第十四章『求められるはその力』後編その⑧
瞼に重なった日差しの眩しさに目を覚ましゆっくりと瞼を開いた私は、眼前に広がっている光景、景色に言葉を失った。
「お、やっと目を覚ましたか。心地よさそうに寝ていたが…、いい夢は見られたか?」
そう私の顔を覗き込み穏やかな笑みを浮かべては、神妙そうな顔つきへと表情を変え声を弾ませる。
「存外に珍しい表情をしているな。もう随分と共に過してきたが、その表情を見た覚えはないな。…まだまだ知らない一面を見られる、知れるというのは存外心が踊る」
伸ばした手で、未だ状況を飲み込め切れていない私の頭を優しく撫で始めると、また穏やかな笑みを浮かべて優しく言葉を投げかける。
「ゆっくりいこう。私達はまだまだ長く共にいられる。それが例え限られた時間であろうとも、過した全ては確かに残る。それはきっと、先へと進める足がかりになる。これは何があっても変わらない…永久に不変の確定された事象となる」
私にできうる全ては果たした。
後は待つだけだったはずなのに…何もかもが嘘のように思えるこの光景は、他でもない私が追い求めていた光景で、目の前にいる御方のそのお姿を…声を、触れている手の温かさ、それらを私が間違えるはずがない。
「…トール、様?」
消え入りそうな不安げな私のその声は―
「…?あぁ、そうだが。…何だ、まだ寝ぼけているのか?」
―トール様へしっかりと届き、ご自身の耳を疑ったのか僅かに呆けた表情で答えを返しては、私の頭を撫でる手を少しだけ荒げるといたずらっぽく笑って見せた。
「まあいい、ほらいくぞ。もうみんな待っているからな」
そう立ち上がったトール様は未だ呆けている私の身体を抱き上げ振り返ると、その先では様々な神様達とウリエルを含んだ多数の天使達が宴と思わしき喧騒で、皆が皆晴れやかな笑顔を浮かべていた。
「こうして神と天使が肩を並べて宴を催すのは、きっと最初で最後だろうな。だからこそ、きっちりと楽しんでまた明日を共に過すとしよう。…争いの世界が終わり、平和な世界が訪れる。すぐには無理なのだろう…だが、確実に至れるはずだ。平和な世界…争いのない世界へと」
その声から読み取れたトール様の感情はどこか寂しいものであり、まるでありもしない夢物語を語っているようだった。
「トール…様」
不意に出た私のその言葉にハッとして我に返った様子のトール様は、僅かに顔を振るってから和らげな笑みを私へ向けた。
「すまない…少し感傷に浸ってしまっていた。…いこうか」
そう、私を抱きながら足を踏み出したトール様は、様々な神様達と多数の天使達がいる場所へと足を進めた。
てんやわんやと騒ぎに騒ぎ三日三晩の寝ずの宴を終えた天界は、終焉戦争が始まる前と遜色ない平穏な時が流れ始め、夢にまで描いた幸せな日々が始まった。
「まだまだだ!もっと力を込めろミョル!」
「…っ!はい!!」
体が訛らぬようにと、全ての天使を稽古して回っているミカエルと対峙している私は、力任せに吹き飛ばされても何とか体勢を持ち直してから再度ミカエルへと武器を振るう。
「軽い!軽すぎる!それでは何の役にも立てない!ミョル―お前はそれでいいのか!?現状に満足し、弱いままの自分でいいのか!?」
「いいはずがありません!私はもう二度と、負けられないのですから!」
「そうだ、それでいい!己の全てを力に乗せろ!お前なら、まだ先へと至れるはずだ!」
私の回答がよほど嬉しかったのか、妙なテンションへとなったミカエルは剣を振るう力を高め、加減を忘れて私へとその刃を振り下ろす。
だが、その刃を紙一重で避け渾身の力を込めてミカエルの腹部へと切りかかる。
ガギンッ!―そんな重厚感溢れる音が響いたが、ミカエルの腹部にはそんな音を鳴らす物は無く、あくまで素肌のまま私の剣を受け止めた。
「ぬるい…まだだ、もっと力を込めろ!」
「今のわりかし全力なのですが?!」
「ええい、弱音など聞きたくない!そんな戯言をほざく暇があるのなら、もっともっと力を込めろ!限界は今、ここで越えろ!!」
一際強い振り払いでまたもや吹き飛ばされた私だったが、今度は体勢を立て直す暇もなく蹴りによる追撃を放たれ地面へと転がった。
「我が刃に全てを照らす聖なる力を…我が心に揺るぎのない正義の灯火を―」
「…?!」
「満たせ、照らせ…悩める者を導く光、悪しきを挫く聖なる剣―今こそ、我に力を授けん!」
流石にまずい―そう思い、回避行動に移った私へと正確に狙いを定めて掲げた剣―神器・聖神剣をより一層輝かせたミカエルは、容赦の欠片もなく勢いよく振り下ろす。
「聖輝煌断!!」
もはや斬撃とは呼べない神聖の力をエネルギー波の要領で飛ばすことで圧倒的威力―質量を誇る超範囲攻撃で制圧する神器・聖神剣の保有する絶技であり神技『聖輝煌断』を、これまた紙一重で何とか躱した私はその攻撃によって地形が変わった光景を目にしてから抗議の声をミカエルへと放った。
「殺す気ですか?!流石にあれは受けきれるはずがありません!!」
「ええい、弱音など聞きたくない!そんな戯言をほざく暇があるなら―」
「弱音ではなく、ただの事実です!!」
多少バツが悪かったのか、同じ言葉を繰り返しに口にし始めたミカエルの言葉を遮った私は、「次は私から行きますよ!」と律儀にも告げてからミカエルへと飛び掛かる。
「そうだ、それでいい!守ってばかりではなく、攻めることで勝機を見出せ!お前に足りない物は渇望だ!」
そんな嬉々とした声で応戦するミカエルは、心の底から嬉しそうな表情で私の攻撃を受けてはすぐに刃を切り返すことで間も無く剣閃を一筋描く。
激しく刃を交わし合う私とミカエルのすぐ傍ではトール様とウリエルがその攻防を見守っており、意識せずともその会話が耳に入ってきた。
「随分目を掛けられているんだな。…ずっと一緒にいたはずなのに、知らなかったことだ」
「以前は何かと余裕のない状況でしたから…。そういえば、ミョルの名前―『ミョルエル』というのはいつからお考えになられていたのですか?」
「いつからも何も最初からだ。いつの日か、私がミョルを認めた時に贈る予定だったのだがな。平和な世界になった今となっては、名を持たぬままでは何かと不便だと思ってな。これを機に贈り物の一つでもしてやらねばな。今までは、力という本来あの子に不要な『もの』しか与えてやれなかったからな」
「…きっと、そう思っているのはトール様だけですよ。見てください、ミョルの奴若干涙目でトール様の事を見てますよ」
「ははっ愛い奴め…後で命一杯甘えさせてやるか」
その会話に現を抜かしていたわけではなかったが、どうにも眼前にいるミカエルの表情が少しづつ変化していることに気が付き小首を傾げると、ミカエルは少しだけ口ごもってから言葉を吐き出した。
「…少しくらい集中してくれないと、いくら私でも侘しいぞ」
「何を言っているのですか?十二分に集中しているではないですか」
「ならせめてその緩みきった表情を収めてくれ。…説得力の欠片もない」
少しだけげんなりとした表情を浮かべたミカエルだったがそれは明確な隙を生じさせていた。
それを逃せば後々怒られる気がした為に遠慮なくミカエルの身体へと剣閃を走らせると、驚いたことにこれまで何度斬りつけてもかすり傷一つ付かなかったミカエルの身体に刀傷が走り血を滲ませる。
然しものミカエルと云えど傷による痛みに表情を歪め僅かに後ずさると、スッと自身の身体に付いた刀傷を撫でることで即座に治癒すしてから神器を収め穏やかな表情を浮かべた。
「…いいだろう合格だ。僅かな隙を逃さず、例え知った仲であろうと遠慮のない一撃を叩き込む…それができれば、今後何か起こっても大事にはならないだろう」
「ふぅ…そうですか。ご指導の程、ありがとうございました」
「あぁ、こちらこそいい経験になった。…名残惜しいが、次の者の元へと向かわなくてはな。また別の機会には剣ではなく言葉を交わそう」
「はい、ではまた別の機会に」
私の言葉に軽く手を挙げる事で答えを返したミカエルは、トール様とウリエルへと軽く頭を下げてから白翼を羽ばたかせ別の場所へと向かっていった。
「慌ただしい奴だ…しばらくは平穏が続くはずなのに、もう次の事を考えているとはな。意識が高いのは助かるが、それが空回りにならない様に気を掛けておかないとな」
「前々からではありましたが、色々と危なっかしい奴でしたから…。それこそ、同族である天使には分け隔てなく過保護に接する…あまり良くはないと私は思うのですが」
「そうか…まあ私はいいと思うがな、そういう奴が一人いるのも」
「流石に楽観視が過ぎるのでは…でもまあ、そうですね。ああいう手前がいるのは、何かと心の支えになると誰かが溢していましたからね」
ちらりと私へと視線を向けてきたウリエルの表情はどこかからかう様なものだったため、わざとらしく頬を膨らませて抗議の言葉を口にした。
「お兄様!それは黙っていて欲しいと言ったではないですか!」
「…?あぁ、だからミカエルには一切伝えた事はないぞ?」
「ミカ姉だけではなく、誰にも言って欲しくなかったのです!これだからお兄様は!!」
敢えてその先の言葉は口にせずウリエルの身体へと何度も拳を振るっていたが、「まあまあ」と私を宥めるように後ろから抱き上げたトール様は、私の頭上に自身の顎を乗せると愉快そうな笑い声を上げ始めた。
「…初めてトール様の高笑いを聞いた気がします」
「そうだな。私も初めてだ」
「全くお前らときたら…よし、とにかく今の世界を堪能するぞ!色々な神や天使を巻き込んでな!」
「何ですか突拍子もなく…。まあでも、私も色々な神様方や他の天使の方とお話してみたいです。知らない事がいっぱいありますから」
「相も変わらず好奇心旺盛だな。ではまず誰のところへ行こうか…やはりミョルと親しい者の所へ行くのが無難だろうか」
そう声を弾ませるトール様は、私を抱きかかえたまま足を進ませ目的の人物がいる場所へと向かい始める。
やがてたどり着いたその場所は、私の数少ない友と呼べる天使―メレルエルとその主神であるイシュタル神の宮殿だった。
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