おい、冗談きついぜ。
「…? なんの騒ぎだ?」
ざわざわ、ざわざわ、とクラスの生徒ほとんどが噂話を繰り広げている。九龍が校舎に入ってから、このクラスだけでなく他のクラスも何らかの噂話が持ち切りになっていることに疑問を抱いていた。
「よし。出席とるぞ。」
チャイムが鳴ると、それに合わせたかのようにメッシュの入った髪が特徴的な担任が入室する。
その顔に、九龍はいつものそれとは大きく異なると察する。彼女の表情は普段のような気だるげさは鳴りを潜め、代わりに真剣味が帯びていた。
「…お前らにも、一応伝えとく。今朝、バスの事故があってな。ウチのクラスにも、怪我人が一人出た。」
「「「ええー!?」」」
クラスじゅうにざわめきが広がる。それに前後して、とっくにホームルームが始まっているのにも関わらず、未だに一つだけ空いた席、整理整頓が全くされていない机に視線が集まる。
「幸い、死者はいない。怪我人はいたが、重症って訳じゃない。放課後、わたしも見舞いに行こうと思っている。一緒に来たいコは、後で言ってくれ。」
報告を終えると、帳簿を開き出席をとる。名前を呼ぶ声とその返事が繰り返されるなか、廊下側の席に座る九龍は、ひっそりと先程の報告の内容への考察を深めていた。
「バスの事故だって…?」
机に突っ伏していた身体をばっと起こして、朝方で完調でない脳を全力で回転させる。無論、彼が今慮っている対象は、このクラスの人間などではない。
「まさか、な。」
事故という言葉を聞いた当初は、最悪の事態を想定していたが、死者は出ていないという情報で、ひとまずは胸を撫で下ろしていた。
「なんでこんなクソ暑いところで?」
「俺だって嫌だよ。肌弱いんだぞ。でも他に人が立ち寄らない場所がないんだから、仕方ないだろ。」
愚痴を零すミシェルを窘めながら、九龍は折り畳みの傘を日傘代わりに差しながら、ため息混じりに答える。
「確かに、この時期にノコノコ屋上に来るなんて自殺願望を疑いますよね。…ごくごく」
ペットボトルを傾けながら、同意する琥珀。一方のミシェルは愚痴を垂れ流すことをやめない。
「また生徒会室借りられなかったのかよ~?」
「ありゃ偶々だっての。いつも借りられるわけないだろ。」
「…まあ、仕方ないとはいえ、暑いですね。」
微かに汗ばんだ琥珀が自分の着ている紺色のベストをつまみ、ぱたぱたと煽りながら空気を取り込む様を流し目で見ていると、ふとした疑問が九龍の口から突いて出る。
「そんなに暑ければ着てこなきゃいいんじゃ?」
そう呟くと、琥珀は視線を床に向けて落とす。気恥ずかしさ、ではない別の意味が有りそうな、と考察しかけた頭をはたくはミシェルの平手。
「バッカ、そのままだとちょっと透けちゃうだろ。それくらい気がつけバカ。」
「二度もバカって言うな。」
「じゃあスケベ。どうせ乳ガン見してたんだろいやらしい。」
「ぶっとばすぞ幼児体型。」
「殴るぞクソ白髪」
いつものようにどつき合いを始めるふたり。それを「まあまあ」と諫めながら、琥珀は元気そうな両者を見て胸を撫で下ろす。
「…とりあえず、お二方が無事なようで何よりです。」
昼休みに入り、学校の中庭にて三人の生徒が弁当を囲う。彼らは、今朝起こった内容について話し合っていた。
「琥珀ちゃん、大丈夫だった? 今朝早く登校してたって言ってたから、ちょっと心配だったけど。」
「──はい。少し前で起こったようで、巻き込まれずには済みましたけど…。」
言葉に微かに重みが乗る。もしも、を想像して、この場に居ることへの安心感が滲み出ていた。琥珀のやや沈みぎみの面持ちを伺いつつ、咳払いの後尋ねる。
「…琥珀ちゃん、念のため確認するよ。朝、バスがトラックにぶつかったんだよね。それ、だいたい七時半過ぎ、だったわけだよね?」
「…はい。七時三十二分、私の後ろで、です。その時、携帯の時間も見てますから、確実です。」
「……なるほど。クロウ、確かボクらがアラームを聞き付けたのって、朝のニュース番組をやってた時間だったよね?」
記憶の糸を手繰る。流し見ではあったものの、日常の光景ともなれば概ね正確に把握できた。
「ああ。朝の七時半の時報の後。今日の天気予報の時間頃だ。」
「…ほぼ、同じ時間か。偶然と片付けるには、ちょっと出来すぎだよね。」
徐に懐から取り出す。それはふたりがあちら側で見つけた、唯一の収穫であった。
「そう言えば、それ、なんなの? 制服の帽子っぽいけど?」
「これか? ウチの近所に住んでるおじさんのものだ。バスの、運転手でな。」
「…待ってください。それって、つまり…。」
その先を言葉にすることを琥珀は躊躇う。その場にいる三人、全員が同じ想像を脳裏に浮かべていた。
「多分、な。今日の早朝会ったときには元気だったんだが……。」
「クロウ……」
沈み込む空気にその場にいる者達は息苦しさを覚える。それを打破せんと、弱々しくも挙手をする琥珀。
「その、確証はないんですけど。いいですか?」
「お願い、琥珀ちゃん。君が一応、目撃者だから。どんな細かいことでもいい。」
深呼吸をして、息を整える。その面持ちは重く、つられてふたりも唾を呑み込む。
「その、事故現場で<ヤオヨロズ>に反応があったんです。今まで聞いたことのないような、すごいアラームみたいな。」
……それを聞いたふたりは息を呑んだ。一瞬の間に、ちょうどほぼ同じ時刻に起きた出来事を思い返していた。
「ちょっと待ってくれ。何に、反応したんだ?」
「それは、ちょっと。すぐに消えちゃって。でも、その先に有るものは、覚えています。」
「有るものは、って。何が? バスの中か?」
「…違います。事故の現場を写真に撮る野次馬の中に、一人だけ。夏場なのに、まるで顔を隠すみたいに、フード被ってるのが。」
ふと、照りつける太陽に目をやる。記憶の位とを手繰り、今日の天気予報の最高気温を思い返し、琥珀の言う格好を自分と重ねると、その違和感にそろって眉をひそめる。
「変でしょう? 多分、先輩みたいに肌が弱いワケじゃないです。スカート、短かったですし。」
「…待って、琥珀ちゃん。スカート、ってことは、そいつは女だよね。顔はわかったの?」
「そこまでは。でもその人。これと、同じのを履いていたんです。」
そう言って、自分の履いている制服のスカートの裾をつかむ。嫌な想像が脳内を駆け巡れば、初夏の暑さを忘れかけるような背筋の冷たさが襲い来る。
「……おい、冗談きついぜ。まさかとは思うが、同じ学校の中に、その変なのがいるってのか?」
琥珀は自信なさげにしつつも、しっかりと頷く。九龍もミシェルも、これを予想をしていなかった訳ではなかった。ただ、そうではあってほしくはなかったという期待が微かに抱いていた。
それが断たれたとわかれば、自然と顔が俯いてしまう。勢い付きある蝉時雨だけがこの重々しい空気の間を流れていた。




