2話『おかえり』
家に帰れば「おかえり」と言われる。僕は生返事で応じる。人間が当たり前に生きている家の空気は、死んでいる家とは全く違う。彼女が個室に戻る前の日すなわち四日前に僕はそんな母親に誘われてお邪魔した。入った瞬間から冷たく、身体を蝕む空気を感じた。綺麗なのに、汚いゴミ集積場に立たされている気分だった。その時二階で言われた言葉、それはその母の壮絶な闘いを思わせる一言だった。一瞬で戦慄が走った僕はバネみたいに飛び出した。
「今日のご飯は?」
「ロールキャベツ……それと、どうだった」
母の窺い潜めた声。
「いつもと変わらない。勉強を教えてくれって言うもんだから、教えた」
「そう……良くなるといいわね」
「そうだね」
あの親に半分ほど、僕の母は侵されていた。子どもを亡くすのを疑似体験させられているような。この家まで壊されたらいよいよ疫病神だ。
僕は清めるように衣類を洗濯機に投げ入れ、熱いお湯で身体を洗った。
どうせ死ぬのに――。
彼女の暇つぶしの相手になって得られるものはない。救いようのない病の少女の相手なんて。僕にも、誰にも荷が重すぎる。僕は医者じゃない。
明日は土曜日だった。
僕のうちの食卓は静かだ。ニュース番組、食器、そう言う音が占めている。この空気にしたのは彼女が病気だから。隣の空気がこの家庭にも流れていた。彼女が死んでしまったらどうなるのだろう。この瘴気は祓われるのだろうか。この先一生、彼女の痕跡が残るのだろうか。
僕は零時を過ぎるまで勉強をした。うとうとと机に突っ伏しそうになったら布団に潜る。
瞼を下ろせばすぐに寝てしまう。自分で思っている以上に僕の身体は疲れているらしい。