第1話 千の破滅、その最後に
新作です。
「破滅する未来は1000通り考えたのに、幸せになる未来だけは考えていなかった」
そんな、極端に心配性な悪役令嬢のお話です。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
1000個目の破滅は、王都陥落だった。
レティシア・ローゼンハイムは書き終えた一文を見つめ、しばらくしてから羽根ペンを置いた。
王都アルヴェリア陥落。
想定原因は、敵国の侵攻、内乱、兵站の崩壊、大規模な疫病による統治機能停止など。原因によって状況は変わるため、逃走経路は北西、南、西の3本。王都外に出られなかった場合は、公爵家が契約している商会の倉庫を一時避難場所として使う。ただし、そこも安全とは限らないので滞在は最長2日。その後は――
「お嬢様」
机の向こうから声がした。
顔を上げると、筆頭侍女のクララが半ば呆れた顔でこちらを見ている。
「何でしょう」
「それで何個目ですか?」
「ちょうど1000です」
「……ついに4桁になりましたか」
祝いの言葉はなかった。
レティシアも必要だとは思わない。
机の上には、同じ革表紙の帳面が何冊も積まれていた。
中に書かれているのは、すべてレティシアが破滅する可能性と、その対処法だ。
毒殺される。
誘拐される。
冤罪を着せられる。
父が急死する。
弟が後継者争いに巻き込まれる。
公爵家が没落する。
王太子との婚約が解消される。
財産を失う。
戦争が起きる。
そして最後に、王都が落ちる。
11歳で王太子の婚約者になって以来、6年をかけて増え続けた。
「確認ですが、王都が陥落した場合の逃走経路は3本ですね」
「はい」
「1本では?」
「封鎖されたら終わります」
「2本では?」
「両方使えなくなる可能性があります」
「では、4本あった方がよろしいのでは?」
レティシアは考え込んだ。
「……確かに」
「冗談です」
クララが即座に止めた。
「4本目のために、また新しい商会と契約するつもりでしょう」
「でも、3本全部が――」
「今のところ王都は陥落しておりません」
それはそうなのだけれど。
レティシアは帳面を閉じる。
自分が考えすぎなのは理解している。
王都には城壁があり、王国軍があり、各地から物資も集まる。明日突然なくなるような場所ではない。
だが、絶対に落ちないという保証もない。
絶対でないなら、備えておいた方がいい。
何かが起きたあとで「想定していませんでした」と言っても、死んでしまえば終わりなのだから。
「ところで、こちらも確認してよろしいですか?」
クララが別の帳面を開いた。
「破滅想定996番。『王太子殿下との婚約を解消された場合』」
「はい」
「地方に小規模な屋敷を確保。王都以外にも収入源を持つ。複数商会への小口投資。数年分の生活費を自分名義の資産として確保。必要であれば家庭教師か会計補助として働く、とあります」
「何か問題が?」
「具体的すぎるのです」
「具体的でなければ、いざというとき役に立たないでしょう」
婚約を解消されたあとで、住む場所がないと気づいても遅い。
王太子婚約者という立場が永遠に続く保証など、どこにもない。
アルフレッドが心変わりするかもしれない。政略上、別の令嬢との婚姻が必要になるかもしれない。あるいはレティシア自身が何らかの失敗を犯し、王太子妃にふさわしくないと判断されることも考えられる。
だから、婚約者でなくなっても生きていけるよう準備する。
ごく当然のことだと思っていた。
「お嬢様には、殿下と婚約を解消したいお気持ちが?」
「ありません」
「では殿下がお嬢様を嫌いになると?」
「その可能性はあります」
「殿下が聞けば傷つくと思いますが」
「なぜです?」
「……そこからですか」
クララは額を押さえた。
人の感情など、最も予測しづらいものの一つだ。
今は好意的でも、10年後まで同じとは限らない。むしろ「絶対に変わらない」と信じ切る方が危険ではないだろうか。
そんなことを考えていると、クララが今度は封書を差し出した。
「もう一つ。社交界で新しい噂が出ています」
「私の?」
「はい。お嬢様が王太子殿下宛ての贈り物をすべて調べ、送り主を記録し、殿下へ近づく令嬢まで監視している、と」
レティシアは眉を寄せた。
「間違っています」
「どの部分がでしょう」
「贈答品は、私が確認を許されている範囲だけです。それに記録しているのは送り主だけではありません。受領日時、運搬担当者、封印状態もです」
「そこを訂正すると、もっと怖く聞こえる気がします」
「どうしてです?」
食べ物なら毒が入っているかもしれない。
装飾品なら術式が仕込まれているかもしれない。
差出人が善意でも、運搬途中で中身が交換される可能性はある。
王太子は狙われる立場だ。
確認できるところを確認するのは、婚約者として当然ではないのだろうか。
「お嬢様は最近、一部のご令嬢から『王太子を完全に管理しようとしている』と恐れられております」
「管理?」
理解できない。
アルフレッドは人間であって、帳簿ではない。
「噂というものは難しいですね」
「お嬢様の場合、事実だけ並べても十分怖いのが問題なのです」
クララの言葉の意味を理解できないまま、その日の夕刻、レティシアは王宮へ向かった。
祝宴への出席である。
馬車から降りる前に、帰路用の馬車、予備の御者、緊急時の集合場所を確認する。
王宮へ入ってからも、非常口の位置を確かめた。
いつも通りだ。
「レティシア」
聞き慣れた声に振り返る。
深い金色の髪と青い瞳を持つ青年が、護衛を伴ってこちらへ歩いてきた。
王太子アルフレッド・エルディア。
「殿下」
レティシアが礼をすると、アルフレッドは穏やかに笑った。
「今日は何個だ?」
「何がでしょう?」
「君が考えた、俺たちがひどい目に遭う未来だ」
どうやら破滅想定のことらしい。
「1000です」
「……1000?」
「本日、ちょうど1000になりました」
「増えたな」
「殿下が危険なことをなさるたびに増えますので」
「私のせいなのか?」
「かなりの割合で」
アルフレッドは少しだけ遠い目をした。
「ちなみに1000個目は?」
「王都陥落です」
「急に規模が大きくなったな」
「王都が絶対に陥落しないという保証はありません」
「今日は祝宴なんだが」
「祝宴の日に戦争が起きないという保証もありません」
「……君と話していると、平和というものがひどく頼りなく思えてくる」
それは困る。
平和であるに越したことはないのだ。
祝宴が始まると、広間には楽団の音色と貴族たちの笑い声が満ちた。
レティシアも王太子婚約者として微笑みながら会話を交わす。
ただし視線は、ときおり自然に周囲を確認していた。
正面扉。
庭へ続く扉。
使用人用通路。
近衛の配置。
給仕の人数。
料理の運ばれてくる方向。
アルフレッドまで何歩で近づけるか。
何かが起きると思っているわけではない。
むしろ、何も起きないでほしい。
「お嬢様」
背後のクララが、小さな声で呼んだ。
「どうしました?」
「あの酒瓶をご覧ください」
視線だけを動かす。
給仕の手には、深い色の酒が入った瓶があった。
ローゼンハイム領産の高級酒。
今夜、王太子の卓へ出される予定だと聞いている。
「酒が何か?」
「封印が……少し変です」
レティシアの目が細くなる。
瓶口を覆う封蝋は正常に見える。
だが、ローゼンハイム家では瓶の交換を防ぐため、表から目立たない場所にも小さな確認印を残している。
それが、ほんのわずかにずれている。
偶然かもしれない。
輸送中に傷んだだけかもしれない。
クララの見間違いという可能性もある。
給仕がアルフレッドの席へ近づいた。
瓶が傾く。
透明な杯の上へ、酒が注がれようとする。
「待ってください」
レティシアは立ち上がった。
広間のざわめきが一瞬で薄れる。
給仕の手が止まり、アルフレッドがこちらを見た。
何人もの貴族の視線が集まる中、レティシアは酒瓶から目を離さなかった。
「その酒を、殿下に飲ませないでください」
お願いだから。
ただの手違いであってほしい。
1000通りも破滅を考えてきたのに、この瞬間だけは――何一つ当たってほしくなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
レティシアの「念のため」が、この先どこまで大きな騒動につながっていくのか。
続きも楽しんでいただけましたら、ブックマークや★★★★★で応援していただけると、とても励みになります。
感想や誤字報告も大歓迎ですので、お気軽にどうぞ。




