第27話「奥様は誰が妻か」
奥の廃園は、平等革命で王城が襲撃を受けた際、天井や壁を打ち壊されてしまった室内庭園だ。王城で唯一、革命で破壊され人が血を流した場所だった。血の跡や死体は片付けられたものの、修繕される事なく放置されていた。
打ち壊された格子の入り口は傾いたままで、木も草も無作為に生え放題になっている。まだ革命が終わってからたった三年しか経っていないのに、廃園の名に相応しくなりつつあった。
隙間から雑草が伸びつつある石畳を裸足で歩きながらオルレアンの名前を呼んでいたアマレッティは、やがて、かつて四阿があった場所に辿り着く。
そこで人影を発見した。
「チェルト君、ヴァリエさん――オルレアン様!」
「よく来たなアマレッティ!」
式典の時に纏う赤いマントを翻し、チェルトが振り向く。腰に剣まで下げて、チェルトは正装していた。
そのチェルトの後ろにある柱に、オルレアンが縄で括り付けられていた。
「オルレアン様っ……チェルト君、まさか貴方がオルレアン様を攫ったのですか!?」
「ああそうだ! どうだ、僕の恐ろしさを思い知ったか!」
「どうしてそんな事を!」
「それは僕が真のヴァロア公爵だからさ!」
もう一度マントを後ろに振り上げて、チェルトが金色に輝く指輪を天に掲げる。斜めに重なり合う葉の合間を擦り抜けた日の光が、反射した。
「まさか……当主の指輪……!」
「ふはははは、その通りだまいったか!」
「そんな……!」
拘束されているオルレアンの顔色は悪かった。ぐったりと脱力しているように見える。
「オルレアン様、大丈夫ですか……!」
「――お陰様で、大丈夫じゃない。頭が痛くてな……」
「ふっ朝ご飯を食べさせていないからな」
「ええっ朝ご飯を!? 何て酷い事をなさるんですか、それでは力が出ません……!」
「――おい、そこのアホだらけ」
呪詛めいたオルレアンの声色に、チェルトとアマレッティの興奮はいきなり氷の中に突っ込まれたように冷えて凝固した。
「気は済んだか。もう突っ込む気も起きないんだ僕は……!」
「な、何だ。粋がったってお前は囚われの身の上」
「息をするな窒息死しろ好きな女に自分の力を誇示したいなら余所でやれ」
チェルトがオルレアンの言葉通り、息を飲んで目を白黒させた。顔色も赤くなったり青くなったり忙しい。
「あ、あの……チェルト君?」
「おいバカレッティ、どうしてお前一人なんだ。まさか、こんな間抜けな誘拐劇の脅迫状を真に受けたんじゃないだろうな……?」
「え……だって、オルレアン様の命が」
途中でアマレッティは説明を飲み込んだ。
オルレアンの気配に本物の怒りを感じ取って、凍り付く。
「……。そうか。揃いも揃って……馬鹿もここまで揃うと天才的だな。おかげで僕は本気であの高慢女王に同情しそうになったじゃないか……!」
「あ……あの、ごめんなさ……」
「返事は!」
「う、嬉しいですオルレアン様!」
背筋をびしっと伸ばしたアマレッティに、オルレアンは深々と疲れ切った溜め息を吐いた。
「もういい。そこアホ、要求は何だ指輪の在処か。僕は教えないぞ。分かったらさっさと縄を解け」
「あ、アホ!? しかも何でそんな偉そうなんだお前――痛い目に遭わせるぞ!」
「やめて下さいチェルト君!」
アマレッティの叫びに、チェルトが振り向いた。両手を胸の前で握り、アマレッティは蜂蜜色の瞳を潤ませて懇願する。
「チェルト君は、そんな酷い事をする人じゃありません。それにヴァロア公爵になりたいだなんて、どうしてそんな事を」
「ど……どうしてって、それは……」
「お前がヴァロア公爵の借金の担保として嫁いできたからだ。こいつがヴァロア公爵になれば自動的に僕の権利が全てこいつのものになる。そうすればお前は晴れてこの馬鹿の妻だ」
オルレアンが情緒の欠片もなく解説した。
(……私が、オルレアン様の妻ではなく、チェルト君の……)
当主の指輪を二つ揃えた者がヴァロア公爵になる。つまり、今、指輪を持っているチェルトがオルレアンの指輪を手に入れれば、チェルトがヴァロア公爵になる。そしてアマレッティはヴァロア公爵の妻だ。
目を瞬きながら時間をかけて理解した後で、アマレッティは顔面蒼白になる。
「だ……駄目です無理です、私はオルレアン様の妻です!」
「なっ」
「だそうだが」
今度はチェルトが顔面蒼白になった。オルレアンは相変わらずつまらなそうな顔でその様子を見ている。チェルトはアマレッティに向けて怒鳴った。
「おまっ……馬鹿の癖に! レジーナの言いつけだぞ、できないのか!」
「えっ……」
「だってレジーナが言ったんだ! アマレッティはヴァロア公爵に嫁がせた、だから僕がヴァロア公爵になればアマレッティは僕の妻になるんだって……アマレッティが欲しければ指輪を賭けて男らしく勝負してこいって!」
アマレッティは膝から力が抜けそうになった。
(お姉様が……)
それはアマレッティにとって絶対の言いつけだ。姉がそうなれと言ったならば、アマレッティはそれに逆らえない。逆らう事を知らない。
アマレッティの顔色からそれを読み取ったのか、チェルトが落ち着きを取り戻してオルレアンに向き直る。
「さあ、後はお前が指輪の在処を言えばそれで完璧だ! 指輪はどこにある!」
「何度も言わせるな、拷問されても僕は教えない」
「ご、拷問されてもって……お、お前は何でそんなにヴァロア公爵になりたいんだ!?」
「僕は甘い物が大嫌いだが、それを食って幸せそうにしてるお目出度い連中から金をむしり取るのはそれ以上に大好きなんだ」
多分、経営者としてあるまじき酷い理由をオルレアンは説明した。
「だが一番は、僕がヴァロア公爵になると決めたからだ。面白そうだからな」
木漏れ日に灰青の瞳を細めながら、気負いのない声でオルレアンが告げた。
「自分で決めた事だ、やり遂げる。どれだけ失敗しようが、曲げるつもりはない」
さわさわと囁く風と一緒に流れる、決して大きくはない声をアマレッティは力の抜けた身体で聞いていた。
自分で決めた事だからオルレアンはやり通すのだ。例え失敗しても、そこから逃げない。
「――ご立派な志だ。ですが奥様の身と引き替えならばどうですかな?」




