野良猫・・・でしょうか?
あの事件…<ヤオヨロズ>の機能解放に伴う騒動…からゆうに十日は経ち、いつものように夜明け前の早朝の、静まり返る商店街にスニーカーの足音が響く。
ただ普段と違うのは、ひとつの足音が今日はふたつ、ほぼ同時に重なり合い、あたかもひとつの足音のように聞こえることであった。
「───昨日も聞いたけど、そっちも大変だったんだな。」
「・・・はい。こうして、先輩と話してるのが不思議なくらいは。」
キュッ、キュッ、と運動靴特有のゴムの音に、動きやすいジャージに身を包み、並んで走る若い男女の会話が被さる。アルビノの男の方…名を青柳九龍という…はポケットから携帯端末を取り出し、昨日から今日にかけてのニュースにさっと目を通す。
「───だーめだ。一切載ってない。それこそ不思議なくらい、欠片程も。」
はあっ、と溜め息を漏らす九龍。隣で並走する紫苑色のショートカットの髪を揺らす少女…守凪琥珀はそれを聞き、やや目を伏して言う。
「やっぱり、ですか。痕跡、なかなか見つけられませんね。」
昨日、帰宅した彼ら三人はチャット上でディスカッションを行い、今自分達に置かれていた状況を整理をしていた。
「確か、ミシェルちゃんが言うには、アプリを広めていたサイトも何らかのプロテクトが掛けられて、アクセスが出来ないんでしたっけ?」
「そう。おかげで調べる事も出来ない。あのアプリも、ユーザー間でしか起動も利用も出来ないみたいだし、ネット上の掲示板ではガセネタ扱いが関の山ってオチだ。」
ですよね、と残念そうに肩を落とす琥珀。現実に目にした光景は嘘ではないと確信しつつも、証明できないことに歯痒さを覚える。
「まったく、あの化け物の事もだが、説明されてもよくわからないのってのが正直なとこだなぁ。」
「あの化け物、九龍先輩風に言えば禍津神に変貌したあれに敗北した場合、あの世界では喰われて消滅、でしたけど、現実ではどんな影響が及ぼされるのかというのは、私にもなんとも。」
「ああ。あんまり、想像したくはないが・・・」
「はい、そう、でし─────ふぁあああ。」
言葉の途中で大きな欠伸をする琥珀。余程眠たいのか、瞬きの回数がやけに多いのが気がかりで、九龍も心配して声をかける。
「目がショボショボだぞ。夜更かし・・・じゃなさそうだな。」
「ええ、はい。その、あの事がなかなか頭から離れなくて。」
「まあ、わかるよ。俺も正直、あの日の翌日は暗い場所で寝るのがちょっと怖かったくらいだ。こんなの、小学生の時、オバケの話聞いて眠れなかった時以来だ。」
ふと、その場を和ませるように言った自分語りに、一転して思わずクスリ、と笑う琥珀に、発言した本人が意味をその笑みの意図を掴み兼ね首を傾げる。
「・・・? 何かおかしなこと言ったか、俺?」
「いえ、その、ちょっと以外で。先輩は物怖じしないタイプだと思ってたから。そういう、かわいらしいエピソードもあったんですね。」
「・・・そういうの、わりと普通だと思うけど?」
少しだけ顔をそっぽ向けながら、ぶっきらぼうに言う九龍が面白く思ったのか、琥珀は「へぇー」とさも意味ありげな言い方をして、もう少しだけからかうように訊く。
「えー、そうですか? オバケは怖いですけど、さすがに眠れなくなっちゃう程のものではないかと?」
「そういうモンだって。悪いことしたら、ナントカさんがやって来て、お前を拐って行っちゃうぞ、とか。あるだろう、色々と。」
「ええ。まあ確かに、それなら覚えがあります。なんて言うんでしたっけ、ソレ? 総称があった筈なんですけど。」
そんな風に会話を続ける内、ふたりは自分達が通う高等学校の前に差し掛かる。まだ登校時間には遠く、部活動の朝練習とおぼしき人影もまだ存在しない。
「───なんでしょう、アレ?」
そこへふと、琥珀の視界に何かが入る。シルエットのようなものが学校の裏口にあるフェンスを駆け上がり、そのまま茂みの中に消えていった。
「───見ました、九龍先輩?」
「いや、ハッキリとは。」
九龍は首を横に振る。謎のそれはいやに俊敏で、彼女が目で捉えたのもほんの数秒間にすぎなかったが、それでもその存在には違和感を拭えなかった。
「野良猫・・・でしょうか? にしては大柄すぎる気もしますが・・・。」
可愛らしく小首を傾げる琥珀。が、それとは対照的に俯き加減になり口をつぐみ出す九龍。
「・・・? どうしました? 急に黙り込んで。」
「えっ、その・・・ネコ、だったの?」
「?? いえ、確定では無いですが。」
それを聞いて、ふぅ、と胸を撫で下ろす九龍。ちらりと琥珀が顔を覗けば、先程まではかいていなかった汗が額に満ち満ちて滴り落ちていた。
「・・・あの、先輩。つかぬことをお聞きして、よろしいですか?」
「何故に古風な言い方で? まあ、いいよ。」
許可を得たところで、こほん、と琥珀は軽く咳払いをしてから、あらためて質問を投げ掛ける。
「・・・もしかして、猫に何やらトラウマが有るのですか?」
「どうして、そう思う?」
「いえ、野良猫って言葉を聞いた途端、肩が思いっきり跳ねたのを見たもので。おまけに口数も極端に減ったのも。あと声が随分うわずっていたのも。」
「───そこまで露骨だったか?」
問いに対し深々と頭を縦に振る。一度思いきり肩を落として溜め息を深く吐き、それから九龍は後輩の質問に答えることとした。
「いや、深い理由はないよ。ただ、子供の頃。それこそ赤ん坊の頃に、野良猫に襲われかけてな。そのせいかわからんが、生きてる猫はどうも───」
「あっ、すみません。聞くべきじゃありませんでしたか?」
「いや、気に病むコトじゃないって。猫モチーフのキャラクターとかは平気なんだが、テレビとかでふいに『この猫可愛い』とかいう話題になると、鳥肌が止まらなくなるのはあるな。」
ははは、と九龍は軽く流すも、笑い声は乾き気味で、眼の動きも不自然で、額の冷や汗の量はほとんど減ってはいない。
そんな様を見て琥珀は二秒ほど考え込むと、頭の上で豆電球が光るようなひらめきを得て、彼の手を軽く握り言う。
「では、お詫びとして。今度何処かで野良猫と遭遇したら、わたしが御守り致しますよ。」
「・・・そいつは有り難い。」
ニッコリと、春の朝日のような、ほがらかな表情で言う琥珀を前にし、彼女につられて微笑む九龍。先程の冷や汗は、既に何処かへと消えてしまっていた。




