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ヤオヨロズ──中道録  作者: 隼理史幸
信頼という木と、恨みという根
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言ってはいけないことだってある。

「……はあっ、はあっ。」


 いけない、と彼女は後悔を覚える。無茶な上に速効性など見込めることではなかったという事実に思い至るまでが、あまりにも遅かった。


「───バカか、あたしは!!」


 息を絶え絶えにして、たまたま近場にあった防火戸にもたれ掛かり、響き渡らないように自制しつつ慟哭する。


 昔から、それこそ今より半分の歳ほど前から、思い込みが激しく感情のままに突っ走る、とよく言われていたことを思い出し、その度に自己嫌悪ぎみに陥る、という事が半ばパターン化していた。


 胡桃自身も、少なからず自らの習性を自覚しつつもそれを制御できず、こうして冷たい壁に熱した頭を擦り付けることしかできない腑甲斐無さにため息が漏れる。


「………ホント、バカだよね。」


 額から分厚い鉄の防火戸から冷たさを取り入れつつ、誰に聞かせる訳でもなくそう呟いた。


 先程まで頭をもたげていた腹の肉のことなどすっかり抜け落ち、代わりに彼女が今朝から腫瘍のように残り続けていた考え事が冷えた思考回路に浮き上がってくる。


「……ッたく、気持ち悪い。」


 難しい事、複雑な事を考える度に熱が上がる気がしていた。自分の脳味噌は大層な出来ではない。それこそ、例の天才少女になど比べるまでもなかった。


 それ故の嫉妬か、或いは別の要因か。仏味胡桃はミシェル・M・雨傘の事が気に食わない。


 今まで自身が出会った人間のなかでも、飛び抜けて嫌う相手。出会えば衝突が生じるしかない、天敵。思い返すだけでその幼顔が憎たらしく歪んで浮かんでくるので、それ以上の思考を停止させるために頭を振るう。


 頬を叩き気を取り直した胡桃は、教室に出戻ろうと踵を返し、ふと明かりの灯った部屋を見つける。徐に近付き、部屋の名を示したプレートを見ると、露骨に眉をひそめる。


「やべ、生徒会室じゃん。そーっとしないと。」


 自分とは縁遠い、真面目な人物が集う一室。それがこの生徒会室に抱いているイメージであった。関り合いを持たないように、その場を抜き足差し足で去ろうとする。


 そこで、ふいに今朝の出来事が思い返される。胡桃がバスを寝過ごした際、わざわざ遅刻の危険を犯して付き添った、真面目そうなフリをした生徒会長の顔が思い起こされる。


「……考えてみたら、お礼、言いそびれちゃった。」


 本来ならば付き合う必要のない、無用の苦労をしたお人好し。しかし、一言だけでも彼に言うべき事がある。そう考えたとたん、足取りは変わって、中の様子を伺う。


「いる、かな……? よく見えないや、もう少し………」


 ドアの隙間を覗き込もうとし、次は部屋から漏れる音を聞こうと試みる。実のところ、胡桃の目的はノックして訪ねることで容易に達成できるものであり、本人もそれは理解している。


 しかし、わざわざ異性を呼び出すという行為はともすれば誤解を生みかねないと想像すれば、頬が熱しとても実行できるものではなかった。


 食い入るように五感を研ぎ澄ませて、生徒会室の様子の把握に努めていると、ふいに閉ざされた扉が開かれる。


 扉が開いたことによる驚きで彼女の心臓が跳ね、中から現れた人物を目にし、それが予想外な存在であると瞬時に理解すれば、今度は背筋に冷気が駆け巡る。


「───げっ。」

「────げっ!」


 嫌なやつに出くわした、という表情をする。片や生徒会室から出てきた彼女らへの不審を。片や目の前の相手が聞き耳を立てていたことに対する怪訝さを、それぞれに醸し出していた。


「……なんで、アンタがここに居んのよ。雨傘。」


 疑問を口にせずにはいられない。それは向かい合う形に立つ浅葱色の髪の少女も同様だった。この二人の間に重々しい空気が流れ込む。


「……」

「……」


 しばし沈黙が場を呑む。互いに互いがその双眼を見つめている。胡桃にとって自身より背の丈が低い彼女が向ける眼差しは、とても不快に思えるものだった。


(……ミシェル・M・雨傘。いつまで経っても、こいつの目は好きになれない。見下ろしてるのはあたしなのに、こいつはあたしよりずっと高いところから見下してる。)


 歯噛みして、見上げるミシェルの目を疎ましく思い、徐に視点をそらす。彼の天才を前にするだけで様々なマイナスの感情が渦巻き強烈な敵愾心が湧き立たせる。


 その結果、この二人の間柄にはまともな会話が成立しない、ただの罵詈雑言をぶつけ合うドッジボールだけが残る、という事がパターン化しているのが現状だった。


 一方のミシェルはそんなことをつゆとも知らず、ただ生徒会室の扉のドアノブに手をかけたまま、相手の一挙一動を淡々と観察していた。


(このギャル公、私を眺めてなんのつもりだ。それよか、今の話を聞いていたのか、そいつが重要だ。カマかけてみるか?)


 一瞬、まだ室内にいた連れたちに目配せすると、わざとらしく溜め息ひとつ吐くと、先に口火を切る。


「……こんなとこに何の用?」


 苛立っているような、或いは鬱陶しがるような口振りに、胡桃も眉を吊り上げて答える。


「───あんたには関係ない事よ。」

「そう? ここ、教室からは遠回りだから気になってね。」

「あんたこそ、生徒会室で何してたのよ?」


 喧嘩腰のまま言葉の応酬が繰り返される。部屋の中でその様子を眺めている九龍ははらはらとした様子で、二人の関係性を詳しく知らない琥珀は刺々しいミシェルの態度に困惑した様子であった。


「答えてあげてもいいけど、そっちが何でこんなとこ彷徨いてたのか答えてくれたら教えるけど?」

「なにそれ。たまたまよ、たまたま。」

「──はっ、嘘くさっ。」

「何よ、嘘ついてどうなるってのよ。」

「んじゃ、当ててあげようか? そうだなぁ。……最近腹周りが気になってる、とか?」

「─────!!!」


 まるで雷が落ちたかのように、衝撃を受けてしまう胡桃。反射的にお腹を押さえるその態度に、ミシェルは隙を見逃さずマウントを取るように追い討ちをかける。


「あれ、図星? マジでデブっちゃったか。同情するよ、興味ないけど。」


 ミシェルによって油は投げ入れられた。そこまで言ったところで九龍が動く。これ以上やり取りを傍観すれば爆発は免れないと判断し、二人の間に割って入った。


「ストップだ、二人とも。」

「……なに? クロウはジャマしないでくれる?」


 刺々しい目を割って入った邪魔者にも容赦なく向けるミシェル。横目に見えるその鋭さは胡桃の肩を跳ねさせるには十分であった。しかし、それに一歩も譲らずに毅然とした態度で答える九龍。


「黙れ。これ以上ヒートアップさせるな。言ってはいけない事だってある。」


 そう言いながら、有無を言わさずミシェルを下げさせる。当然、彼女は唇を尖らせて不満の様子を隠そうともしない。彼は風呂敷に包まれた空の弁当箱をぶらぶらとちらつかせて胡桃に説明する。


「俺達は見ての通り、ここを間借りして昼飯だ。勿論許しは得ている。これで文句ないな?」


 厄介払いでもするかのような態度で手を振って応対する九龍。「言われなくとも」と忌々しげにその場を後にしようとする彼女へ、軽い咳払いの後に、今度は優しく囁くような声で、そっぽを向きながら言い放つ。


「……会長に用だろ? なら放課後に会いに行け。」

「───えっ?」


 よもや聞き間違えか、と思わず振り返る胡桃だったが、待ち受けていたのはやはり城を衛る番兵のような、毅然とした態度のアルビノの少年だった。


「ほら、とっとと行きな。これ以上火種を燃やされても困る。」


 二度は言わない。そう汲み取った胡桃は追及はせず、足早にその場を去る。後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから、九龍は溜め込んでいた息を思い切り吐き出すのであった。


「ったく、とことん貧乏くじだな、俺は。」


 頭をぽりぽりと掻きながら、彼は自嘲ぎみにそう呟いた。

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