャップを開け、和紙を取り出す。
天八座が使う紙は東洋からの輸入品和紙だ。とても高価なので一般人市民は手が出せない代物である。では、普通の紙は安いのかと聞かれるとそうでも無い。節約をしてやっと買えるくらいである。本は紙と比べ物にならない位に値段の差がある。
一冊銀貨一枚ほど。一月の食事分の金額だ。
「リーナ」
「んー?」
チーロに呼ばれたリーナは空返事をしている。インクの染みが出来ないように集中しているようだ。
「リーナ」
「ふぅ、なぁに?」
リーナは、万年筆を置きチーロと目を合わせる。するとチーロは意気揚々とローブ探しの話を始めた。
相槌を打ち、頷く。それだけで人、及び使い魔は機嫌が良くなるのだ。社交界に沢山出席しているリーナだから出来る関係構築法である。
一通りチーロの話が終えた後、リーナはふと思い出した様にローブの中からメッセージカードを取り出した。
(あー、これやんないと)
リーナは本部を灯しているランプを開け、蝋燭を取り出す。
メッセージカードを蝋燭の上に固定すると少しづつ甘い匂いがしてきた。
「甘い匂いするね」
リーナはそう問いかけるもチーロはよく分かっていないようだ。
少し経った頃、蝋燭をランプに戻し席から立ち上がる。そして、月の光にかざす。文字が浮かんでいた。
『美しいものは隠すべきだ。あの流星のように』
「詩人かよ」
リーナは思わず突っ込んでいる。凄く呆れた顔をして、窓を開けた。
「なんて書いてあるのよ」
「綺麗なもんは隠せよって。あの三人の誰かが書いたんでしょ」
「そうね」
チーロもリーナに同意しているようだ。リーナは窓を開けたまま席に戻り、万年筆を持った。メッセージカードは資料に挟んでいる。
(……あの流星ってなんだ?最近、流星群とかあったけ)
リーナは記憶を辿るも中々思い出せない。多分、いや絶対、興味が無かったのだろう。実際リーナは星や月、花よりもお酒が好きだ。よく、仕事帰りに居酒屋に行っている。
「リーナ!インク!」
「え?……うぉ⁉やば⁉」
リーナは焦って万年筆を和紙から離す。インク溜りが出来てしまった。
「あっちゃ……どうにかなるかな」
「誤魔化せるんじゃない?」
「いけっかな…」
リーナはそのまま報告書を書いていく。同行者、内容、結果、ちまちまと書いていく。書く文字はとても達筆だ。普段のリーナからは想像するのは難しい字だった。
「よーし!終わった‼」
二時間程が経った頃、リーナは腕を伸ばし伸びをしていた。
報告書の他に貴族から来ていたクレームに回答し、経費のサイン用紙があったのでサインをしていると時間は過ぎていた。
「お疲れ様リーナ」
チーロは寝ずにリーナを待っていたようだった。リーナが集中してからはチーロは比較的大人しかった。疲れもあるのだろう。使い魔に疲れがあるのかは分からないが。
「よっっし‼今から飲みに行くぞーー‼」
「今、何時かご存知ですか?」
リーナはピタリと動きを止めた。そして、振り返る。
精神感応術筆頭、マリノ・プラターヌが居た。片手には何枚かの資料を、もう片手にはランプを持っている。
「なに、あんたまだ帰ってなかったの?」
「帰りたいですよ。とても」
マリノは自身の席に置いてある珈琲を飲んだ。一時間以上は経っているのだ。既に冷めただろう。
「美味しい?」
「全く」
「ウケる。早く戻って来ればよかったじゃん」
リーナはケラケラ笑っているが、反対にマリノは冷めた視線を送っている。
「え、なんだっけ。あ、何時か?だっけ。今はー、深夜十一時!」
「把握しているのならあまり大きな声は出さないで頂きたいですね」
リーナの声は高い。ただでさえ高いのによく響く深夜に大きな声を出されると更に五月蝿くなる。それをマリノは止めたいのだろう。
「仕方ない、ウチはそう言う人なんで」
「はぁ、そうですか」
諦めたのだろう。マリノは自席の椅子を引き、腰掛けた。まだ帰れなさそうだ。
「…あんた、要領悪かったけ?それとも資料室に篭もりたくなった?」
「失礼ですね。仕事を押し付けられただけですよ」
「うわ、可哀想」
「それに、私はセレナさんではありませんので」
「確かにねー」
セレナは本部に来ると数分と経たずに資料室に逃げ込んでいる。そして、籠城をする。
これを引きずり出すのが一番大変だったりする。資料室に逃げ込んだセレナはとても面倒くさい。ここにいる。出たくない。そんなオーラをヒシヒシ感じるのだ。
「リーナ。帰りましょ」
「そうだねー」
リーナは鞄に荷物を放り投げ始める。インク瓶に万年筆、持ってきていた香水等をどんどん投げ入れる。
チーロは既にスタンバイ完了している。
リーナは、最後に脱いだローブを丸めて鞄に入れた。小さくしていた杖を元のサイズに戻し、床に着いた。
「ではでは、マリノ君おっ先ー」
「…えぇ、お疲れ様です」
「はいはーい頑張りたまえよ!」
リーナはマリノに向け親指を立ててから転移魔術を起動させた。
向かった先はが居酒屋が沢山ある通り。ランタンが店の前に出ている。
「チーロ何食べる?」
「アタシは食べれないわ」
「雰囲気じゃん雰囲気」
リーナは上機嫌だ。足取りが非常に軽い。これからお酒が飲めると言うことに大層喜んでいるのだろう。赤いヒールが地面を蹴っている。
「そーだな。魚食べたいな」
「お刺身ってやつね」
「そーそー。生の魚食べるの正気かよとか思ったけど、意外と美味しかったんだよね」
リーナは居酒屋の前に出ている看板を見ながら歩いている。
チーロも後ろについて行っている。
「よっし!ここにしよ」
「アタシは外にいるわね」
「んー、屋敷に帰ってもいいんだよ?」
リーナにとっては当たり前の事だ。使い魔は飲食店には入れない。普通のペットと同じだ。なので、チーロがリーナに着いてくる理由は本当は無いはずだ。
「リーナと居たいもの」
しかし、チーロは違う様だ。
「そっかぁー。じゃあ屋敷帰ろっかな」
「いいの?」
「屋敷で魚捌くから大丈夫!」
「それ見てるわ!」
リーナはまた杖を取り出し、転移魔術を行使した。
夜の街に静寂が訪れるのはもう少し先のようだ。




