第022話:Grand Braveの信念
「俺のいた世界は、この世界と非常に良く似ている。魔物や迷宮が出現し、ダンジョンマスターを討伐すれば迷宮は消える。魔法の種類も同じだ。俺はある迷宮に潜っていた。そして迷宮を出たら、眼の前が草原だった。全く見たことのない世界に、戸惑ったよ。これは夢ではないか?元の世界に戻れるはずだ…そう思っていたさ。だがこれは現実だ。別世界に飛ばされてしまったことを、今では受け入れつつある」
ヴァイスは「本当の世界」については説明しなかった。それこそ「気が狂った」と思われるのがオチだろう。それに、DODの世界から来たこと自体は嘘ではない。レイナたちが顔を見合わせた。ヴァイスは金貨を二枚取り出した。DODの金貨と帝国金貨である。テーブルの中央に二つを並べた。
「片方は、皆もよく知っている帝国金貨だ。もう片方は、俺がいた世界で使われていた金貨だ。金の含有量の違いから、この世界では千二百帝国マルク程度の価値があるらしい」
ミレーユが両手で二枚を持ち比べる。光に翳したり、端を擦ったりする。錬金術師として鑑定しているのだ。
「うん。ヴァイスの言うことは本当。金の含有量というよりは、質が違う。帝国の金は不純物が混じっているけど、こっちの金貨は不純物が無い。『純粋な金』なんて初めて見たし、そもそも今の技術では鋳造できないはず」
「『異世界の技術』ってわけね。ヴァイスが見たこともない道具を持っているのもそうした理由からだったのね……」
アリシアが納得したように頷いた。ヴァイスは続いて、魔眼を取り出した。
「話を続けるぞ。俺のいた世界では『強さ』が全てだった。魔物の討伐のためというよりは、世界そのものが無法地帯だった。奪われ、犯され、殺される…… それが当たり前の世界だった。強くなければ生きていけなかった。そしてやがて、そうした弱肉強食の世界を歓迎する者と、弱者でも生きられる秩序ある世界を求める者とに分かれ、激しい対立が起こった」
「正義と悪の対立か。ヴァイスは当然、正義の側だったんだな?」
グラディスの問いに、ヴァイスは首を振った。
「違うな。正義と悪ではない。正義と、もう一つの正義の対立だ。弱者を虐げ、奪い、殺戮する…… これを悪と考えるのは、子供の頃から徹底して、そうした『教育』を受けてきたからだ。お前たちはそれを『倫理』『道徳』と呼ぶ。なぜそれが必要なのか。それがなければ社会を維持できないからだ。人間は弱い生き物だ。だから集まって生活する。人々が集まり、助け合い、生産する。だが同時に、人間には欲望がある。考える力、判断する力がある。人間は個々独立の存在だ。多様な欲望を持つ人々が集まって暮らすためには『規範』が必要なんだ。それが倫理や道徳だ。お前たちはそうした教育を受けてきたから、奪い殺す者を悪とする。だが、生まれた時からそれが当然の世界であったら?『強者こそ正義』『弱者が悪』という常識の世界で育ったらどうなる?』
「そのようなこと、神がお赦しにはなりません!」
聖フェミリア大教会の元聖女ルナ=エクレアが叫んだ。ヴァイスはエクレアの方を向いた。
「ここで宗教論議をするつもりはない。この世界ではそうなのかも知れんな。だが俺のいた世界では、神はいなかった。破壊と殺戮、弱肉強食の世界を変えたのは神ではなく、秩序と平和を求めた人間たちだった。先程のグラディスの問いだが、確かに俺は秩序と平和を求める側にいた。だが俺がいた世界では、俺たちはいわば『革命集団』だった。『世が無法ならば、そこに法を創る』…… 聞こえは良いが要するに、自分の価値基準を押し付けるということだ。善悪は絶対ではない。この世に絶対悪など無い。己の価値判断が正義であり、そこに適合しない価値判断が悪なのだ』
グラディスもエクレアも、ヴァイスの言葉に沈黙するしかなかった。違うと否定することは簡単だ。だがそれは自分はこう思う、と相手に押し付けることでしか無い。これは算術の問題のように、正解がある問いでは無いのだ。価値観、考え方の相違である。自分の考え方が正しいと証明することは出来ないのだ。ヴァイスは茶を啜った。
「俺が単独に拘るのも、そうした理由からだ。集団だって『多様な正義』の集まりだ。皆が受け入れられる範囲で正義を決め、それで行動する。俺は、あるパーティーが殺戮者たちを討伐している場面を見たことがある。正直、どっちが殺戮者なのか解らなかったよ。『止めてくれ』『許してくれ』…… そう叫ぶ者たちを笑みを浮かべながら殺している光景に、俺は戦慄した。『自分が絶対』と考えた時、正義の暴走がはじまる。俺は常に言い聞かせているよ。自分の正義は『自分だけの正義』だとな…… 』
沈黙が流れる。憂鬱そうな表情を浮かべる五人がいた。約一名は、目を閉じている。寝ているのだろうか。気分を切り替えるように、エレオノーラが手を叩いた。
「お茶を淹れ直しましょう」
んぁ?と青髪の少女が反応する。やはり寝ていたらしい。
茶の香気が気分を変えてくれる。ヴァイスはアイテムボックスから「Mrs.Donuts」と書かれた箱を取り出した。DODでは様々な企業が「広告」の為に出店していた。これもその一つである。初めて食べる「チョコファッション」に、レイナがようやく笑顔を見せた。やはり美女は笑っている方が良い。気持ちが切り替わったところで、ヴァイスが話の続きを始めた。
「さっきも言った通り、俺のいた世界では強さが全てだった。必然的に『戦闘技術』が磨かれた。装備類もそうだが、相手を知ることも重要だ。そのために、こうした装具が生まれた」
魔眼を見せる。それぞれが顔に装着していくが、皆が首を傾げた。表示される文字が読めないからだろう。
「その道具は、俺のいた世界の言葉で相手の情報が表示される。読めないのは仕方がないだろう。強さの基準を解りやすくするために『レベル』という言葉がある。最初は誰しもが1から始まり、最高値は999となる」
「私のおよそ三倍か。つまりヴァイスは私の三倍は強いということか?」
「一概にそうとは言えないがな。魔物を倒したり、さっき言った殺戮者たちと戦ったり、あるいは模擬戦をすることでレベルは徐々に上がる。その過程で力や速度、魔力、耐久力などが高まる。それ以外にも様々な能力が身につく。以前見せた「上位物理攻撃無効化」という能力は、レベル800で習得できる。もっとも、この世界ではどうかは解らんが……」
実際のところ、グラディスとヴァイスを比較してもHPや魔力などは三倍ほどの大きな差は無い。むしろ使える魔法やスキルが違う。上位職である「Brave」がレベル99で習得するM級職種系魔法「天地爆裂」は、一国を消し去るほどの破壊力を持っているだろう。詳細能力値やそうしたスキルまでは、魔眼では表示されない。一通り全員が魔眼を試し終わると、ヴァイスは魔眼を受け取った。
「この魔眼でわかるのは、相手の氏名、職種もしくは種族、体力、魔力、状態異常の有無だ。職種というのは、簡単に言えば『得意分野』と考えれば良い。レイナは魔法剣士、グラディスはガーディアンだが、パーティーで活動する中で、必然的にそうなったのだろうな」
「ヴァイスの職種は何だ?」
「まぁ、今となっては小恥ずかしいんだが……『Grand Brave』だ」
沈黙の後、誰かが吹き出した。やがて六人全員が笑った。ヴァイスは頭を掻いて、諦めたように積極的に話し始めた。
「言っておくけどな。ただのBraveなら他にもたくさんいたんだ。Grandの冠を持つのは世界で唯一人、世界ランキング第一位、ワールドチャンピオン、世界最強の勇者だけなんだぞ? お陰で俺はやたらとパーティーに誘われるわ、無法者からは暗殺対象の筆頭にあげられるわ、街中で飯を食うのですら注目されるわ、散々だったんだ」
グラディスが腹を抱える。目尻に涙を溜めながらヴァイスを慰める。
「ま、まぁしょうがないじゃないか。ヴァイスは強すぎる。ゆ、勇者か…… うん、立派だな!ハハハハッ!」
「い、以前ヴァイスから『Grand Brave』って言葉は聞いたけど、そういう意味だったのね。ヴァイスって案外、子供っぽいのね」
(悪かったですよ。そーですよ。どーせ俺は三十過ぎても勇者に憧れる「厨二病」ですよ!)
全員の爆笑の中で、ヴァイスは溜息をつくしかなかった。
夕食は六色聖剣全員による手作りであった。女性らしい華やかな雰囲気の中に、冒険者らしい荒々しさ(要するに豪快さ)もある料理である。鶏一羽を丸ごと焼いた「丸焼き」が出てきたが、さすがに首くらいは落としておいて欲しかった。だが味は悪くない。香辛料の複雑な香りが食欲をそそる。十二分に酒と食事を楽しんだヴァイスは、その夜は客室で泊まることになった。露天風呂があることに素直に驚き、風呂を馳走になる。
「風呂は久々だな。そういえばアイテムに露天風呂キットがあったな。使ったことはなかったが…… 俺もどこかに拠点を構えるべきか」
頭を湯船の縁に載せ、頭を空にしていると気配が感じた。白い肌がヴァイスの視界に入る。布で前を隠したレイナが立っていた。
「背中を流すわ」
白布一枚だけでは全ては隠しきれない。布の上からでもわかる豊かな胸。細く、それでいてしっかりと肉がついている見事な脚。シミ一つ無い真っ白な肌。輝くような黄金の髪…… ハラリと布が落ちた。湯煙の中に立つその姿は、神々しささえ感じてしまう。湯船から立ち上がる。当然、背中を流すだけでは終わらないだろう。
ウィンターデンの冒険者ギルドマスター「ロベール・カッシェ」は、元々は商人であった。冒険者に憧れたが才能に恵まれず、鉄ランクの冒険者で終わってしまったが、本人は現状に満足していた。
ギルドマスターとは、冒険者たちを支える役割である。自分が冒険をする必要はない。ロベールには商人としての才能はあったため、ウィンターデンの冒険者ギルドは財政的に富裕であった。商才を活かし、素材の売り時を見極めて放出しているため、他のギルドより利益率が高い。その利益を設備投資や冒険者への報酬として還元している。同類の依頼でもウィンターデンの依頼は報酬が良いため、必然的に優れた冒険者たちが集まってくる。優れた冒険者が集まれば治安が良くなり、他の商売も盛んになる。結果として街全体が儲かり、ギルドは更に活性化する。
こうしたサイクルを作り上げているのが、ロベールの商才であった。そして今、新たな商売の種を見出そうとしていた。
「ルーン=メイルからの依頼か。六色聖剣をご指名だが、この機会にエルフ族との繋がりを太くしておきたい。『サトウカエデのシロップ』だけではなく、メイルだけに自生する薬草類なども安定して手に入れば、ウィンターデンはさらに栄えるだろう。普段なら、レイナ殿に安心して任せるのだが、今回は少し不安だな」
ウィンターデンの北西に広がる広大な樹海「ルーン=メイル」を縄張りとするエルフ族から、迷宮討伐の依頼が来ていた。「六色聖剣を派遣して欲しい」との要望だが、リーダーのレイナ・ブレーヘンはハーフ・エルフとして、ルーン=メイルを追い出されている。エルフ族の在り方に対して、あまり快くは思っていない。今回の依頼においては、レイナの抑え役が必要だと判断した。普段ならグラディスがその役だが、レイナに近い分、今回の場合は抑え役にならないだろう。
「ふむ、やはり『あの男』が適任か」
ウィンターデンの、特に若い男たちの嫉妬を一身に集めている「話題の男」に依頼すべく、ロベールは筆を取った。
月明かりの中で、レイナは寝台から身を起こした。隣で寝ている男の頬に口づけをする。自室に戻ったレイナは、机の引き出しを開けた。皺だらけの書状を取り出す。もう十数年も疎遠になっている男からの手紙であった。
〈ルーン=メイルに迷宮が出現した。どうか助けて欲しい〉
要約すると迷宮討伐依頼である。最初は一読して握りつぶしたが、少し考えてシワを伸ばし、引き出しにしまっておいたものだ。この内容はグラディスですら知らない。レイナは憂鬱な表情を浮かべる。依頼を引き受けるべきかどうか、未だに悩んでいた。
「なによ。いまさら父親面して……」
そう言いながらも、レイナは手紙を破くことは出来なかった。丁寧に折りたたみ、引き出しに入れた。




