第十四章『求められるはその力』後編その⑰
トール様がいたのは取り分け何かがある場所ではなく、ひとことで言えば現界を―地上を見渡せるだけの場所。
地上ではぽつりぽつりと光が灯り、そこに生きている命があるのだとわかる。
「来たかミョル。待っていた…と言うには、少しだけ意味合いが違う気がするが、まあ些細なことだ。…おいで」
とても優しい表情で手招きするトール様の傍へと行くと、いつもと同じように私を抱き上げたトール様は流れるような動きで私を抱きかかえたまま腰を下ろし、視線を地上の光へと向けた。
「あれら一つ一つが私達が勝ち取った命の証だ。一つ一つが生きることに意味を持つ、決して蔑ろにしていいものではない―それをお前はずっと守ってきたんだ。…理由はどうであれ、とても誇らしい」
守ってきた…?私が?
そんな思考が過り表情にも出ていたのだろう、トール様は声を高くして笑い私の頭を撫でる。
「そうだな、そうだったな。…それにしても本当に相性が悪いんだな。すぐ近くまできているというのに、未だ答えへは至れずか。本質的に苦手なのだろうな…何かを疑う事をさせないまま育てたからか?…なら私が悪いのか、悪いことをした」
「仰っている意味がいまいちわからないのですが…ひとまずトール様はこの状況の原因?を知っておられるのですね」
「まあな。答えをポンと教えるのもいいのだが、それだとミョルの成長を促せそうにない…と思っていたのに、予想の倍以上で悩んでいる所だ。さてさて喜べばいいのかどうか」
そんなすごく悩んだ様子で私の頭の上に顎を乗せたトール様は、ぐりぐりと責め立てるように動き始め僅かに頭頂部から痛みが走る。
「そこは素直に喜んで頂けると私としても嬉しいのですが…。いえ、今はその話は置いておいて!」
ぐっと重みを感じる頭を上へと上げると、トール様の僅かに上擦った声を上げた。
「霧がかった記憶とそこから連なる矛盾点。おおよそ誰かしらの術式による影響だということはわかっています。わからないのはその目的と規模、ですね…。トール様はその影響下にいないとなると、術式の対象となっているのは『天使』でしょうか?もちろん私のみとも限りませんが、それだと益々目的がわかりません。一体何を望んでこのような…?」
そう思考を巡らすも答えらしいものに行き当たることはなく頭を悩ませていると、心なしか嬉しそうな声でトール様は私の頭を優しく撫でる。
「なるほどな。まあわからないことは結局どれほど頭を悩ませたところでわからない。それなら次にすべきことは?」
唸り声を上げていた私はピタリとその声を止め、問われたことに対して思考を巡らせてから明瞭に浮びあがった言葉を口にした。
「それを理解へ至らしめる為の情報収集です。何事にも始まりがあるからこその過程、そして結果へと至る―そう仰っていましたね、トール様」
「あぁ言っていたな。よく覚えているな、記憶は曖昧だったんじゃなかったのか?」
「例えそうであっても忘れてはならないことなど星の数ほどありますので…」
私のほっぺを軽く引っ張りながらからかう様にいうトール様に対して言葉を返し、手を自身の頭上へと伸ばしてからトール様のほっぺを軽く引っ張って言葉を続けた。
「ちなみにトール様はどのような事を望んでおられるのですか?疑う気は更々ないのですが、この事態を引き起こした張本人がトール様であるとう可能性も捨てきれずにいます」
「いい疑いのかけ方だ。だが、それだけはないと明言しておこう。理由は言わずともよくわかっているだろう?」
「こんなまどろっこしい事はしない、ですよね。よくわかってますよ。ですが、そういう方面で心配しておられる様なので、可能性を捨てきれないと言ったのです。どれだけ私がトール様を知っていようと、トール様の胸の内までは知りようがありませんからね」
「そんなものかね。…変わっているのだな、しっかりと。それもとても望ましい方向へと」
トール様が私のほっぺから手を離したのに習い私もトール様のほっぺから手を離すと、トール様は私の手を掴み取り優しい手つきで手遊びでもしているかのように指を絡ませてくる。
「身体的変化は乏しいな。いや、その要因の大部分は私にあるから責める様な言葉はお門違いか。…まあそれを加味してもフレイヤやイシュタルのようなスタイルにはなりそうもないがな」
「『完全なる美』をその身に体現する方々と比べられても…ていうか、何故そう思うのですか?未だ私は発展途上、フレイヤ様やイシュタル様のようにないすばでぃーになる可能性は零ではないはずです」
「その『完全なる美』それぞれが別方向に堕落な一面を見せてくれているからあまりいい印象を抱けないのがなぁ…」
どこか遠い目で空を仰いだトール様だったが、ふと思い出したかのように短く言葉を漏らしては視線を私へと戻した。
「ガイア様ですか…今もずっと私達を見守って下さっているのですよね?…偶にはお顔を見たいというのは我儘でしょうか」
「さして迷惑でもないだろうからアポでも取って会いに行けばいい。きっと持て成してくれるだろうよ。…話がかなり逸れてしまったな、それで今は何を求めているんだ?」
そう問われ、トール様に何を問うべきかと思考を巡らせる。
だが、トール様は『答え』を教えることには抵抗は無いが、私の成長を促せないと言っていた「あぁでもガイア神の様なものになるのなら素直に喜ばしい。願わくばそうなってくれればと思わずにはいられないほどにな」。
なら私がすべきことは、用意されている『答え』という結果までに至る過程を積み重ねる事であり、その過程で得られる経験こそがトール様が私に求められておられるもの。
トール様の発言その全てが正しいものとするのなら、ひとまず術式を扱っているのはトール様ではなく、また術式の対象が天使である事に対して否定的では無かったことから間違っていないと仮定する。
そうすると神ではなく天使に対して術式を使用したという事実が成り立ち、目的もある程度搾れるはずだ。
まず術式効果はしっかりと発揮していることからわかるのは、敵対意識があってのものではないということ。
今も天界が至って平和であることからそれはわかる事であり、もしそうでないのなら神々がそれに気付かないはずがなく、また何の対応も見せていないことからも可能性を高める事柄だ。
現にトール様も気付ているのに事の解決を私自身に求めているのが確かな証拠といっていい。
つまりこの術式は、天使を試すために発動したものであり今も絶賛その最中であると考えていいだろう。
「もし―」
そう言葉を一度切り問うべきか否かを考えるも、トール様は言葉で言うまでもなく優しく続きを促してくれた。
「―もし、トール様が同じことをしたのなら、一体何を求めますか?」
すぐに答えは返ってこなかった。
そしてややあってからトール様は「そうだな」と小さく前置きをして言葉を続けた。
「やはりその者が一番脆いところを直すため―つまりは成長を求めるかな。きっとこの術式を扱っている者も、それを望んでいる。そんな気がするな」
トール様は一貫して成長することを望んでいるようで、事情を把握しているトール様の言葉には何かしらの意味がありそうだ。
私の問いかけに対しどのような解釈を経て答えを出したのかは若干わかりかねるが、もし私のこと思ってその答えを出したとするのなら―
「…つまり、私には未だ至らないことがあると。しかも、致命的なまでのものが」
―そう考えてしまうことが可能だろう。
私のその言葉にトール様の答えはない。
それが正解として見るのなら―後は記憶から生る矛盾を詰めていくだけだ。
次の投稿は5/14(火)です
ちょっと5月6日に用事があるので5月7日に投稿はちょっと厳しそうです