第四章 『狂気の殺意』その①
平日の昼間、いつもと変わらない賑わいで人がごった返す駅中で、大手ファーストフード店の一席に腰かける英国風の男性は手に持ったコーヒーカップから漂う匂いに煽い、綺麗な動作でカップの縁へと口を当てコーヒーを静かに身体へと流し込む。
「C`est bon…これほどのものがこちらで味わえるとは」
そんな誰に向けた言葉でもない呟きだったが、自身の前に不作法に腰かけたスーツ姿の男性はガハハと笑いかける。
「何を気取ってるのか知らないが、味なんてどこも対して変わらんだろ。つくづく人間の感性はわからん」
そういってから手元に置いた食べ物をガツガツと荒々しく食べ始めるスーツ姿の男性に対し、小さなため息をついてからまた一口コーヒーを喉へと流し込む。
「まあ私とあなたは違いますからね…それでかの令嬢について何かわかったのですか?」
「残念ながら何も。ここ数千年現界に居続けているだけはあるな、まるで気配を感じられない」
「そうですか…まあ私としてはどうでもいいことですがね。天使の方はどうなのです?」
「あーあいつらは意識して視ればどこでも目障りに飛んでやがるぞ。気にしてるくせに視てないのか?」
「その気すらないのに引き付けるほどのものでなければ意味がありません。その他大勢に興味などない」
そういってから視線を外へと向ける英国風の男性は向けていたが、しばらくしてから視線を手元へと戻すと自身が頼んでいたパンケーキが無くなっていることに気が付いた。
だが、特に怒る様子もなく視線だけをスーツ姿の男性へと向ける。
「はっは、いつまでも食べぬから俺が食べてやったんだ。どうせその身体じゃ腹など空かんだろ」
悪びれることもなくそういったスーツ姿の男性は、どっこいせ、という掛け声と共に立ち上がると店外へと向け足を進めた。
英国風の男性は再度ため息をついてから席を立ち、スーツ姿の男性を追った。
「はいまた私のかちー!自分の才能が怖いわー!」
そう高らかに声を上げるアスタロトはメレルエルの膝の上にいるなどお構いなしに身体を大きく揺らし、そのたびにメレルエルが慌てながら身体を支える。
もはや見慣れた光景にミョルエルは関わることなく、依李姫と共にディスプレイ上に表示されている内容に目を通す。
だが、特に目に止まるものもなく知らず知らず安堵のため息をついていた。
そんなミョルエルの様子に、クスリと笑ってから依李姫はお茶を淹れに席を立ちキッチンへと向かう。
「ねぇミョル、一戦付き合いなさいな。アラドヴァルじゃ私の相手にならないわ」
そのタイミングを図っていたかのように声を掛けるアスタロトは、挑発的な目線を向けながら不敵な笑みを浮かべ、今しがたその相手をしていたアラドヴァルは、あはは、とどうやら怒る様子もなく笑っている。
「私でなくとも今あなたが椅子にしているメレルエルにでも頼めばいいじゃないですか。少なくともアラドヴァルよりかは相手になると思いますが?」
「この子はダメよ」
言葉を濁さず、ありのまま思ったことを口にするミョルエルだったが、アスタロトは何食わぬ顔でそう告げると、言葉の真意を汲み取れず怪訝な表情を浮かべるミョルエルに対し、アスタロトはさらっとこう続けた。
「だってこの子が相手になるってことは私がこの子の膝の上に座れないってことじゃない。そんなのダメに決まってるでしょ」
「意味が分からない…」
あまりのとんでも理論に心底呆れながらに言ったミョルエルは、いつの間にか戻ってきていた依李姫からお茶を受け取り一口すすってから何かを思いついたのか、あっ、と声を小さく上げる。
「依李姫様どうですか?いい息抜きになると思いますが」
まるで面倒ごとを押し付けるかのように投げかけられた依李姫は、うーん、と声を上げながら頬に指を当てしばし悩んでからようやって答えを返す。
「そうですね、今日はずっとぱそこんとにらめっこしていましたし。私でよろしければお相手いたします」
姿勢を正してからアスタロトを真っすぐに見据える依李姫。
その視線の意味を知ってか知らずかアスタロトはニカっと笑みを浮かべる。
「じゃあお願いしようかしら。…といっても普通にやるだけじゃつまらないから、勝ったほうが何か一つ命令できる権限を得る、何てどうかしら?」
「あらそれは面白そうですね、ではお相手のほどよろしくお願いいたします」
そういいながら軽く頭を下げる依李姫は、調子にのっているアスタロトから先手を貰って勝負の幕が切って落とされる。
その勝負はとても目を見張るものがあった。
まるで機械かのような正確な手を打ち続けているかと思えば、ブラフを張っては張り返されるなどおおよそ常人や機械では不可能なまでの試合展開に、アスタロトの背後から盤面を見つめるメレルエルは息を飲む。
互いの一手一手の間に自分ならどうするかという思考すら追い付かないほどの速さで進む試合に、もはや考えることが無駄だと無意識に判断したメレルエルだったが、あっ、と小さな声が聞こえその声の主へと視線を向ける。
その視線の先には、やってしまった、といいたげな表情を浮かべる依李姫の姿があり、対面に座るアスタロトは勝ったと云わんばかりの表情を浮かべる。
だが、傍で見ていたミョルエルとアラドヴァルは奇しくも同じような表情をしてアスタロトへと視線を向けるが、それに気付くことなくアスタロトは会心の一手を打った。
「―どうやら勝負あったようね」
既に勝利を確信したアスタロト。確かにこのまま攻手を打ち続ければ数手後にはアスタロトの勝利が決定する。だがそれは―
「はいそうみたいですね。では私はここで」
―依李姫が打った手によって覆された。
その一手を見てアスタロトはこれまで迷いなく打っていた手を止め、ついでに思考も止め間抜けな表情を浮かべたまま固まっていた。
「え、これってどういうこと?」
盤面を見ても状況が読み取れないメレルエルは、すでに視線をディスプレイへと移していたミョルエルへと問いかけると、ミョルエルは振り返ることなく言葉を返す。
「依李姫様が前の手番に打ったのはただのブラフです。ただこれまでに打っていたブラフとは違い、『あたかも意図せずに打った』という仕草を取ることでアスタロトに打たせたい手を打たせたんですよ。ゆっくり見れば引っかかることもないのですが、ここまでほぼ高速で打ち続けていたのでその流れのまま打ってしまったのがアスタロトの敗因です」
その言葉にアラドヴァルもうんうん、と頷く仕草を取っているのを見てメレルエルは改めて盤面へと視線を戻す。
「あ、あーそういう」
そして意図せず漏れ出た言葉によって硬直が溶けたアスタロトは目に涙を浮かべメレルエルの胸へと顔を埋め、時折鼻をすする音だけを鳴らしていた。
「さて、それでは私は何か一つ命令できる権限を得ました。それを早速行使したいと思います」
そう満面の笑みを浮かべるながらいった依李姫はくるっとミョルエルの方へと視線を向け、視線の意味を図れず首を傾げるミョルエルを見てクスリと笑った。
「ではミョルちゃん、ここに座ってください」
そういいながら自身の膝をポンポンと叩く依李姫。
だが、ミョルエルはことさらにわからないといった表情を浮かべ、ややあってはっと何かに気が付いた。
「いやちょっと待ってください、え、そんなのありなのですか?というか、勝った方が負けた方へ命令できるってものじゃなかったんですか?」
「『勝ったほうが何か一つ命令できる権限を得る』ですよ。つまり命令する対象は誰でもいいんです。ですから、ね?」
そこまでいうと、ミョルエルは事の重大さに気付くと、刹那身体の自由が奪われ意図せず足は依李姫へと向け歩み始め、やがてスッと依李姫の膝に腰かける。
その状況に顔を真っ赤に染めるミョルエルだったが、それに構うことなく依李姫はぎゅっとミョルエルを抱きしめる。
「はぁ~イシュタル様とメレルエルを見て私もやってみたくなったんですよね…かなりいいですねこれ」
「いや、であれば状況が逆じゃないですかね?!いや逆でも嫌です!恥ずかしいです!」
「あ、恥ずかしがってるミョルちゃん可愛い…アラドヴァルこの最高の瞬間を激写してもらっていいですか?」
「はい準備は既に出来ております。それでは失礼します」
パシャッパシャッと何度もフラッシュを炊き角度を変えながら写真に収めるアラドヴァルは、ミカエル様にいい手見上げができた、と内心に思い浮かべながらついでにアスタロトとメレルエルもいくつか写真に収めた。
ついに始まった第四章!
っていいながらもやっぱ違和感パないです
これが『第一章 第四節』なら違和感が多少マシになるのかな…
まあその内考えておきますね