第4章 3 金髪のライバル
「神谷さん、神谷さん……」水橋が結衣を起こす。「もうすぐ着くみたい……」
結衣は起き上がった。窓から朝陽が差し込む。まぶしさに目をこする。広大な大地がどこまでも広がっていた。
「ここが、アメリカ……」
もうすぐ昇平に会える、その喜びが急に沸いてきた。
急降下した飛行機は、まもなくメンフィス空港に着陸。通路を抜けて、入国手続きの列に並んだ。その間、両親に電話をかけ、到着したことを告げた。昇平に電話すると、出口で待ってると言う。
昇平がどこにいるのか、二人ともわからなかった。昇平は髪を伸ばし、体も一回り大きくなっていた。
「元気だった?」と昇平は結衣に言った。結衣は照れ笑いをしてうなずいた。
「水橋も……」昇平は結衣に遠慮しながら言った。「よく来たね……」
水橋は微笑んだ。
「ハイ!、ユイ。ようこそ、テネシーへ」
昇平の後ろにいたのは、サイモンだった。
「ここまで車をお願いしたんだ。サイモンは僕のマネージャーみないなもんでさ。いろいろ、よくしてくれるんだ。こちらはワイフのリンダさん……」
昇平はリンダさんを紹介した。リンダさんは、笑顔で二人の少女を抱擁した。
「プリティ・ガール! ヨロシクネ!」と日本語で言った。
駐車場に移動し、日本車のカムリに乗り込んだ。昇平と結衣と水橋は後部座席だったが、昇平の体が大きいため窮屈で、結衣は昇平の汗を懐かしく感じた。
「僕はサイモンさんとこにステイしてるけど、きみたちは隣町のダニエルさんのところにお世話になる。でもびっくりしたよ、留学なんて。しかもこっちにさ」
「留学は、水橋さんのアイデア……」結衣は水橋を立てた。
「わたしだけ留学して、出し抜こうってしたんだけど、神谷さんもちゃっかりしてるの。面接受けて、合格するんだもん……」水橋は笑って言った。
「ショウヘイ」サイモンさんが運転しながら言った。「ガールフレンドを二人も連れて来て、コノオ。モテル男はつらいねえ」
リンダさんが英語でなにか言った。二人はなんとなくわかった。
「歓迎のパーティをするって」昇平が言う。
昇平は、サイモンさんやリンダさんに流暢な英語で話しかけた。
「だいぶ上手になったね、英語」水橋が昇平に言った。
「半年もいればね。嫌でも覚えるよ」
「ダニエルさんって?」結衣はホームステイ先が気になった。
「独身の中年のおばさんだけど、よく日本の留学生を受け入れてくれるんだって。若いとき、日本でALTをしてたらしいよ。いいタイミングだって、言ってた。二部屋ちょうど空いたって」
「まずは、ステイ先に行ってあいさつだ。部屋でゆっくりくつろぐといい。パーティーの準備ができたら迎えに行くよ」サイモンさんがバックミラー越しに言った。
車はジャクソン郡に入る。テレビで見たことのあるアメリカの風景そのままだった。やがて街に入り、道路をいくつか抜け、小高い丘を抜けると、車はスピードを緩めた。降りると、さわやかな牧の風が吹き下ろしてきた。
「大きな家……」水橋が言った。「やっぱり、アメリカね」
結衣はうなずいた。
その大きな家の二階の窓が開き、年配の女性が手を振った。結衣と水橋はお辞儀をした。
「ダニエルおばさんだ」昇平が言った。
サイモンさんは、車からスーツケースを出した。やがてダニエルおばさんが玄関の扉を開き、歩みよってきた。
「懐かしい! 日本のガールたち……」と言った。結衣と水橋を抱きしめる。
ダニエルおばさんはプロレスラーみたいで、結衣たちは小学生に見えた。結衣の手はダニエルおばさんの背中に食い込んだ。
「ようこそ! 我が家へ。あなたたちは、もうわたしの娘よ……」
結衣は、ダニエルさんの笑顔に母親と同じぬくもりを感じ、安心した。
結衣と水橋は、ダニエルさん宅で昼食をとり、二階のそれぞれの部屋で一眠りした。
夕方、昇平とサイモンさんが迎えにきた。
サイモンさんの家は車で十五分。自転車で三十分はかかるな、と結衣は思った。近いようで遠い。アメリカだし、ほいほいと昇平に会いに行くのは難しいだろう。
「あの山には、有名なグルノーズリスがいる。知ってるかい?」サイモンさんが言った。
「あの、かわいいリスですか?」
「そうだ。かわいいし、人なつっこい。今はペットにするのは禁止されてるがね。パークに行くと触れるよ。いつか連れて行こう」
公園の敷地内のように整備された林を抜ける。自然なのか人工的なのかわからない。ただ、さすがにアメリカだと思うしかない。やがて、ぽつぽつと住宅が見えた。
「もうすぐだよ……」昇平が言った。
「ところで、ユイ、レイナ」サイモンさんが言った。「二人とも、観光にしちゃ、いいカメラを持ってるね」
「ウイ、ビロング、フォト・サークル」水橋が英語で言った。
「オオ! グレイト! わたしの娘もフォト・サークルに入ってるんだよ。ダニエル高校のね」
車は、ほぼまっすぐ走った。突然スピードを緩め、ゆっくりと大きな門をくぐった。
サイモンさんの家は、なかなかの豪邸だった。リンダさんと、かわいい娘さんが出迎えた。
「顔、グルノーズリスみたい……」水橋が言った。「体は、高校生とは思えないボリュームだね」
昇平は、グルノーズリスと同じ屋根で半年住んでいた。結衣は意味ありげに昇平を見つめた。
「どうかした?」昇平は目をそらす。
「かわいいお嬢さんね。グラマーだし……」
「彼女、スーザンっていうんだ……」
玄関の扉を二つ抜け、室内に入った。
「こんなすごいとこに住んでるんだ」水橋が別人のようにはしゃいでいる。
「サイモンさんはスカウトマンだけど、球団の役員もしてるんだって。土地もあって、かなりの金持ちらしいよ」
「案内するわ」スーザンが結衣と水橋に握手を求めながら言った。「ようこそ。テネシーへ。わたしはスーザン。よろしくね」
「こんにちは。会えてよかったです」結衣と水橋は学校で習った英語で言った。
スーザンの後に三人は従った。中央の階段を上がるとき、「スーザン、肉が焦げるから早めにな」とサイモンさんが庭から声をかけた。
「オッケイ、パパ。ショウヘイ、カモン」
スーザンに呼ばれて昇平は階段を駆け上がった。
「ここが僕の部屋……」
「広い……」
「トレーニングルームも中にあるんだ」
「ホテルのスイートルームみたい……」
すごい部屋だとは電話で聞いていた。実際見ると、いかに昇平が将来を期待されて、好待遇を受けているかを実感した。
「わたしの部屋も見る?」スーザンが見せる気満々で言った。「三つの客室を一つに改装してもらったの」
スーザンは、ランウエイを歩くモデルのように歩いた。結衣には絶対にマネのできない歩き方だ。
スーザンはゆっくり自室の部屋を開いた。豪華な造りには驚かなかったが、大きな冷蔵庫や、ジュークボックス、ゲームコーナーがあるのには驚いた。
特に結衣の目を引いたのは、カメラのコレクションだった。フォト・サークルに所属しているというスーザンのカメラは、コダック社製、ペンタックス社製が殆どだった。ニコン、キャノン、ソニーが数台あった。
「これはアーガスC3。アメリカ庶民がよく使ってたカメラ。かわいいでしょ? これはコダックシグネット35。愛称はミッキーマウス。形がそっくりでしょ? ユイ、レイナのカメラもすてきね」とスーザンは言った。
水橋はカメラを構え、スーザンを撮った。スーザンはモデルよろしくポーズを決める。「キャノン、ニコンはやっぱりいいわよね。さっきパパから聞いたけど、ユイ、レイナもフォト・サークルに入ってるって。いい友達になれそうね」
「ええ、きっと……」水橋はそう言ってもう一枚シャッターを切った。
結衣は、壁にかかった一枚の写真に目がとまった。
「これ?」スーザンが指をさす。「スピードランナー、ショウヘイ。この前の郡大会で優勝したのよ」
「百メートル走でね。走り込みばっかりしてるからさ。けっこう速くなったよ」
昇平は走るポーズをしておどけた。
結衣は、少しアメリカナイズされた昇平を見た。
パーティには、隣近所の家族や、高校のクラスメートも招待されていた。すっかり現地に溶け込んだ昇平を見ていると、身近にいるはずの昇平が遠くに感じられた。
「疲れるね」と水橋が言った。「外国人と一緒にいるの」
「今からそんなこと言ってる。そのうち慣れるよ」と結衣は言った。
「昇平くん、別人みたいね。英語、上手にしゃべってさ」
「ほんと。時間って、怖いね……」
「スーザンさ、やばくない?」
「そう?」
結衣は、やはり水橋も同じことを考えていると感じた。
「だいじょうぶよ……」と結衣は言った。
「スーザンの昇平くんを見る目、熱いなって思った。感じなかった?」
「日本の男の子、相手にするかな?」
「わかんないわよ、恋愛なんてさ」
「あそこにいるさ、イケメンが似合ってるよね。スーザンさんには……」
「どれ?」
結衣は、バーベキューを焼いているイケメンを指さした。
「ああ、アレンね。さっき話したわ」
「アレン?」
結衣と水橋の視線に気づいたイケメンのアレンは、大きく手を振って言った。
「ヘイ! レイナ。カモン。ニク、クエ」
水橋は笑った。
「さっき教えたの、日本語。また教えてこよっと」
水橋はイケメンのアレンの元へ駆け寄った。
「ヘイ! ユイ。アンタモ、ニク、クエ」
ユイも輪の中に入った。大きなウインナーを食べたが、味はいまいちだった。
昇平とゆっくり話ができたのは、それから二日後だった。
ユイと水橋は次の週から高校に行くことになっていた。数日は、土地に慣れるためにのんびり過ごした。ダニエルおばさんは英語を教えてくれたし、必要な物を買うストアも教えてくれた。新しい生活への不安は大分薄れた。
昇平がトレーニングをしている球場は、ダニエルおばさんの家から五キロほど離れた場所にあった。その午後、ちょうどダニエルおばさんの自転車が空いていたので借用した。
昇平はランニングの途中だった。ちゃんとトレーナーがついているのには驚いた。
「やあ、元気にしてたかい? ユイ」
サングラスを外してトレーナーが笑顔を見せた。日本にサイモンさんと一緒に来たドクター・ジョンだった。
「ドクターがたまに様子を見に来てくれるんだ」と昇平は言った。
ユイはドクター・ジョンに握手をする。
「お世話になってます。どうぞ、トレーニング続けてください。見てていいですか?」
「もちろんさ」ジョンは言った。「きみがいたほうが、ショウヘイもやる気がでるだろう」
室内での筋トレ・ストレッチなど、メニューに従ってトレーニングは続いた。半年の昇平の生活が、おおよそイメージできた。
練習が終わったのは夕暮れどき。ドクター・ジョンはオープンカーから手を振って帰った。ジョンを見送ってから、結衣と昇平はベンチに座り、久しぶりにキスをした。
「人がいるのに、わりと平気……」結衣は言った。
球場の周りには、ジョギングをしている人や、芝生に寝そべっている人もいる。
「ここは、アメリカだからね」昇平は結衣の肩を抱いた。「開放的だよ、ほんとに。この前はごめん。あんまり話できなくて……」
「知らなかった。スーザンさんのこと……」
「そうだっけ?」
「電話でも、話してくれなかったし……」
「変に心配かけるって思ってさ」
「どんな心配?」
「……わかったよ。謝るよ。問い詰めないでくれよ」
ショウヘイはやたらと手振り身振りが多かった。やはりかなりアメリカにかぶれていると結衣は思った。
「腕はどう?」
「今、ボールを握ってシャドウピッチングしてる。来月には投げてみようかって」
「今年の甲子園は無理だね、やっぱり……」
「投げれても、実践で通用するかどうか。結衣は、留学は三ヶ月だっけ?」
「うん……。高校は、もしかしたら延長できるかもって。でも、夏にはとりあえず帰るね」
「今年は僕も帰れそうだよ」
「ほんと? よかった。一緒に帰れるといいね」
昇平は、結衣に抱きついた。「汗臭い? シャワーは浴びたけど……」
「大丈夫……懐かしい。昇平の匂い……」
昇平は、結衣の脇から手を差し入れ、結衣の胸を大きな手で包んだ。
「だめだよ、こんなところで……」
「いいじゃない。久しぶりなんだし。会いたかったよ、結衣……」
【恋するとは、自分が愛し、自分を愛してくれる相手を見たり、触れたり、あらゆる感 覚をもって、できうる限り近くに寄って感じることに快感を感じることである】
スタンダール『恋愛論』の一節を思い出した。
結衣は目をつむった。昇平はゆっくりと手を動かす。 「また大きくなったね……」昇平が言った。
結衣は体をよじってうなった。「昇平くん、人が……」
「ここはアメリカだよ。このくらい、みんなしてる……」
昇平は、右手を結衣の脚に滑らせた。結衣は、のけぞりながらも昇平の手を抑えた。結衣の手をかいくぐりながら、昇平の手は結衣の白い肌に赤い痕跡をつけていく。
日本車のカムリが信号で止まるのが見えた。
「サイモンさんだ」昇平は結衣を解放した。「もう少し、遅れてきてほしかったな」
「わたしは、助かった……」結衣は息を整えた。
「やっぱり、結婚してからだろ?」昇平は立ち上がった。
「そういうわけじゃないよ。そのときがきたら……」
「そのときか……。わかったよ。ひとりで帰れる?」
「うん」結衣はスカートの皺を直した。
「この辺りは治安のいいところだから」
カムリが二人の近くで止まった。スーザンが助手席から降りた。
「ハイ! ショウヘイ」
「オーケイ!」
結衣は、カムリに向かってお辞儀をした。
「じゃあ、またね」昇平はそう言って駆けだした。
球場の外へ出ると、昇平は手を振った。少し遅れて、スーザンも結衣に手を振った。
結衣も手を振ろうとしたが、その前に二人は車に入った。閉まるドアの音と、車のエンジン音が、球場のコンクリートに跳ね返った。
週末はサイモンさんが観光に連れて行ってくれた。リンダさんは留守番で、スーザンが助手席に、結衣と水橋と昇平は後部座席に乗った。
「メンフィスは、ブルースで有名なんだ。バーならいっぱいあるんだけど、あと一年待ったほうがいいね。今日は、ミシシッピーリバーに行ってみよう。それからグレースランドだ。どうだい? 文句があるかい?」
それから毎週、サイモンさんが出張でいないとき以外、観光に出かけることになった。昇平は、土日のトレーニングは殆どなかった。
オートゾーンパークでマイナーリーグの試合を見に行くこともあった。
ダニエル高校での学校生活は、昇平と水橋がいるので、何ごともなく時間が過ぎ去っていった。スーザンと殆ど話はしない。昇平とはウイークエンドの夕方に話をすることが多かった。休日に二人で出かけようとすると、必ずスーザンが付いてくる。
「日本人二人だと、心配だからって、ついてくるんだ」と昇平は言った。
水橋の話では、スーザンにはモーガンという彼氏がいる。しかし、ここ数ヶ月一緒にいるところを見た人はいないらしい。別れたというのが、友人たちの一致した見解だということだ。
7月。日本では甲子園の県大会予選が始まっていた。昇平は簡単なキャッチボールができるまでに快復していた。
「3Aのキャンプに参加することになったんだ」と昇平が言った。
「日本には、帰れないってこと?」
結衣の落胆ぶりがただ事でないことは、水橋がよく知っていた。食欲がなくなったし、二人でおしゃべりをすることも少なくなった。
ダニエルおばさんのローストチキンを半分残した夕食のあと、水橋は結衣の部屋をノックした。
「神谷さん、入っていい?」
結衣は、ラジオを聞いていた。
「あと一週間だね、テネシーも……あっという間だったね」水橋は窓際の椅子に座った。
「なにしに来たのか、わからない……」結衣はつぶやいた。
「そうね……スーザンの存在は、意外だったし。よくわからないし」
「水橋さんは、どうだった?」
「正直いうとね、もうちょっと、昇平くんとあなたの仲をさ、ひっかき回してやろうと思ったんだけど……スーザンの登場で、その気が薄れて……」
「アレンとは、うまくいってるみたいだしね」
「わたし、軽いノリのアメリカ人が合ってるみたい。昇平くんのことは、高校生になって、あなたと同じクラスになってから、実はもう諦めてたの。だめだろうなって。写真部に入って、抵抗してみたものの、やっぱりあなたにはかなわないって思った。留学は、ちょっとした思いつきで、本当にできることになって、自分でもびっくりした。信じてもらえないかもしれないけど、留学の面接のあと、おじいちゃんにお願いしたのよ。神谷さんと一緒に行きたいって……」
昇平の独占権を放棄した水橋は、もはや友人と言ってよかった。結衣は、優しい目で水橋を見つめた。
「玲奈って、呼んでいい?」結衣は言った。
玲奈はゆっくりと結衣に近づいた。返事をするかわりに、結衣を抱きしめた。人恋しさからか、結衣も玲奈を抱きしめた。
「わたしが好きなのは……結衣ちゃん、あなただったのかも……」
「えっ?」
「冗談よ。冗談……もう少し、こうしてよ」
ラジオからは、軽快なアメリカン・ポップスが流れた。結衣は、聞いたことがある曲だと思った。




