水籠り
「大きくなったら和泉ちゃんをお嫁さんにするからね」
「うん。約束ね」
夢の中で、そんな子供たちの声が、聞こえた。
*
お嬢様のお買い物に付いていきなさいと言われて仕度をする。 玄関の外で待っていると、そのうち聞き慣れた声が僕を呼ぶ。
「伊織くん」
僕はその声の主と、生まれてこのかたずっと一緒に育ってきた。 だからどんなところにいても、どんなに離れていても、そうやって僕を呼ぶ声を聞き逃すことはない。
「さ、行きましょう」
その笑顔に僕は頷いた。
習志野家は代々続く名家であり、今僕の隣で歩いている習志野和泉はその一人娘だ。年は今年で十五。僕も十五。生まれた日も和泉と二日しか違わない、幼馴染のような関係。 小さい頃から遊ぶ相手はお互いだと決まっていた。でも本当は、幼馴染とは言えない。……言ってはいけない関係の僕たち。
僕、内藤伊織は習志野家に仕える内藤家の長男だからだ。 父さんもその父親も、そのまた父親も、ずっと習志野家に仕えてきた。その信頼は厚い。だから僕と和泉は―――いや、和泉お嬢様は、同じ家に十五年住んでいながら幼馴染とは呼べない関係なのだった。
「伊織くん、和泉ね、縫い物の授業で先生に褒められました」
「へぇ、すごいですね」
「小袖を縫っています」
「そうなんですか」
「それで……その……縫い終えたら、伊織くんにも見ていただきたいのです……」
「ええ、ぜひ見せてください」
僕がそう言うと、彼女はそれまで少し俯いていた顔を上げてまっすぐに僕に笑顔を向けた。まるでたんぽぽみたいな笑顔。それだけで僕の心の中が優しくなる。たとえもう、この胸に抱えるものを彼女の前で打ち明けることがなくても、今だけだとしても、こうして彼女に仕えてさえいられればいい。そう思った。
「伊織くんは、どんなお勉強をなさっているのですか?」
「そんな……お嬢様にはお話できるようなものではありませんよ」
「……」
彼女は途端に立ち止まった。僕も立ち止まって、振り返る。
「どうしました?」
「私のことをお嬢様と呼ぶのを……止めていただけませんか」
とても小さな声。 僕は、その声が風に吹き消される前に聞き取っていた。
それでも。
「……え?今、何て?」
卑怯者だと思うかもしれない。けれどこうしなければならない境界線が、今の僕と彼女の間にはしっかりと引かれている。ずっと、そんなことを知らないでただそばにいられた子供のままだったら良かったのに。そんなことを思うから、あんな夢を未だに見るのかもしれない。
「……いいえ、何でもありません」
「そう、ですか」
僕はあくまで聞こえなかったふりをする。それが、僕が彼女のそばにいられる唯一の繋がりを保つために父さんと約束した決まりだから。
だからごめんね、和泉ちゃん。僕はもう、あの頃のように君の目の前に立つことは出来ないんだ。




