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邪視  作者: 伊藤大二郎
4/16

4.現在 坂口祥瑞の視点

 

 夜である。

 少女が一人。

 紙袋を一つ両手で持って、河川敷へと降りていく。

 フードを被って顔が隠れている。けれど、女物の服を着たその小柄な体型から、判別は容易。

 顔だけは、隠しているのか。それとも、周りを見ないためなのか。

 少女は誰もいないのを確認して橋の下までつ歩いてくる。

 周囲を見て、両手に抱いた紙袋を地面に下ろすと、橋の下においてあるダンボール箱の方に寄った。

 箱を開ける。その中には、何匹かの子猫がいた。

 少女は何か、息が少し荒くなる。

 手を差し延ばして、中から一匹取り出す。

 子猫はにゃーと、可愛げに鳴いて、中空で足をぶらつけせた。その無邪気な動作をフードの下から見ていた少女の眼つきは、どうにもぎらついている。

 子猫の首を掴んで、紙袋の方に歩く。紙袋の中からは、随分と刃の大きな包丁が見えていた。

 少女はこれで、この子猫の母親の命を奪ったばかり。

 きっと、これから同じことをこの子猫にもする気なのだろう。

 空を見上げて

 そして口元が見えて

 その唇が、歪もうとして

 おい、もういいだろ。

 俺は、声をかけた。

「やめておけよ。どこまで邪まなものに負ける気だ」


 人の声を聞いて、ぎらついた目が連続写真を見ているごとく怯えた眼へと移行していき、口元だけ笑った、いびつな表情で、少女がこちらを向いた。

 この世のものの顔では、ない。

 しかし、俺と、横にいる友礼と見詰め合っているうちに、女の子の顔が、どんどんと人間のものに、初めて会った時と同じ、怯えて、悲しそうなあの顔になる。

 それは驚いたのだろう。誰もいないと思っていたところで、そして、行為に及ぼうとしたところで声などかけられてしまえば。

「あ、なた達」

 猫を埋めるのを手伝ってくれた女の子は、今日はスコップの代わりに、ナイフを持っていた。

「よくもまあ、そんなものを」

「こ、これは……い、あ」

 狼狽する彼女に次に声をかけたのは、友礼だった。

「別に何も言わなくていいですよ。僕達、大体のことはわかってますから」

「大体のことって?」

 その少女(友礼が言うには、同級生らしいが覚えはない)は、おびえた表情を取り繕うこともできないままに、友礼に言葉を続けさせた。

「あなたが、猫を殺して晒したんでしょう?」

「な、なんで……」

 なんでわかった、か……。

 友礼は、俺に小声で質問した。

「どうですか、まだ、憑りついてますか?」

 俺は、頷くだけにした。

 正確には、剥がれかけている。いやな気分だった。

「いつから……見てたの……ですか」

 何故に敬語。とりあえず、この質問には俺が答えなければならない。

「最初からお前がやったってわかってたからだよ」

「なんで」

「教える必要はないし、多分、言っても理解してもらえない」

 むしろ、俺こそ訊きたい。

「あんた、なんでこんなことしたんだ?」

 すると、女の子は口元を強く結び、うつむいた。

「多分言っても理解してもらえないと思う」

 そう切り返すかこいつ。

 ぽん、と肩を叩かれた。友礼である。

「問答はやめておきましょう。この子も、何で自分がこんなことしてしまったのか、多分よくわかってないんですよ」

 ああ、それはわかっている。けれど、けれどこれはないだろう。

「あんた、今朝、学校の前に猫の死体置いたんだな」

「……」

「俺達はあんたを警察につきだそうだの、犯人だって騒ぎ立てるつもりもねえよ」

 女の子が、眼を見開いた。

「ただ、言わせてくれよ。これ以上、そういうことするな。それは、正しいことじゃない」

「だったら……」

 女の子が、何かを言った。

「何だよ」

「だったら、どうしてみんな放っておいたの? あなたが来るまで、みんな何もしようとしなかった。死んで、むごたらしくなってるあの子を見て、見てるだけだったのよ」

 それは論点が違う、と反論したってよかったが、もうこいつには何を言っても無駄だろう。

 この女の子も、わかってて言ってる。

「死体をどうこうするなんて経験、誰もないんだから仕方ねえだろ」

「じゃあ、あなたはあったの? なかったでしょう。私だってなかった。でも、耐えられなくなってちゃんと埋めなおしてあげようって思った。そう思ってくれたのだってあなただけだった。隣の人だって、あなたが動かなかったら何もする気はなかった」

 よく見てるものだ。確かに友礼は動く気なかっただろう。

「正しくないことしてる人のほうが多いんだもの」

「だったら殺していいわけではないだろう」

「私が、誰かに迷惑かけた? みんな、今朝のことで話題が持ちきりで、もう何も起こらないのかってワクワクしてたわよ。ね、それって正しいことじゃないわよね。みんな、正しくないことの方がいいんじゃない」

 この女の子は、一体俺の言葉の何に反応してこんなことを言っているのだろう。

 きっと、今言っているような社会正義も信条的なものも、関係ないんだろう。

 たまたま、なのだと思う。たまたま、できてしまったのだ。

 あれが、心に入り込む余地があったという、それだけのことだ。

 そんな自分が信じられなくて、認めたくなくて……。

 ただ、おれ自身、この子の言葉に、何故かキレた。

「自分のやったことを、他人を理由にするな!」

「ひっ」

「お前が、殺したんだろ」

 俺の中で、何か形にならないものが膨らんでいった。

 なんなのだろう、この気分は。何なのだろう。この女の子はどうしてこんなことをしてしまったのだろう。

 ぽん、と俺の肩を叩く音。友礼だった。

「話が逸れましたね」

 こんな状況になっても友礼はいつも通りの声色で、場を取り持とうとしていた。

「え、と。お嬢さん。残念なことに僕はあなたのお名前を存じ上げません。あと、あなたがどんなことに悩んでいて、何を耐えられなくてそんな暴言を吐いているのかも知らないのです。そして知らない以上、あなたの行いを責めるのは、筋違いなのです」

 こいつ、何を言っている。俺達は止めに来たんだろうに。

「僕の相棒は、あなたの凶行を止めるつもりらしいですが、僕は自分の言いたいことが言えたらそれでいいですから」

 こいつ、一体何を言う気なんだ。

 友礼は、少し笑って、息を吸って

「正直、あなたには、罪がないんですよ。猫殺しても、器物損壊事件ですからね。申告がないと事件にならないんです。そして、僕もこれをことさら誰かに言うつもりはありません」

 おいおい

「ただ、あなたがまだ同じようなことで自分を保とうとしていたら、いつか。人間に同じ事をするようになる」

「そ、そんなこと」

 そこから先は、俺の仕事か。

「あるんだよ。あんたは、つい魔が差してやったことなのかもしれないけどな」

 俺には見える。

「あんた、猫殺して少しでもすっきりしたのかよ」

 うつむく。

「あんた、今不幸なんだろうな。でも、他人を不幸にしたくらいで、あんたの不幸は消えないぜ」

 そこで、俺も言いたいことがなくなってしまった。

「祥瑞さん帰りましょう。あなたも、もし自分が悪いことしたと思うのならば、せいぜいどこにも存在しない罪を、贖ってください」

 友礼は、とても残酷なことを口にして、その場を去った。

 その女の子がその後どう動いたのかは、一度も振り返らなかったので知らない。


 なんだか、釈然としない気分で、俺と友礼は帰路に着く。

 歩きながら、訊いてしまった。

「でも、あれでいいのかよ」

「いいでしょう? あの人は罰を受けました」

「何をだよ」

「罪を許してもらう相手が、この世にはもういない。それで十分罰になります。否、罰になってくれるのなら、あの人はまだ救いがありますよ」

「じゃあ、結局あいつが悪いと思わなかったら」

「でも、あの女の子からもう悪意や不幸は見えなかったのでしょう」

「なんで見えないお前にわかるんだよ」

「祥瑞さんに怒鳴られてから、あの子が普通の眼になったからです。何かを妬んだり恨んだりする眼じゃなくなりましたから」

 よく、見てることだ。

「いい言葉ですよね。『他人を理由にしてはいけない』」

 後ろを見てみた。もう、そこには夜があるだけで、何も視えない。

 邪まなものは、今は視えない。


 確かに、俺はあの女の子の質問には答えていない。

 何故、犯人は自分だとわかったのか。

 簡単である。

 朝、声をかけてきてくれたあの女の子の右手、スコップを持った右手。そこには、べったりと、張り付いていた。何かを不幸にした証が、しっかりと。

「祥瑞さん、あなたはあなたのやるべきことを終えました。後はあの人の問題です。もう、忘れてください」

 友礼が、そう言ってくれた。でも、俺は忘れることができないだろう。おぞましくて、吐き気のする、邪まなもの。

 俺が人の不幸をこの世ならざるものとして捉えることができることを、友礼しか知らない。こいつはそれを『邪なものが見える』と表現した。

 そして友礼は、そんな俺を怖がらない。


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