Ⅱ
「私が、魔法を……使っている?」
「そうだ」
クローは力強く肯定した。
アルバートは混乱した。
「な、何故……。何の為に……!」
「女を消す為に決まっているだろう」
「そんな! あり得ません、私は彼女を探す為に動いて、貴方達の手まで借りて……!」
「全ては茶番と言うことだ。母親、レジーナの魔法は解けた。しかしアルバート・チェンバレン、貴様の魔法は解けていない。貴様の女、レベッカを失踪させたのは貴様だ。そしてレジーナにも魔法をかけた。いや《結界》に取り込んだ。魔女レジーナの魔法が稚拙なのに【楽園】が一ヶ月も保てたのは、貴様がレジーナの魔法をかけ時を止め、《血》の制限をなくしていたからだ。お陰で際限なく魔法を使われて非常に面倒だった。……貴様が魔法を解かない限り奴らは現れん」
「自分が原因だなんて、そんな馬鹿な事……!」
「それだけの事が起こった、と言う事だろう」
それだけの事とは何だ。レベッカが凌辱された事か。その時にレジーナと共に魔法を使ったと言うのか。しかしアルバートは現場を知らない筈だ。知っているのはもぬけの殻となった、今の部屋の筈だ。
「……っと、そうだ。貴様に【ナポレオン】を貸したままだったな。そろそろ返して貰おうか」
「えっ。あ、はい」
結界の中の出来事でも、物の貸し借りは現実にも反映されるようだ。アルバートはポケットからデミハンターの懐中時計、【ナポレオン】を取り出す。
その時、チェーンに絡まったのかキーリングもまたポケットから出て、床に落ちた。三つのマスターキーが付いたキーリングが。
「……あ」
忘れかけていた記憶が駆け巡る。
『お母様には内緒ですよ、アルバート様』
彼女が消えた晩の翌日、に。アルバートは、カークランド邸を訪れて、
『アルバート様、それでは今夜……』
彼女と最後に交わした会話。今夜。そう今夜。会いに行った。サラに案内させて、部屋の前まで行って、ドアを叩いて。だけど返事はなくて。それ所か物音一つ聴こえなくて……。
いや違う。サラに案内させたんじゃない。サラに頼まれて、部屋に行って欲しいと頼まれて。自分では開けられないからと懇願されて。
『ーー、入りますよ!?』
ドアノブを掴み捻るが、捻り切らず開かない。鍵が掛かっている。
『開けてください!!』
ドンドンと大きな音を立ててドアを叩くが、一向に動く気配がない。
『……っ、マスターキー使わせて頂きますよ!』
アルバートは胸ポケットから銀色のキーリングを取り出すと、それに付いたマスターキーで寝室のドアの鍵を解除した。
そして勢いよくドアを開ける。
マスターキーをアルバート自身も持っているという事は、あの日あの晩、屋敷に、婚約者の部屋に入れたのはーー
そして、見た物はーー
「……!」
アルバートは頭を抱えてその場にうずくまった。必死に記憶を排除しようと他の事を考えようとして、その記憶の強い衝撃に掻き消される。
「何を見た」
誘導するように、クローは畳み掛ける。
「この部屋で、貴様は何を見た」
何を。それは、赤い、紅い、液体。塊、……
「血、肉……」
自然と言葉を紡ぐ。直後に口を塞ぐ。知らないと言い聞かせる。自己暗示をかける。そうでなければ可笑しくなると思った。それとももう可笑しくなっているのだろうか。わからない。アルバートにはわからない。
「成る程、大体わかった。貴様は【楽園】の中で凌辱の可能性を示唆しても、意外と冷静だった。先程も触れたが同じだった。俺がその可能性を口にした時、てっきり怒り狂うか暴れるかすると予想していたが、外れたな。事態は更に悪かったと言う事だ」
「わ、悪い……?」
レベッカが凌辱されたかされかけ、消えた。今以上に酷い事態があるだろうか。今以上にーー
「順を追って話そう。貴様は魔法を使っている。加えて器用な事にここら一帯に《結界》を張っている。人の出入りが自由に出来るという、珍妙な結界だ。そんな器用な事が出来る人間はそう居ない。そして結界の中の光景を変え、町人どもに魔法をかけ、平穏を取り繕っている。【ニル】に来る前、聞き込みをしたのだろう? それは《都合の悪い事》を知る人間の記憶の改竄をする為だろうな。取りこぼしがないよう必死にした筈だ」
クローはベッドから立ち上がり、硬直して動かないアルバートの手から【ナポレオン】を奪い取った。短針は十二時近い現在の時間ではなく、ローマ数字の十を指している。
「貴様が【楽園】の存在を認知したのは【ニル】で、だったな。しかし失踪事件は前からあった。【楽園】の噂もな。だが隣町にまで話題にあがってなお貴様はその存在を知らなかった。いや気にしていなかった。最初から知っていたからだ。女が何処にいるのかを」
【ニル】に向かう途中、馬車で新聞を読んだ。けれど【楽園】の単語は目に入らなかった。同じ新聞を読んだメノウに言われて初めて認識した。
“あぁ、関係しているのか”。その時はぼんやりと思った。
「【楽園】の中に類似した夢を見たのは、貴様が【楽園】を《結界》に取り込んでいたからだ。魔法使いが他人の結界を取り込んだ時、上下関係が作られ、中の出来事が夢として記憶される事がある。その典型だな。結界の中は魔法使いのテリトリー。【楽園】だろうが何だろうが把握するのは当然だ。レジーナより貴様の方が魔法の扱いが上だからな、覗くのは容易かっただろう」
テリトリー? 把握?
知らない言語が飛び交っているようだった。あの悪夢が、そのまま【楽園】の情景だった、だなんて考えもしなかった。
「しかし幾ら隠蔽しようが、自分の記憶も改竄している以上、頭の隅では理解していても体は納得しない。女を隠したい本心を忘れているんだ、何としても探し出したいと願わなければ不自然。その“不自然”から自らの矛盾に気付き、現状を打破したいと願ってしまえば、本心に反して魔法が解けてしまうかもしれない。体を納得させる為、貴様は【ニル】に来た」
従者も連れず身一つで、クーペ(四輪箱型馬車)に乗って。
「解決の手段を持っている人間が居るから、ではなく、俺が《非協力的》という噂を知ったから来たのだろう。頼みの綱に協力を断られ、失意のまま帰宅。以後、女の帰りを待つ生気のない日々を過ごす。行動を抑えられるいいシナリオだ。しかし綱渡りな事をする。噂通り断られたからよかったが、万一承諾されたら警察官や探偵より遥かに危うい存在になる。何せ俺は、カラクリの元の《魔法》に通じていたからな」
アルバートは貴族だ。その気になれば金と権力に物を言わせられる。しかしそれをしなかった。それどころか、有能な警察官や名探偵ではなく、怪しい噂を持つクローの元へやってきた。
無意識に解決を避けたかったから。
「しかし予想外にも、俺の代わりにメノウが話に乗ってきて【ウーヌス】についてきた。他でもない《魔法》の知識があるメノウが、だ。貴様は危機感を抱いた」
失意の最中にさし伸ばされた手に、抱いたのは希望ではなかった。
「調査は順当に進む。メノウは《器》のある《結界》には行けないが、【楽園】の魔女レジーナは結界を行き来している。いずれ正体は露見する。そうなると魔女レジーナを説得するなり、【楽園】の情報を引き出すなり何か手を打ってくる筈だ。そのまま魔法を解いてしまうかもしれない。それか自分の正体に勘づくかもしれない。貴様の場合、《器》は常に持っている。破壊されれば終わりだ」
猛禽類に似た目がアルバートを写す。
「邪魔だ、と考えただろうな」
その言葉に胸が締め付けられた。
「レベッカとメノウ以外、失踪者は【楽園】のある墓地に向かわせていた。メノウが部屋で消えたのは魔法に耐性があり、墓地に引き寄せられなかったから。と考えていたが、思い返してみればメノウのケースはレベッカと類似している。裏付けるように《血痕》の具合もな」
それは今、部屋に入ってわかった事だろう。クローはトントンと靴先で床を叩いた。
「失踪者が揃って【楽園】のある墓地に向かって消えていたのは、単に引き寄せなければ取り込めなかったんだろう。レジーナの力量からすれば、そう考える方が自然だ。だがメノウは部屋から消えている。墓地に近い場所に居た訳でもなく。何故? 簡単だ」
一息置いて、
「メノウを【楽園】に放り込んだのは貴様だった。それだけだ」
酷い。
「そんな……」
クローに依頼を断られたアルバートに声をかけ、代わりに協力して、献身的に関わって、レベッカがいない苦痛を和らげようと気を使い、笑顔を取り繕って空気を明るくしてーー。
それら全てを無視して、邪魔だからと失踪させただなんて、非道だ。アルバートは自分がしたと信じたくなかった。
「レジーナを手助けしたのか、貴様が勝手にやったのかは知らん。……まぁ奴好みの部屋が作られていたのを見ると、取り込む気はあったんだろう。しかしメノウは魔法に耐性があり出来なかった。出来なくて困るのはレジーナではなく貴様だ。早いに越したことはない。いい機会だと、さっさと退場させた訳だ。
それで断られるのを承知で、寧ろ望んで貴様は俺に手紙を出した。諦めをつけるために。そこでもまた予想外な事が起こる。手紙が俺にではなくジジイに届いたんだ。その所為で、あろうことか承諾されてしまった。
しかも直ぐに来るわ、間を置かず墓地に行くわ、さっさと結界に入るわ、で策を練る暇はなかった。更に寝込んでいた、つまりメノウに魔法を使い、《血》も足りない状態だったんだ。魔法を使ってどうこうも出来なかった」
アルバートはメノウが消えた直後に倒れた事を思い出した。心労と不調が重なった為だと考えていたが、クローは違うという。
「そもそも不調の原因が《血》の消費だ」
彼は言った。
「“頭痛”と“吐き気”を断続的に覚えている筈だ。これ等は《血》を使い過ぎると苛まれる特有の症状でな、基本的に例外はない」
または寝不足の時に感じる不調が、《血》を消費した時の症状として表れる事もある。クローは捕捉した。
「【楽園】の中に着き、ある程度そこを把握している貴様を見て、俺は貴様がレジーナより上位の魔法使いと気付いた。道案内を委ねた理由はそれだ。定期的に【楽園】を覗いている貴様は、誰よりも内部を知っている。そんな貴様が“真実を知る本心”を忘れている為、本気で助力してくる。屋敷の妨害を察知したり、情報を得てくれたりと、いやぁ便利だった」
本来【楽園】を作った本人しか知り得ない情報も、それを取り込んだ上位の魔法使いは知る事が出来る。アルバートだけ花の会話が聞けたのはその所為だ。
「しかし解決が嫌な本心が、やがて発露し始める。そうすると厄介なのが貴様の魔法だ。一ヶ月も魔法を使っている状態で使ったら死ぬかもしれない。俺には貴様がはち切れそうな風船そう見えた。故に行動を別にし、貴様の預かり知らぬ所で解く気だった。
気を付けていたが、結局、分身を作るという魔法を使われてしまったな。俺よりも先に《器》を手にしたんだ、注意をよそに向けたくもなる。
無理に奪ったらまた魔法を使う可能性がある。だから距離を置いて、貴様なりに納得させ、器を破壊させた。本心を忘れているとはいえひやひやしたな。まぁ上手くいってよかった」
そして今に至る。
「魔法が解けた時、そこには貴様が見たくないモノが待っている」
その言葉はまるで死刑宣告のように残酷に聞こえた。
「甘い奴ならそれを察し、魔法が解けても真偽が確認出来ないようにするなど、貴様が真実にたどり着かないよう細工するだろう。貴様なりのハッピーエンドになるな。俺はそんな面倒な事などしないが。それは貴様も理解しているだろう」
知っている。クローが微塵でも“気遣い”を持っていれば、ここで信じたくない事を聞いていない筈だ。
「メノウにも冷徹と称された事がある。情がないのは事実だ、否定はせん。なら魔法を頑として使い続ければ、頭が壊れようが体が死のうが、放っておいてくれるだろう。と期待しているか?」
クローは悪魔のような不気味な笑みを浮かべた。
「残念だったな、アルバート」
アルバートは悪寒を覚える。
「貴様にとって最大の誤算がある。俺は面倒な事も不毛な事もしない。貴様が壊れようが死のうがどうでもいい。だがなアルバート、俺は魔法に関わった場合のみ、死なせないと決めている」
「死なせない……」
「魔法を解いた結果、絶望を得ようが、死んだ方がマシと思われようが関係ない。俺は魔法という下らん力に、命を投げ出す奴が好かん。見ていて腸が煮えくり返る」
ピリピリと空気が張りつめた。
“奴”とは言っているが、《魔法使い》に対して、ではなく。《魔法》そのものに対して、尋常ではない怒りと憎悪を肌で感じた。
「俺に目を付けられたのが運の尽きだったな」
クローは再びベッドの上に座った。
綺麗にベッドメイキングされたそれにシワが作られる。
「さて、時を巻き戻そうか。一ヶ月前、女が消える前に貴様はこの部屋に来た。
そこで女の死体を見た」
アルバートの中で、何かが壊れた気がした。