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お菓子の国のアマレッティ  作者: 永瀬さらさ
旦那様が帰ってきません
19/41

第18話「奥様のお客様」

 雪ではなく雨が落ちてくるようになり、ゆっくりと緑色が息を吹き返す頃になっても、オルレアンは姿を見せなかった。

 オルレアンが居ないだけで、毎日は賑やかに過ぎていった。マリーとベリーはお喋りに余念がないし、ラートは試食も含めて珍しい食べ物を仕入れてきてくれたりもする。カルトは相変わらず花で部屋を飾ってくれるし、ポワゾンは急にやってきては妙な知識を披露してくれた。

 まだまだ学ぶべき事はたくさんある。しかもアマレッティは、姉からの頼みという重大な使命も負っているのだ。

 なのにアマレッティの調子はやはり持ち上がらない。

(怪しい所は全部見て回りましたけれど、何もなしなんて……とっても綺麗にお掃除されていました……)

 マリーとベリーは働き者だ。

(オルレアン様の書斎にあった物は、金庫の中身以外殆ど燃えてしまって、残った物は全部会社の方へ持って行ったって言うし……修繕された後も家具が運び込まれただけでずっと空っぽ……オルレアン様がお帰りにならないから……)

 胸にぽっかりと空いた大きな穴を縫い止める為に、アマレッティはちくちくと刺繍の練習に励んだ。その努力の甲斐か、何とか形になってきたある日のことだ。

「お客様ですか」

「そう、オル坊の叔父だ」

 メディシス王国博覧祭の為仕立てたドレスの仮縫いを終えて部屋に戻ったアマレッティは、丁度窓際の花壇に水をやっていたカルトから報告を受ける。

「どうしてもお前に直に話したい事があるんだとよ」

「まあ、私に!」

 立ち上がったアマレッティは、きらきらと瞳を輝かせる。

 パーティー会場で見聞きした事はまだ記憶にしっかりと残っていた。

(指輪について、何かお聞きできるかもしれません。オルレアン様についても何か秘密を教えて下さるかも……!)

 アマレッティは急いで客人用に用意するお茶とお菓子を、マリーとベリーに言いつけた。



 マリーとベリーに急いで髪を梳いて身なりを整えてもらった後、桃色のシンプルなドレスを着たアマレッティは廊下を緊張して歩いていた。

(どうしましょう……上手くできるでしょうか)

 来ると聞いた時は意気込んでみたものの、いざ会うとなるとすぐにアマレッティの自信は引きこもりがちになる。

 親族相手とはいえ、アマレッティは初めてオルレアン・ヴァロアの妻としてたった一人で客をもてなすのだ。ここで失敗したらまた何が起こるか、考えるのも恐ろしい。

「しっかり奥様……一人だから……」

「わ、分かっています。きっと、頑張れると思います」

「奥様。ダミアン様で御座います」

 マリーとベリーの案内と共に、客間の扉が開いた。アマレッティとだけ話したいというダミアンの希望通り、マリーとベリーは呼び鈴だけ残して退室する。

 客間のソファの真ん中に、ダミアンは座っていた。服装もいつも通り派手派手しい。

 だがたるんだ顔がしょぼくれている。雨に濡れて萎れた極楽鳥のようだと、アマレッティは思った。

(……どうなさったんでしょうか)

 いつもの威圧感がない。緊張が解けてしまったアマレッティは、とりあえず微笑んだ。

「ご機嫌よう、ダミアン叔父様。初めましてのご挨拶が遅くなって申し訳御座いません」

 身体に叩き込まれた通り、何も考えなくてもアマレッティはドレスの裾を摘んで優雅に挨拶できる。ダミアンが顔を上げた。

「ああ……そういえばあんたとまともに話すのは初めてだったな」

「そうなんです。改めて自己紹介させて下さいね。私、アマレッティと申します。メディシス王国よりオルレアン様に嫁いで参りました、以後お見知りおきを」

 もごもごと何か言いたそうなダミアンはひたすら歯切れが悪い。ダージリンの葉を使った紅茶の香りが二人の間で揺れた。礼儀としてもう一度微笑みかけてから、アマレッティは精緻な刺繍の施されたソファに腰掛け、先に口を開く。

「お顔の色が良くないです。マカロンと用意してみたので、どうぞ食べてみて下さい。元気が出ると思います」

 アマレッティは、向かい合わせに座ったソファから色取り取りのマカロンが乗った皿を勧める。だがダミアンは力なく首を振った。

(まあ……お腹が痛いのでしょうか)

 やはり、いつものダミアンと違う。どう話しかけたものかとアマレッティが迷っていると、ダミアンがようやく口を開いた。

「オルレアンは、どうしとりますか。行方とか……最近、見当たらんからどうしたのかと思いましてな」

「オルレアン様ですか」

「以前は忙しいとはいえ会社か屋敷かにおったんだ。だが最近は、領外に出てばかりだと聞いて。あの火事の後だ、何があったのかと思って心配しとるのです」

「まあ、だから叔父様は元気がないのですね……私もとっても心配なんです」

 まさかこんな風にダミアンとオルレアンを憂える事ができるとは思わなかった。

 そういえば火事の時も真っ先に報せてくれたのはこの人だ。思い出したアマレッティは、深々と頭を下げる。

「火事の時も、ダミアン叔父様にはご心配頂きました。有り難う御座います」

「い、いやあれは……」

 大きく狼狽した後、突然ダミアンは頭をがばりと下げた。

「すまんかった!」

「えっ?」

「いや、あの火事は儂がやったんじゃない。そうではないんだが、あの火事は儂のせいで起きたようなもんなんだ」

 驚いて答えられないアマレッティの前で、ダミアンはハンカチを取り出し額の汗を拭く。そしてまだオルレアンには話していないと、前置きした。

「メディシス王家からあんたが嫁いできて、指輪の行方にアテがついたんだと儂も色々調べ回ったんだ。だが馬車は見つからん、こりゃあ怪しいと思ってメディシス王家に連絡を取ってみた。そうしたら内密に返事が来たんだ。ヴァロア家当主の指輪を持っていると」

「ええっ指輪って……本当ですか!?」

 声を上げたアマレッティに、ダミアンが頷き返す。

「奴らの返事はこうだ。指輪が二つ揃えばヴァロア公爵を継げる事は知っている。だがそれ以外に情報がない。危ない物なら手放したいから情報をくれと」

「ちょっ、ちょっと待って下さい。二つ? 指輪は二つあるんですか?」

「――あんたオルレアンから聞いとらんのか?」

 ダミアンの目の色は、オルレアンに似て青みがかっていた。アマレッティは頷き返す。

「オ、オルレアン様からは何も……ど、どういう事なのか教えて下さい。お願いします!」

「……ヴァロア公爵になりたければ、鷲の刻印がある当主の指輪を二つ揃えなければならない決まりがあるんです」

 当主の指輪という呼称以外、何もかもが初耳だ。アマレッティの表情からそれを理解したのか、ダミアンは説明を続けてくれた。

「ヴァロア公爵家の当主継承は高貴な血ではない。指輪を揃えなければ使用人達と契約し直せないという決まりがありましてな」

「……使用人達と契約し直せない?」

「お抱え使用人達を従わせヴァロア公爵領を戦争から回避させる力を得て初めて、ヴァロア公爵になったと言える。それが『菓子屋』の裏の顔、ヴァロア公爵家の裏稼業です」

「お菓子屋さん……?」

 疑問をだけを反復するアマレッティに手を上げて、ダミアンが説明を続ける。

「今はその話は置いておきましょう。問題は指輪だ」

 ダミアンが一息入れて、ようやく紅茶に手をつけた。

「当主の指輪は、一つは、私の兄――先代ヴァロア公爵、つまりオルレアンの父親が指に嵌めておりました。その兄夫婦が一年前、崖からの転落事故で死亡した事は?」

 アマレッティは首を横に振る。ダミアンは低く声色を落とした。

「……酷い事故でした。雨で地面がぬかるんでいてね。馬車ごと崖から落ちて……その事故の直後、オルレアンはヴァロア家に残された兄の指輪を隠してしまいおった」

「隠して……? どうしてですか」

「奪われない為にです」

 神妙に、ダミアンが喋る速度を落とした。

「さっきも言いました、当主の指輪は二つある。そして指輪を二つ揃えた者が、ヴァロア公爵になる。ヴァロア公爵家では跡取りが生まれた際、妻の指輪をその時従事している国家に献上するのです。少なくともその時、ヴァロア公爵家はその国を支持しているという証拠として次代ヴァロア公爵の地位がかかった指輪を渡すんですな。今回ならば、オルレアンが生まれた十一年前、指輪はメディシス王国に献上されている」

「まあ!」

 吃驚してアマレッティはそのまま声を上げた。ダミアンはいつもと全く違う静かな声で話を進めた。

「献上された指輪をどう扱うかは、献上された側が自由にしていい決まりでしてな。保管していてもいい、売ってもいい。指輪の行方は常に使用人達が把握しておる。壊れたとか不測の事態には指輪を作り直したりもする。そうやって使用人の監視の下ゲームが進むのです。まとめれば単純な話だ、指輪を二つ揃えなければヴァロア公爵にはなれない。そしてオルレアンは今、親から受け継いだものを一つ隠して、もう一つの指輪を探している――本当のヴァロア公爵になる為に」

「……叔父様も、ヴァロア公爵になりたくて指輪を探してらっしゃるんですか……?」

 ダミアンは顔を顰めて、頷いた。

「そうです。当主継承が起きている今がそのチャンスですからな……オルレアンは儂なぞ相手にせんかったが」

 苦笑いしてからダミアンは、ハンカチを両手の中に握り込んでアマレッティを見た。

「最初の話に戻しましょう。儂は指輪を持っているという相手と接触を持った。これで儂が一歩リードできると思いましてな。このゲームに関する情報を教えました、オルレアンが指輪を隠してしまいおった事も含めて……。そして協力を取り付け、そしてあの放火があった日、儂は連絡を取った相手から指輪を貰う予定だった」

「まあ……じゃあ指輪を持ってお相手は来られたんですか?」

 ダミアンは力なく首を振って、自嘲した。

「あんたもご存知の通り、儂が見たのは放火されたオルレアンの屋敷だ」

 その言葉から滲み出る苦い後悔に、アマレッティの胸が痛む。

「儂を放火犯にするつもりだったんでしょうな。指輪を貰った後は、オルレアンの書斎だけでも調べる予定だった。だからあそこに儂は居たんだ」

「叔父様……」

「言い訳はせん。事実、儂は今の今までオルレアンに黙っておった。どうせあ奴の事だ、見抜いておるだろうが……それにその、オルレアンに謝るのはどうしても癪でしてな」

 だからあんたに話をしに来た、とダミアンは真っ直ぐにアマレッティを見た。

「すまなかった」

「そ……そんな。叔父様は正直な方です、放火された時だって逃げずに報せて下さいました」

「……それくらいは。儂だってここで育ったんですから。それにオルレアンは儂の甥です」

 ダミアンが客間を見回す仕草をした。叔父を邪険にしながらも決して疎ましがってはいないオルレアンの気持ちが、アマレッティにも分かった気がした。

 アマレッティの穏やかな微笑みに気付いたダミアンが、ごほんと咳払いをする。

「は、話はそれだけです。勘違いしないで頂きたいが、儂はまだゲームから降りた訳ではないですからな! 儂が接触した相手についても一切教えてやらん!」

「えっ」

「それにあんたが乗ってきた馬車について調べれば、儂が一歩リードできるかもしれん!」

 立ち上がったダミアンがいつも通りの音量でふんぞり返る。

「儂はまだまだ諦めませんぞ。オルレアンにはヴァロア公爵なんぞまだ早い! それによく考えれば指輪を隠しているのはオルレアンなのだから、儂に危険はない!」

 拳を握って気合いを入れ直すダミアンに、アマレッティはぱちくりと目を瞬いた。ダミアンはシルクハットを被り直し、白々しくアマレッティに紳士の礼をした。

「では義理は果たしましたのでこれで。今度会う時は儂が当主ですな!」

「え……そ、それは困りますっ」

「ふはははははは!」

 高笑いをしながら、どすどすと乱雑な足取りでダミアンが客間から退場する。嵐のような勢いで変わり身した叔父の背中を、アマレッティはなす術もなく見送った。


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