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義母とのレモンケーキづくり おまけ

 その日の夕暮れ。

 オルグレン婦人とともに焼いたレモンケーキを手に屋敷に戻れば、父は玄関ホールでひとり、今か今かとわたしの帰りを待ち侘びていたようだった。

 そんな父の様子にいい加減にあきれ返ったのか。家令はもちろん、執事のひとりも姿がない。

 わたしの到着に気がついた使用人のひとりが、慌てて上級使用人を呼びに行く。


「ただいま戻りました」

「おかえり」


 父はわたしをおざなりに抱擁すると、気が急いているのか「それで?」とたずねた。


「『それで』とは、いったいなんのことでしょうか」

「それはその……」

「『それはその』ではわかりませんわ、お父様」


 気もそぞろだった父のおかえりの抱擁が、なんだかおかしいような。けれどもほんのすこしだけさみしく感じてしまい、わからないふりをして意地悪をしてしまう。

 オルグレン婦人のいけずが伝染ってしまったようだ。


「それはさておき、こちらをどうぞ」


 付き添いの侍女が、慌ててやってきた執事へと銀のトレイを手渡す。


「これは?」


 父はトレイを持つ執事へと手をのばし、鐘形の蓋をぱかりと開けた。


「オルグレン婦人と一緒に焼いたレモンケーキです。ディナーのあとにでも、よろしければどうぞ」

「オルグレン婦人と……」


 なぜだか父の頬が赤らんだような気がして、なぜだかわたしの眉尻がぐんぐん、つりあがっていく。

 父はわたしと目が合ったとたん、視線をそらし、わざとらしくごほんと咳払いをした。


「ええと、それで、メアリー?」

「はい」


 そっけなく返すわたしに、父はしどろもどろになりながら、「オルグレン婦人のお加減はどうだった……?」と、消え入りそうな声でたずねてくる。


「お元気そうでした」

「そ、そうか」


 蓋を閉じたり開けたり。

 トレイに載るレモンケーキを見たかと思えば、機嫌をうかがうように、卑屈な目つきでわたしを覗き見たり。


 情けない父の様子にため息をついたのちに、「オルグレン婦人がお店をしばらくお休みなさる理由を、お父様はご存知でいらしたようですね」と呆れ声が出た。


「『なにか悩みを抱えているようなら、それとなく聞いてきてほしい』だなんて、嘘ばっかり。本当のところは、お父様が余計な口出しをしたことでオルグレン婦人がお怒りでないか。お父様はそれが気がかりでいらしたんでしょう」

「うっ」


 父はわたしの追及から逃れるように、銀の蓋で顔を覆った。

 子供みたい。

 呆れて首を振れば、トレイを持つ執事が父のとなりで苦笑いしている。


「お父様、オルグレン婦人はお怒りではありませんでしたよ」

「本当かい……?」


 蓋を掲げたまま、こそこそと顔を覗かせる父の姿ったら!

 この姿をオルグレン婦人に見せてさしあげたい。

 きっと父のこと。長年の商売人としての経験を翳して、オルグレン婦人の前では先輩風を吹かせているに違いないのだから。


 ううん。先輩風というよりは……。


「オルグレン婦人のもとで働かれている子たちは、きっと大丈夫です。このお休みのあとにも、きちんとお店に戻ってくるでしょうし、あるいは今後もオルグレン婦人を都合のよい金蔓がごとく、卑劣な手であれやこれやと理由づけてお金を引き出そうなんてことはしないと思いますよ」

「どうしてそう言い切れるんだい」


 父はむっとしたように、けれどもどこか安心したように問い返す。


「たしかにオルグレン婦人は、商売人としては赤子同然。それはお父様のご認識どおりでしょう。けれども、オルグレン婦人は長年、おひとりでカドガン伯爵がタウンハウスを取り仕切ってこられたのですよ」

「あっ」


 父は腕をだらりとおろした。

 執事がすばやく、父の手から蓋を抜き取る。彼が抜き取ってくれなければ、銀の蓋は哀れ、地に落ち、くるくる歪な円を描きながら転がっていたことだろう。

 落ちたとして、ホールには絨毯が敷き詰められているので、からんころん、などという惨めな効果音は鳴らなかっただろうけれど。


「使用人の扱いなど、お父様よりよっぽど手馴れていらっしゃることでしょうね」

「ううう、たしかに。そうかもしれない……」


 そう。

 いつまでも可憐で儚く、か弱く見えるオルグレン婦人ではあるけれど。

 あの方とて、長らくたったひとり、名家の女主人として、数多の使用人の上に君臨してきたのだ。

 打たれても踏みとどまり、立ち上がり。胸を反らして悠然と微笑む力強さだって、しっかり携えているのだ。


「健気に努めるご婦人を守ってさしあげたい。そんなお父様のお気持ちはわかりますけれど」


 ちらりと横目をやれば、父はびくりと肩を震わせた。


「オルグレン婦人はお父様がお考えになるほど、弱い方ではございません。芯の強い、誇り高い貴婦人です。くれぐれもお間違えにならないよう」


 悪辣非道な毒婦としてのふるまいが堂に入った、いかにも強い女である真珠姫。

 誰かが守ってやらなければすぐにでも儚くなってしまいそうな、いかにもか弱いオルグレン婦人。

 父の元妻である真珠姫。

 父の元妻である真珠姫が不倫した男、その元妻であるオルグレン婦人。


 単純な父は、ころりとオルグレン婦人の可憐さに打ちのめされたのかもしれない。


「わ、わかったよ。忠告をありがとう、メアリー」


 どこか引きつった笑顔で答える父。

 ああ、これはわかっていないな。ため息を胸の中にしまいこむ。


 いずれにせよ、父の恋は前途多難だ。

 身分差はもちろん、オルグレン婦人は前カドガン伯爵に未だ想いを残している様子だ。父のことなんて、まったく眼中にない。


 けれども、もし。


 複雑な背景を抱え、自由もままならない貴族ではなく。裕福な商家の跡継ぎですらなく。

 たったひとり、おのれ自身の才覚だけでここまで成り上がってきた父。

 そんな父がもし、『オルグレンの血の呪い』からオルグレン婦人を救い出すことができるのならば。


 わたしはアラン様との婚約を控え。

 アンジーとエインズワース様の婚約も決まり。

 前カドガン伯爵と真珠姫は、それまで愛人関係であったのが正式な夫婦関係となり。

 アスコット子爵とアスコット子爵夫人は、変わらず仲のよい夫婦生活を送っていて。


 元伴侶の存在に振り回されてきた父とオルグレン婦人。ふたりのことをまったく考えないといえば、嘘になってしまう。


 恋人や伴侶を得ることだけが幸せではない。

 それはもちろん、わかっている。

 素晴らしい友人に愛すべき家族。信頼のできる仕事仲間。じゅうぶんに幸せだろう。満ち足りた人生だ。


 ただ、もしかしたら、と。


 夕食前にもかかわらず、いかにも幸せそうに頬をゆるませ、玄関ホールで立ったままレモンケーキをつまむ、行儀の悪い父を眺めていると、どうしても余計なお世話といった考えが、ちらと浮かんでしまうのだ。

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― 新着の感想 ―
「レモンケーキづくり」←なにかの作業をしながらのほうが、悩み事を他者へ打ち明けやすくなることって、ありますよね。   ――果たして、お父様の恋は叶うのか!?  番外編、楽しく拝読しました(また本編の…
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