毒剣 胡蝶蘭 9
「お、今日は頑張るな」
黄色い制服の少年は、這い蹲りながらも、何とか立ち上がろうとする茶髪の少年を見下ろし、何か感心したように、そう漏らした。しかし、ふらふらと身を起こす灰色の制服を着た少年に、容赦の無い蹴りを見舞うと、くの字に曲げた、その身体に、嘲笑を浴びせるのだ。
「おい、おい、俺は優しいだろう? 他の学級を見ろよ、見たことあるか? 見ろよ、なんとも、陰湿な虐めをする奴らばかりだろう、飲み物に雑巾汁を入れたり、持ち物を隠したり、糞を食わせる奴もいる……気色悪い、女々しい奴らさ、俺なんかは、さっぱり、してるだろう、どうだ? ……なんとか言えよ! 」
再び、胃の辺りに拳を貰い、茶髪の少年は地に伏せる。えっ、えっ、と空気を吐き出すのだが、既に内容物は空になっているのだ。
「ショー様ぁ、もう、飽きちゃった、早く帰ろうよ、お腹も空いたしぃ」
薄赤い制服の少女が、退屈そうに、爪先を弄りながら、あくび交じりに主張する。確かに、今日の私刑が始まってから、かれこれ一時間は経過しているのだ、こうした蹂躙に興味の無い人間にとっては、苦痛に感じる事だろう。
「……そうだな……おし、お前ら、一発ずつ殴れ、別れの挨拶だ」
えぇ、と周りの男女から、いかにも面倒臭そうに悲鳴が上がるのだ。この、休み前に行うエディ少年に対しての加虐は、週に一度の恒例行事ではあったのだが、流石に三年近く続いてしまえば、新鮮味も無くなるのであろう。
「ちっ、面倒臭いなぁ……分かったよ、でも、殴り易いように、一列に並べ、等間隔にだぞ、はい、ちゃっちゃと動いて」
ぱん、と手を叩く黒髪の少年に、全員が視線を集める。一体、いつからそこに居たものか、隠形どころか、気配というものすら理解出来ぬ子供達には、及びもつかぬ事だろう。
「き、貴様、こないだの……」
「ん、お前からか? よし、腹筋締めとけよ」
にこにこ、と笑う御用猫に、黄色い制服の少年は後ずさる。彼にサルバット公爵家の威光が通じぬ事は、先日に理解していたのだ。
「……貴様、どこの家だ、いや、その服、平民だな? 俺様に楯突いて、ただで済むと思ってんのか」
「軽いなぁ、ここじゃ、脅し方は教えてくれないのか……そら、こうするんだよ」
すい、と伸ばされた御用猫の指が、彼の黄色い制服に、軽く触れる。
「うはぁっ! 」
途端に、ショー少年は、大きく飛び退がる。何故だかは、彼にも分からない、しかし、人としての本能が、狩られる側に刻み込まれた、潜在的な捕食者への恐怖が、少年の無意識に働きかけ、そうさせたのだ。
ちゃりちゃり、と音を立て、黄色い制服に取り付けられていた、太い金の鎖が地面に散らばる。カディバ一刀流の技「噛み切り」であった。
「……帰るぞ」
くるり、と背を向けたショー少年は、多少、早足ではあったものの、なんとか、体裁だけは保っていただろうか。あれで、中々に、肝は座っているのかも知れないと、御用猫は心の内で感心する。
「おい、エディ君よ、先に言っておくが、助けた訳じゃ、ないからな」
蹲りながらも、強烈な殺気だけは放つ少年に、御用猫はしゃがみ込んで声をかける。しかし、これは、本心であった、彼が助けたのは、どちらかと言えば、虐めっ子達の方であろうから。
「……どっか、行けよ、くそが、殺すぞ」
エディ少年は、短く告げる。
「そう言うなよ、ちょいと、聞きたいことがあるんだが」
背中に触れようとした御用猫の手を、少年は乱暴に振り払う。きっ、と睨み付ける鳶色の瞳には、憎悪と怒りが満ちていた。
「知るか、消えろ! 俺には関係な……」
「……マーフィーは、俺の、従兄弟だった」
その瞬間に見せた少年の表情は、何にたとうべきか。驚愕と絶望をない交ぜに、彼は目を見開いた。
「お前は、友達だったと、そう、聞いたんだ……教えてくれないか? あいつの事を」
少し目を伏せ、御用猫は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
マーフィーとは、この学校で、最初に殺された生徒である。フゥーディエから聞いた話と、みつばちからの情報を合わせ、御用猫は、彼の縁者になりすます事にしたのだ。
特待生として、この学校に入学したエディは、呪いの才能に満ち溢れていた。幼い頃から、半ば本能的に呪いを行使する事が出来た少年は、家計を助けるために、僅か五歳で灯り売りを始めたのだ。
近所では神童と呼ばれ、七歳の頃には、水神騎士団から、上水浄化の手伝いを頼まれる程に成長したのだ。当然、彼の才能は中央の目にとまり、十歳でロードウィル士官学校に入学し、卒業後は宮廷呪術師見習いとして内定も貰っている。
しかし、幼い彼は増長した、慢心し、他人を見下す様になった。同世代の子供達が、ひと回りも、ふた回りも幼稚に見えたのだ。
そして、入学直後の実力査定で、事件は起こった。同組であったショーの、拙い呪いを鼻で笑い、力の差を見せつけて、皆の前で晒し者にしてしまったのだ。
真面目で純朴、素直な少年であった、サルバット ショー バルタンは、その日から学校を休み。そして、一ヶ月後、黄色い改造制服を身に付け、再び現れた。
その日から、エディの毎日が始まったのだ。罵声と暴力に満ちた、この生活が。
「……マーフィーは、俺を、助けてくれた……いや、助けてはくれなかったが、普通に、そうだ、普通にしてくれた……して、くれていた……それだけで、俺は……」
エディ少年は、それだけを、ぽつり、と零した。みつばちから、おおよその話を聞いていなければ、理解出来ぬ呟きではあったのだが、おそらく、そういう事なのであろう。
「そうか」
御用猫の答えに、エディは、はっ、とした表情を作り出すと、壁にもたれながら立ち上がり、そのまま歩き出す。その背中からは、殺気が消えていたのだが、代わりに、何か悲壮感のようなものが漂っていた。
(マーフィーとやらが、奴の支えになっていたのは、間違いないだろうな)
しかし、ならば、マーフィーを殺したのは、誰であるのか。御用猫は、ふむ、と顎をさするのだ。
正直、御用猫は彼を疑っていたのだが、今の言葉を聞くに、自身の支えとなっていた、唯一の味方を、エディが殺すとは思えない。となれば、犯人は別に居るのか、複数犯か、若しくは、あのショーという少年が、邪魔なマーフィーを手にかけたのか。
「うぅん、面倒な」
立ち上がって、腰を伸ばすと、御用猫は溜め息を吐く。賞金首を刎ねるならば、何も難しい事はないのに、と。
探し出し、追い詰め、首を刎ねるだけ。頭を悩ます事もなければ、気を遣う事もない。
(やはり、野良猫には、野良猫の生き方が、相応だろう)
こきこき、と首を鳴らすは仕草だけ。御用猫は、天を仰ぐと、空に息を吹きかけたのであった。




