第5章 4 冴える結衣監督
二日目、三日目は観光、四日目に練習。五日目から試合を行った。地元の高校生チームと初めて対戦し、勝利を収めた。六日目は午前、午後の二試合。クラブチームと対戦し、勝利と引き分けだった。
打線は調子がよかった。ランナーがホームに生還すると、結衣監督とハイタッチ、もしくは抱擁ができた。抱擁のとき、結衣監督の胸が当たるというので、選手は俄然やる気が出た。
昇平との対戦は、日本に帰る前日に行われた。3Aのチームながら、『オートゾーンパーク』での開催とあって、観客が一万人ほど集まった。甲子園の優勝チームという、誇大広告のせいだった。
「なーに、大丈夫。バレやしないよ。だいたい、甲子園がなにかって知ってるのは、野球関係者ぐらいなもんさ」
サイモンさんはそう言ったが、甲子園を知らないということに、結衣は多少の憤りを感じた。控え室でナインに言った。
「甲子園を知らないアメリカ人に、高校球児の野球を見せてやろうよ」
「結衣監督……」突然大丸が泣き出した。
「なぜ泣いてるの、大丸くん……」
「結衣監督は、最高です!」
ナインから歓声が上がった。
「昇平くんを打てないって、絶対に思わないで。前に言ったけど、昇平くんに対して、憧れの気持ちがあったら、絶対に打てない。まだ、完全復活したわけじゃないから、チャンスはある。一点差で、勝つ。一点を取りに行く野球をする。ピッチャーの大熊」
「はいっ!」二年生の大熊が返事をした。
「絶対に抑えて。そのためには、コースを丁寧につくこと。緩急をつけること。テンポ良く投げること。わかった?」
「はいっ!」
「よしっ! みんな、行くよ。打倒! 昇平!」
「打倒! 昇平!」
ナインは叫びながらグラウンドに出た。
観客は、ほぼ全員がアメリカンだった。理事長や玲奈は、三塁側ベンチの上に陣取った。ユイの名を呼ぶ声がするので、その主を探すと、玲奈の横にいるのはダニエルおばさんだった。結衣は手を振った。ロックミュージックが流れ、雰囲気はメジャーリーグそのままだった。栄翔高校ナインは、守備練習が終わると三塁側に整列し、校歌を斉唱した。高校野球、甲子園のセレモニーだとアナウンスは説明した。アメリカンは、校歌そのものに驚いた様子だった。
昇平のチームは、リラックスしていた。ブルペンに立つ昇平を見て、結衣監督は泣きそうだった。昇平が、結衣を見て、何かを指さす。昇平が口パクをするので、真似て発音してみる。
「親が……来てる? え、うそ……」
グラウンドに出てもう一度三塁側スタンドを見ると、昇平の両親と自分の両親がいる。 行くようなことは言っていたが、本当に来るとは思わなかった。
試合が始まった。栄翔高校大熊がマウンドに上がった。大熊は、大舞台では調子に乗るタイプだった。試合前の儀式。キャッチャーがナインに「閉まっていこうぜっ」と声をはり上げる。アメリカチームには、それが奇異に見えるらしく、物珍しい目で見ている。
「いい流れだわ。こっちのペースでいける」と結衣監督はうなずいた。
大熊は、いきなりヒットを許したものの、二番バッターをゲッツーに討ち取り、三番は三振に倒した。
いよいよ、昇平がマウンドに上がる。結衣は、一瞬、なぜ自分はこの場所にいるのだろうと思った。がんばれ昇平と、一塁側スタンドから声援を送るはずだった。それなのに、昇平と対決する場所にいて、しかも監督の立場にいる。
(昇平、がんばって……)と胸の内でつぶやいた。
「結衣監督……」一番バッターの高橋が呼んだ。
「ミーティングで言ったように、簡単に三振してこないで。一球でも多く投げさせる」
高橋はうなずいた。
昇平が投げる。そのフォームを、結衣はあの夏、カメラに収めた。見慣れたフォームが、今瞳に映っている。
「ストライク!」アンパイヤの声が聞こえた。
歓声が上がる。昇平のボールに、アメリカンも驚きを隠せない様子だった。その歓声は、昇平が投げるたびに大きくなった。高橋は三球三振。二番江口、三番山瀬はファールで二球粘ったが、三振に倒れた。ベンチに帰る昇平を、アメリカンは早くもスタンディング・オベージョンで迎えた。
「結衣監督、そんなにうれしそうな顔をしないでくださいよ」
笑いながら大丸が言って、守備に散った。結衣は涙腺が切れたように、大粒の涙を流した。ただ一人補欠でベンチにいる一年生の津田が、結衣の傍に座って、結衣の肩を叩いた。
大熊が力投を見せ、二回、三回まではテンポよく進んだ。昇平はますます調子を上げ、バットにかすりもしない。
四回、五回、栄翔高校にピンチが訪れたが、内野、外野のファインプレーでしのいだ。栄翔高校ナインの溌剌としたプレーに、アメリカンから惜しみない拍手が送られた。
六回の攻撃。結衣監督はナインに言った。
「振っても当たらないなら、当ててみて。全員バント」
ナインはうなずいた。スリーバントでアウトが続く。なかなかバットの芯に当たらない。それでも栄翔ナインは笑顔だった。うれしそうだった。
「結衣監督、すごいっすよ、昇平さんの球!」
ナインは、昇平の球を見て思った。
(もし昇平さんのバックを守るのが、自分たちだったら……)
昇平ほどのボールは投げないが、大熊も力投した。メタボのお腹を回転させて投げる球は、回が増すごとに微妙な回転を見せた。しかし、八回に力尽きた。3Aチームに三連続ホームランを浴びた。
栄翔ナインは、八回裏、バント攻撃が実を結んだ。サードのエラーで出塁。送りバントは一塁への悪送球を呼んだ。昇平の球に漸く慣れてきた。ノーアウト一・三塁。バッターは大丸だった。
「打てそう? 大丸くん」
「監督が決めてください。自分は、従います」
昇平と目が合った。
「ダイナミックなアメリカ・ベースボールは、昇平はよく知ってる。でも、わたしが思い出してほしいのは、日本の野球……。その原点が、甲子園」
結衣は、大丸にスクイズのサインを出した。
「ただし、ツーストライクは、大振りして……。打つ気満々の顔をしてみせてね」
「スリーバント、スクイズ……」
ベンチはマウンドの昇平と大丸を見守った。
審判がタイムをコールすると、スーザンがベンチからマウンドに走った。昇平と話している。
「まさか……交替じゃ」
「大リーグじゃあ、百球以上は投げさせないって聞いたぜ」
大丸は、素振りをしながらマウンドの昇平に視線を向ける。昇平と目が合ったようだ。
昇平は、大きくうなずきながら、スーザンに笑顔を見せた。スーザンは、マウンドを降りるとき、結衣に敵意をむき出しにした視線を投げた。
「続投ですね……」大熊が言った。
結衣の心境は複雑だった。昇平の腕に異状があれば、交替させてほしい。しかし、昇平に打ち勝つことが、この試合の目標だった。このジレンマに、ナインも唇を噛んだ。
昇平が一球目を投げた。大丸は、ホームラン狙いの空振りをした。その大げさなスイングに、ナインは笑った。二球目が外れ、三球目のストライクボールを振った。空振りのはずだった。しかし、意外な映像が目に飛び込んできた。甲高い音が球場に響くなか、ボールは大きな弧を描いてレフト外野席に突き刺さった。ベンチは大騒ぎになった。塁上には、ガッツポーズで走る大丸の姿があった。昇平はじっと腕を見ている。
「同点だあ!」
スタンドから歓声が上がる。
「球場の女神様がほほ笑んでくれた」と結衣は言った。「みんながちまちまとバントをするから、この球場の女神様が不憫に思って、きっと味方してくれたのよ」
ナインはみんな笑った。
「さあ、もっと女神様にほほ笑んでもらおうぜ」大丸が声をかけた。
全力疾走で守備に着く栄翔ナインに、スタンドは歓声を上げるようになった。さわやかな球児たちの姿は、アメリカンに新鮮な感動を与えたのだ。
最終回。大熊は昇平にヒットを打たれたが、後続をフライアウトで無失点に抑えた。悔しがるスーザンの声が結衣にまで聞こえた。八回まで投げた昇平は、大事をとって交代した。十四奪三振。見事な投球だった。
九回裏の攻撃。マウンドには、昇平に替わりサンチャゴという投手が昇った。サヨナラをねらう栄翔高校野球部は、打順は一番橋からだった。
「昇平、大丈夫かな?」大丸が言った。
敵チームのベンチには昇平が見える。腕を氷で冷やしている。サイモンさんと話している。サイモンさんは、結衣に向かってオッケイのサインをした。昇平も笑っている。
「大丈夫みたい……よかった」結衣監督はため息交じりに言った。
マウンドに目を向けると、サンチャゴが投球練習を始めた。
「昇平くんのボールと比べたら、打ちやすくなると思うんだけど。橋くん、ピッチャーが変わったばかりだし、セーフティバントしかけてみて」
橋は帽子で結衣監督に合図をした。
左バッターボックスに入ると、橋は「さあこい!」と怒鳴った。サンチャゴは、「今なんて言ったんだ?」と不思議に思いながら投球に入った。橋はセーフティバント。ピッチャーとサードの間に転がったボールは、虚を突かれたサンチャゴが捕球、ファーストへ投げた。
「セーフ!」アンパイアの両手を広げるジェスチャーに歓声が上がる。
橋はガッツポーズ。続く二番江口は、送りバントの構えを見せた。すぐにはバントをせず、ワンストライクツーボールのカウントで、ヒットエンドランに切り替える。ファースト、サードがホームベース寄りだったからだ。江口はバントの構えから、サンチャゴが投球モーションに入ったところでバットを引き戻し、ヒッティング。見事に一・二塁間を破った。一塁からスタートしていた橋はサードに達し、セーフ。ノーアウト一・三塁になった。
「理想的な攻撃ができてる」と結衣監督は思った。昨年、夏の甲子園決勝戦で、光明高校が八回に成功させた作戦だった。
「結衣監督、すごいよ。野球をよく知ってる」とナインが言った。
「当たり前じゃない。監督なんだから。さあ、みんな、昇平くんが、すごいチームだって思うように、劇的なサヨナラを決めようよ」
ナインが気合いの入った声を上げた。三塁側スタンドから、「かっとばせー」の音頭が、地元アメリカンを巻き込んで響いた。
「理事長が前に出て応援団長してる」とキャッチャーの橋本が言った。
三番の山瀬が監督のサインを待っている。
「結衣監督、スクイズですか?」大丸が言った。
「スクイズでサヨナラしても、昇平くんは、このチームに惚れてくれないと思う」
結衣監督はヒッティングのサインをだした。山瀬は二球目を強振、一・二塁間に転がった。サードから橋がホームに突っ込む。セカンドがホームに返球する。ナインは総立ちになる。ぎりぎりのタイミングだ。
「アウト!」
マウンドに走る勢いだった結衣監督とナインは、こけそうになった。大きなため息の合唱がもれた。
「大丸くん、決めてね!」結衣監督は叫んだ。
結人は、一塁側ベンチの昇平と目を合わせる。大丸は、そんな二人を見て、気合いの入った素振りをした。四番大丸が右バッターボックスに入る。
スーザンがベンチから出てきた。ピッチャーを交替させるようだ。クローザーのテリーがマウンドに上がった。
「さっきのピッチャーよりは、速いね」ナインが口々に言った。
「昇平のボールをホームランしたんだもん。期待できるよ」
「でも結衣監督、あれ、空振りしようとして当たったんですよ」ナインが笑った。
テリーの投球練習が終わり、再び大丸はバッターボックスに立った。
テリーが第一球を投げる。思ったとおりの直球だった。二球目も直球。大きく外れるボールだった。三球目はファール。バックネットに跳ね返った。四球目はボール。カウントツーストライクツーボール。ここで大丸はバッターボックスを外し、ベンチを見た。
「打って! 大丸くん!」結衣監督は思わず叫んだ。
うなずく大丸。結衣は、昇平、そしてスーザンと目を合わせる。テリーが投球モーションに入った。結衣は手を合わせて祈る。
(昇平くんのミラクルボールをバント攻撃で崩して、ホームランで同点に成功した。セーフティバント、ヒットエンドランを決めて、サヨナラのチャンスを作った。こんなにすばらしいチームに、昇平くんが入ったら……すごいチームになる。大丸くん、打って。勝って、昇平くんを目覚めさせるの……)
テリーのボールは矢のように飛んだ。大丸はバットをコンパクトに回転させた。大丸のバットに的を絞ったかのように、ボールはバットに吸い込まれ、打ち返された。花火が打ち上がったようだった。大歓声がボールを後押しするかのように、舞い上がる。
レフトスタンドに突き刺さる特大のホームラン、サヨナラスリーランホームランだ。大丸は右手を高々と上げる。高橋、江口が先に帰ってくる。ナインは、ホームベースで大丸を待った。大丸は、両足でゆっくりホームイン。ナインと抱き合って喜んだ。ベンチに戻ると、結衣監督に抱きついた。
「昇平のボールに比べたら……止まって見えたよ」と大丸は言った。
ナインは三塁側スタンド前に整列した。一塁側ベンチから、昇平が走ってくる。昇平もナインの横に整列し、応援ありがとうのあいさつをした。礼儀正しい栄翔高校ナインに、球場のアメリカンからも惜しみない拍手が送られた。
昇平とナインは握手を交わした。
「ナイスホームラン。でも、結衣監督に抱きつくのはやめてほしいな」
昇平は笑って大丸に言った。
「俺たちと一緒にやらないか、昇平……」大丸は真顔で言った。
ナインは昇平の顔を見つめた。
「すぐメジャーリーガーになったら、WBCで日本代表になれねえぞ」
大丸のジョークに昇平は笑いながら答えた。
「条件がある。結衣監督を、俺に返してくれ」
ナインは口を揃えて言った。
「いやだねー」
その夜、理事長がホテルで祝勝会を開いた。
「県大会も、結衣監督で行くぞお!」酔った理事長が言った。
ナインは賛成し、昇平は反対した。玲奈は、マネージャーをすると言い出した。
監督あいさつで、結衣はみんなに言った。
「わたしは、写ガール、結衣。昇平とみんなの活躍を写真に残したいの」
「昇平だけじゃないの? 写すの」大丸がからかう。
「そうね。昇平くん以外は、玲奈が担当することになるかも」
「まかせてー」と玲奈は言った。
最後に結衣監督の胴上げで祝勝会はお開きになった。
昇平と大丸は、握手を交わした。
「春に会おう……」大丸が言った。
昇平は、結衣を見てから、大丸に頼むように言った。
「結衣を甲子園につれて行きたい。力を貸してくれ」
「俺たちは、結衣監督に甲子園の優勝旗をプレゼントしたいんだ。昇平、力を貸してくれないか」
三人は手を合わせた。その手の上に、ナインの手が次々に重なっていった。




