毒剣 胡蝶蘭 11
「おはようございます、ショーさま」
「うわっ! 」
突然に、背後から肩を叩かれ、サルバット ショー バルタンは、三十センチ程も飛び上がった。体勢を崩した彼は、よろめきながらも振り返り、その、不敬な黒髪の少年を、両手にて突き飛ばすのだ。
「くっ、またお前か! 脅かすな、突然に現れるんじゃない! 」
「いや、すまんすまん、普段は驚かされるばかりであるし、この程度の隠形では、誰も驚いてくれなくてな、つい、な、楽しくてな、分かってくれよ」
「分かるか! もういい、俺につきまとうな! 」
珍しく、取り巻き無しでで登校するショーを見かけ、御用猫は声をかけたのだった。二人で話すには、丁度良い時宜であろうから。
「なぁ、ショーさまよ、いくつか、聞きたい事が在るんだが」
「馴れ馴れしいぞ、貴様に……いや、そうだ、俺も聞きたい事がある」
おや、と御用猫は片眉を上げる。虐めの主犯格である少年にしては、何と言うか、厭らしさ、というものが無いのだ。こうして普通に話せば、全体の雰囲気に、妙な愛嬌さえ感じられるだろう。
「へぇ、よござんす、何でも聞いてくれよ、しかし、驚いたな、意外に気安い奴じゃないか」
「意外に、は余計だ……いや、気安くは無いぞ! 貴様が無礼なだけだ! 」
ぱしん、と御用猫の肩を叩くと、ふん、と鼻を鳴らしてから、ショーは話し始めた。
「お前、以前、イスミがどうとか言っていたな……もしかして、あのイスミの事か? うちの家の事も知っている風だったし……アドルパス様から、聞いたのか」
「ん? そっちこそ、俺がアドルパスの紹介で入学したと、知ってたのか? 」
「質問に答えてから聞け、本当に、礼儀を知らない奴だな」
悪い悪い、と御用猫は素直に謝るのだが。
「……下級生に聞いたら、直ぐに分かった、だが、アドルパス様の縁故だとしても、平民と馴れ合うつもりは無いぞ」
先に答えるあたり、彼も、根は真面目な少年であるのかも知れない。
(そういえば、入学するまでは、優しい奴だったとか聞いたな)
「おい、お前の番だ、早く答えろよ」
「おっと、イスミの事だっけか……そうさな、直接は知らないが、俺の知り合いが、仲良し? では無いが、まぁ、そんな感じでさ」
確かに、仲良しでは無いだろう。結局、あの事件以来、面倒だからと御用猫は、彼女の舞台を観に行っていない。
たまに、マルティエに現れるイスミこと、サルバット ミディア バルタンは、彼が劇場に来ない事にひどく腹を立てた様子であり、御用猫のあちこちに歯型を残しては、平らげた料理の支払いもせずに帰って行くのだ。その度に切符だけは残してゆくのだが、結局、それはサクラの手に渡っている。
「……名前も、知ってるのか? 」
「名前? あぁ、本名か、ミディアだろ、でも、イスミの方が似合ってるかな? 黒髪だし」
顎を掻きながら答えた御用猫に、少年は、しばし無言であったのだが。
「……その、たまには……もし、お前の知り合いが、ミディアに会う事があったなら……たまには、本宅の方にも、顔を出すように、伝えておいてくれ」
何やら、もごもご、と切れの悪い言葉を吐き出した。
「……何だ、イスミお姉ちゃんの事が好きなのか」
「はあっ! ちげーよ! はあぁぁぁっ!?馬鹿じゃねーのか! そんなんじゃねーし! そんなんじゃ、ねぇし! 」
ばしばし、と御用猫の肩を叩くショーは、体格こそ良いものの、やはり、年相応の少年なのであろう。御用猫は、思いの外、純朴であったこの貴族の少年に、何やら好感を覚えたのだ。
なればこそ、彼は告げる。
「なぁ、ショーさまよ……もう、エディを虐めるのはよせ、三年も殴り続けたんだろ? そろそろ、飽きても良い頃合いだ」
たった今まで、赤い顔にて御用猫を叩き続けていた少年の顔から、すっ、と表情が消えてゆく。
「……俺は、まだ、謝罪の言葉を、聞いていない」
「……何の事かは知らないが、向こうは、覚えて無いのかも知れないぞ、人間ってのはな、やらかした事は忘れるもんさ」
「ふざけるな! なら、やられた方は、どうなる! 」
ぎっ、と御用猫を睨む少年の瞳には、確かに、怒りの色が窺えるのだ。上級貴族として、幼い頃から、蝶よ花よと育てられたショーであったが、それでも、入学前までは、他人を恨んだり、身分をかさに、平民を押さえつけたりは、しなかった筈なのである。
「それでも、これはやり過ぎだ……なぁ、お前も、本当は分かってるんだろう? いちど、腹を割って、話してみるってのはどうだ、確かに今更だ、もし気まずいならば、一緒について行ってやろうか? こう見えて俺はな、そういう面倒事が得意なんだよ……まぁ、心底、嫌いではあるんだがな」
「ふざけるな、心無い謝罪を受け容れるつもりは無い! サルバット家の、名が廃る」
御用猫の肩を突き押し、振り向いた少年は、そのまま、足を止める事は無かった。
「サルバット家の、名か……」
アドルパスの話では、色々と問題のある家らしいのだが、それでも、あの少年にとっては、誇りある公爵家なのであろう、それを、守ろうと戦っていたのだろう。しかし、彼は知っているのだろうか、と御用猫は、内心で溜め息を零すのだ。
(校内で、人が死んでいるのだぞ……騎士に関しては、極秘に処理したとはいえ、マーフィーが殺された事くらい、公爵家は知っている筈だ……普通なら、休ませるよなぁ)
跡継ぎは、充分に足りている、という事か。
貴族の考えなど、卑しい野良猫には理解の外ではあろうが。それでも、御用猫は、何かやりきれぬ思いを、その心に覚えたのであった。




