第十四章『求められるはその力』後編その⑮
「えー?!ミョルもう行っちゃうのかぁ?!」
そう残念そうに声を上げながら私の腰に縋りつく猪突だったが、呆れた顔をした豹麻に首根っこを掴まれひっぺ剥がされる。
その際にも「離せ!」だの「うがぁー!」だの騒ぎ、暴れていた猪突は、豹麻の爪にある毒をトスッという軽い音と共に体内に流されると、だらりと力が抜けたかのように脱力して大人しくなる。
「はぁ…そういって何日この場に留めるつもりだ。既に三日だ…それ程の時間を奪っている。他でもない、トール神とフレイヤ様のだ」
「まあ私としては特に構わないのだがな」
「そうよね。そこまでカリカリせずともいいじゃない。このバカもこう言っているのだし―何より、私がミョルちゃんと接する時間は長ければ長い程いい。そうやってミョルちゃんからしか得られない『ミョル二ウム』を摂取しなければ、すぐにでも枯渇していまうのだから!」
…別段嫌な気持ちになるだとかはないが、こうも多数の視線に晒されながら身体をいい様に扱われてしまうのはどうにも抵抗心を抱いてしまう。
だからといって、神である以前に返しきれない恩があるフレイヤ神を振り払えるわけもなく、成すがままされるがままに身を委ねる以外の選択肢がなかった。
しかし、ミョル二ウムというのは一体…?
「そうは言ってはいられないのはフレイヤ様も承知のはず。現に時間は迫る一方で―それに備える準備には時間を要します。もう一刻の猶予もありませぬ」
「もう…わかってるわよ。豹麻の生真面目なところ好きだけど、ちょっと嫌いになりそうだわ」
「それでも構いませぬ。我がフレイヤ様から嫌われる事よりも、先の事でフレイヤ様の立場を危うくする方にこそ問題があります故」
決意は揺るがない―暗に、そう言う眼差しを向けた豹麻に対し、多少バツが悪いといった表情を浮かべたフレイヤ神は、すごすごと私を―名残惜しそうに手離すとコホンと一度咳ばらいをしてからトール様へと視線を向けた。
「今回は豹麻の意思を尊重して手を引くわ。けれど、今回の件に関する報酬は満足に受け取ってないから―そこだけは理解しておいてよね!」
ビシィッ!と音が鳴りそうな勢いで差し向けられた指は、何とも面倒くさがっている様子のトール様の頬を執拗に突き続ける。
やがて一際大きな声で「わかった?!」と尋ねるフレイヤ神にトール様は言葉を返す。
「わかったわかった覚える努力はする。努力はな」
「何よその反応!覚える努力をするんじゃなくて、その無駄な脳筋に刻み込みなさいな!自分で無理なら私がしてあげても良くてよ?」
「ほう、面白い。やれるものならやってみるといい…脳筋に刻み込む?」
今にも掴みかかりそうな姿勢を取るフレイヤ神に対しトール様は直前にかけられた言葉が気になるのか、小声でその言葉を繰り返し呟いていた。
「フレイヤ様…」
そう呆れた声で名を呼ばれた事に気まずそうな反応を示したフレイヤ神は、「…わかったから」と構えていた手を下ろし再度コホンと咳ばらいをして私へと視線を向けた。
「ミョルちゃん…色々と苦労すると思うけど、頑張ってね。私はいつでも応援しているわ…それと、いつでも私の元に来ていいからね?あのバカに愛想尽きた時はいつでもいらっしゃい。手厚く歓迎するわ」
「その時は絶対に訪れはしませんが、しっかりと覚えていますね。フレイヤ様がそう思っていて下さっている―その事を」
「…本当に、残念でならないわ」
そう言って私を抱きしめたフレイヤ神は、抱き寄せた時よりも尚強く、けれど優しく抱きしめたフレイヤ神は―
「貴方が私の子であったのなら…どれだけ幸せだと思えたか。本当に…残念でならないわ」
―そんな言葉を小さく言ってから私の身体を放し、最後だと言わんばかりにとびっきりの優しい笑みを浮かべた。
大きな音を立てて部屋の扉を開いたエクスマキナは、未だ静かに寝息を立てているミョルエル、ミョルグレス、フェイルノートへと駆け寄った。
だが、三人とも目覚める様子はなく、ただただ眠り続けている様に安堵と不安を募らせる。
「外部からの干渉は…もちろん出来ませんか。そもそも、この術式の詳細すら掴めない。一度受けた術式であれば理解できるはずなのに」
ミョルエルの額に掌を当て、今尚自身の主を縛り付ける術式の解明―及び解除を試みるも、その取っ掛かりすら見えずに辟易とした様子を見せる。
「ダメです…このままでは―」
「―ミョルが失格になってしまう、か?」
誰に聞かせる訳でもなく吐き出された言葉の続きを口にした人物へとエクスマキナが振り返ると、その先にはレラルミルを抱きかかえたエクスカリバーと、その後ろには自身の頭に手を添え苦々しい表情をしたベルリエルが立っていた。
「呆れたものだな。もしそれができたとしても試練は失敗扱いになると、他でもないお前がわからないわけがないだろう?」
そう言ってから部屋の中へと踏み入れたエクスカリバーは、ミョルエル達が眠るベッドの上へと寝息を立てているレラルミルを下ろす。
「これが試練で自身の力で抜け出すことがクリア条件であるのなら、もはや私達にできることは何もない。…何に焦りを募らせているんだ?」
「貴方もこの術式に一度かけられたのなら理解しているはずです。如何にこの術式効果がミョルエル様と相性が悪いかを」
「…あぁ理解しているとも。だが、私はミョルならこれを乗り越えると信じている。心配している気持ちが無いとは言わん…それがあるからこそ、私は今ここにいる」
信じている、と言葉にすれども、ミョルエルに向ける眼差しには憂いの感情のみが見え、撫でる手付きもとても優しいものだった。
「それだけで終わるのならこれほどまでの感情などを抱いておりません。最悪の場合―」
そこまで言葉にしたエクスマキナは途端口を閉ざす。
その先を口にしてしまえば、本当にそうなってしまうかもしれないと頭に過ったからだ。
だが、その言葉の先は―
「ミョルが夢の世界から帰って来られない」
―開けた扉にもたれかかり、謎の決めポーズのようなものを取っていた真神の口から放たれた。
視線は一斉に向けられどこか気持ちよさそうな表情を浮かべた真神だったが、その中にエクスマキナのものが無いことに気付くや否や僅かに気を落とし、スッと謎のポーズを取るのを止める。
「それは一体…どういう意味ですか」
控えめでありながらもハッキリとした声色で問いかけるエクスカリバーの瞳はそれによる悲嘆に揺れ、表情は徐々に歪み始めていく。
「心配するな。極々僅かな可能性の一つに過ぎない。きっと砂漠に落とした米粒サイズの金塊を探し出せるくらいの確率だ。どうだ?探し出せる気がしないだろう?」
「いえ、その程度でしたら全然出来ますが…」
らしくもない冗談を口にする真神の態度に不審感を抱くエクスカリバーだったが、ベルリエルが控えめに返した答えによって話は滞りなく続いていく。
「それもそうだったな。つい先ほどまで人間と接していたからな、その事を多少引き摺ってしまっていた。それにしても、お前たちはよく目覚められたな。エクスマキナは心配すら抱いていなかったが、ベルリエルはともかく正直に言えばエクスカリバーは未だ眠っているものだと思っていたのだがな」
「まあ…そうですね。ミョルの為にも詳しいことは言えませんが…あれはミョルが絶対しないことだったので」
「何故そのような複雑な表情を…一体何があったのですか。ていうか、私はともかくって何ですか?!」
「いやだってほら、エクスカリバーって『あれ』だろ?でもって、ベルリエルはぶっちゃけザ・平凡って感じで…」
「平凡なのがそんなにいけない事なのですか?私は…私…は…」
「…ッ?!いや泣かせるつもりは…ほ、ほら、平凡ってなろうとしてなれるものでもないだろ?だから自身を持て!ベルリエル、お前は平凡でありながら特別なのだと!!」
「すみません説得力皆無です。…そうです私は平凡。誰にでもできる当たり前のことしかできない…それが取り得の平凡な一般的な天使A…ははは、そうです。私が天使Aなんです」
崩れ落ち、床に突っ伏したベルリエルは徐々にその床を涙で濡らし、やがて立ち上がったかと思うとベッドに腰かけて流れるように倒れこむ。
「はは…私は何の取り得のない一般天使。でもきっと…こんな私にも」
言葉尻は徐々に小さくなり、まるで泣きつかれた子供の様に事が切れたベルリエルは寝息を立て始める。
「…何やら騒がしかったようだが、何かあったのですかな?」
場の空気に抱いた違和感から浮かんだ言葉をそのままに吐きながら部屋の中へと踏み入れたザドギエルは、答えの返ってこない状況を理解してため息をついてから取り出した時計へと視線を向けた。
「さて、しばらくここで待たせてもらう。最後―というには些か時間がありすぎるが…確認を兼ねての仕込みをせねばならんのでな」
ドカッと座り込んだザドギエルだったが、自身に向けられている鋭い視線―エクスマキナへと視線を合わせると、やれやれと首を左右に振ってから言葉を投げかけた。
「心配せずともミョルエルが不利になるような事はしない。…だからそんな目を向けてくるな」
そう言われてなお向けている視線を外さないエクスマキナの思いを何となく察したザドギエルは、しばらく口を閉ざした後にふと思い出した事を口にした。
「そういえば、お前たちの他に起きていた者がいたな」
「…他にもどなたかがこの試練を受けていらっしゃるのですか」
「まあな。面倒だったからミョルエルと同じ時間に眠っている者を対象に発動させたからな。…といっても、今ここにいる者の他はメレルエルとアラドヴァルの二人だけだがな」
「ほぉう…それで起きていたのはどっちだったんだ?」
「聞くまでもありませんでしょうや…もちろん、アラドヴァルが起きていましたとも。…まあ起きて何をしていたのかは本人の為にも黙っておきますが」
「もうそれほとんど答えなのでは…?」
「詳細はわからんのだろう?なら守られておるのだよ…守っているのだよ」
どこか遠い目で見えない空を仰ぎ見るザドギエルはやがて瞼を閉じ時が来るのを待つ。
そして12時間後―術式が発動してから計24時間が経ったことで第二フェーズへと移行する。
「さて、時間だな。第二フェーズ―といえば少し大袈裟だが、夢の世界で何かしら変化が起こり得る。共通していることは夢の世界にいる協力者が一人増える事。既に夢の世界で出てきた者が協力者になる場合もある。その場合は幸運と言える。あからさまに挙動が変わるだろうからな」
「楽なのかそうでないのかわかりづらいなものだな」
「そのおかげで試験に成り得ているのだと思えば中々に良い塩梅なのだとお考えいただけるでしょう。そもそもが試練、楽であっていいわけがない」
その言葉にエクスマキナとエクスカリバーは押し黙り、人数がいるにも関らず部屋の中には静寂が訪れる。
しばらくしてから「もうこの部屋に用はない」と立ち上がったザドギエルは、24時間後には次のフェーズに入る事を最後に告げて部屋を後し、特に面白味もない事を察した真神もまた何処かへと足を向かわせた。
エクスマキナにエクスカリバー、そしてベルリエルの三人は、目覚める気配を見せないミョルエル、ミョルグレス、フェイルノート、レラルミルの4人をただ見守ることしか出来ないことに、歯がゆい思いを蓄積させていった。
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