第13話「奥様の決意」
アマレッティは青い顔で社長室の賓客用ソファに腰掛けていた。社長不在の社長室は、暖炉の火を灯しても寒々しい。だが、アマレッティの顔色が悪いのは室温のせいではない。
気分を落ち着かせようと取ったハーブティーの茶器が、かたかたと震える。アマレッティの横から、マリーがその茶器を取り上げてテーブルに置き直した。
「おくさまー大丈夫ですって」
「馬子にも衣装になってますし……」
「ご挨拶だってちょっとしたものでしょ?」
「いつもより人が多いだけですよ……」
前からマリーが、後ろからベリーが助言をくれるが、アマレッティは緊張で息も止まりそうだった。気休めに二人が用意してくれたマドレーヌにも、全く手を着けられない。
「うーん、緊張してるなあ」
「パーティーで挨拶するだけなのに……」
「わ、私、苦手なんです本当に……。でもオルレアン様がやれって仰るからやらないと……」
「おお、愛ですねー」
「病気ですね……」
マリーが嬉しそうに、ベリーが呆れたように、それぞれコメントする。どちらも耳に入らない状態で、アマレッティはドレスをぎゅうっと握り締めた。
「わ、私、失敗しないでしょうか……!」
「大丈夫ですよ失敗は成功の元!」
「……未来は不確定ですから」
「やっやっぱりお屋敷で首輪を嵌められて足枷で繋がれていた方がいいですぅ!」
不安を煽られたアマレッティは立ち上がり、駆け出した。身体が覚えているので、レースが幾重にも重ねられたドレスでもとても優雅に動ける。
「あっ奥様!」
「ちょっと外の空気を吸ってきますっ」
「逃げた……」
オルレアンの会社は広い。滑りそうな程磨き上げられた大理石の廊下を走り、人気のない階段を下りた所で、アマレッティはパーティー会場が曲がり角の向こうにあるのを思い出して立ち止まる。
(お、落ち着くのですアマレッティ。息を吸って、吐いて)
深呼吸を繰り返して、よせばいいのにそうっと曲がり角から、パーティー会場への扉を覗き込んでしまった。
「ひ、人がたくさん……」
既に観音開きの扉は大きく開放されていて、受付の従業員が訪問客に頭を下げていた。
二階分の高さを使い広々とした間取りで作られた催会場は、シャンデリアが豪勢に煌めくパーティー会場になっている。集まった人々の談笑がバイオリンの音と一緒に流れていた。
へなへなとその場で膝を突いてしまいそうになるのをどうにか堪え、アマレッティは半泣きでそっと廊下の奥に隠れた。
(わ、私、本当にご挨拶なんて、できるのでしょうか……!)
いつもこういうものは姉が全てこなしてくれた。アマレッティは邪魔にならないよう隅っこにいれば良かったのだ。
だが、今日姉は居ない。そしてヴァロア公爵夫人は他でもない、アマレッティ自身だ。
やるしかないと、床を睨め付け何とか足を動かそうとしていたら、耳に覚えのある声が聞こえてきた。
「いやあ、やはりオルレアンは子供なんですな。こんな会社を動かすなんて土台無理な話なんだ、本人のためにも良くない」
思わず廊下の角を掴んで、アマレッティは聞き耳を立てた。
パーティー会場の少し離れた場所で話をしている二人の紳士が見えた。ちらりと一瞬見えた横顔から、片割れはオルレアンの叔父、ダミアンだと分かる。
「なのに私の話をオルレアンは聞きやしない。まだまだ我が強い子供だからですかね。駆け引きも分かっちゃいない。貴方もヴァロアスイーツの箔付けが欲しいでしょう」
「まあ、今回、ヴァロア公爵家の直営店からの販売が許可されなかったのは、結果として受け止めていますよ。自分の店舗から販売する分には問題はない訳だし……」
「いやいやいや分かってますよ。でも貴方の作ったアリババは素晴らしかった! 宮廷菓子ですよ、それだけで売れるには十分な理由だ。なのにオルレアンは許可を出さず、挙げ句パン・デピスなんぞに宣伝費をかけて。庶民の食べ物じゃないですか! お菓子の国にあるべき品位、ヴァロアスイーツの誇りを分かっちゃいない、あいつは」
廊下の角を掴んでいるアマレッティの指に力がこもる。二人はアマレッティには気付いていないようだった。
「はっきり言えばオルレアンにヴァロア公爵はまだ早いのです! ここだけの話、あいつにはその資格である当主の指輪もないんですよ……このままでは兄夫婦も死んでも死にきれんに違いない」
「――っ!」
何かを叫ぼうとしたアマレッティの口が、声が出る前に塞がれた。そのまま細い腕が四本伸びてきて、アマレッティは口を塞がれたまま身体も押さえ込まれ、ずるずると廊下の奥に引きずり戻される。
「んー! んー!!」
「アマレッティ様、分かりましたからー」
「騒いでも意味ないですよ……」
小さく耳打ちした双子は、そのまま二人がかりで階段の前までアマレッティを連れ戻した。そこでようやく、マリーがアマレッティの口から手を放す。
「――ぷはっ! マリー! だってオルレアン様が……っ」
「はいはーいこんな事気にしない!」
「お約束じゃないですか、こんなの……」
「オルレアン様、あんなに頑張ってらっしゃるのに……! 酷いです、どうしてあんな事仰るんですか、叔父様なのに……!」
涙を滲ませるアマレッティにマリーが慌てた。
「奥様、薄くでもお化粧してるんです!」
「さらに酷い顔になりますよ……」
「だって……悔しいです……!」
自分で口にした言葉に、アマレッティは自分で戸惑った。
そう、自分は悔しいのだ――オルレアンがあんな風に言われて悔しさを感じている。
「……だったら、ねぇ」
「奥様が何とかすれば良いんです……」
「わ、私が?」
吃驚してアマレッティの目から涙も引っ込んだ。胸の奥にあった燻りも、水をかけられたように消えてしまう。
「わ、私なんか何もできないです……」
「そんな事ないですよぉ、奥様はメディシス王家の王女様じゃないですか! 立派な後ろ盾ですよー」
「所詮、中身より肩書きなんですよ世間っていうのは……」
「アマレッティ様がちょーっとにこって笑って誠心誠意オルレアン様にお仕えしますってご挨拶したら、皆そうかーってなりますよ」
「腐っても王家のお姫様ですから」
「わ……私――私でも、オルレアン様のお役に立てますか」
おずおず問い質すと、そっくりな双子は揃って頷いた。
「が……頑張ってみます……オルレアン様が私を調教して下さったんですから……!」
自分が失敗して、オルレアンが悪く言われるのは嫌だ。
姉ではない他の誰かの為に頑張ろうとアマレッティが決意したのは、六年振りだった。




