第12話「旦那様の監視」
親愛なるお姉様へ
お元気ですか。まだまだ寒い日が続きますね。お返事がなくて寂しいです。お忙しいのでしょうか。風邪をひいてらっしゃらないと良いのですけれど。
アマレッティは最近、オルレアン様のお仕事をお手伝いできるようになりました。お菓子の新作を試食するんです! これが案外難しいのです。どれか一つだけを選ぶって、とっても難しい事なのですね。どれか一つ選べないときはどれもいまいちなんだと仰って全部作り直させるオルレアン様は凄いなあと、アマレッティは思います。
他にも、オルレアン様の妻として、小麦を作っていらっしゃる農家さんや、気難しい菓子職人さん、販売業者の方にもご挨拶しました。アマレッティはだいぶ、人前でご挨拶するのが上手くなったのです。まだまだお姉様のようにはいかないけれど、頑張っています。お屋敷では、あまり、その、変わらず良くして頂けています。
お屋敷といえば使用人の皆さんとも大分仲良くなりました。この間抜け道を教えて頂いたのですけれど……お屋敷では自由になる時間がなくて、実践はできていません。オルレアン様の書斎にもこの間入れて頂いたのだけれど、大きな本棚に本がびっしり、机には書類が積み上げられていて、見ているだけで頭がくらくらしてしまいました。ごめんなさい。棚はもう鍵がかかっていて開かないんです。
でも、ようやくオルレアン様の弱点を見つけました! 甘い物です。きっとケーキの軍団が攻めてきたらオルレアン様は降参なさると思います。破壊の限りを尽くされるかもしれませんが……多分、ダメージは与えられると思います。他にもあるんだけれど、口にするとサーカスに売られてしまうので言えません。ヒントは、踵の高い靴です。
そう、実は今日、アマレッティは初めてヴァロア公爵夫人としてパーティーに出席するんです! オルレアン様の憎悪が込められたパン・デピスが売れに売れてヴァロアスイーツの冬期売り上げナンバー1を記録したお祝いに、オルレアン様の会社で菓子職人さんをお招きして表彰パーティーをするんです。私のお披露目もかねているので、また何か失敗するかと思うと卒倒しそうです。でもこのパン・デピスの試食は私もやったんです。だから緊張はしてるけど、パーティーのお話を聞いた時はとっても嬉しくて、くるくる回りました。
そういえば、春にメディシス王国博覧祭が五年ぶりに開催されるって聞きました。私は博覧祭にあんまり良い思い出はありません……考えると悲しくなります。でも、オルレアン様が博覧祭の間、開催地の王都フロレンティアに私も連れて行って下さるって仰ってました! 私、半年振りにそちらに戻れます、里帰りできるんです! だから今は楽しみなんです。
博覧祭はメディシス王家の一大行事だったのに、革命の前から開催できなくなってお姉様が毎年悔しがっておられたのを覚えています。開催できるという事は、メディシス王国が少しずつ元気になっているんですよね。お姉様の努力の賜物です。やっぱりお姉様は凄いです!
アマレッティもオルレアン様が居れば博覧祭で失敗しないでいられるかなって最近自信ができてきました。やっぱり怖いですけど……。
お姉様の為にオルレアン様のことをもっと調べてきます。応援していて下さい。お返事、アマレッティはずっと待ってます。
チェルト君と、ヴァリエ騎士団長にお土産楽しみにして下さいって伝えておいて下さい。
「……僕が読むと分かっていてこの手紙を書くあの馬鹿の思考回路が理解できん」
ぼそりと呟いたオルレアンは、読み終わった手紙を折り直し、封筒に入れる。
「ラム、出しておいてやれ。督促状も同封してな。返済プランまでつけてやれ」
「畏まりました。レジーナ女王からお返事はきますかな?」
「知った事か。きた所であの馬鹿が大喜びしてトチ狂ったスパイ活動をするだけだろう」
「スパイなんて無理だって分かってんだろうに何でんな事させてんだか」
オルレアンから郵便物の束を受け取ったラムと一緒に、カルトが眉を顰める。書斎の背が高すぎる椅子に背中を預け、オルレアンは両手を膝の上で組んだ。
「簡単だ、僕への嫌がらせに決まっている。僕がこの手紙に督促状を同封するのと一緒だ」
「成る程、アマレッティ様は効果のない書状と同レベルで御座いますか」
「それより調べた事を報告しろ、カルト」
金髪の頭をがしがしとか掻いて、カルトがオルレアンの座る書斎机の前に立った。
「もういっぺん調べてみたが、アマレッティ・メディシスについては同じだ。期待外れのアマレッティ、政務には一切携わらず王宮の奥で引きこもっていた甘い物がだーいすきな頭の弱いお姫さん」
「……そう聞くとあの馬鹿と離縁したくなるな」
苦々しく呟いたオルレアンに、ラムがそっとコーヒーを差し出した。勿論、砂糖もミルクも入っていない。
「それで、あの馬鹿自身については他に何も出てこないままか。奥に引きこもっていたと見せかけて訓練されてたなんてことは」
「ないな。アマレッティを訪ねてくる人物なんて、姉のレジーナ女王とたまに従兄弟のチェルトとお付きのヴァリエが来るくらいで、他には殆ど居なかったそうだ」
「この手紙にしつこく出てくるチェルト君と騎士団長か。この二人については?」
「チェルト君はアマレッティの母方の従兄弟だ。十五歳。アマ嬢もレジーナもこのチェルト君も、母親似なんだろうな。三人とも姉弟みたいに作りは似てる。突出してレジーナ女王の出来がいい。チェルト君はアマ嬢とはまた違った、だが残念には変わりない阿呆王子だ」
「王子? 王位継承権があるのか」
「先代のメディシス王は入り婿だ。先々代のメディシス王には息子が生まれず、娘が二人居るだけだったからな。それがこの三人の母親達だ。もし今、レジーナ女王が死んだらアマ嬢も勿論、チェルトも国王候補になる。そうなったらメディシス王家とは手を切った方が良いぞ」
オルレアンはコーヒーを啜って何も答えなかった。カルトはすらすらと説明を続ける。
「騎士団長ヴァリエは六年前の博覧祭で行われた剣術トーナメントの優勝者だ。そこで騎士の叙勲を受けた。阿呆王子チェルトを溺愛してる忠実な部下だとよ。だがアマ嬢に剣の手ほどきをしてたとかそういう話は一切なし。アマ嬢は本当に何もしてこなかったみたいだな。存在すら認知されてない感じだ。輿入れした事も知らない連中も居る。あの革命の騒ぎの中でさえ、無視されて過ごしてたらしい。アマ嬢の姉貴の方も何考えて放置させてたんだが」
「……そうか成る程、革命か」
灰青の目を眇め、オルレアンが小さく呟いた。報告をしていたカルトが、ラムと顔を見合わせる。
「あの女王様は妹に本当にお甘いな。もういい、話は大体読めた」
「……ジジイ、お前分かるか」
「ジジイ――月のない夜に気を付ける事ですねカルト。とはいえ、私めにもさっぱり分かりませんが……まあレジーナ女王とオルレアン坊ちゃまは猛禽類も逃げ出す捕食者同士、我々には分からない世界で通じ合っているのでしょう」
勝手に納得し合う使用人達を無視して、オルレアンはとんとんと机の上を指で叩いた。
「あの馬鹿が乗ってきた馬車の件は」
「それもお前の読み通り、革命軍の残党共の仕業だ。あの時アマ嬢が無事だったのは不幸中の幸いだった。よくできた御者だぜ、カフェでお茶してるアマ嬢を庇ったんだろうな」
「――死体で見つかったのか」
「ああ」
いい人だった、というアマレッティの無邪気な言葉は正しかった。一度溜め息を吐いて、オルレアンは口を開く。
「あの馬鹿には何も報せるな、泣き喚かれたらうるさい」
「愛か」
「愛ですな」
「ただの合理的判断だ。それで、指輪は」
「坊ちゃま。それを私達に問うのはルール違反です故」
片手を上げてラムが油断のならない笑みを浮かべる。
「もう片方の指輪を探し出すのに我々の力を借りてはならない。これが貴方が真にヴァロア家当主となられる為のルールです、お忘れですかな」
「忘れてはいない。お前達がもう片方の指輪の在処を知っていることもな」
ぴくりと、ラムもカルトも微かに身じろぎだけした。子供らしい無邪気な笑みを浮かべて、オルレアンは書斎机に頬杖を突く。
「回答を知っている使用人をルールに沿って動かし、情報を引き出させる知恵比べをするのも当主継承というこのゲームの醍醐味の内だと僕は思っている。お前達の手が借りられないのは相手の指輪を奪う事についてだけだ。僕が聞きたいのは僕の指輪の在処についてだ。メディシス王家の連中に、気付かれてはいないな?」
オルレアンはコーヒーが入ったマグカップを引き寄せる。答えは想定通りだった。
「……それは、勿論で御座いますが」
「十分だ。さて、今日は僕の妻のお披露目だ。家令としての役割を果たしてもらおうか、ラム。カルトももう下がれ」
「おいオル坊、一つ聞かせろ。あのレジーナが指輪代わりに寄越してきたからって、どうしてアマ嬢を大人しく受け入れてるんだ」
オルレアンは苦みしかないコーヒーを啜って、誤魔化しと真実を織り交ぜる。
「お前達の言う通り、僕とあの女王様が同じ側の人間だからだ」
くくくと声を押し殺して暗く笑う幼い主人に、ラムもカルトも無言で仕事へと向かった。




