第十一話
文化祭当日、わたしたちのお気に入りの小さな方の音楽室は控え室。くすくす笑っては動くなと甲斐先輩に窘められながら化粧を施されている。あの時音楽室に居なかった新君が、わくわくした目でわたしの化粧が完成していくさまを眺めている。まるで緊張感がないなと居合わせた部員の先輩たちに呆れられた。
演奏前のわたしたちはいつもこんな感じだ。
音楽はわたしたちの日常だから緊張する理由がどこにもなかった。
「楽しみ楽しみ。お前らってあんまり練習見せないからさー」
そんな風に言ったのは部長を務める先輩だ。運営方を纏める部長はもちろん演目の内容を知っているし、リハーサルで聴いている。
「昨日。聴いてるじゃん」
わたしに化粧を施し終えた甲斐先輩が返すと、部長がにやりと笑った。
「ライブは生き物だぜー」
もう少し緊張感を持てよと言われているようで、新君とわたしは顔を見合わせた。と、新君がそのまま吹き出した。
「ちょっと新君、ひどい!」
いつもと違い過ぎて面白いと新君が笑うから文句を言わずにはいられない。
「天ちゃん、それ褒め言葉。さすが俺」
またしても甲斐先輩が自画自賛しているから新君が白い目を向けた。
わたしは今、秋色の大人っぽいワンピースを身に着けている。方や甲斐先輩と新君は制服のまま。このワンピースは甲斐先輩のお姉さんからのお下がり。見るからに大きめのサイズに袖を通すと、ゆったりとふんわりとした見た目になった。
わたしはこのワンピースを前もって試着していたけれど、二人の当日の衣装をいつまで経っても教えてくれない。いつになっても着替えないと思っていたらこのまま出ると言う。
「なんでわたしだけ?」
開場の音楽を聴きながら、疑問のままに聞いてみた。
「今日の主役は天ちゃんだから」
声を揃えてそう言われた。
よくわからなくてわたしは首を傾げた。わたしたちのバンドはいつだってみんなが主役。だからよくわからない。
「今回は天ちゃんが主役でいいと思うんだよねー」
そう言った新君の目がいたずらに笑っている。それから甲斐先輩が「天ちゃんさ、いろいろ頑張ったから」とわたしの頭を撫でた。
余計に何が何だかわからなくなっていたら新君が言った。
「恋煩い解消祝い!」
面をくらった。そして照れくさい。
甲斐先輩と新君はわたしの円佳君に対する形のない気持ちを知っている。あれが恋煩いだったとわたしはもう知っている。
一週間前、わたしと円佳君の形が変わった。六日前、わたしと加奈ちゃんとの形が少し変わった。そうして一日前、わたしと円佳君の形がまたすぐに姿を変えた。
わたしは円佳君の恋人になっていた。
音楽室にあつらえられた舞台、ピアノが一台。二つの椅子と二つの譜面台。一つの椅子は窓際にあるピアノと対角に、もう一つの椅子は舞台の真ん中あたり。わたしはその真ん中の椅子に腰を下ろした。
音楽室の電気が消され、四隅に置かれた明かりがゆっくりと光を作り出していく。静まる客席に、多くのお客さまが耳を澄ます準備をしている。
わたしたちの物語が始まる瞬間。
甲斐先輩がギターの弦を一音ずつ丁寧に弾き出す。わたしは目を閉じてそれからゆっくり開いた。
新君のピアノがゆったりとギターの音色に混ざり合う。
秋の足音が聴こえてきたら、そこにわたしが歌声を乗せる。
遠く澄んだ空を見つめた先を、わたしたちは朝焼けに模した。秋といえば夕方だけれど、わたしたちは朝を選んだ。はじまりの時を形作った。
誰かに何かに焦がれて眠れない夜、迎えた朝。いつだってはじまりは訪れる。消えない朝靄を纏いながら毎日を過ごしていく。
近くて遠いものへの思いを抱えて。大切な物へ大切な人へ、大切な感触や感覚へ、暮れては顔を上げて過ごしていく、そして繰り返し焦がれる。
時間は進む、季節が巡り、そうして譜面を一枚めくる。
立ち止まったら歩き出し、静かに幕を閉じた一瞬あと、静かな空間にわっと拍手が沸いた。
わたしたちの一つ目の物語が終わりのない終わりを告げた。
音楽室の電気が点くと三人で手を繋いで舞台の前に立つ。お辞儀をして顔を挙げると喝采が起こる。
この音楽部は地元では有名。何人もの人がどんな演奏会にも心を込めて足を運んでくださる。だから心のままをわたしたちは音に乗せて届ける。
受け取ってもらうことがわたしたちの目的ではなかった。届けることがわたしたちの役目。
わたしたちは一つ目の大切な物語を届け終えたと安堵して、笑い合い、それからもう一度頭を下げた。
けれどもまだわたしたちの物語は終わらない。最後のないはじまりを届ける役目が残っている。
トリを貰っちゃう為の交渉はあっけなく成功した。わたしたちの提案に乗った部長が即座に部員全員の是非を取って回り、あっという間に演目表を作り替えた。
演奏会の最後の演目。わたしたちが用意したとっておきの物語が始まる。
「パーティーが始まるよ!」
新君が掛け声と共にピアノへ指を下ろそうとした瞬間、口笛が不揃いに二つ鳴り響いた。
舞台上のわたしたちも、手拍子の準備をしていた客席の誰もが拍子抜けした。そうして口笛の主を探し、どっと笑いが起こる。
再び口笛が鳴った。
口笛の主は一番後ろで立ち見をしていたかんなちゃんと甲斐先輩の「面倒くさい」親友。
してやったりといった顔でかんなちゃんたちが愉快そうに笑っている。
そのとなりで加奈ちゃんが迷惑そうな顔をしながらも楽しそうだ。
加奈ちゃんのとなりに、円佳君がみっちゃんと一緒に立っていた。肩を竦めてくすくす笑っている。
大切なみんなが笑ったから、それが今のわたしたちの音楽の完成形。
いろんな形が生まれて輪になって、いつの間にか新しい形で繋がって広がっていた。




