後日談2「実家に帰らせていただきます・3」
上機嫌で書斎に戻ると、カルトが既にいた。笑いが堪えられないオルレアンを見て、顔を顰める。
「なんだ、またアマ嬢でもいじめてたのかよ」
「分かるか」
「オルレアン坊ちゃまは奥様をいじめる時が、一番いきいきしてらっしゃいますから」
ラムが深夜の飲み物を用意しながら答える。身長より大きすぎる執務椅子に音を立てて座ったオルレアンは、肘掛けに体重を預けてにやりと笑う。
「マリベルの命と僕の妻の座、どちらをとるか選べと言ってきた」
「はあ? なんでそんなことになるんだよ」
「趣味だ。僕は妻が可愛くてたまらない。明日が楽しみだ」
カルトとラムがそろって顔を見合わせて、同時に溜め息を吐いた。
「……明日は奥様のお好きなプティングを用意致しましょう」
「俺もこないだ喜んでた花を用意してやるわ。……で、マリベル嬢だが。裏にいるのは革命軍だ」
「またか」
うんざりしてオルレアンは嘆息する。ラムが穏やかに笑った。
「恨まれておりますなあ。ヴァロア公爵家が平等革命を支持していたらメディシス王家が斃れただろう、ということを考えれば仕方のないことですが」
「昔話はいい。マリベルの状況はどうなっているんだ。あれはオルゴーニュ王家最後の王女だ。へたに扱うと火種になる」
オルレアンの言に、カルトは頷いた。
「話は簡単だ。マリベル嬢が最後の王族だっていうのが革命軍にバレた」
「ならどうして殺さない」
「オルゴーニュの惨状が原因だ。民衆に人気のあった領主まで殺しまくって治安は悪化、政治は泥沼。とどめにこの間の博覧会でメディシス王国を含む他国から白い目で見られている。それをどうにか払拭するために、マリベル嬢を革命軍の新しい象徴として迎え入れる計画が立った」
「――傀儡政権を作る気か」
「そうだ。もし失敗したらやはり王家は駄目だと処刑すればいい。うまくいったら、自分達の思想が王家を更正させたたと主張すればいい。たった十二歳の女の子によりかかるなんてな」
「その話を、マリベルは受けたんだな。だが一人では辛いと考える程度の自覚はあった。だから、ヴァロア公爵夫人になりたいわけか」
やはり厄介だ。溜め息が出てしまう。暢気にラムがカルトに尋ねた。
「この場合、マリベルお嬢様の話を受けたらいずれ坊ちゃまはオルゴーニュ国王ということに?」
「まーそうなるなァ。今でもレジーナ女王になんかあって、アマ嬢が女王になんてことになったらオルレアンはメディシス国王だけどよ」
「僕はそんな面倒な地位はいらない。義姉上に不幸が起こるのは面白いがな。……それで、その理屈でいくと、革命軍にとって僕は邪魔だな」
投げやりに出した結論に、使用人達は頷いた。
「邪魔でしょうなあ」
「ヴァロア公爵家の力は革命軍も欲しがってるから、一生マリベル嬢と監禁くらいですむんじゃないか?」
「残念ながら僕は監禁する方の人間だ。――話は分かった。対処は簡単だ」
「では、マリベル嬢の死体を革命軍に送り届けますかな?」
ラムの穏やかな提案に、オルレアンは目を細める。
「メディシス王家がやったと難癖つけてくるぞ。革命軍は馬鹿だからな」
「それはレジーナ女王がうまくあしらってくださるでしょう」
「元々王族殺しまくってるのは革命軍の方だしな」
「まあ、僕もそれが一番楽だと思ってる。だが僕は愛妻家なんだ。代々のヴァロア公爵と同じで」
ふふんと笑ったオルレアンに、ラムもカルトも苦い顔をした。
「確かに、その、ヴァロア公爵は代々愛妻家が多いと伝え聞いてはおりますが」
「愛妻家って調教師の言い換えのことか」
「結論は明日だ。可愛い僕の妻の方針を聞く」
オルレアンの出した結論に、忠実な使用人達は何も言わず頭を下げた。
朝の食堂に、食器の音が静かに響く。会話は、オルレアンの本日の予定だけだ。
「午後からは工場の視察ですな。あと、新しい菓子職人の面談予定が入っております」
「わかった。おい」
「は、はいっ」
オルレアンの声色だけで呼びかけを判別できるアマレッティは、力なく動かしていたフォークとナイフを持つ手を止めて顔を上げる。
「お前はマリベルと一緒にいろ。新しい菓子の試食は屋敷に運ばせる」
「は、はい」
「私はあんたについていくわ、オルレアン。ちゃんと妻としてお披露目してもらわなくっちゃ」
オルレアンは斜めの席で笑うマリベルを一瞥しただけで、何も言わなかった。
正面席のオルレアンを挟んでマリベルと向かい合っているアマレッティは、ぐっとフォークとナイフを握り直す。
オルレアンの妻になってアマレッティが学んだことは、自分で考えて、選択することだ。それを忘れていない。
「ま、マリベル様。お話があります」
「何かしら」
「昨日、オルレアン様に言われました。マリベル様はお尋ね者だって。だからマリベル様は死ぬかオルレアン様の妻になるしか道はないって」
「は?」
怪訝な顔をしてマリベルがオルレアンを見る。だがオルレアンは涼しい顔でグラスの水を飲み干していた。
ぶるぶるしながらアマレッティは一生懸命言葉を紡ぐ。
「私、一生懸命考えました。シュークリームちゃんともババロアちゃんとも相談しました」
「……誰よ、シュークリームちゃんって」
「妻の大事なぬいぐるみだ」
「はあ!? ぬいぐるみ!? ぬいぐるみと喋ってんの、この人私より年上でしょ!?」
「そ、そして決めました! オルレアン様の妻は私です!」
アマレッティの宣言に、食堂にいる全員が目を向ける。
マリベルが眦を吊り上げ、同時にオルレアンがグラスを置いた。そしてやっと、アマレッティを見てくれる。
「じゃあ、マリベルは処刑だ」
「ちょ、ちょっとオルレアン! あんた私を殺す気じゃ」
「でもそれはマリベル様が可哀想なので、アマレッティが守ることにしました!!」
ぶっとどこかで誰かがふきだす音が聞こえ、がたたっと食器ワゴンが倒れる音がした。
マリベルは口をあけて惚けている。だがアマレッティは両手を握ってマリベルをまっすぐ見た。
「だから、オルレアン様は諦めてください、ごめんなさい……!!」
「……」
「ヴァロアスイーツだってお土産に選びますから!」
「ちょっと待って、一体何の話よ!? なんか違わない!?」
「よかったじゃないか、マリベル」
ナプキンで口元をぬぐったオルレアンが、不敵に笑う。
「ヴァロア公爵夫人がそう言うなら仕方ない。死なずにすんだな」
「……。あんた、一体どういう話をしたのよ」
「いい妻だろう?」
オルレアンの褒め言葉にアマレッティはぱあっと顔を輝かせる。
「わ、私、頑張りましたか。オルレアン様」
「ああ。楽しませてもらった」
「オルレアン様が楽しかったならよかったです!」
「よかないわよ!! あのね、私は諦めないから!」
「えっそんな」
青ざめるアマレッティにマリベルは正面からびしっと人差し指を突き付ける。
「私がオルレアン・ヴァロアの――ヴァロア公爵夫人になるの! 分かった!?」
「こ、困ります! 困りますそんなの! オルレアン様の妻は」
私です、という宣言は横から伸びてきた手に止められた。見ると朝食を終えたらしいオルレアンが、いつの間にかアマレッティの席のすぐ隣に立っている。
「今夜から寝る時は僕の寝室にこい」
「――えっ……で、でも一緒に寝るのは三年後だって、オルレアン様」
「嫌か?」
ぶんぶんと首を横に振った後で、顎をついと指だけで持ち上げられる。
「僕の妻はお前だ。夫が妻を寝室に呼んで何が悪い」
「は、はい……オルレアン様……っ!」
昇天しそうな幸福に目眩がする。うっとりと呟いたアマレッティの耳元に、オルレアンが唇を寄せた。
「ただし一晩につきお前のぬいぐるみと一つ、ひきかえだ」
「――。えっ」
「通行料代わりにお前のぬいぐるみをもらう」
それは、つまり。思考停止したアマレッティの頬に、オルレアンが軽く口づけた。
「今夜を楽しみにしている」
「ま、待って下さいオルレアン様。シュークリームちゃんをどうなさる気ですか」
「僕は仕事だ。留守を頼む」
「駄目です、シュークリームちゃんは駄目です、オルレアン様!! 考え直して下さい、アマレッティが火の輪くぐりをしますから……っ!」
泣いてすがるアマレッティをものともせず、さっさとオルレアンは食堂から出ていってしまう。
へなへなとアマレッティはその場にうちひしがれ、さめざめと泣いた。
「そんなっ……次はシュークリームちゃんの命と引き換えなんて……っ」
「……まさか毎日こんななの、ヴァロア公爵家は」
「坊ちゃまは愛妻家でございますから」
ラムの答えにマリベルはそう、と疲れ切った相槌を返した。




