私の最期
―黒の視界が赤に変わった。
恐る恐る目を開けてみると、私はベッドの上に仰向けに寝かされていた。それもふかふかのベッドである。私は状況が全く掴めず、とりあえずここがどこなのかを把握しようと辺りを見回した。白地に黄色い花柄の壁、黄緑のカーテン、上にはシャンデリアもあった。ここは正蔵か社長の部屋なのだろうか…あの後、倒れた私を家に運んでくれたのだろうか?そう思いかけ、ベッドの横に立てかけてあった写真を見て私は驚いた。
「え…」
その写真に写っていたのは、大きなランドセルを背負った雅史の写真であった。
「なんで、だってまだ雅史は小学校に入学するような年じゃ…」
まだ、四歳の雅史はランドセルを背負うはずがない…そもそもランドセルなんてまだ買っていない…
もしかしたら、私は二年間程目覚めずに、ずっと意識不明だったのではないか?
恐ろしい考えが頭をめぐり、私は思わず両手で顔を覆った。
「………?」
顔に当たった手は弾力が無く、カサカサしていた。ゆっくり手を顔から離して見てみる…目に映った私の手は皺くちゃの老人の手であった。
―まさか
体を起こそうとした瞬間、私は急にむせってしまった。咳が止まらない…
私はもといた時代に戻ってきてしまったのだろうか…
あまりにも絶望過ぎて私はしばらく、うつ伏せになってしまった。せっかくこれからだという所まで来たというのに…妻は?息子は?私の会社は?あの後どうなったのだ?
唯一の救いは、息子が六歳になった写真がこの時代にあるということであった。三年前のあの日…私がポケットに入れておいた写真は息子の三歳の誕生日に取った写真であり、それが私が持っていた家族の写真の中で一番新しい写真だったはずだ。本来、妻と別れたのは息子が三歳だった時だった。
では、私は結果的に過去に行っていたあの三年間で未来を変えることに成功したということなのだろうか…
その時、部屋のドアが開いて、足音が聞こえてきた。
うつ伏せ状態から仰向けに戻った瞬間に私は再び胸が苦しくなり、咳き込んでしまった。
「あなた…」
年老いた女の声が聞こえてきて私はもしやと思い、首を少し持ち上げて声のする方を見た。
「えっ…恵美子…なのか?」
「どうしたのです?私に決まっているじゃありませんか…」
優しく微笑むその老婆の顔にはうっすらであるが、あの美しい恵美子の面影があるように思えた。
恵美子の隣には、四十代だと思われる男とそれより少し若い女がいた。
「まっ雅史…」
「父さん…体の具合…大丈夫ですか…しっかりしてください」
雅史だと思われるその男は私の元に近寄り、私の手を取った。
「私はだい…」
『大丈夫だ』と言おうとした瞬間、私はまた咳こんでしまった。咳が治まっても、息をする度に、ゼーゼー言って息苦しい。
「苦しいのですか…」
妻も私の元に歩み寄り、私の手を握った。
「…あ…あ…」
声が出なかった。妻に聞きたいことが沢山あるのにそれが聞けない…息子に話したいことがあるのにもう伝わらない…
そうか…私は思った。私は死に際に『一人で死ぬなんて嫌だ』と思い、妻と子に看取られて死にたいと思った。その強い願いが通じたのか、私は過去に戻って未来を変えた。
そして、死に際に妻と息子に看取られて死ぬことができる程に未来が変わった途端に、私は元の時代に戻った…ということなのではないか?
私は何だか急に気持ちが楽になった…もう孤独死なんてしないと考えると嬉しく思えた。
おまけに、私の人生はホームレスなどという負け犬の生活ではなく、一企業の社長という勝ち組の生活に変わったということなので、私はとても嬉しく思った。現にこんなに綺麗な部屋のある家に住んでいるわけだし…
嬉しさのあまり、私の乾いた目に涙という潤いが与えられた。すると、妻と息子が握っている左手ではなく、右手を誰かに掴まれた。きっと、さっき見た、息子より若干若めの女だろうと思った。視界が涙のせいで、歪んでいてよく見えなかったが、きっとこの女性は私の娘だろう…私の人生は捨てたものでは無かった…
すると、だんだん呼吸が出来なくなり、私は無言のまま瞼を閉じた。
三人の叫び声が聞こえた。
「あなた!」
「父さん!」
「おじさん!」
最後に聞こえた言葉の意味を考える前に私は息を引き取った。
物語はまだ終わっていません(/・ω・)/




