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エピローグ

「おはようございます」

 その声は、ウィルの部屋の玄関で靴を脱ごうとしていた季人の動きを完全停止させるのに十分な言霊となっていた。

「……は?」

 タヌキやキツネと言った類に化かされた村人の様な、えらく気の抜けた表情からいっこうに回復しない季人へ、毎日のように聞きなれた声が続けて掛けられた。

「ああ、おはよう季人。 遅かったね。 また御伽ちゃんに苛められてたのかい?」

 何とも人聞きの悪い事を言うウィルのからかいに、しかし、季人は目の前の光景を処理する事の方が重要だった。

「せ、セレン?」

「どうも」

 軽く会釈する姿すら絵になる美少女。 自分の中にあるセレンの像と、目の前の少女は同一であると、徐々にではあるが容認し始めている。

 しかし、だからこそ解せない。

 あの時彼女の生死は確認した筈だ。 簡易的ではあったが脈を確認したし、呼吸すら停止していたはずだ。

 考え始めると再び理解を超えた現象を処理しようと脳内のCPUが熱を上げて動き始める。 このまま放っておけば、そのうち頭頂部から煙が出てくる勢いだ。

「あれから全然季人が話題に上げようとしなかったから今まで黙ってたけど、ようやく話せるね」

「い、いやいや。 話せるねって……どうなってんだ? セレンはあの時……死んでたはずじゃ……」

 季人はそこまで言って、もう一度セレンの全身を上から下まで、傍から見たら変質者が視姦していると疑われても言い訳できないくらい見続けた。

 当の本人であるセレンはそれを全く意に介した様子はない。 女神のような微笑を湛えたまま、そんな季人の様子を見続けている。

「そう、死んだと誤認するくらい、極限まで心肺機能は低下していた。 仮死状態ともいえるほどに。 だから、外観上見分けをつけることは困難。 素人の目には……いや、機械でも使わない限り、その生死を確かめる事は難しいだろうね」

「仮死って……周りにそれらしいもの何て、無かったはずだぞ。 仮死薬でも飲んだってのか?」

 普通、仮死状態になるには極度の低温状態か水に溺れるなどの特別な条件が必要となる。 もしくは、心肺機能を一定にまで落とす仮死薬などもある。

 確かに思い返してみれば、那須を昏倒させてセレンを抱え上げた時、異様なまでに冷たかったことは覚えているが……。

 しかし、入念に確認したわけじゃないが、少なくともあの短時間でセレンが仮死状態になる要因は周囲になかったはずだ。

 季人が必死に工場内にいた時の事を思い出そうとしている時、ウィルが笑いながらその答えを口にした。

「それはね季人、彼女が自分自身に掛けた催眠暗示によってだったんだよ。 それで、体力の消耗や細胞の壊死を極限まで抑えていたらしい」

「……マジかよ」

 言われてみれば彼女の力は精神のみならず、そこからさらに交感神経にまで作用する。 結果的に脳を騙すことが出来るのなら、例え小さなホイッスルと言えども、自分自身を操るために能力を使えば不可能ではないのかもしれない。

 いや、結果的にセレンがここに居るという事を鑑みれば、それは結果的になったという事なのだ。

「まぁ、現実問題として仮死状態になることも難しいけど、そこから復帰することも簡単な事じゃない。 彼女が助かったのは能力のおかげという事もあるけど、奇跡が起こったおかげと言う他ない。 それ位、セレンの状態はギリギリの綱渡りだったんだよ」

 それはそうだろう。

 腹を撃ち抜かれて、あれだけ出血して何でもなかったなんて事は……ありえないだろう。 それこそ、本当に奇跡でも起こらない限りは。

 にしても……だ。

「……なんか、やけに詳しいな、ウィル」

 その口ぶりは、かなり早い段階から真実を知っていた様に見受けられる。

「だって、あれから僕はちょくちょくセレンのお見舞いに行ってたからね」

 おどける様にしてセレンと季人を交互に見やるウィル。

 それを嘆息しつつジトッとした視線で返す季人。

「言ってくれりゃあいいのに……」

 それだけ気を使ってくれたという事なのかもしれない。 そう思うようにして口にしたのはそんな言葉だった。

「へはは、君も随分と参っていた様子だったし、何か、話題として触れてほしくなさそうな雰囲気を出していたし……落ち着くまで黙っていようと思ってたんだけど、機会をうかがっているうちに」

「セレンの調子が戻ったってか」

 自分ではもう整理をつけたつもりになっていたが、ウィルにはそうは見えていなかったらしい。 

 何だかんだで付き合いも長い相棒だからこそ、そんな機微にも気付いていたのだろうかと、季人は溜息と共に納得する。 

「現代医術っていうのは、日々進歩しているんだね~。 知ってる? 最近だと、額に体温計を翳すだけで体温って測れるんだよ」

「あぁ、俺も病院で腕の治療をしたから……いや、そんな事はもうこの際どうでもいい」

 季人はセレンを正面から見据えて、安堵の吐息を漏らすと同時に表情を緩めた。

「まぁあれだ。 生きてて良かったってのは正直なところだ。 初めは幽霊かと思ったがな」

 彼女にはしっかりと足がある。 向こう側の景色も透けてはいないし、頭の上には輪っかだってついていない。

 彼女は生きている。 それは今、何よりも喜ばしい事だ。

 流石にはしゃいだりはしないが、季人自身、心の底から嬉しいと思っていた。

「それで、どうしてセレンがここに居るんだ?」

 彼女の身辺が今どうなっているかは知らないが、回復したというのなら帰るべき場所に……。

「あ……」

 そこまで言って、今更ながらに気付く。

 帰る場所……。 それが、どこにあるというのか。

 セレンは全てを捨て、失って那須へと挑んだのだ。 執念と覚悟、そして若さが自棄をも厭わない行動力を生み出した。

 故に、決着がついた後の事を考えていたとは思えない。

 もし、セレンの思惑がうまく遂行できたとして、その後どうするつもりだったのか……。

 季人は脳裏に浮かんでくる最悪と言う名のあらゆる可能性、結末を頭を振って追い出す。 彼女はオフィーリアでは無いのだ。

 しかし、かと言って楽観的な結末を想像しようとしても、そうそう浮かび上がってはこなかった。

 だからというわけでもないが、ウィルが次に口にした事は、季人にとってはまさに青天の霹靂だった。

「彼女はね、僕たちのスポンサーになったんだ」

「……スポンサー?」

 ウィルは頷いて説明を続ける。

「サウンドメディカルが所有していた、彼女が関わった音楽の配信に対する入金や著作権料を、新しく作ったワールドアパートの口座に切り替えたんだよ。 折角自分の功績からなるお金を、自由に引き出せないんじゃ勿体ないでしょ?」

 現在、サウンドメディカルはその事業の殆どを縮小しながらも、企業としての存続はしている。 ただ、それは既に社会へと出回っている音響医療機器に対するメカニカルサポート面がほとんどであり、セレンとシステム・セイレーンのプログラムデータを失った以上、発展を見込めない事からくる緊急処置でもあった。

 それも、季人達が手にした音楽を利用した誘拐に始まる犯罪行為の証拠を、ウィルが然るべき機関へと渡した結果だ。

 加えて、フランクとセレンが音楽ホールに集めた者達に掛けた後催眠の発現による情報拡散が後押しとなった。 

 本来であれば、社長が心神喪失の入院中であり、世間を賑わせた犯罪を犯した会社自体の存続など、社会が許さない。

 しかし、会社と経営者がそうであっても、生み出された技術は世界が認める素晴らしいものだ。 事件発覚当初は音響医療機器の存在すら危ぶまれたが、現実問題としてその技術を必要としている医療現場としては、無くなってしまうのは困るのだ。

 結果、かつては大企業として名を挙げたサウンドメディカルも、今では細々と世界中に設置された自社のマシンチェックに勤しむ毎日である。

 今はウィルがセレンの一連の事件に対する関与を払拭するために水面下で動いている最中だ。

 季人はてっきり、セレンの死後、フランク氏を含めてその名に泥がつかないように手を回しているのだとばかり思っていたが、その実……セレンの復帰を念頭に置いての行動だったようだ。

「まぁ、銀行窓口に僕が行ってもスムーズに事は運ばないだろうから、ネット経由で裏口から申請を通しておいたよ」

「それってハッキング……いや、まぁ、よくやってくれたよ。 けど、セレンの銀行口座とかじゃなくていいのか?」

 どうしてわざわざ自分達ワールドアパートの口座に変更させたのか、その理由がいまいちよく分らない。

「そこなんだよね、裏口申請したもう一つの理由は」

 そう言いながら、ウィルは一度セレンを見てから、彼女が一度頷いたのを確認して、季人の方に向き直る。

「セレンはフランク氏が居なくなった後、那須の研究対象になった時から、戸籍を消されてしまっていたんだ。 だから入院するって時も、僕がでっち上げた戸籍を役所の登録情報に無理やりぶち込んだんだよ。 サウンドメディカルにはもうセレンのデータが残っていないしね。 まだあの工場内の事件から日が浅いんだ。 どんな形にしろ、足がつかない様に立ち回るには、偽名にしたって銀行に個人情報の登録なんてしないほうがいいだろ」

 季人はなるほどと思い頷く。 ウィルのいう事はもっともだ。 今だってセレンが疑われそうな情報をこまめに消している最中なのだから、おかしなところに痕跡など残せない。

「そうだな。 わざわざ危ない橋を渡ることもないか。 ところで、セレンはこれからどこに住むことになったんだ?」

 その問いには、セレン自らが答えた。

「ここから徒歩五分位の賃貸マンション。 サウンドメディカルよりはセキュリティーの意識が低いけど、いいところです」

 にっこりと笑いながら言うセレン。 いきなりマンションか……流石はアーティストだと、季人は内心で苦笑いを浮かべる事しかできなかった。

「……そうか。 まぁ一般的なマンションの防犯事情はどこもそんな感じだから、気にするほどの事でもないと思うぞ。 ちなみにそこも偽名で借りたのか?」

「いや、そこは偽造戸籍は使わなかった」

 季人の素朴な疑問に、ウィルは簡素に答えた。

「なら、どうしたんだ?」

 マンションを賃貸で借りるにも、本人の戸籍とか、あと保証人が必要だろう。

 となると、またウィルがバックヤードで動いていたのだろうか。

 しかし、次にウィルの口から出たのは、全く予想の斜め上を行くものだった。

「君の名義で借りた」

「……キミノメイギ? そんな知り合いがいたのか?」

「あ、ううん。 水越季人で借りたんだよ」

「そうなのか。 初耳だ」

「うん、今はじめて言ったと思うよ」

「だよな。 ちょっと待て!!」

「ん?」

 どうしてそこでウィルとセレンが揃って不思議そうな顔をする事が出来るのか、季人にはまったくもって理解できなかった。 というより理解してたまるかと心の中で叫んだ。

「いや、いやいやいや。 おかしくないですかね? どうして当事者の俺がそんな事も教えられてないんだ? ていうか何故に俺名義!?」

「だって、こういうのは一度に説明した方が手間が省けるだろ。 それにいつだったか言ってたじゃないか。 早く広い家に引っ越したいって」

「そりゃ言ったさ。 けどそんなのはもう少し先の話で……ん? ウィル?」

 今の会話の中で、どうしても拭い去ることの出来ない違和感を感じた季人は、予測可能で回避不可能な疑問を投げかける。

「何だい?」

「どうにも俺の頭じゃ状況を整理しきれなくなってきたんだが、最後に一つだけいいか?」

「ああ、これからはスポンサーも付いたことだし、もっと高級なハンバーガーでも……」

「違ぇよ!! いや、そこも結構大事だけど」

 懐に余裕ができても、決してバーガー系から軸がぶれないところは尊敬に値するが、着眼点はそこじゃない。

「他に重要な事あった?」

「最後に言った部分が超重要だろ」

「……ああ、引っ越し?」

 しばし考え込んだ後、ポンっと掌ではなくキーボードを叩く所がウィルらしいと言えばらしい。

「そうだ! その口ぶりじゃ、俺もそこに住むのかよ」

「うん。 だって君が借りたようなもんだし」

 ウィルはさも当然の事の様に言っているが、それには少しどころか多大なる語弊がある。 そのマンションは季人が借りたというよりも、自分の与り知らぬところで名義を無断で使われて、気付けば賃貸主になっていたのだ。 加えて――。

「じゃあ俺が今住んでる場所はどうするんだよ。 先月更新料払ったばっかりなんだぞ」

 季人は既に実家をでてアパート暮らしをしている身だ。

 ましてや、現状それほど裕福でもないというのにいきなりマンションの賃貸料など払えるわけがない。

「セーフハウスにするには小さいし、解約かな」

 しかし、そんな訴えは些末な事と言わんばかりに軽く流されてしまう。

「なぁ、おい……本気で言ってるのか?」

「だって、彼女の境遇は、言わば田舎からいきなり都会に出てきた社会知識ゼロの未成年なんだよ。 加えて、誰もが目を奪われるくらいの容姿を持っているとなれば、危険なんて向こうから寄ってくるようなものさ。 そんな十代の女の子を一人で住まわせるわけにはいかないでしょ?」

 正論といえば正論ではある。 確かに、箱入りどころの監視体制ではなかっただろうし、そんな中でコンクリートジャングルである東京のマンションに一人暮らしというのは、世間一般なんてものから遠いところにいた少女にはハードルが高すぎるだろう。

 そこに美人で一人暮らしなんていう要素が加われば、面倒くさい未来しか見えてこない。

「……セレンはどうなんだ? お前はそれでいいのかよ」

 ただ、自分がどういった未来に巻き込まれるかは容易に想像がつく。 そもそも、ウィルの言う危険因子に真っ先に該当しているのは自分ではないだろうか?

 流石にその辺り、いくら世間知らずのセレンだって分っているはずなのだが……。

「えっと、家賃ですか? それならこちらが無理を言っている手前もありますし、私が出すということで構いませんよ。 幸い、お金には困っていませんし、何より今回は色々とご面倒をかけしてしまったので……」

 それって俺がヒモになるってことじゃ……。

 出かかった言葉を飲み下して、季人は話を続ける。

「いや、それは俺達が勝手に首を突っ込んだことだから、セレンが気にする必要はないんだけど……。 ほら、あるだろ? 男と女が一緒に住むと、色々と不都合とかさ」

「……?」

 キョトンとした顔で季人とウィルを交互に見るセレン。

 その行動の真意を察するに……。

「彼女はそういった経験も知識も得ないままこれまで生きてきたんだから、もっとハッキリと言わないと分るわけないでしょ季人」

「ならウィルが教えてやればいいだろ!」

 いつもの季人であれば、何の遠慮も無く誰であろうと言いたい事は言うのであるが、流石に純真無垢の権化のような少女にそういった男女間の機微とか男のリビドー的なサムシングをストレートに口にすることは多少気兼ねする。

 それを十分過ぎる程に解っているニヤニヤした顔のウィルは、「そんな面白そうなフラグをへし折る事なんて、僕にはとてもとても……」と、芝居っぽく大げさなそぶりで頭を左右に振り、しかし眼鏡の奥の瞳は相変わらずニヤついている。

「それに季人、これは君にとって未知の体験だ。 好きだろ、そういうの」

「っぐ、それは……いや、まぁ……」

 と、伝家の宝刀を抜かれてしまうと、否定する言葉を持たない季人にとっては殆ど詰みと言っていい。

 同棲と言う未知を経験したことの無い季人は、必死に無駄な抵抗と分りつつも、この不利な状況を打開する言葉を頭の中で検索していた。

 だが、該当する項目が口から出てくる前に……。

「季人さん。 これからよろしくお願いします」

 深々としたお辞儀の後に、満面の笑みをセレンから向けられては、季人も深いため息とともに、往生際と言う命綱から手を放すしかない。

「……こちらこそ。 スポンサー様」

 始めはしぶしぶと言った感じではあるが、もはやここまで状況が御膳立てされているともう開き直るしかない。 むしろ望むところだと、道化師の舞台挨拶の様に深々と頭を下げる。


 この瞬間、ワールドアパートに新たなメンバーが加わった。

 そして、全く予測の出来ない、先の見えない未来に、季人が今から期待で胸を膨らませていたのは間違いない。



 ただ、後ろめたい事など何一つないはずなのに、この事を毎朝朝食を共にする巫女様に何と伝えようかと、今から気が気でないのも確かだった。



                                        FIN

以上で完結となります。 ここまでお読み頂き、ありがとうございました。

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