⑤先輩の家に泊めてもらいました。
タクシーはアパート前に到着した。
「ありがとうございました」
「また帰り道怖いとかあったら連絡しなよ。
これ、ウチのタクシー会社。24時間対応だから」
カナデ先輩はヤマさんから名刺を受け取り、お辞儀をして車を見送った。
私達は3階まで昇る。
2階を通り過ぎる時はドキドキしたが、先輩が「誰もいないよ」と教えてくれた。
カナデ先輩はドアを開ける。
廊下奥のリビングは明るく、動画の音声が聞こえてくる。
もしかして彼氏さんと一緒だったのかな。
申し訳ないし、男の人がいるのやっぱ気まずいなぁ。
後で部屋に戻ろう。
私はスリッパを履き、リビングに向かう。
「エナ?!」
そこには、もこもこの部屋着を着たエナがいた。
すっぴんでメガネをかけている。
ラグの上で寝転び、タブレットで動画を見ていたようだ。
「かすみ、大変だったね……」
エナは私を見る。
「てか、何でカナデ先輩の家にいるの?」
「エナもアパート入居者だよ。
かすみには色々と教えなきゃいけないみたいだ。
部屋着を貸すから、ご飯食べながら話そう」
カナデ先輩はカウンターキッチンに行き、テキパキと食事の支度を始めた。
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私達は無言でカップ麺をすすった。
時々、大鉢に盛られた煮物に箸を伸ばす。
コーラを飲みながら、テレビに繋いだ動画を流し見する。
「う……う……」
お腹が満たされてくると、私の目から涙がボロボロ溢れてきた。
「かすみ……」とエナが呟く。
「ごめん……すぐ落ち着くから」
言い聞かせるように言っても、涙は止まらない。
エナの目からも涙が溢れてきた。
「遠慮せずに泣きなよ。
そっちの方が早く収まるよ」
カナデ先輩が淡々と言った。
豚骨醤油ラーメンのスープを飲んでいる。
私は顔をぐちゃぐちゃにしながら、ラーメンを食べた。
滅多に食べないカップ麺の、味の濃さと舌がヒリヒリする感じが、今は心地良かった。
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私達は順番にシャワーを浴び、寝る支度をした。
リビングのテーブルを隣の寝室に移し、先輩は敷布団とシーツを用意する。
ピンク色のバタフライ模様だ。
部屋のインテリアは、派手可愛い感じに統一されている。
少しうるさいけど悪くない。気分が上がる。
慣れた感じで、化粧水の試供品とか歯ブラシとかおりものシートを私に貸してくれる。
エナはポーチを部屋に常備していた。
「かすみは知らないってことだよね。
ライオンファミリーやメゾン・ラビットのこと」
先輩はソファでタオルケットに包まり、炭酸水のペットボトルの蓋をプシッと開ける。
部屋の間接照明で、先輩の影はさらにカッコよく見える。
「ライオンファミリー?」
敷布団に寝転んだ状態で私は言った。
エナは私の隣で、うつ伏せでスマホを見ていた。
「ウチの大学にある、男子限定のサークルだよ。
アメリカの大学にある学生組織をモデルに作られたみたいなんだけど、今は権力と地位がやたら高いヤリサーみたいな最低集団だよ」
「ヤリサー……」私はその言葉の意味くらいは知っている。
「かすみに絡んできた坊主頭は、五籐って奴で、ライオンファミリーの中でも一番のクズだ。
2階にいることは分かったけど、かすみが絡まれてるとは思わなかった。
助けてあげられなくてごめん」
「いえ……」
そう言えば二人にマサトさんのことを伝えてなかったな。
「五藤は201号室に住んでる文学部の封子先輩と付き合ってるけど、次々とメゾン・ラビットに住んでいる女子に乱暴しようとしやがる」
「警察には相談出来ないんですか?」
「皆怯えて、出来ないままでいる。
そもそも五籐がここで好き勝手するのは、メゾン・ラビットがライオンファミリーの女小屋だからだよ」
「女小屋?!」
私はエナの方も見る。エナも顔を歪ませていた。
「ライオンファミリーは不動産屋と繋がっていて、新入生の中から可愛い子をここに住まわせるように誘導するんだ。
キレイで家具家電付の1LDK。
なのに家賃はオンボロ学生寮よりも低い。
冷静に考えれば怪しいんだけど『○大生限定』『同じ○大の女子が多く入居してる』て言われたら、皆ここに契約してしまう。
不動産屋に着いてすぐ、写真撮られなかった?
あれは候補者にしかしてないんだって。
写真はすぐにライオンファミリーに送られて、そこで合格したら部屋を紹介する仕組みなんだよ。
普通、来てすぐ写真なんか撮らないってさ」
私はウッと息を呑む。
大学提携の不動産屋だと聞いていた。
若い女性が担当で、笑顔で私の写真を撮った。
いくつか部屋を紹介されて、その中にメゾン・ラビットがあり、母親も私も大喜びで決めたのだ。
「そしてゴールデンウィーク前に、全部屋入居者の情報が、写真付きでファミリー内に回る。
夏休みまでにどれを狩るかファミリーで話し合って、結果報告するんだってさ。
連中には階級があって、上位になると、メゾン・ラビットのオートロックキーが手に入る。
最上位は、全部屋解錠出来るマスターキーを持てるんだ。
五籐はオートロックキーがあるから、目を付けた女子にちょっかいかけやがる」
つららが背筋に刺さるような心地がした。
自分が知らない間に、男達が個人情報とアパートの鍵を持っている?!
「ううう……」隣でエナが震え出していた。
「私も、去年知らずにここに入居した。
友達と一緒に初めてクラブに行ってさ。
そこで同じ大学の3回生の先輩と仲良くなった。
部屋まで送ってくれたから、泊めたんだ。
明け方に目覚めたら、先輩のスマホのチャット画面が開けたままになっててさ。
先輩はファミリーの連中と報告し合ってた」
「報告……」私は吐き気がしてきた。
「『ラビット何号室、ご馳走さまでした』
とか
『何号室より何号室の方が良い身体してる』
とか。
中には写真も貼ってあった。
私も『処女でした』て書かれてた。
読んだ時は怖くて頭が真っ白になった。
あの画面の写真を撮っとけば良かったって後悔してる」
カナデ先輩はペットボトルを握りしめる。
「エナは202号室に住んでいるんだよ。
ライオンファミリーでは、リストが回るまで、女の子に手を出してはいけないルールになってる。
だけど泥酔した五籐が、廊下で会ったエナを無理矢理201号室に連れ込んだんだ。
封子先輩がエナを逃して、私にエナと一緒にいるように連絡したんだ。
以降、エナは一人で部屋に戻れていない。
周りにも実家暮らしだと言っている」
「次会った時、封子先輩の顔にアザが出来てた」
エナは泣きながらそう言った。
「どうして引っ越しとか、しないの?!」
私は身体を起こして言った。
エナの後頭部を見下ろす。
「多分エナの親は知ってて入居させたんだ。
エナの両親もライオンファミリーとラビット入居者だったそうだ。
ライオンファミリーは表向きは品行方正な男子学生の集いで、大手企業就職率も高い。
事実、大企業重役のOBも多く、コネクションが強化されている。
ファミリー中位層以上に行けば就活に苦労しない。
ラビット入居者は、ライオンファミリーと結婚し、出世が期待出来る夫を持つ専業主婦になれる。
ラビットに入居出来ることと、ライオンファミリーと結婚することは、女としてのステータスだ。
男から見ても、美しく従順な嫁を簡単に手に入れられる。
見方によれば、双方メリットなんだよ」
「引っ越しするなら大学は辞めろって言われた。
ラビットに住めないなら、金を出してまで大学に行かせる意味は無いって。
花嫁修業して見合いしろって……」
エナの後頭部から聞こえる声は苦しそうだった。
「おかしいって!
私達は男に選ばれる為のペットじゃない!」
「私は、ライオンファミリーやメゾン・ラビットのことを色々調べて、こう考えることにしたよ。
ライオンファミリーと付き合えば、業界著名人との交流も出来る。
私はラビットの中でも手強い女枠に入って、男に遊ばれないようにしつつ、ファミリーのパーティーに参加してパイプ作りしてる。
私はファッション業界で働きたいんだ。
でもファッション業界は、士業とかに比べたら、余程出世しないと年収があまり上がらない。
私は大好きなことを仕事にして、お金も稼ぎたい。
今はその土台作り。そう割り切れば、案外悪くないよ」
「先輩は上手く出来て良かったかもですが、エナや封子先輩は傷付いて苦しんでますよね?
もしも先輩が写真を撮られて、流されたら同じことが言えますか?
てか、本当に撮られてないって言い切れるんですか?!
それは、知らずに入居した私達が悪いんですか?!」
私の身体はどんどん熱くなる。
この感情は怒りだ。
カナデ先輩は私を見て、不機嫌な顔になる。
「何よ! ゼウスの彼女のくせに!
あんたこそ、無傷でライオンファミリーの恩恵を一番受けてるでしょ!
ゼウスはよっぽどあんたが大事なんだね。
ライオンファミリーもラビットのことも知らせずに生活させてるんだから」
「え? ゼウス?」
「ファミリーはラビットのベランダに私物を干して、この女は俺の物だと主張する。
5月以降のルールだけど、ゼウスは無視してあんたにシャツを干させてる。
でも誰も文句は言わない。
ライオン・ゼウスはファミリー最高位。
絶対逆らえない存在なんだ」
私は疑問に思っていたものが全て解けた気持ちになった。
「あのシャツはゴミ捨て場で拾った防犯用です。
私、誰とも付き合ってないです」
「ええっ?!!」
カナデ先輩とエナの声が、室内に響き渡った。




