エピローグ
アメリカ・テネシー州。
スーザンは、昇平が使っていた部屋のソファに腰掛けた。月明かりが窓から差し込んでいる。
(確か、今日が決勝戦だって、パパが言ってたなあ……。ショウヘイ、どうだったんだろう)
アイフォンでレディー・ガガの曲を再生した。スーザンは曲に合わせて踊る。曲が突然フェイドアウトし、電話の着信音が鳴った。
「ハイ! ロバート」息を切らしてスーザンは言った。
「スーザン、なんだ起きてるじゃないか。どうしてパーティにこなかった?」
「夕方から頭痛がしたのよ。一眠りしたら治ったから、さっき食事したの」
「今から来ないか?」
「もう少しで明日じゃない」
「時間なんか気にするお前か?」
「だから、頭痛がしたんだって。また寝るわよ」
「おいおい、もう俺に飽きたっていうのか?」
スーザンは電話を切った。ふたたび、音楽がフェイドインした。スーザンは踊る気になれず、またソファにどっかり腰を下ろした。
以前スーザンが熱を出したとき、昇平は世話を焼いて看病した。
「ショウヘイ、優しかったなあ……」
また電話が鳴った。ロバートと思って切ろうとしたが、父親のサイモンからだった。
「やったぞ、スーザン。ショウヘイが優勝した!」
「オオ! すごい! よかった」スーザンはアイフォンを持ち替えた。「それでパパ、それって県大会なの?」
「なにを言ってるんだスーザン。コーシエンだよ、コーシエン!」
「ワオ! 全国大会ね。あの、コーシエンね」
「ショウヘイが完投したんだ。準決勝までは六回までだったが。わたしから、そう監督にアドバイスしたからね。投球数が少なくて、今日は九回までいけた。ショウヘイは完全に復活したよ。すごい大リーガーが誕生するぞ、スーザン!」
電話を切って、スーザンはソファで飛び跳ねた。また、この部屋にショウヘイが帰ってくる、そう思うと胸が弾んだ。
(こんな気持ちは初めて……ショウヘイが日本人だから、差別する気持ちがどこかにあったのかも)
大リーガーショウヘイの横にいる自分を想像したスーザンが、ふと視線を落とすと、ソファの下に異物を発見した。拾い上げると、それはA三版の大きさのフォトフレームだった。写真には、昇平が写っていた。
「この写真……」スーザンはつぶやいた。「見たことないなあ……」
昇平の部屋の写真は、スーザンは全て見ていた。スーザンが昇平を撮った写真も、壁に飾ってある。
フォトフレームの裏を見ると日本語が書いてある。〔ラブ・ショウヘイ〕の英語で、この写真の送り主がわかった。
「ユイ……」スーザンはつぶやいた。
写真を見直すと、苦痛にゆがむ昇平の顔、右肘に野球ボールが写っている。
(ユイがこの写真を撮って、ショウヘイにプレゼントした。ショウヘイは、この写真を飾らないでいた……。でも、なぜこんな写真をショウヘイにプレゼントしたんだろう。ユイ……。日本人のやることは、わからない……でも、この写真……こんな一瞬を、そう簡単には撮れない……」
スーザンは、アイフォンを手にとって電話をかけた。
「はい! スーザン。俺は気にしてないぜ」
「……ロバート。さっきはごめんなさい」
「いいってば、頭が痛いんだろう、ゆっくり休んでくれ。俺が悪かった」
「今から、そっち行くわ……」
「無理するなよ、でも、もしそうなら、頭痛薬は用意しとくぜ。飲み過ぎると、酔っぱらうけどな」
スーザンは、写真を自室の壁に飾った。そして着替えた。部屋を出るとき、写真をもう一回見てつぶやいた。
「あなたには勝てそうにないわ、ユイ……。この写真は、ショウヘイとの思い出にもらっておくわ……」
スーザンは、母親を起こさないように、扉をゆっくり閉めた。
栄翔高校校長室の扉がゆっくり開いた。
燕尾服に身を包んだ理事長、校長は、満面の笑みを浮かべ、体育館への廊下を歩き出した。来賓がその後に続く。
体育館には、全校生徒が整列していた。吹奏楽部のファンファーレを合図に、メダルを首にした栄翔高校野球部十五名が、歓声と拍手のなかを入場した。先頭は、甲子園大会で四本のホームランを放った大丸主将。そして昇平が続いた。ステージサイドには、理事長、校長、市長が席に着いた。保護者席では、結衣、昇平の両親が拍手を送った。
結衣は、体育館二階から昇平の姿をカメラで撮影していた。
野球部十五名はステージに上がり、一礼した。さらに大きな拍手に包まれた。監督が優勝の報告と、優勝旗の授与を行うと、理事長・校長が喜びの言葉を述べ、監督がお礼の言葉を述べた。主将の大丸は、泣きながら優勝の感動を語った。
「最後にお礼を言いたいのは、ここにいる内村昇平です。昇平は、みなさんも知ってると思いますが、一年のとき、県大会決勝で右肘を負傷し、再起不能と診断されました。しかし、アメリカのマイナーリーグの援助で治療を受け、見事、復活しました。そのまま、マイナーリーグ、ゆくゆくはメジャーリーグに行く予定でしたが、今年日本に帰ってきて、栄翔高校野球部に戻ってきてくれました。彼がいなかったら、この優勝はなかったと思います。たぶん、準優勝だったと思います」
会場が沸き、拍手が起こった。そして、昇平コールが起こった。ナインに押されて、昇平はマイクの前に立った。
「当たり前ですが、優勝はここにいるみんなの力です。そして、もうひとり、二階で写真を撮っている、写真部部長、神谷結衣さんのおかげです」
「結衣監督!」と野球部員は手招きをした。会場から、結衣コールが起こる。
結衣は、仕方ないという表情でステージに降りた。
「ご紹介します。神谷結衣さんです」と昇平が言った。「彼女は、僕の彼女なんですが……」
歓声が上がった。結衣は昇平をどつく。
「ぜひ、みんなの前でお礼を言わせてほしい……」急に真顔になった昇平に、会場は静まりかえった。
「僕は、ケガをしたとき、医者に再起不能と言われて、野球をする気になんてなれなかった。親に当たりもしたし、自棄になったし、ケガをさせた相手を憎んだりもした。結衣を甲子園に連れて行くと約束したけど、それが果たせなくなって、ダメな男だと落ち込んでた。そんなとき、結衣は、僕がケガをした瞬間を撮った写真を、僕にくれた。僕が、一番見たくない写真だった。結衣は言った。『この写真から、昇平の新しい人生がスタートするんだよ。奇蹟を起こそう』って。僕は、正直、なんて残酷なことをする女だろうって、思った……」昇平の声は、涙で途切れた。「でも、アメリカに行って、この写真を見ていてやっとわかった……この写真は、結衣の、僕への深い愛情なんだって……」
結衣の母親は涙をハンカチで拭いた。父親は、目頭を押さえた。
「……アメリカでの、リハビリやトレーニングは、専属のトレーナーの言うとおりにやっておけばよくて、お金持ちのサイモンさんの家では贅沢な生活ができました。いつのまにか甲子園への気持ちが薄れて、結衣との約束も忘れていました。マイナーリーグに入って、稼げるようになったら、結衣をアメリカに呼ぼうって、考えていました。そんなとき、結衣は、今度はここにいる野球部を連れてきました。本当にびっくりしました。僕に、甲子園を思い出させようとしたんです。それだけじゃなかった。甲子園には、僕を成長させてくれる大切なものがあると、教えてくれたんです。ここにいる仲間は、ほんとに個性的で、能力があって……。日本に帰って、県大会が始まって、この仲間とグラウンドに立ったとき、僕は、初めて、感じました……安心感です。安心して、投げることができたんです。結衣が、アメリカまでこの仲間を連れて来て、試合をしました。お互いに敵として戦ったことが、今の信頼につながったんだと、思います。結衣は、そこまで計算して、栄翔高校野球部と僕をひとつにしたんです。だから、この優勝の陰の功労者として、神谷結衣を、みなさんに紹介したかったんです」
大きな拍手が結衣に向けられた。理事長が何か言えと結衣に口パクをする。
「わたしは……」結衣はマイクに向かった。玲奈が手前まで来て写真を撮った。「結衣〜」と佐和子と栞が声をかけた。
「わたしは、すみません……学校には、留学までさせてもらって、それに二回も……。理事長には心から感謝しています。でも、生徒のみなさんには、本当に申し訳ないと思っています。来年度からは、アメリカと同じ二期制になって、留学制度もしっかり調えると理事長がおっしゃっていたので、どうかお許しください。わたしは、内村昇平くんと甲子園に行く夢をもって、みなさんのおかげで実現させることができました。優勝までするなんて、ほんとに、夢のようです。わたしは、昇平くんとの夢を実現するために動いただけで、みなさんのためにも、学校のためにも、なにひとつ、していません。ただのわがままで、功労者なんてこと、ありませんので……ただ、昇平くんとの恋を……育てたかっただけなんです……ごめんなさい……」
昇平は、結衣を抱きしめた。大きな拍手が起こった。拍手のなかで、昇平はマイクを手にとって言った。
「僕、内村昇平と、神谷結衣は、結婚します!」
会場は騒然となった。大丸が、昇平からマイクを奪い取った。そして会場に向かって言った。
「結衣監督のお父さん、お母さん、昇平のお父さん、お母さん、よろしいですか?」
両家の両親は大きなマルを手で作ってほほ笑んだ。
「わかりました。それでは、急ではございますが、これより内村昇平と神谷結衣の結婚式を挙行します。全校生徒の皆さん、いいですか!」
大きな歓声が体育館を揺るがした。
「それでは、二人とも前へ……」
「待て、神父はわたしに任せなさい!」理事長が割って入った。大丸は苦笑しながら元位置に戻った。
「汝、内村昇平は、ここにいる神谷結衣を妻とし、病めるときも、お金のないときも、愛することを誓いますか?」
「誓います!」と昇平は叫んだ。
「汝、神谷結衣は、ここにいる内村昇平を夫とし、病めるときも……どんなときも、愛することを誓いますか?」
「誓います……」
佐和子と栞は、ステージに近寄り、身につけていたおもちゃの指輪をふたつ、大丸に渡した。大丸は、理事長神父に指輪を手渡した。
「指輪の交換です」
写真部が二人の前に押し寄せ、シャッターを切った。フラッシュが瞬いた。
「キスです!」理事長が興奮気味に言った。
昇平は結衣を抱き寄せた。大歓声のなか、二人は長いキスをした。全校生徒の前でキスをしたカップルは、この二人が最初で最後だろう。
理事長神父の手招きで、二人はステージを降りた。気を利かした演劇部の部長が、ドレスを演劇部室から取ってきた。女子が結衣を囲み、着替えさせた。吹奏楽部がウエディングマーチを演奏すると、結衣と昇平は、全校生徒の合間を歩いた。生徒は、生徒手帳や、ポケットに入っていた紙類をちぎり、二人の頭上に投げて「おめでとう〜」と声をかけた。
両親のところまで来ると、結衣はとうとう涙を流した。吹奏楽部が校歌を演奏すると、だれともなく合唱が始まった。体育館の出口で、二人は振り返った。
「愛してるよ、結衣……」昇平が言った。
「恋愛は、大臣の椅子のように、簡単には手に入れることのできないひとつの幸せな将来なのである……」
「なに、それ?」
「スタンダール……」
結衣は目を閉じる。全校生徒の歌う校歌が、心に染みてくる。昇平の唇が重なった瞬間、この幸せなひとときを胸に刻もうと、結衣はゆっくりと、心のなかでシャッターを切った。
(了)
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