ファーストキスの、その後で・・・
「・・・・・・・・・弥生・・・・・・?」
オレは中途半端に起こした体勢のまま、固まってしまい、弥生の顔を凝視した。
「諒ちゃん・・・・・・?」
弥生が少し掠れた声でオレの名を呼ぶ。
「――――――――っ!!」
オレは、たったそれだけで、胸がいっぱいになってしまった。
「ちょ・・・・っ、諒ちゃん?なに?どうしたの?」
いきなり抱きしめてきたオレに、弥生が慌てふためく。
オレは構わず、ぎゅうっと、抱きしめた。
きつく、きつく。
「弥生、弥生、弥生・・・・・・・・」
何度も何度も何度も名前を呼んで、腕に弥生の存在を感じて、ぬくもりを閉じ込めた。
抱きしめながら、くせ毛に触れてその間に指を差し込むと、弥生の香りがした。
ああ、弥生の香りだ・・・・・・
シャンプーなのか何なのかは知らないが、幼い頃並んで昼寝した時も、中高生の時にふざけてひっついた時も、同じ香りがしたのを覚えている。
「諒ちゃん?諒ちゃんってば」
びっくりした様子でオレの体を叩く仕草も、オレを ”諒ちゃん” と呼ぶ声も、
どれを取っても弥生だった。
オレは、弥生を失わずに済んだのか――――――――――――?
本当に?
また夢だった、なんてことはないよな?
まだどこか信じられない思いだが、とにかく、もう、二度と弥生を離してたまるかと、オレは、すべての感情を込めて弥生を抱きしめていた。
・・・・・どれくらい、そうしていただろう。
はじめは戸惑っていた弥生も、次第にオレの抱擁を受け入れ、そのままじっとしていた。
やがて、オレの気持ちも落ち着いてきた頃、オレは弥生の顔も見たくなり、一旦体を離そうとした、その瞬間、
「弥生っ?!大丈夫?!」
大きな物音とともに、扉が勢いよく開かれた。
咄嗟に身を剥がしてオレが振り返ると、そこには、弥生の両親が大きなスーツケースを携えて立っていた。
そしてオレと弥生を見ると、
「なあんだ、二人ともピンピンしてるじゃない・・・・・」
と言った。
「ママ・・・・?旅行はどうしたの?」
どこかピンと来てないように、弥生が訊く。
「そんなの、あなた達が事故に遭ったって聞いたら戻ってくるに決まってるでしょ?!」
「弥生も諒も、ケガはどうなんだ?」
頭のてっぺんから声を出すような弥生のおばさんを遮って、親父さんが尋ねてきた。
「オレは平気。・・・っていうか、オレもさっき目が覚めたとこなんだけど」
「あ!高安さんに諒くんがこっちにいること教えてあげなくちゃ!
病室に諒くんがいないと心配しちゃうわよね」
言うなり、おばさんがパタパタとサンダルを鳴らして出ていった。
するとすぐに廊下がガヤガヤと騒がしくなってきて、
「諒?!あんた大丈夫なの?!」
オレの母親が、同じくスーツケース片手に病室に入ってきた。
「お前、寝てなくて大丈夫なのか?」
続けて父親もスーツケースと共に姿を見せて、一気に弥生の病室が人だかりとなった。
全員は入りきらず、扉は開けっ放しだ。
「大丈夫。まあ、今起きたとこでなんとも言えないけど」
オレが答えると、母親がバシッと背中を叩いてきた。
「もー!心配させちゃって!こんなに元気なら旅行を切り上げなくてよかったんじゃない?」
母の言い草に、弥生のおばさんも同調した。
「ほんとほんと。しかもこの子達ったら、ケガ人だっていうのにラブシーンなんかしちゃってたのよ?」
「え?それ本当?じゃあ、やっとくっついてくれたわけ?」
「そうみたい。あー、これで安心して老後を迎えられるわあ」
「事故って聞いた時はびっくりしたけど、雨降って地固まるかしらねえ」
好き勝手気ままにくっちゃべる母親二人に、オレは腹立たしいやら恥ずかしいやら、いろんな感情が巡ってくる。
だけど・・・・・
この二人がおしゃべりなのはいつものことで、オレは、その変わりない日常の光景に、たまらなくなった。
だってあの夢の中では、いくら連絡を取ろうとしても叶わなかったのだから・・・・・
・・・・・・戻って来られたのだ。
現実の世界に。
家族のもとに。
そして、弥生のそばに・・・・・・・
オレはその喜びを噛み締め、ダイレクトに感じていた。
生きていて、よかったと。
弥生も、オレも―――――――――――――――――――
「それでは高安さん、どこも異常ありませんので、手続きを終えたら退院してくださって結構ですよ」
「先生、この度はいろいろとありがとうございました。ほら、諒も」
「お世話になりました」
オレがぎこちない会釈をすると、医師は白衣をなびかせて病室から出ていった。
するとそれを追うように、母親も扉に向かった。
「じゃあ私は看護師さん達にもご挨拶してくるから、あんたははやく着替えちゃいなさい」
残されたオレは、言われなくても着替えますよ・・・と心中で言い返しながら、テレビが設置された棚にしまわれていた着替えを取り出した。
この一式は、オレが事故に遭った際に着用していたものだ。
トラックの下敷きになったと聞いたが、この服を見る限りでは、そんな痕跡はどこにもない。
あの日、久しぶりに弥生と会うはずだったオレは、少しだけ、洋服にも気を遣っていたのを思い出した。
お気に入りの一万円くらいしたブランドもののTシャツと、デニムパンツ。
値段相応で、何度洗濯してもヨレたりしなかったのだが、まさかトラックに轢かれても無傷だとは・・・・。
そんな感想をもちながらデニムパンツに足を通したオレは、後ろポケットに何かが入ってることに気が付いた。
「これ・・・・・・・・・・・・・」
オレと弥生は退院も同じ日だったので、その日はお祝いをしようと、弥生の家に全員が集まることになった。
準備は親達がすべてしてくれるというので、オレと弥生は、二人であの浜辺に来ていた。
夕方の心地よい風が吹いている浜辺は、やはりオレ達以外は誰もいなくて、
そんな中オレと弥生は、波打ち際を歩いていた。
手をつなぎながら。
あの後、親達が帰ってからこっそり弥生の病室で会ったオレ達は、いろいろ答え合わせをしたのだった。
結論から言うと、
弥生はすべて覚えていた。
すべてというのは、事故に遭ったこと、新庄という男と出会ったこと、オレを死なせないために新庄と賭けをしたこと、もちろん、記憶をなくしている間のことも、何もかもだ。
そしてすべてを覚えている弥生は、オレが知らなかったことも教えてくれたのだった。
弥生が新庄とした賭けは、もうひとつあったのだ。
記憶を奪われた弥生が、オレが ”匂い” の異変に気付く前に自分の記憶を取り戻せたら、弥生の勝ち。
その場合はオレは死なない。
そして、もうひとつ・・・・・・
記憶を奪われた弥生が、記憶をなくしている状態でオレを好きになったら、弥生の勝ち。
この場合は、弥生も死なずに済む。
これが、弥生が新庄と交わしたもうひとつの賭けだった。
記憶を抜かれた弥生は、どうやら病室でオレを紹介された時に、オレに一目惚れをしていたらしい。
要はその時点で、弥生が死なずに済むことは確定していたわけだ。
もちろん、記憶のないその時の弥生には、新庄との賭けなんて頭に残ってはいなかったのだろうけど。
そうそう、弥生が記憶を取り戻すきっかけだが、どうも、あの時浜辺でオレが発したセリフにあったらしい。
『たとえ何度記憶をなくしたって、オレが絶対にそばにいるから、大丈夫だよ』
あの時オレは、取り乱す弥生にそう言った。
そしてそのセリフが、弥生が新庄と賭けをする時に告げたものと、似ていたんだそうだ。
『ずいぶんとご自信がおありなんですね。記憶のないあなたが、高安さまを好きになる保証なんてないのでは?』
『Time after time よ』
『なんです?それは。まじないか何かですか?』
『違うわ。Time after time たとえ何度忘れても、私は絶対に諒ちゃんを好きになるから、大丈夫なの』
臆面なく、弥生はその時の会話を教えてくれた。
オレはそれを嬉しいと思う反面、一時でも弥生と新庄の関係に不安になった自分が、情けな過ぎて、どうしようもなく感じたのだった。
「でも、あの歌詞をクサイとか言ってバカにしてた諒ちゃんが、まさかおとぎ話みたいなロマンチックなことをやってのけるなんてねー・・・・・」
「うるさいな。もう忘れろよ」
「嫌よ、もったいない。王子様がキスでお姫様の眠りを覚ますなんて、やっぱり王道よねー・・・・」
「誰がお姫様だよ」
「それを言うなら、誰が王子様だよ、でしょ?」
あの日以来、事あるごとに弥生はこの話を持ち出していた。
その度に気恥ずかしさに逃げ出したくなるオレだが、弥生のこんなに嬉しそうな顔は見ていて飽きないので、まあ、よしとする。
「私ね、将来子供ができたらこの話してあげるんだー」
そう言ってつないだ手をブン・・とおおきく回す弥生。
だが、ふと、真顔になった。
「ねえ、諒ちゃん?」
「んー?」
「あれって、夢だったのかなあ・・・・・・・?」
「・・・・・弥生は、どう思うんだよ?」
「んー・・・・・・」
海の方を見やりながら、考え込む弥生。
オレ達は、新庄が言うところの ”夢の中” での出来事のをまったく同じように覚えていた。
けれど目が覚めてみたら、
それまで自分がいたのは本当に ”夢の中” で、
あの出来事は ”夢の中” での話に過ぎないのかもしれないと、
そういう認識に落ち着きかけてきた。
たまたま、オレ達は同時に事故に遭って、
同じ病院に運ばれて、
同じように意識不明になって、
まったく同じ夢を見た。
多少無理はあるけれど、現実的に考えれば、それが妥当だとも思う。
実際それは、あの日答え合わせをしたオレと弥生の共通認識となった。・・・・・はずだった。
というのも、弥生がやっぱり腑に落ちないと言い出したからである。
オレは数日の入院期間中、何度も弥生に
「あれは夢だったのかもしれないし、現実だったのかもしれない、それでいいじゃん。
・・・・曖昧は、尊いものらしいからな・・・・・」
と諭していたのだが、弥生はどうにも不服そうにしていた。
「私、やっぱりあれがただの夢だったとは思えないんだもん・・・・・・」
「だから、”もん” なんて言うなよな」
懐かしい会話に、心が和む。
オレは、「そこまで言うなら仕方ないな・・・・」と、デニムパンツの後ろポケットから、一枚の紙片を取り出した。
「・・・・・・・?」
手をつないだまま、弥生がオレの手にしたものを見つめてくる。
そして・・・・・・・・・・・
「あ――――――――――――――――――っ!!」
大きな叫び声を上げた。
「オレもさっき退院する時に着替えて、はじめて気が付いたんだよ」
そう言って、弥生にそれを渡す。
「じゃあやっぱり・・・・・・・・・・・」
「うん、そういうことだな・・・・・・・」
オレ達二人は、顔を見合わせて、微笑んだ。
紙片には、
”コンサルタント 新庄 晃”
の文字が、記されていたのだった。
(了)