第16話「旦那様の内緒話」
「話は他にもあるんだ。おい、足を出せ」
唐突にオルレアンは、アマレッティの足を隠すシーツをがばりと剥いだ。泣き損ねてぼうっとしていたアマレッティは、慌てて叫ぶ。
「オルレアン様っ!?」
「赤くなるな馬鹿か」
造作もなくアマレッティの足首を掴んだオルレアンが、もう片方の手で銀色の光る小さな鍵を取り出した。
「それ――」
返事に、かちりと足枷の鍵が解ける小さな音が鳴る。ランタンの明かりで鈍色を反射させた足枷が、かぱっと口をあけた。
「オ――オルレアン様……!?」
「後ろを向け。首輪も外す」
「ど、どうしてですか!?」
思わず首輪を庇うようにして、アマレッティはオルレアンから身体を離した。寝台がぎしりと軋み、ばたばたと暴れる二人の影が重なる。
「わ、私に飽きたんですか……!?」
「何を盛大に勘違いしている。また今日みたいな事が起こらないとも限らないだろうが」
「あっ」
アマレッティの顔面がクロワッサンの枕の上に押さえ込まれた。勢いで胡桃色の髪が流れ、首筋が露わになる。
「いやー嫌ですっ何だか分からないけれど嫌ですー! 私今日頑張ったのにこんな仕打ちあんまりですっ足枷も首輪も取るだなんて……!」
「大人しくしろ僕の命令だ! 拘束具が欲しいなら後でそれ以上の物を用意してやる!」
反射運動宜しくぴたりとアマレッティの身体が動きを止めた。かちりと足枷の時と同じ解錠音が、耳元で大きく響く。
自分とオルレアンを繋ぐ物が、いきなりなくなってしまった。じんわりとアマレッティの目から零れ落ちた涙が、クロワッサンの枕を焦がす。しゃくり上げながら、アマレッティは身体を起こした。
「そ――それ以上の物って、何ですか……っいつ、貰えるんですか……酷いです、オルレアン様から頂いた物なのに……!」
「僕がやった物をどうしようが僕の勝手だ、泣くな鬱陶しい。今まで僕が不在の時は鍵をラムに預けていたが、今は緊急事態だ。僕はお前を見殺しにはするが不慮の事故で死なれるのは面白くないんだ」
「見殺しにする方が酷くないですか!?」
「僕の趣味だ」
思わず振り返ったアマレッティに、オルレアンは平然と言い放った。
「それに使用人に鍵を預けてしまっては、取り戻せなくなる可能性もあるからな」
「え……どういう事ですか? ラムさん達、まさかオルレアン様の非道に愛想がつきてお休みを頂いたんですか……!」
「僕を悪く言う元気があるなら何よりだ」
にこやかに、転がったままの足枷の鎖を手にしたオルレアンに、アマレッティはぶんぶんと首を大きく横に振った。だが鎖をじゃらりと引き連れて、オルレアンはアマレッティの目の前まで迫ってくる。
「いいか。僕は少しばかり屋敷を留守にする。その間、この屋敷の主人はお前だ」
「わわっ私ですか……っ?」
「無様な真似をしてみろ。この鎖の真の使い方を教えてやる」
真の使い方など想像するのも恐ろしく、眼前のオルレアンから必死に目を背けてアマレッティは誓った。
「が、頑張ります! 決して、オルレアン様に恥をかかせるような真似は致しませんっ」
「僕が居ないからと言って礼儀作法も裁縫の練習も勉強もさぼるなよ。次に会えるとしたらメディシス王国博覧祭だ、それまでにせいぜい成長しておけ」
「え……」
アマレッティは蜂蜜色の瞳を瞬いて考えた。
メディシス博覧祭は、春の開催予定だ。先程アマレッティはラムから招待状を見せてもらっていた。
だが今は冬も半ばを過ぎたとはいえ、まだ雪が降るような時季だ。春は近くはない。
「そ……そんなに長く、お留守にされるのですか……!? どうして」
「元々冬は繁忙期だ。それに当分、僕の部屋は寝泊まりもできそうにないだろう」
「だ、だったら私のお部屋でお休みして下さい!」
声を張り上げたアマレッティは、鎖を絨毯の上に放り投げたオルレアンの服の裾を掴む。
「それだったらお屋敷でオルレアン様もちゃんとお休みできます! そ、それともアマレッティと一緒はお嫌ですか」
「……誰もそんな事は言ってない」
「でも足枷も首輪を外してしまわれるし……まさか離婚を考えてらっしゃるとか!?」
「お前は何でそう話が極論に飛ぶんだ。仕事だと言っているだろう」
「ならお屋敷に少しくらい帰って来て欲しいです……っどうしてそんなにたくさんお留守にされるんですか。オルレアン様さっき、私の質問に答えて下さるって仰いました!」
涙を目の縁いっぱいに溜めぐずるアマレッティに、オルレアンが深々と溜め息を吐いた。
「……内緒にできるか」
オルレアンから内緒という可愛らしい単語が出てくるとは思わなかった。吃驚したせいで、アマレッティの目からすうっと涙が引き、代わりに頬が紅潮した。
(オルレアン様と内緒のお話……!)
急いでアマレッティは何度も頷く。オルレアンがアマレッティを小さく手招きした。
「僕はあるものを探している。だから留守にするんだ」
「そ、それって指輪ですか。当主の指輪」
「ああ、そうだ。僕が借金を盾にメディシス王家に要求したのは、指輪そのものか、その在処についての情報だった」
互いに顔を寄せ合って吐息がかかる距離で聞こえる声に、アマレッティの胸は高鳴る。
「じゃ、じゃあオルレアン様はもう指輪がどこにあるかご存知なんですか?」
「メディシス王家から回答はこなかった。代わりに来たのがお前だ」
鼻先にオルレアンの人差し指を突き付けられ、アマレッティは何度も目を瞬いた。
「ど、どうして? 私は何にも……」
「ああ、分かっている。だがお前の姉が考えることだ、必ず意味はある。お前自身は何も知らずとも、お前の周りに答えがある筈だ。でなければあの女王様が大事な妹を僕に渡す筈がない」
だからアマレッティを離縁する事なく傍に置いてくれたのか。謎が解けていく裏側で、アマレッティの心の片隅がちくりと痛む。
(何でしょう……悲しい、です)
オルレアンは決してこの結婚を望んではいなかった。分かっていた事なのに、アマレッティは視線を下げてしまう。
「それにお前の事を見て確信もした」
「な……何を、ですか……?」
「この女は調教しがいがありそうだと」
落ち込みかけていたアマレッティの警戒心が瞬く間に膨れ上がる。身を引こうとすると、オルレアンにがっちり後頭部を押さえ込まれた。
「頭の中はお花畑、礼儀作法も何もなってない役立たずの王女、どれもお前の姉が甘やかしまくった結果だ。それを僕の妻として調教する、どうだ想像するだけで楽しいじゃないか。お前の姉の嫌がる顔が目に浮かぶ」
「そ、そういうものなんですか!?」
「そういうものだ」
加虐を存分に堪能しようと微笑むオルレアンに、アマレッティは恐れ戦く。オルレアンは決して強くはない力で、アマレッティの胡桃色の髪を撫でた。
「実際、楽しかったしな」
「え……」
「おかげで仕事が詰まっているのも本当だ。だからしばらく我慢しろ」
子供をあやす顔で、オルレアンはアマレッティの鼻先をぴんと指で弾いた。アマレッティが鼻をさすっている間に、オルレアンはクロワッサンの枕に背中を預け直す。
「指輪については僕もさっさと片をつけたいんだ。今回の火事にしてもそうだな」
「か……火事の犯人さんを、オルレアン様はもうご存知なのですか?」
「確認を取らせているが十中八九、革命軍の残党共だ。だが、単なる逆恨みなのか指輪が関係してるのかまでは分かっていない。僕は――ヴァロア公爵家は色々恨みをあちこちから買っているからな」
不敵に笑んだオルレアンは、何も怖がっているように見えない。むしろ楽しんでいる。
「だからお前も気を付けろ」
「わ、私もですか?」
「ああ。僕の妻だ。それに革命軍からすれば打倒すべき王族の一員だぞ。狙われる理由は十分にあるだろう。だから首輪も足枷も外した」
アマレッティは顔を上げた。オルレアンはいつも通りの顔で、アマレッティではなくどこか遠い場を見つめている。
「連中の目は僕に向く筈だが、こっちに何かないとは言い切れない。何かあればすぐ対処できるようにはしているが、用心はしておけ」
危ないと、心配してくれているのだ。何度も頷いたアマレッティの頭をオルレアンは小さな手でもう一度押さえつけ、真正面から見つめた。
「博覧祭で全て決着をつける。僕が屋敷に戻らないのはその準備の為だ」
「そ――そうなん、ですか……?」
「お前を信じて話したんだ。だから、今話した事は全部内緒にできるな?」
灰青の瞳に射貫かれて、アマレッティの胸がきゅうっと絞られる。いつものように急いでではなく、ゆっくりと、アマレッティは頷き返した。
「できます。でも、まだ分からない事がたくさんあって――どうして指輪を探してらっしゃるのかも」
「一つだけという約束だろう。もうこれ以上は教えてやらない、喋りすぎたくらいだ」
「オルレアン様は危なくないんですか?」
尋ねたアマレッティに、オルレアンは不愉快そうに顔を顰めた。
「それは僕が負けるという意味か?」
「い、いいえ」
慌てて首を振った後で、アマレッティは俯いた。
「でも……博覧祭まで会えないなんて寂しいです……」
「……我慢しろ。博覧祭が終わったら、また可愛がってやる」
アマレッティが顔を上げると、いきなり視界が真っ暗になった。オルレアンがカンテラの明かりを消したのだ。暗闇の中で真っ白なシーツを広げたオルレアンが、アマレッティに背を向け横に丸くなる。
「寝る、疲れた」
「……」
アマレッティはオルレアンの背中にシーツの中ですり寄った。
(博覧祭まで会えないなんて寂しいです)
泣き出しそうなアマレッティは自分の気持ちに手一杯で、オルレアンの背中がびくっと一瞬震えた事に気付かない。
「――ま、また忘れ物を届けに行っても良いですか」
「忘れ物なんかしない」
「な、なら、お手紙を書いても良いですか」
「山羊に食わせてやる」
「じゃあどうしたら」
「大人しく寝ろ!」
怒鳴られ、首を竦めたアマレッティはオルレアンの背中に頬を寄せる。
小さな背中の体温は吃驚するくらい熱くて、凍えそうな身体を寄せるだけで心地良かった。
翌朝、アマレッティが起きた時、隣は既に温もり一つなく、それからオルレアンは姿を見せなくなった。




