19.決意
王立学院の入試がもうそこまで迫ってきた。
家庭教師たちからは「合格は間違いない」と太鼓判を押されているものの、不安はどうしても拭えない。
この国では、王立学院の出身か否かだけで、将来の待遇に大きな差が生まれる。ましてや、公爵家を継ぐ者としては、王立学院への入学など、難なく果たせて当然とされているのだ。
私が「公爵になる」と決意し、父に後継ぎの意思を伝えた時、返ってきたのは冷たい拒絶だった。
それでも諦めずに食い下がった私に、父が突きつけた条件は―、「王立学院で生徒会役員を五年間務めること」。
そうすれば「考えてもやらんこともない」と言われた。
父もかつて務めていた、生徒会。
生徒会役員は各学年に一人だけ。成績最上位者にのみ与えられる名誉職で、学院内でも特権的な立場にある。
父はその中でも、生徒会長として学院の運営に深く関わっていた。
そんな父に認められるためには、王立学院に入学するだけでは足りない。五年間、常に一番の成績を維持し続けなければならないのだ。
不安を振り払うように、朝から机に向かう。
集中していたせいか、食事の時間だと告げる声が聞こえるまで、時間の感覚すらなかった。ペンを置き、机の上にあるU字型の金属にそっと手を伸ばす。
蹄鉄を見るたびに、胸が高鳴る。
それはルカ様がくれたお守り。いつも、目の届く場所においてある。
彼のことを思い出すたび、頭の中がいっぱいになる。
好意を自覚した時、諦めようとしたこともあった。
でも―、かつての『推し』だったと知って、気持ちはさらに強くなってしまった。
あれからルカ様は以前よりも親しく接してくれている。
座る位置はいつの間にかレン様の隣から私の隣へ。
目があえば優しく微笑んでくれるし、距離が近いせいか、よく頭を撫でてくれる。
その仕草に、私の想いはますます募っていった。
けれど、この恋に進展があるかといえば、また別の話だ。
彼の好意が恋なのか、親愛なのか、それとも別の感情なのか――私にはわからない。
仮に入学が決まれば、学院での生活は五年間。
祝祭の時期に帰省できるとしても、課題に追われる日々になるだろう。
実際、王立学院に通う姉も、祝祭期間でさえ忙しそうだった。
ルカ様も冒険者としての仕事がある。会える機会は、ほとんどないはずだ。
彼は高ランクの冒険者で容姿も優れている。
魅力的な女性が周囲にいることは、容易に想像できる。
いつ結婚してもおかしくない――そう思うと胸が痛む。
それでも、彼が幸せならそれでいい。
そう思おうとしても、心は諦めきれない。
「諦めなきゃいけないのかな」
そう結論づけるたびに、想いは胸の奥で静かに揺れ続ける。
その気持ちに囚われたくなくて、私は逃げるように、また勉強へと集中していった。
「ねぇ、アン」
その夜、お風呂から出て髪を乾かしてもらっている時、ずっと気になっていたことを口にした。
「もし、もしもの話よ?」
アンは私の髪に櫛を入れながら、静かに耳を傾けてくれる。
「アンが身分の違う人を好きになったらどうする?」
「それは、私より上の身分の方の場合ですか?」
「ううん、逆」
アンは侍女とはいえ、男爵家の娘でもある。
「下の身分とはいえ、私自身大した家柄でもありませんし……たぶん、家を捨てると思います。もともと、私には何の期待もされていない家でしたから」
そう言いながらも、アンはきっぱりと続けた。
「とはいえ、お嬢様に仕えている間は、どんな相手であれ結婚を考えることはありません」
以前、なぜ結婚しないのかと尋ねたことがあった。
そのときも、「興味ないので」と一言で片づけられてしまった。
アンは美しく、性格も穏やかで、誰もが好意を抱くような女性なのに。
「じゃあ、上の身分の人が相手だったら?」
「諦めます」
即答だった。
「その人がどんなにアンのことが好きでも?」
「不釣り合いな結婚は、本人たちがよくても周囲から祝福されません。私は、好きになった人にそんな結婚はしてほしくないのです」
その言葉は、胸に深く刺さった。
万が一、ルカ様が私を好きになってくれたとしても―、彼なら、アンと同じ考えになるだろう。
「…そうよね…」
わかっていた。
私の恋に未来はない。
公爵家を継ぐために、私は家を捨てることができない。
「…けど」
アンの言葉が、そこで途切れた。
「けど?」
「…お嬢様なら、身分違いでも祝福される結婚ができると、私は思っています」
振り向くと、アンは少し困ったような顔で、それでも柔らかな微笑みを浮かべていた。
「それは…」
ルカ様への想いに気付いての言葉だろうか。
「さぁ、就寝のお時間です」
アンは私の言葉を遮るように、ベッドへと促す。
何も言わせないように、「おやすみなさいませ」とだけ告げて、部屋を後にした。
月明りに照らされた静かな部屋の中で、アンの言葉が胸に火を灯す。
「私なら、できるのかな」
やっぱり諦めたくない。
胸の内に溢れる想いが、静かに満ちていった。
※※※
赤い屋根に蔦の這う、静かな家ー。
もうすぐ、この家ともお別れだ。
魔法学を学び、無効化の魔法を習得してから、もうすぐ二年になる。
瘴気や魔法を打ち消す力を得たものの、まだ不安定な部分も多い。
それでもロイ様は、「あなたにはまだまだできることがある」と言って、王立学院でも特別に練習できる環境を整えてくれた。
そんなことまでしてもらう価値があるのか、自分ではわからなかった。
けれどロイ様たち魔法師にとっては、それだけの価値があるという。
「無効化はある意味、魔法師にとって脅威でもあるの」
「…脅威、ですか?」
そう、頷くロイ様は張り詰めた面持ちで頷いた。
「すべてを“ないこと”にできるというのは、魔法が通用しないということ。あなたがその気になれば、魔道具を簡単に壊すこともできるし、私から魔法を使わせないこともできる」
「私、そんなことしません」
「わかってるわ」
ロイ様は微笑んだ。
「魔法を正しく使う―それは、魔法師になる前に必ず教えられる基本だけど、意外と人は簡単に道を踏み外してしまう。あなたは大丈夫でも、周囲の人間がそうだとは限らない。これから先、あなたの力を狙ってくる者も現れるかもしれない」
「私の力が、悪いことに利用されるかもってことですか?」
「そうならないように、王立学院でも今まで通り魔法を学んでほしい。ただ、普通の魔法が使えないとなると、魔法科に進むのは難しいと思う」
その通りだ。私の魔法は、普通ではない。
むしろ、他人の魔法を阻害してしまう恐れすらある。
「だからね、学院の知り合いにあなたのことを話したら、通常の授業とは別に学ぶ場を設けてくれることになったの」
そう言って、ロイ様は一枚の名刺を手渡してくれた。
『王立学院 魔法学教師 イーディス・ダーウィン』
「入学したら、彼女を訪ねて。あなたの力を、きっと正しく導いてくれるはずよ」
おいしいお茶とお菓子、レン様たちとの会話、ルカ様への恋心。
楽しかった時間は、もうすぐ終わりを迎える。
でも―、私はもう迷わない。
この想いも、この力も、未来へと繋げるために。
公爵としての道を歩むために。
そして、いつか胸を張ってルカ様に再び会えるように。




