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TRPG 『偽りの星』  作者: 伊阪証


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第二部「オペレーション・オーバーロード」

首に掛けた手を、最後まで締めなかった。

だから、子供は生きていた。

そして何故か、

自分もまだ生きていた。

目を覚ました場所は病院だった。

白い天井。

消毒薬の臭い。

規則正しく減っていく酸素。

窓の外は暗いのではない。

黒い。

夜空も、道路も、海もない。

硝子の向こうには、病院の外側そのものが残っていなかった。

ここから出る場所はない。

新しい空気も入ってこない。

一秒でも長く生き延びようとした結果、

五人の人間が病院へ残された。

医者が一人。

患者が二人。

あの子供の兄が一人。

そして、殺人犯の女が一人。

五人が息をするたび、

五人分の酸素が減っていく。

誰かが死ねば、

残った者はその分だけ長く生きられる。

外に世界がなくなった病院で、

治療は命を救う行為ではなく、

死ぬ順番を遅らせる行為へ変わった。

第二部

《オペレーション・オーバーロード》

KP「主人公は、消毒薬の臭いで目を覚ましました。」

KP「最初に見えたのは白い天井です。蛍光灯は点いていましたが、光は弱く、一定の間隔で僅かに明滅しています。身体を起こそうとすると、胸から脇腹へ痛みが走りました。」

KP「右腕には点滴の管が繋がれ、額には包帯が巻かれています。脚も動きますが、左足首は固定され、体重を掛けられる状態ではありません。」

KP「記憶を遡ると、最後に見たのは道路でした。」

KP「高架が下から砕かれ、車体が傾き、前輪の先から路面が消えた。ブレーキを踏むより先に車ごと落下し、窓の外で道路と空と黒い海が何度も入れ替わった。」

KP「そこから先は覚えていません。」

PL「おのれポピー許さんぞ殺してやるぞオリバー。」

KP「長身だから悪夢見せる方か結石で悪夢見てる方かで変わる。」

PL「落ちたのは間違いない。車ごと高架から落下して、それでも生きて病院へ運ばれたのか。」

KP「主人公は手足を確かめ、次に包帯と点滴を見ます。自分で這って来たわけではありません。意識を失っている間に誰かが発見し、ここまで運び、治療を行っています。」

KP「ベッドの脇には、脱がされた衣服と、事故の際に身に着けていた物が袋へまとめられていました。財布、車の鍵、壊れた携帯電話。子供へ掛けていた毛布だけはありません。」

KP「主人公はそこで、子供のことを思い出しました。」

KP「身体を起こし、周囲を見渡します。同じ病室に子供の姿はありません。隣のベッドには誰も寝ておらず、廊下からも声は聞こえませんでした。」

KP「窓へ目を向けます。」

KP「外は暗いのではありません。」

KP「黒い。」

KP「街灯が消えているわけでも、夜になっているわけでもありません。窓硝子の向こうには建物も地面も空もなく、光を当てても何も返さない黒だけが、硝子のすぐ外まで満ちています。」

KP「主人公はベッドを降りようとしましたが、床へ足を着けた瞬間に眩暈が起こりました。壁には酸素濃度を示す計器が取り付けられ、数値の横へ赤い警告灯が点いています。」

KP「病室の扉には、内側から目張りが施されていました。隙間にはテープが何重にも貼られ、換気口には別の管が接続されています。」

PL「病院の外がなくなっていて、残っている空気だけで生きているのか。」

KP「主人公は呼吸を整えます。空気はあります。しかし、新しく入ってくる空気ではありません。機械で循環させ、濾過し、病院の内部へ残った酸素を少しずつ使っています。」

KP「高架から落ちた後、自分は死ななかった。」

KP「誰かに救われ、治療され、この病院の中で生き延びている。」

KP「そして、この場所から外へ出ることは出来ません。」

KP「主人公がそこまで把握したところで、廊下の向こうから足音が近付いてきました。」

KP「足音の主は、白衣を着た男でした。」

KP「袖口には乾いた血が付き、胸ポケットには何本ものペンと、小さな酸素濃度計が差し込まれています。主人公が起き上がっているのを見ると、男は声を上げず、先に病室の扉を閉めました。目張りの端を指で押さえ、隙間が開いていないことを確かめてからベッドへ近付きます。」

医者「意識は明瞭ですね。名前と、最後に覚えている場所を言えますか?」

KP「主人公が答えると、医者は瞳孔を確認し、頭部の包帯を外さずに傷の周囲へ触れました。続いて胸部と腹部を押し、左足首の固定具を確かめます。」

主人公「高架から車ごと落ちた。そこからは覚えていない。」

医者「肋骨にひびが二本、左足首の捻挫、頭部の裂傷です。内臓の損傷は見つかりませんでした。落下した高さを考えれば、幸運だったでは済まない状態ですが、今すぐ命に関わる傷ではありません。」

KP「医者は点滴の残量を見てから、袋へまとめられた所持品を示しました。」

医者「車は大破しています。ただ、荷物の大半は回収出来ました。食料、水、衣類、工具、医薬品、それから工場で集めた機材とボンベもあります。あなたが持ち込んだ物のおかげで、ここに残された資源にはかなり余裕が出来ました。」

主人公「なら、しばらくは持つのか?」

医者「酸素以外は。」

KP「医者は壁の計器へ目を向けました。酸素濃度を示す数値は、警告灯のすぐ上で僅かずつ下がっています。」

医者「食料が増えても、呼吸の回数は減りません。水も薬も余りましたが、外から新しい空気を取り込めない以上、生存時間が大きく延びるわけではありません。」

主人公「子供は?」

医者「生きています。別室で眠っています。あなたより軽傷でした。」

KP「主人公はそこで身体から力を抜きました。医者はその反応を見ても何も言わず、診察に使った器具を布で拭います。」

医者「現在、この病院に残っている者について説明します。」

KP「一人は、あなたが連れていた子供です。」

KP「もう一人の患者も子供でした。近くに拠点を置いていた宗教団体が、生贄として監禁していたそうです。栄養状態が悪く、手首と足首に拘束痕が残っています。」

KP「その子供の兄も、ここにいます。」

医者「兄は、あなたが会った廃校にいたわけではありません。宗教団体の施設へ入り、監禁されていた者たちを解放した人間です。」

KP「兄が一人で行ったのではありません。同行していたのは女が一人。既に五人を殺害し、死刑判決を受けていた人物でした。」

主人公「何で死刑囚と一緒にいる?」

医者「兄が連れ出しました。宗教団体の人間を前にしても、躊躇せず殺してくれると考えたそうです。実際、女は期待された通りに動きました。」

KP「医者は善悪を評する調子では話しませんでした。既に起きたことを、診療記録と同じ順序で並べています。」

医者「兄と女が施設へ入り、拘束されていた者たちを解放した。その後、外の崩壊が進み、ここへ逃げ込みました。女も現在は病院内にいます。拘束する余裕はありませんが、刃物と薬品には触れさせていません。」

主人公「医者一人で、全員を診ているのか?」

医者「今は。」

KP「男の顔色は主人公より悪く見えました。目の下には濃い隈があり、指先は器具を置いた後もしばらく震えています。」

医者「この病院には、外で起きた現象について集められた資料がありました。患者の記録、宗教団体から運ばれた文書、通信設備に残っていた断片、あなたの車から回収した端末。読めるものには全て目を通しました。」

医者「月だったもの、消失した星、大気の減少、外部を満たす黒い領域。内容を理解した時、一度はまともに考えられなくなりました。」

KP「医者は一度口を閉じ、浅く息を吸いました。吸い過ぎないよう、途中で止めています。」

医者「それでも、発狂している間にも酸素は減ります。薬を使い、記録を書き直し、理解出来る事実だけを分けました。そうして作業へ戻りました。」

主人公「何を調べていた?」

医者「酸素を使わずに生存する技術です。」

KP「医者は病室の外へ視線を向けました。」

医者「資料の中に、人間の身体を現在とは別の方法で維持する処置が記されていました。呼吸と循環をそのまま代替するものではありません。身体を作り替え、酸素を必要とする仕組みそのものを減らす手術です。」

主人公「再現出来るのか?」

医者「出来ていません。」

KP「返答には迷いがありませんでした。」

医者「志願者が二人いました。どちらにも、このまま酸素が尽きるのを待つか、成功する保証のない手術を受けるか説明しました。二人とも手術を選び、二人とも死亡しました。」

KP「病室の奥にある空のベッドが、二つ並んでいました。シーツは交換されていましたが、床には拭き取れなかった血が細く残っています。」

医者「一人目で不足していたものを確認し、二人目では手順を修正しました。それでも駄目でした。資料の一部が欠けているのか、人間の設備では再現出来ないのか、それとも記録された手術自体が人間用ではないのか。まだ判断出来ません。」

主人公「それでも続けるつもりか?」

医者「酸素は待ってくれません。」

KP「医者は壁の計器を見ました。」

医者「三人目を死なせれば、失敗が一つ増えるだけかもしれない。しかし何もしなければ、ここにいる全員が順番に窒息します。」

KP「軽い診察は終わっていました。」

KP「主人公の傷は治る見込みがある。食料も水も増えた。子供も生きている。」

KP「それでも、この病院には新しい酸素が一秒分も増えていませんでした。」

KP「主人公は、殺人犯の女がいる病室へ向かいました。」

KP「個室ではありません。元は処置室だったらしく、壁際には使われなくなった器具棚が並び、中央へ簡易ベッドが一台置かれています。刃物や薬品になりそうなものは全て運び出され、扉の外には椅子だけが残されていました。」

KP「女はベッドへ腰掛け、壁にもたれています。手錠も拘束具もありません。しかし逃げる場所も、奪える車も、外へ続く道もないため、監視する意味自体が薄れていました。」

主人公「少し聞きたいことがある。」

KP「女は顔を上げませんでした。」

主人公「死刑囚だったのは本当か?」

女「医者から聞いたなら、それでいいだろ。」

KP「声は低く、眠気を引きずっているようでした。怒っているわけでも、警戒しているわけでもありません。質問へ答えることそのものを面倒に感じているように、視線を床へ落としたまま動きません。」

主人公「どうして宗教団体の施設にいた?」

女「長い。」

主人公「説明がか?」

女「話すのが。」

KP「それ以上は返ってきませんでした。」

KP「主人公は一度処置室を出て、湾岸長島で回収した食品を持って戻りました。菓子、缶詰、乾燥肉、個包装のパン。残された時間を考えれば保存期間に意味はありませんが、酸素と違い、食料にはまだ選べるほどの余裕があります。」

KP「女の前へ幾つか並べると、ようやく視線が動きました。」

女「全部くれるのか?」

主人公「話した分だけ返せとは言わない。食いたいものを選べ。」

KP「女は乾燥肉の袋を取り、包装を指で確かめてから開きました。一口食べても表情は変わりません。しかし二口目を噛み終える頃には、先ほどより僅かに姿勢が起きています。」

主人公「宗教団体との関係を聞きたい。」

女「関係なんてない。向こうが引き取っただけだ。」

主人公「死刑囚を?」

女「処刑するために。」

KP「女は乾燥肉をもう一つ口へ入れ、時間を掛けて噛みました。」

女「刑務所と、あの宗教団体が癒着していた。正式な刑の執行として処理するより、向こうへ渡した方が都合のいい人間がいたんだろ。あいつらは生贄を欲しがっていたし、刑務所側は死刑囚を一人減らせる。」

主人公「つまり、処刑の代わりに生贄として引き渡された。」

女「そういうこと。」

KP「女は缶詰にも手を伸ばしましたが、開ける道具を探す気力はないらしく、主人公の方へ差し出しました。主人公が工具で蓋を開けて返すと、女は礼も言わずに中身を食べ始めます。」

主人公「五人を殺したというのも本当か?」

女「本当。」

主人公「否定しないんだな。」

女「否定して何になる。」

KP「返答に迷いはありませんでした。」

女「五人は、警察が確認出来た人数だ。私が殺したと証明出来て、裁判へ出せた分だけ。」

主人公「実際にはもっといる?」

女「いる。」

KP「人数を尋ねても、女は答えませんでした。思い出せないのか、数える必要を感じていないのか、それとも言うつもりがないのかは分かりません。」

主人公「宗教団体の人間を殺したのも、その続きか?」

女「頼まれたから殺した。」

主人公「子供の兄に?」

女「監禁されている人間を出したいと言われた。中にいる連中を見逃したら、また捕まえるとも言われた。だから邪魔する奴は殺した。それだけ。」

KP「正当化する調子ではありません。救出した子供たちを守ったとも、宗教団体が悪だったとも言いませんでした。頼まれたことと、自分が殺したことだけを切り分けています。」

主人公「殺すことに躊躇はなかった?」

女「今更、そこを聞くのか。」

KP「女は缶詰の中身を食べ終え、空になった容器を床へ置きました。」

女「死刑になるまで殺して、処刑するために引き渡されて、それでもまだ生きている。躊躇する人間に見えるなら、見る目がない。」

KP「主人公はそこで質問を止めました。」

KP「会話が途切れると、女は再び壁へ背を預けます。食料を受け取ったことで多少は話しましたが、人と関わりたいわけではありません。目の前にあるものを食べ、呼吸を減らし、次の質問が来るまで黙っているだけでした。」

主人公「名前は?」

KP「女は暫く返事をしませんでした。」

KP「その質問だけは、これまでと違って聞こえなかったふりをすることも出来たはずです。それでも女は目を閉じたまま、ゆっくりと答えました。」

シャマルダル「シャマルダル、それが私の名前だ。生まれの場所にファミリーネームは無いから、これだけでも覚えておいて。」

KP「主人公は、その名前を聞き返しませんでした。」

KP「五人以上を殺した女。」

KP「死刑囚として宗教団体へ引き渡され、生贄として処刑されるはずだった女。」

KP「監禁されていた子供たちを解放するため、求められた通りに人を殺した女。」

KP「その全てより先に、彼女は自分の名前だけを覚えておくよう求めました。」

KP「主人公は、食べ終えた容器を片付けながら、窓の外を指しました。」

主人公「何が起きているのか、何か知っているか?」

シャマルダル「全く分からない。」

KP「シャマルダルは即答しました。誤魔化している様子も、相手の反応を試している様子もありません。黒く塞がれた窓へ一度だけ目を向けましたが、そこから何かを読み取ろうとはしませんでした。」

主人公「宗教団体と関わっていたなら、外にいるものについても多少は知っているんじゃないのか?」

シャマルダル「多少は知っている。でも、知っているものが今も同じ形で動いているとは限らない。」

主人公「敵もいるのか?」

シャマルダル「いた。」

KP「過去形で答えた後、シャマルダルは個包装の菓子を一つ取り、袋を開けずに指先で弄びました。」

シャマルダル「私の敵に当たるものも、今は苦しんでいるらしい。敵だから苦しんで当然だとは思わない。あれが苦しむ状況なら、こちらが無事で済むはずもないから。」

KP「ここでクトゥルフ神話技能を振ることが出来ます。」

ダイス「クトゥルフ神話技能。」

KP「判定の成否にかかわらず、シャマルダルは質問へ答えます。ただし、何を尋ねても明かす範囲を大きく変えることはありません。」

主人公「敵というのは、何だ?」

シャマルダル「クトゥルフと敵対するもの。」

主人公「それ以上は?」

シャマルダル「話しても役に立たない。」

主人公「こちらで判断する。」

シャマルダル「判断するための前提が足りない。私も全部を知っているわけじゃない。半端に話したら、間違ったものを敵だと思うだけだ。」

KP「食料を渡し、問い方を変え、今ここに残された情報が必要だと説明しても、シャマルダルは『クトゥルフとの敵対』より先をほとんど話しませんでした。」

KP「拒絶する口調は弱く、秘密を守り抜こうと力んでもいません。口に出すこと自体へ疲れているようでした。」

主人公「知っている者は、他にいるのか?」

シャマルダル「イオニアスと、カラ。」

主人公「仲間か?」

シャマルダル「友人。」

KP「その二人の名前を口にした時だけ、シャマルダルの指が止まりました。弄んでいた菓子の袋へ爪が食い込み、包装の端が小さく裂けます。」

主人公「二人はどこにいる?」

シャマルダル「もういない。」

KP「死んだのか、別の場所へ去ったのか。それを尋ねても、シャマルダルは首を横へ振るだけでした。」

シャマルダル「イオニアスは、最後まで自分の考えを変えなかった。カラは、それでも私を行かせた。二人がいたから、私はここまで来た。」

主人公「何をするために?」

シャマルダル「役目を果たすために。」

主人公「果たせたのか?」

KP「シャマルダルは答えませんでした。」

KP「開けかけた菓子を膝へ置き、両手を重ねます。先ほどまで一定だった呼吸が僅かに崩れ、言葉を出す前に二度、浅く息を吸いました。」

シャマルダル「分からない。」

KP「その声は、これまでで最も小さなものでした。」

シャマルダル「二人はもういない。私は死刑になって、処刑の代わりに生贄へ回されて、それでも死なずにここへいる。」

シャマルダル「役目を果たしたから生き残ったのか。何も出来なかったから、まだ終われていないのか。それすら分からない。」

主人公「二人がいれば、答えが分かったのか?」

シャマルダル「少なくとも、私一人で決めなくて済んだ。」

KP「シャマルダルは裂けた包装から菓子を取り出しましたが、口へ運びませんでした。」

シャマルダル「イオニアスにも、カラにも、もう確認出来ない。私が間違えたとしても叱る人間はいないし、正しかったとしても、それを知っている人間はいない。」

KP「彼女はクトゥルフと敵対する何かを知っています。しかし、それが現在の崩壊へどう関係しているのか、自分が何を成し遂げたのかについては、主人公へ隠しているのではなく、本人にも答えが残っていませんでした。」

KP「次に主人公は、子供の兄がいる病室を訪ねました。」

KP「兄はベッドの脇へ椅子を寄せ、眠っている弟の手を握っています。弟の手首には、宗教団体に拘束されていた痕が残っていました。扉が開くと兄は顔を上げ、主人公の包帯と固定された足を見てから、深く頭を下げます。」

兄「弟を保護してくれて、ありがとうございました。あの状況で一緒に連れてきてくれなかったら、もう会えなかったと思います。」

主人公「礼を言われるほどのことはしていない。途中で見つけて、車に乗せただけだ。」

兄「それでも、置いていかなかった。」

KP「兄は眠っている弟へ視線を戻しました。握った手を確かめるように、親指で指の付け根を何度も撫でています。」

主人公「宗教団体に監禁される前、弟とは一緒に暮らしていたのか?」

兄「家を出るまでは。」

主人公「家出していた?」

兄「俺が先に逃げました。弟も連れていくつもりでした。」

KP「兄はしばらく言葉を止めました。弟の手を握る力が強まり、眠っている指が僅かに曲がります。それに気付くと、慌てて力を緩めました。」

兄「親が、変なものを飼っていたんです。」

主人公「動物か?」

兄「動物だと言い張っていました。」

KP「兄は窓のない壁を見ます。そこへ当時の家が残っているように、視線だけを固定しました。」

兄「見た目は人間でした。中年の男です。服も着ていたし、髪もあった。けれど、檻の中で四つん這いになって、床へ置かれた餌を口だけで食べていた。」

兄「腕や脚の曲がり方がおかしくて、身体のところどころが擦り切れていました。言葉を話そうとすると親が怒るから、声も出さなくなった。見ていられない姿だったのに、親も近所の人間も、誰もおかしいとは言いませんでした。」

主人公「弟は、それを見ていたのか?」

兄「毎日。」

KP「兄は一度、目を閉じました。」

兄「親は、あれを家族だと言ったり、神から預かったものだと言ったり、その日の気分で説明を変えました。俺は何度も通報しようとした。でも、家の中では誰も変だと言わないから、俺の方が間違っているように思えてきた。」

兄「それでも、弟だけは逃がさないといけないと思った。」

KP「兄は弟の手を持ち上げ、掌と指を目で確かめます。」

兄「夜中に弟を起こして、手を引いて家を出ました。後ろから親の声がして、あの男の声も聞こえた。走っている間、弟の手を握っているつもりでした。」

主人公「つもりだった?」

兄「途中で分かったんです。握っていたものが冷た過ぎた。指の数も合っていなかった。」

KP「兄の喉が動きました。続きを話すまでに、何度か息を整えます。」

兄「弟の手じゃなかった。」

兄「何を握っていたのかは分かりません。振り返れば分かったはずです。でも、振り返ったら、後ろにいるものを見ることになる。弟がいないと分かることも、別のものが付いてきていると分かることも怖かった。」

兄「だから、そのまま走りました。」

主人公「弟を置いてきたことに気付いていたのか?」

兄「気付いていました。」

KP「兄は答えた直後、顔を伏せました。」

兄「気付いていたのに、確認しなかった。戻らなかった。何年も、あれは仕方がなかったと思うことにしていました。俺も子供だった。怖かった。戻れば殺されていたかもしれない。そうやって理由を並べて、弟がどうなったかを調べなかった。」

兄「その結果、弟は宗教団体に捕まって、生贄として閉じ込められていた。」

KP「兄は弟の手へ額を押し当てました。」

兄「因果応報なんだと思います。見なかったことにしたから、今度は見たくないものまで全部見せられた。」

主人公「弟を解放したのは、あなたなんだろ。」

兄「もっと早く出来た。」

主人公「今、ここにいる。」

兄「世界がなくなった後に間に合って、何になるんですか。」

KP「弟は眠ったままです。兄の声が震えても目を覚まさず、握られた手だけが毛布の上へ出ています。」

兄「家の連中も、弟を監禁していた宗教団体も、世界が終わる話ばかりしていました。終わりが来た時に救われるとか、選ばれた者だけが残るとか、死んだ後に完成するとか。」

KP「兄は弟を抱き起こしました。点滴の管を引かないよう腕を回し、眠った身体を胸元へ寄せます。」

兄「どうして宗教はどこも終わりがある前提で話すんだろうな。考えても、終わりなんか分かって気持ちのいいものでもないのに。」

KP「言い終える前に声が崩れました。」

KP「兄は眠っている弟を抱きしめ、肩へ顔を伏せて泣きます。弟が目を覚ますまで謝るつもりなのか、目を覚まさない間にしか泣けないのかは分かりませんでした。」

KP「今度は弟の手を間違えないよう、兄はその指を自分の掌の中へ収めていました。」

KP「病院の電気は、まだ生きています。」

KP「廊下には一定の間隔で蛍光灯が点き、病室の表示灯や酸素濃度計も動いていました。しかし、窓から入る光はありません。照明の届かない場所はすぐに黒へ沈み、病棟全体が、深夜の面会時間を過ぎた後のように静まり返っています。」

KP「医者によれば、時刻の上ではもう朝らしい。」

KP「ただし、それを確かめる方法はありませんでした。」

KP「壁に掛けられた電波時計は、針を止めたものと、同じ時刻を繰り返し示すものに分かれています。通信設備も外部の時刻情報を受信出来ず、病院内の時計は少しずつずれ始めていました。」

KP「窓の外を見ても、朝か夜かは分かりません。」

KP「そこにあるのは暗闇ではなく、光を返さない黒いものです。空も地面も見えず、窓硝子の向こうを隙間なく塞いでいます。」

KP「しかし、その黒にも変化が起きていました。」

KP「最初に異変へ気付いたのは、窓際に残っていた僅かな歪みです。昨日までは液体か、柔らかな肉のように表面がゆっくり動いていました。照明を近付ければ、内部へ鈍い波が伝わり、硝子へ押し付けられた部分が遅れて形を変えていた。」

KP「今は動きません。」

KP「黒い表面には細かなひびが入り、濡れていた光沢も失われつつあります。窓枠へ接している箇所から灰色に変わり、石か焼けた陶器のような硬い質感へ変化していました。」

主人公「固まり始めているのか?」

医者「そのように見えます。昨日、器具を押し当てた時には表面が沈みました。今朝は傷すら付きませんでした。」

KP「医者は窓際へ近付かず、少し離れた場所から状態を確認しています。」

医者「石化と呼んでいいかは分かりません。乾燥しているのか、死んで硬化しているのか、別の形へ変わっているのか。それを調べるために窓を開けることも出来ません。」

KP「黒いものが固まれば、病院を覆う壁になるかもしれません。」

KP「同時に、換気口や扉の外側まで完全に塞ぎ、残された空気を閉じ込める蓋にもなります。」

KP「窓の端から、小さな亀裂が一本伸びました。」

KP「音は硝子の外で止まり、病室には届きません。それでも亀裂はゆっくりと枝分かれし、黒い表面の奥へ広がっていきます。」

KP「病院の中では蛍光灯が点き、患者が眠り、医者が計器の数字を書き留めています。」

KP「外が朝を迎えたのかは、誰にも分かりませんでした。」

KP「ただ、病院を包んだ黒いものだけが、時間の代わりに少しずつ固まり続けていました。」

PL「闇医者ってそういう?」

KP「ダークサイドであって日陰者とは違うぞ。」





KP「患者として残っている二人は、どちらも子供でした。」

KP「一人は主人公が車へ乗せた子供。もう一人は、宗教団体の施設から解放された子供です。二人とも外傷は少ないものの、低酸素状態が長く続いたため、直前の記憶が曖昧になっていました。」

KP「同じ病室へ入れられ、ベッドを並べて寝ています。起きている時間は短く、話している途中で眠ったり、同じ内容を何度も尋ねたりします。それでも主人公が椅子を置くと、二人は自分の知っていることを話そうとしました。」

主人公「覚えている範囲でいい。無理に思い出さなくていいからな。」

子供「車に乗ってた。」

KP「主人公が連れてきた子供は、毛布を顎まで引き上げたまま答えました。」

子供「お弁当をいっぱい食べた。あと、工場に大きい機械があって、抱っこしてもらった。」

主人公「そこまでは合ってる。」

子供「空が綺麗だった。でも星がなかった。」

KP「子供はそこで眉を寄せます。何かを続けようとしましたが、言葉が出ないまま、窓の方角へ目を向けました。」

子供「お父さんとお母さんは、後から来るって言ってた?」

主人公「そう言っていたんだな。」

子供「言ってた気がする。でも、誰が言ったのか分からなくなってきた。」

KP「主人公は訂正しませんでした。子供自身が覚えていた言葉と、後から信じようとした言葉が混ざり始めています。」

KP「もう一人の子供は、兄から離れたベッドへ横になっていました。手首の拘束痕を包帯で隠し、主人公と視線が合うと、先に口を開きます。」

もう一人の子供「白い部屋にいた。」

主人公「宗教団体の施設か?」

もう一人の子供「多分。でも、病院も白いから、どっちか分からない。」

KP「子供は天井を見上げました。」

もう一人の子供「毎日、同じ歌が聞こえた。朝になると歌って、夜にも歌ってた。でも、朝と夜の見分け方は教えてくれなかった。」

主人公「誰かと一緒にいた?」

もう一人の子供「いたと思う。隣から壁を叩く音がしてた。こっちも叩いたら、向こうも二回返した。」

主人公「その人の顔は?」

もう一人の子供「見てない。」

KP「返答した後、子供は指先でベッドの柵を二度叩きました。」

KP「向かいのベッドにいる子供が、それを聞いて一度だけ柵を叩き返します。」

もう一人の子供「一回だ。」

子供「二回だった?」

もう一人の子供「二回なら、まだいるって意味。」

KP「最初の子供は、今度は二回叩きました。」

KP「宗教団体に監禁されていた子供も二回返します。それだけで二人は少し安心したように、毛布の中へ身体を沈めました。」

主人公「他に覚えていることは?」

もう一人の子供「ご飯が甘かった。」

主人公「甘い?」

もう一人の子供「白いのに甘かった。毎日同じだったから、途中から食べるのが嫌になった。でも今は、もう一回食べたい。」

子供「お弁当ならあるよ。いっぱいある。」

もう一人の子供「肉、入ってる?」

子供「入ってる。私が食べたのは全部おいしかった。」

主人公「全部食ったからな。」

KP「主人公が言うと、最初の子供は少しだけ笑いました。」

KP「二人はその後も、断片的な記憶を話しました。梯子を上ったこと。誰かが遠くで叫んでいたこと。赤い服を着た人間が扉を開けたこと。機械の音が急に止まったこと。どれも順序が曖昧で、誰の記憶なのか途中から混ざり始めます。」

子供「外が元に戻ったら、工場をもう一回見たい。」

もう一人の子供「私は海を見たい。ちゃんとした海。」

子供「海は黒かったよ。」

もう一人の子供「じゃあ、黒くない海。」

KP「二人は、外が元に戻るかどうかを主人公へ尋ねませんでした。」

KP「戻ることを疑っていないのか、答えを聞くのが怖いのかは分かりません。」

KP「話し疲れた子供たちは、ベッドの柵をそれぞれ二度叩き、互いの返事を確かめてから目を閉じました。」

KP「病室には、短い会話だけが残ります。」

KP「どちらの記憶も不完全でしたが、二人は忘れたことを埋めるより、隣に誰かいることを確かめる方を選んでいました。」

KP「先に訂正します。患者二人は、現時点では話しかけても会話出来る状態ではありません。意識が戻ることはありますが、呼び掛けへ反応せず、医者も安静を優先しています。」

PL「了解。なら、二人から情報を取るのは無理か。」

KP「少なくとも今は。」

PL「プレイヤーとしては、シャマルダルはそこまで危険じゃないと思ってる。殺人を隠してないし、この状況で騙して得られるものも少ない。ただ、キャラクターが同じように信用するのはおかしいから、警戒は続ける。」

KP「主人公から見れば、確認されただけでも五人を殺した死刑囚です。」

PL「でも、どうせ全員死ぬ可能性が高い。だったら距離を置き続けるより、少し関係を作っておく。頼みたいこともある。」

KP「主人公は再び、シャマルダルのいる処置室へ向かいます。」

KP「シャマルダルは前と同じように壁へ背を預けていました。主人公が持ってきた食品の袋を見ると、一度だけ目を向けましたが、手を伸ばしません。」

シャマルダル「今度は何を聞く。」

主人公「質問じゃない。頼みがある。」

シャマルダル「医者に頼め。」

主人公「医者には出来ないことだ。」

KP「シャマルダルはそこで顔を上げました。声の調子は変わりませんが、主人公が座るまで視線を外しません。」

主人公「外で何が起きているか分からない。俺が高架から落ちて生きていた理由も分からない。病院の外を覆っているものも、月から落ちた液体も、人間をどう変えるか分からない。」

シャマルダル「それで?」

主人公「俺が人間ではないものへ変わって、それでも妙に生き残ろうとしていたら、殺してくれ。」

KP「シャマルダルは返事をしませんでした。」

主人公「呼吸が止まっても動く。身体が別のものになっても、自分のつもりで話す。そんな状態になった時、医者や子供の兄では迷うかもしれない。」

シャマルダル「私は迷わないと思ったのか。」

主人公「少なくとも、殺せないふりはしない。」

KP「シャマルダルは主人公の顔を見た後、包帯の巻かれた頭、固定された足、点滴の痕へ順に視線を落としました。」

シャマルダル「今すぐ死にたいという話なら断る。」

主人公「違う。人間のまま死ねるうちは、自分で決める。頼んでいるのは、それを決める頭まで失った後だ。」

シャマルダル「何を基準に人間ではないと決める。」

主人公「俺が子供を傷付けようとする。酸素がないのに平然と動く。身体を壊されても戻る。医者が明らかに異常だと判断する。それでも俺が止まらないなら、十分だ。」

シャマルダル「曖昧だな。」

主人公「今の世界に、確実な基準を用意出来ると思うか?」

KP「シャマルダルは膝の上へ手を置き、指を組みました。頼みを面白がる様子も、殺せることを喜ぶ様子もありません。」

シャマルダル「私が先に死ぬかもしれない。」

主人公「その時は頼めない。それだけだ。」

シャマルダル「私が生きていて、あなたが人間ではなくなったと判断したら殺す。それでいいのか。」

主人公「頼む。」

KP「シャマルダルはすぐには頷きませんでした。」

シャマルダル「分かった。ただし、あなたが怖くなっただけでは殺さない。苦しいから終わらせてくれと言っても、それだけではやらない。」

主人公「構わない。」

シャマルダル「本当に別のものになった時だけだ。」

主人公「それでいい。」

KP「約束が成立しても、二人の間から警戒は消えませんでした。」

KP「主人公はシャマルダルが危険ではないと信じたわけではありません。シャマルダルも主人公を友人として扱ったわけではありません。」

KP「ただ、世界が終わった後まで生き残ってしまった時、互いの判断を使えるだけの関係が一つ出来ました。」

シャマルダル「では、こちらからも一つ頼む。」

主人公「何だ?」

シャマルダル「私が役目を果たしたと言い張って、誰かを殺し始めたら止めてくれ。殺すかどうかは任せる。」

主人公「随分と信用されたな。」

シャマルダル「信用していない。あなたも同じだろ。」

KP「主人公は否定しませんでした。」

KP「処置室の外では、酸素濃度計の警告音が一度だけ鳴り、すぐに医者の手で止められました。」

KP「主人公は、シャマルダルが医者に呼ばれて部屋を離れた隙に、彼女の荷物を調べることにしました。」

KP「約束を交わしたからといって、五人以上を殺した死刑囚への疑いが消えたわけではありません。むしろ、異常が起きた時に自分を殺してもらうつもりなら、彼女が何者で、何を隠しているのかは確かめておく必要がありました。」

PL「本人に見つかる前に、手早く調べる。」

KP「判定してください。」

ダイス「目星 成功。」

KP「荷物は少なく、衣類、食料、宗教施設から持ち出したと思われる書類が幾つか。それから、布で何重にも包まれた武器が見つかりました。」

KP「形状と損傷を見る限り、人間を殺すために使われたものです。刃や柄には何度も研ぎ直した痕があり、一度だけではなく、長く使われていたことが分かります。」

KP「しかし、血は付いていません。」

KP「洗浄した形跡も不自然なほど少なく、薬品の臭いも残っていません。布にも染みはなく、血液が付着していたものを後から丁寧に拭いたというより、最初から血が残らなかったように見えました。」

PL「魔術で殺したか、武器自体に血を残さない作用がある?」

KP「可能性はありますが、現時点では断定出来ません。」

KP「書類の中には、シャマルダルの裁判記録もありました。」

KP「五人の殺害。逮捕。起訴。公判。死刑判決。記載されている手続き自体には、目立った異常はありません。弁護人も検察官も存在し、証拠と証言が提出され、通常の刑事裁判として進められています。」

KP「奇妙なのは、その記録へ後から付け足された箇所です。」

KP「本文とは異なる筆跡で、事件現場に残った記号、遺体の状態、シャマルダルが口にしたとされる言葉が追記されています。どれも魔術との関係を疑わせる内容ですが、公判で扱われた記録には存在しません。」

KP「さらに、一部の写真には、元の画像へ別の模様を重ねた痕がありました。殺人事件の資料を調べて魔術の痕跡を発見したのではなく、後から事件全体を魔術と結び付けるよう改ざんした可能性があります。」

PL「裁判そのものは普通だった。死刑が決まった後で、宗教団体に渡す理由を作った?」

KP「そう考えることは出来ます。」

KP「シャマルダルは逮捕された直後から宗教施設へ送られたわけではありません。通常の裁判を受け、死刑判決が確定し、刑務所へ収容された。その後になって、宗教団体との癒着によって生贄として引き渡されています。」

KP「最初から彼女を欲しがっていたのなら、裁判を経ずに消す方法はいくらでもあったはずです。」

KP「それをしなかった。」

KP「死刑囚であることが必要だったのか。裁判記録を成立させてから、その内容を魔術的な事件へ書き換える必要があったのか。それとも、判決が出た後になって初めて、宗教団体がシャマルダルの存在へ気付いたのか。」

KP「資料だけでは理由まで分かりません。」

KP「ただ、宗教団体がシャマルダルを単なる生贄として選んだわけではないことは疑えます。」

PL「五人を殺したから連れていかれたんじゃない。五人を殺した後でも生きていて、死刑になった後でなければならない何かがあった。」

KP「主人公が書類を元の順番へ戻したところで、廊下から足音が聞こえました。」

KP「シャマルダルが戻ってきます。」

KP「主人公は武器を包み直し、荷物を調べた痕跡を出来る限り消しました。」

KP「分かったのは、彼女が殺人犯であることではありません。」

KP「その事実だけなら、本人も既に認めています。」

KP「分からなくなったのは、誰が何のために、彼女の殺人へ魔術の痕跡を後から加えたのかということでした。」

KP「主人公は、元へ戻した荷物の中に一本だけ、気になる武器があったことを思い出しました。」

KP「白と黒だけで構成された長い槍です。装飾による配色ではありません。白い部分と黒い部分が別の素材として噛み合い、一本の武器を形作っています。」

KP「初めて見たはずなのに、見覚えがある。」

KP「主人公は再び包みを開き、槍の取っ手へ目を落としました。」

KP「以前は、これほど全体が見えていませんでした。」

KP「汚れていたというより、ほとんどが人間の体内へのめり込んでいた。傷口から外へ出ていたのは、取っ手の一部だけです。白と黒の境目も血と肉に隠れ、槍だと判別することさえ難しい状態でした。」

KP「主人公は、その遺体を見ています。」

KP「死んだ友人の、そのまた友人。面識が深かったわけではなく、ほとんど他人に近かった人物です。殺人事件として記憶には残っていたものの、その後に起きた出来事が多過ぎて、槍の形までは思い出せずにいました。」

KP「しかし、今は隠れていた全体が目の前にあります。」

PL「あっ、OOS第二部冒頭のアイツか!」

KP「プレイヤーは、過去のシナリオで見た場面と白黒の槍を結び付けます。」

PL「ってことはノーデンスやったのこいつじゃん。」

KP「あ、ココア経由で知っています。ここはプレイヤーだけが得たメタ情報ではありません。主人公自身が、後にその正体を知った事件です。」

KP「高校教師として人間の中へ潜んでいたノーデンスは、この槍に身体を貫かれ、致命傷を負っていました。」

KP「槍の名は、カラヴァッジオ。」

KP「神性の不死性を殺さないこと、傷付けないことを活かし回復を以て貫通し、量子もつれ能力を以て体内に潜り込み、麻酔と麻痺による治療の準備を以て相手を死に至らしめる槍。」

PL「テレポート能力で切断やるみたいな。」

KP「主人公は槍から手を離します。」

KP「シャマルダルは、クトゥルフと敵対する存在について多少の知識を持っていると言いました。しかし、詳しいことは話さず、友人であるイオニアスとカラが既にいないこと、自分が役目を果たせたのか分からないことだけを漏らしています。」

KP「そのシャマルダルの荷物から、ノーデンスへ致命傷を与えた武器が出てきた。」

KP「裁判では通常の殺人事件として五人の死が扱われ、その後で魔術の痕跡を加えるように資料が改ざんされている。死刑が確定してから、宗教団体へ生贄として引き渡された。そして本人は、この槍について何も話していません。」

PL「クトゥルフの敵について知っていて、ノーデンスを落とせる槍を持っている。しかも本人は死刑囚として処理されかけていた。」

PL「シャマルダル、思ってたよりずっと何者か分からないな。」

KP「主人公にも同じ疑問が残ります。」

KP「シャマルダルがノーデンスを刺したのか。」

KP「彼女がこの槍を作ったのか、誰かから受け取ったのか。」

KP「五人以上の殺人と、神性へ致命傷を与えた事件は同じものなのか。」

KP「槍を見つけたことで、過去の事件は一つ繋がりました。」

KP「その代わり、シャマルダルという人間だけが、先ほどまでよりも遠くなりました。」

KP「主人公はその夜、シャマルダルの部屋から聞こえる音を拾い続けました。」

KP「彼女が戻ってきた直後には、ほとんど何も聞こえません。ベッドが軋む音と、食品の包装を開ける音。それから長い沈黙があり、主人公が諦めかけた頃、誰かへ説明するというより、自分の中で事実を並べ直すような声が聞こえ始めます。」

シャマルダル「大洪水でも、こうではなかった。」

KP「声は小さく、眠っている者の寝言より僅かに明瞭な程度でした。」

シャマルダル「クトゥルフに対して攻撃をしたとしても、契約がある。向こうから直接、手は出せなかったはずだ。」

KP「少し間を置き、窓の外を覆う黒いものへ向けたように続けます。」

シャマルダル「別の神性ではない。こんなやり方をする必要がない。これは、呪いの類だ。」

KP「シャマルダル自身にも、現在の状況を説明出来ていないようでした。知っている出来事と照合し、当てはまらないものを一つずつ除外している。しかし、最後に残った『呪い』についても、誰が、何へ掛けたものなのかまでは分かっていません。」

KP「その後も独り言は途切れ、忘れた頃に再開しました。」

シャマルダル「イオニアスなら、何を見落としたと言う。」

シャマルダル「カラなら、まだ動けと言うんだろうな。」

KP「二人の名前は、夜の間に何度も繰り返されました。返事を待っているわけではありません。考えが行き詰まるたび、既にいない友人ならどう判断したかを思い出し、自分の判断を繋ぎ止めようとしていました。」

KP「主人公は、イオニアスとカラという名に覚えがありません。」

KP「ただし、関連しそうな名前を二つだけ知っています。」

KP「以前、主人公が眠り村で騒動を起こした時、ミ=ゴがイス人の裏切り者について触れていました。その中で名前だけが出ていたヴァンジェンス。そして、ミ=ゴの異端であるヴァンキッシュ。」

KP「イオニアスとカラが、その二人と直接関係する保証はありません。しかし、シャマルダルがクトゥルフと敵対する存在を知り、イス人やミ=ゴの異端へ繋がり得る友人を持っていたのなら、名前を出すだけでも反応を得られる可能性があります。」

KP「主人公は、その場で部屋へ入ることはしませんでした。」

KP「盗聴していた事実を悟らせず、後で別の話題からヴァンジェンスとヴァンキッシュの名を出す。シャマルダルが知っているなら、表情か返答のどちらかには変化が出る。」

KP「次に彼女と話す内容が、一つ決まりました。」

PL「ここまで来たから、現時点の考察を整理する。」

KP「どうぞ。」

PL「タイトルを把握していないと出来ない推理だけど、《偽りの星》は、何か元のモチーフがあって、その上に言葉遊びを重ねる型だと思う。」

PL「ただ、OOSの時も言葉遊びへ気付かなくてもシナリオ自体は進められた。だから今回も、タイトルの仕掛けは重要ではあるけど、解けなければ進行不能になる種類ではないはずだ。」

PL「まず《偽り》から、悪阻の『つわり』を取る説。」

KP「《いつわり》の中に《つわり》がある、ということですね。」

PL「そう。でも、それだけだと《星》が何を指すのか分からない。」

PL「星を犠牲にして神話生物を作る、あるいは神話生物を星の犠牲として利用する話なのかもしれない。神性は信仰が消えて弱体化する。でも、神話生物の強さはそれほど落ちない。だから、弱った神性の代わりに神話生物を使って侵略を計画した。その結果が今の争いなんじゃないかと思ってる。」

KP「現時点で確認出来る事実ではなく、タイトルと状況からの仮説です。」

PL「もちろん。ただ、言葉遊びを一個だけ置いて終わるとは思えないから、別の言葉も探す必要がある。」

PL「その一つが第一部の《ハイウェイ・トゥ・フォール》だ。」

PL「元ネタは《ハイウェイ・トゥ・ヘル》だと思う。地獄へ向かう道だったものが、《フォール》へ変わっている。単に高架から落ちるだけじゃなくて、地獄へ落ちるどころか、その地獄すらなくなるという意味じゃないか?」

PL「地球が重力ごと壊れて、落ちた物体が積み重なり、地表を沈下させて圧殺する。月から液体が落ちてきたのも、その方向には合う。」

PL「ただ、落下するのが主人公ではなく、高速道路そのものを指している可能性もある。最初から、道を落とすことを前提にしていたとか。」

KP「第二部のタイトルについては?」

PL「《オペレーション・オーバーロード》。普通ならノルマンディー上陸作戦を含む一連の作戦だけど、今回は《オペレーション》が外科手術にも掛かっている。」

PL「それと、第一部の終了条件も関係している気がする。本来はあのまま走って途中で高架から落ちるか、休憩している時に崩落へ巻き込まれるか、道を外れたタイミングで終了するように決めていたんじゃないか?」

KP「どの時点で第一部を切るつもりだったかについては答えません。」

PL「まあ、そこはそうだろうな。」

PL「KPに質問。OOS前日譚の時に、義一、つまりガタノゾーアの消滅は確認した。でも、消えたのは義一本人でいいのか? 信仰に縛られるなら、ガタノゾーア自体は残るんじゃないか?」

KP「残ります。教団などの信仰基盤が抹消されれば弱体化はしますが、義一が消えたことでガタノゾーアそのものまで消滅したわけではありません。」

PL「ああ、じゃあ、この辺りはあまり当てにするなという感じか。」

KP「何を手掛かりにしていたんですか?」

PL「そもそも、高速道路自体に何かあるのかと思ってた。」

KP「というと?」

PL「地上へ降りられず、生きたまま石化で拘束されているから《高速道路》とか。」

PL「それに石油の材料は、死骸が積み重なって出来たものだろ。高速道路と車を動かしているもの自体が死骸由来なら、星や地球を生贄にする時の材料として繋がるんじゃないか、という感じ。」

KP「現段階では、仮説として記録しておきます。」

PL「今はシャマルダルへヴァンジェンスとヴァンキッシュの名前を出して、反応を見る。」

PL「一旦、兄弟のところへ行く。シャマルダルばかり調べていても仕方ないし、そろそろ病院の方にも動きがありそうだ。」

KP「主人公は盗聴器を回収し、兄弟のいる病室へ向かいます。」

KP「廊下は相変わらず深夜の病棟のように暗く、蛍光灯の下だけが白く浮いていました。時計は止まり、窓の外を覆う黒いものも朝の光を通しません。病院内の時刻は、医者が記録している経過時間でしか判断出来なくなっています。」

KP「病室へ入ると、兄は弟のベッドへ椅子を寄せたまま起きていました。前に訪れた時と姿勢はほとんど変わっていません。弟の手を握り、呼吸と点滴の落ちる間隔を交互に見ています。」

兄「まだ、話せません。」

KP「主人公が尋ねるより先に、兄が答えました。」

兄「目を開けることはある。でも俺を見ているのかも分からない。医者には、無理に呼び掛けるなと言われました。」

主人公「もう一人の子供も同じか?」

兄「同じです。さっき一度だけ身体を動かしたけど、声を掛けても反応しなかった。」

KP「二人の患者は眠っているというより、意識が身体の奥へ沈んでいるようでした。呼吸は続き、脈もあります。しかし、外から届く声や接触へ返せる状態ではありません。」

KP「主人公は弟の顔を確認します。血色は前より僅かに悪く、呼吸の間隔も長くなっていました。」

主人公「酸素のせいか?」

兄「医者は、低酸素だけでは説明出来ないと言っていました。外で吸い込んだものか、宗教団体にされたことが残っているのかもしれないって。」

KP「兄は弟の手を握り直しました。偽物ではないことを確かめるように、指の数と体温を一つずつ確かめています。」

兄「この子が起きたら、最初に何を言えばいいんでしょうね。」

主人公「考えているなら、まだ言う時間はある。」

兄「そう思いたいです。」

KP「その時、病室の照明が一度消えました。」

KP「すぐに非常灯が点きます。廊下の奥から機械の警告音が響き、少し遅れて医者の走る足音が聞こえました。」

KP「窓硝子の向こうでは、固まり始めていた黒いものへ新しい亀裂が走っています。」

KP「石化した表面が崩れたのではありません。」

KP「外側から何かに押され、病院へ向かって僅かに膨らんでいました。」

KP「病室の扉が開き、医者が厚い資料の束を抱えて入ってきました。」

KP「表紙には手術記録、失敗した二例の経過、使用した薬剤と機器、それから原本となった資料の翻訳が綴じられています。医者は主人公へ説明する前に、兄の前へそれを置きました。」

医者「頼まれていたものです。ただし、欠けている箇所も、私の推測で補った箇所もあります。読んだから安全になる資料ではありません。」

兄「分かっています。ありがとうございます。」

KP「兄は弟の手を離さず、空いた手で資料を引き寄せました。最初の数枚へ目を通しただけで、術式の図や死亡時の記録が目に入ったはずですが、表情は変えません。」

主人公「それを読んで、どうするつもりだ?」

兄「医者だけに任せるわけにはいかないでしょう。弟の身体に何をするのか、俺も知っておきたいんです。」

主人公「手術を受けさせるのか?」

兄「このまま何もしなくても酸素はなくなる。だったら、可能性がある方を選びます。」

KP「兄は弟の顔を見て、意識して口元を持ち上げました。」

兄「今度こそ置いていきません。二人で頑張って、二人で生き延びます。外がどうなっていても、弟が起きた時に俺が隣にいれば、まだやり直せる。」

KP「言葉には力がありました。声も震えず、資料を持つ手にも迷いはありません。」

KP「それでも、明るさだけが病室から浮いていました。」

PL「心理学を振る。」

ダイス「心理学 成功。」

KP「成功した主人公には、兄が語った『二人で生き延びる』という言葉が、自分まで助かる未来を信じたものではないと分かります。」

KP「兄が繰り返し見ているのは、手術の成功条件ではありません。最初の志願者がどこで死亡したか。二人目で何を変更し、それでも何が足りなかったか。次の一例を使えば、どこまで手順を完成へ近付けられるか。その箇所ばかりを追っています。」

KP「弟を最初に手術へ出すつもりはありません。」

KP「自分が三人目になるつもりです。」

KP「自分の身体で失敗を一つ減らし、その記録を使って弟の手術を成功させる。兄の言う『二人で頑張る』とは、二人で同じ先へ進むという意味ではありませんでした。」

主人公「先に自分で試させるつもりか。」

KP「兄の指が、紙をめくる途中で止まりました。」

兄「何の話ですか?」

主人公「二人で生き延びたい人間は、死亡した時点の記録ばかり読まない。」

兄「失敗した理由を知らなければ、弟を任せられないでしょう。」

主人公「弟を任せる前に、自分を手術台へ乗せる。その結果で医者に手順を直させるつもりだろ。」

KP「兄は否定しませんでした。」

KP「弟を起こさないよう声を抑えたまま、資料を閉じます。」

兄「二人とも何もしないで死ぬよりはいい。」

主人公「それを二人で生き延びるとは言わない。」

兄「弟には、そう言えます。」

主人公「弟が起きた時、今度は兄がいなくなる。」

兄「俺が生きていて弟が死ぬよりはいい。」

KP「兄は弟の手を包み直しました。指の数を確かめる必要は、もうありません。それでも一本ずつ触れ、自分が今度こそ握り違えていないことを確かめています。」

兄「前は怖くて、弟の手じゃないと分かっても振り返らなかった。今度は分かっています。弟はここにいる。俺が先に手術を受ければ、その結果も弟のために残せる。」

主人公「成功率は、二人死んだ今でも高くない。」

兄「だから、弟を先には出せないんです。」

KP「空元気に見えた情熱は、諦めを隠すためのものではありませんでした。」

KP「兄は本気で弟を生かそうとしています。」

KP「自分が一緒に生きる可能性だけを、既に計算から外していました。」

主人公「成功率が高くないということは、成功した前例自体はあるんだな。それは誰だ?」

KP「主人公が医者へ尋ねると、返ってきた答えは簡単なものでした。」

医者「シャマルダルです。彼女が成功例であり、最初の事例でもあります。」

主人公「それで絞首刑を生き延びたのか。」

医者「死刑は絞首でした。しかし、彼女は死ななかった。刑の執行は既に終了していたため、その後に宗教団体へ確保されました。五人を殺した人間を、そのまま生かしておくべきではないと考えた者もいたのでしょう。」

KP「医者の説明は、それだけでした。」

PL「これ、結構重要じゃないか?」

PL「シャマルダルは宗教団体へ連れていかれる前から、絞首刑を生き延びる状態だった。ということは、少なくとも宗教団体が魔術を使って、あの身体にしたわけではないし、手術をどこかしらで成功させた第三者がいるってことだよな。」

PL「宗教団体は、既にその体であったシャマルダルを後から確保しただけだ。」

KP「医者は兄へ渡した資料を整え、次の説明へ移る準備をしています。」

KP「病院の一角で、突然爆発が起こりました。」

KP「衝撃は建物全体を揺らすほどではありませんでしたが、来客用玄関の方角から低い破裂音が響き、少し遅れて照明が一度だけ瞬きます。」

KP「主人公が向かうと、入口付近に人はいませんでした。」

KP「被害を受けたのは、建物本体から少し外へ張り出した来客用の空間です。外側から加わった圧力に耐え切れず、天井と壁がまとめて内側へ潰れていました。」

KP「玄関扉も歪み、下部に出来た隙間から、窓の外を覆っていたものと同じ液体が一部だけ病院内へ溢れています。」

KP「液体は床へ広がりながらも、完全には流れません。粘り気のある塊を作り、潰れた扉の隙間から少しずつ押し込まれていました。」

PL「瓶へ入れて持っていく。素手では触らない。」

KP「主人公は道具を使って液体の一部を採取し、密閉出来る瓶へ移しました。」

KP「医者のところへ持っていくと、詳しい検査を始めるより先に、医者は瓶を照明へ透かしました。」

医者「これは卵ではありません。」

主人公「見ただけで分かるのか?」

医者「卵なら、外側と内側が分かれているはずです。」

KP「医者は瓶を僅かに傾けます。」

KP「液体の中では、細い管のようなものが形を変えながら漂っていました。その近くには糸状の神経系らしきものが伸び、さらに小さく折り畳まれた組織が幾つも浮いています。」

医者「気管があります。神経系もある。それに、成虫原基らしき組織まで含まれている。」

主人公「成虫原基?」

医者「幼体が成虫へ変わる際、後から身体の一部になる組織です。これは一つの殻に守られた卵ではない。成虫になるための部品を、液体の中へ分散させている。」

KP「医者は瓶を置き、病院の外を覆う黒いものへ視線を向けました。」

医者「この星そのものを利用して、成虫になるつもりなのかもしれません。」

主人公「星を使う?」

医者「本来なら月の中で変化していく生物だったものが、今は地上へ降り注いでいる。月の中で行うはずだった過程を、地表全体で続けようとしているのなら、この液体が広がることにも意味がある。」

KP「液体は既に地上を覆っています。」

KP「病院の入口まで到達し、圧壊した扉から内部へ入り始めました。今はまだ上層階と屋上が残っていますが、外側の液体が増え続ければ、そこもじきに沈みます。」

主人公「仮に手術が成功しても、外へ出る場所がない。」

KP「医者は答えず、瓶の中をもう一度見ました。」

KP「気管、神経系、成虫原基。それぞれが独立して浮いているように見えて、液体の中では細く繋がっています。」

KP「医者は瓶を机へ戻しました。」

医者「これなら焼き尽くせる。」

KP「主人公が顔を上げます。」

医者「それも、連鎖的にだ。」

KP「瓶の中身を確認した医者は、主人公へ一つの依頼をしました。」

医者「シャマルダルに、『ゴヤ』を持っているか聞いてきてください。」

主人公「ゴヤとは何だ?」

医者「今は、あるかどうかだけ確認したい。」

主人公「それを何に使う?」

KP「医者は病院の見取り図を広げ、外壁ではなく、内部を区切る壁へ順番に印を付けていました。」

医者「これから、病院内の壁を少しずつ壊します。」

主人公「液体を焼くためか?」

医者「まだ説明出来る段階ではありません。先に、ゴヤがあるか確認してください。」

KP「医者から伝えられたのは、それだけでした。」

KP「主人公はシャマルダルの部屋へ向かいます。」

KP「彼女は戻した荷物の近くに座り、白黒の槍を布で包み直していました。主人公が入ると手を止めましたが、立ち上がりはしません。」

シャマルダル「何だ。」

主人公「医者から聞いてこいと言われた。」

KP「主人公は彼女の反応を見ながら、その言葉を口にします。」

主人公「ゴヤを持っているか?」

シャマルダル「医者の使いか。」

KP「シャマルダルは主人公の問いへ驚かず、荷物の奥から細長い器具を取り出しました。」

シャマルダル「これだろ。」

KP「形は松明に近いものでした。ただし火を点けている様子はないのに、先端は絶えず青く発光しています。光は揺らがず、周囲へ熱を漏らしている様子もありません。」

主人公「これがゴヤか。」

シャマルダル「近いもので言えば、ギリシア火だ。火力が高いから松明として使える。」

KP「シャマルダルは柄を主人公へ向けます。」

シャマルダル「気を付けろ。爆発もする。」

主人公「使い方は?」

シャマルダル「医者が欲しがったなら、医者に聞け。火を近付けるだけで済むものではない。」

KP「主人公は青く発光する松明を受け取り、そのまま医者のところへ運びました。」

KP「医者はゴヤを確認すると、主人公へ詳しい説明をせず受け取りました。作業を始める前に、しばらく待機するよう伝えます。」

KP「主人公は病室から離れた廊下へ戻り、これまでに得た情報を整理しました。」

KP「外から侵入した液体は卵ではなく、気管や神経系、成虫原基を含んでいた。医者はそれが連続していることを見抜き、ゴヤがあれば連鎖的に焼き尽くせると言った。」

KP「しかし、焼き尽くした後に何が残るのかについては、何も聞いていません。」

KP「地上には既に液体が広がっています。屋上もじきに沈む。仮に外を覆うものを燃やせたとしても、空気が戻るわけではありません。」

KP「重力が緩み、液体や瓦礫が地表へ留まらず、上へ積み重なっていく。その分、火を一度広げれば、接触したものへ続けて燃え移らせやすいことは分かります。」

KP「同時に、医者は病院内の壁を徐々に壊すと話していました。」

KP「外の液体を焼くだけなら、内部の壁を壊す必要はありません。」

KP「火を病院全体へ通すためなのか。外から押し込まれる液体へ一つの経路を作るためなのか。それとも、別の何かを一か所へ集めるためなのか。」

KP「どれも、まだ推測の域を出ません。」

KP「医者は既に、自分自身への手術を終えています。」

KP「それが本当に成功したのかは分かりません。今も動いているというだけでは、酸素が尽きた後まで生きられる証明にはならない。二人の志願者が死亡している以上、再現の成功率そのものも怪しいままです。」

KP「それでも医者は、手術の結果を待つより先に、病院を壊して火を通す準備を進めています。」

KP「主人公には、その順序が引っ掛かりました。」

KP「医者には、単に液体を焼く以上の目的があるのではないか。」

KP「その計画には、シャマルダルを除く者たちの処理まで含まれているのではないか。」

KP「患者二人、兄、主人公、そして医者自身。全員を生かす計画なら、なぜ病院内部まで壊さなければならないのか。」

KP「しかも医者は、自分の目的を一度に話さず、液体を調べ、ゴヤを借り、壁を壊すという手順だけを少しずつ伝えています。」

KP「正面から説明出来ない精神状態なのか。説明すれば協力を得られない理由があるのか。それとも、計画自体がまだ完成していないのか。」

KP「主人公は待機を切り上げました。」

KP「医者へ直接問い詰める前に、ゴヤを渡したシャマルダルへもう一度会う必要があると判断します。」

KP「彼女がゴヤの用途をどこまで知っているのか。」

KP「そして、医者がこれから始めようとしていることを聞いても、同じように黙って渡したのか。」

KP「主人公は再び、シャマルダルの部屋へ向かいました。」



KP「主人公はシャマルダルの部屋へ戻ると、扉を閉めました。」

シャマルダル「今度は何?」

主人公「人を殺す覚悟は、どうやって決める?」

KP「シャマルダルは主人公の顔を見ました。驚くより先に、相手を確かめるように問い返します。」

シャマルダル「誰を殺すの?」

主人公「医者だ。生かす価値はあるが、殺す価値が上回った。」

KP「シャマルダルは理由を尋ねませんでした。主人公がここへ戻ってくるまでに、何を見て、何を疑ったのかを待つように黙っています。」

主人公「その前に聞きたい。どうやってノーデンスを殺したんだ?」

シャマルダル「自信作を使ってね。」

KP「主人公の脳裏に、体内へのめり込んでいた白黒の槍が浮かびます。」

シャマルダル「昔から、そんな感じだった。自分の周囲が盲信している神を殺せば、少しは見向きされるかなって思ってただけ。」

シャマルダル「臆病だから殺した。無知だから殺した。弱いから殺した。」

シャマルダル「君も同じ理由でしょ? 理由のある恐怖に立ち向かって、殺すこと以外を考えられなくなる。」

主人公「自分の命の安全に四の五の言ってられるかって話よ。過去に何があったんだよ、一体。」

シャマルダル「カラとイオニアスって友人がいたけど、目的は自分の手では果たせなかったよ。最後の最後で足りなかった。」

主人公「最後の最後? 結構いけたんだな。」

シャマルダル「ああ。人類史を何度も破滅へ追い込んだ海底の主、クトゥルフを殺せると思ったんだけどな。」

シャマルダル「まさか海底が別の要因で凍結して、辿り着けなくなるとはね。」

主人公「あーあ、そりゃひでぇや。」

KP「シャマルダルは笑いませんでした。果たせなかった目的を悔やむというより、そこへ届かなかった自分を測り直すように、言葉を続けます。」

シャマルダル「僕はカラみたいな勇気や、イオニアスみたいな賢さはない。ただ、殺意を形に出来ただけだ。」

シャマルダル「発明家じゃ政治家になれないし、政治家は発明家になれない。でも、僕がなりたかった賢さは、きっとあれだったんだよ。」

シャマルダル「僕は弱い。一番動いて、一番働けば、こんなにも、百億以上の命を無駄にしなくて済んだ。」

主人公「弱い。まあ、そりゃ仕方ないわな。」

主人公「弱さって何についても目に付く。そうでなくても、嫌でも考えてしまう。後悔がある限り、弱さは決して無視出来ないものさ。」

KP「シャマルダルは否定しませんでした。」

主人公「じゃあ、弱い前提で話をしよう。弱者の価値は簡単だ。」

主人公「もったいぶるぞ。」

KP「主人公が間を置きます。」

シャマルダル「普通に言えよ。」

主人公「弱者つったら、あれだよ。生存すること。」

主人公「生存するからこそ、今までの世界を証明する。」

主人公「戦争で戦って守った結果、本来なら生きられなかった赤ん坊が助かりましたってなったら、嬉しいだろ? あれだよ。」

主人公「今までそこを作ってきた人間が、平和にした結果だよ。平和にしたら、自然とゴミは出てくるものさ。」

KP「シャマルダルはすぐに返事をしませんでした。」

シャマルダル「…ああ、うん。そうだな。そんなもんか。」

KP「視線を落とし、自分の掌を見ます。」

シャマルダル「私は…確かに、そうやって生きていたな。」

主人公「少しは気が晴れた?」

シャマルダル「五人と六人じゃ、量刑は変わらないさ。」

主人公「同じく死刑か?」

シャマルダル「これだから司法は、イオニアスのような男に任せるべきだったんだ。」

シャマルダル「彼がいないだけで、このざまだ。」

PL「まだシャマルダルは連れていかない。医者には一人で会う。」

KP「何を持っていきますか?」

PL「ただの弓。シャマルダルから追加で渡された物だと偽る。ゴヤだけでは足りないらしい、と。」

KP「医者が弓を調べれば、特別な物ではないと分かります。」

PL「調べる余裕があるかを見る。計画に意識が向き過ぎているなら、そのまま受け取るはずだ。」

KP「では、弓を手に医者のいる部屋へ向かいます。」

KP「室内では、壁を壊す順番が病院の見取り図へ書き込まれていました。医者は周囲へ器具を並べ、ゴヤを置く位置と、火を通す経路を何度も確認しています。扉が開いても顔を上げず、入ってきた足音だけで主人公だと判断したようでした。」

主人公「ゴヤだけじゃ足りないらしい。追加でこれも使えと渡された。」

KP「弓を差し出すと、医者はようやく手元から視線を外しました。」

医者「シャマルダルが?」

主人公「ああ。」

KP「医者は弓を受け取ります。」

KP「弦の張りも、材質も、シャマルダルが作った物かどうかも確かめません。片手へ持ったまま、もう一方の手で見取り図の線を追い始めました。」

PL「今だ。弓を持たせて片手を塞いだまま、首へ入る。」

KP「ナイフを抜くなら、攻撃判定です。」

PL「最初から殺すつもりで刺す。声も掛けない。」

ダイス「ナイフ 成功。」

KP「医者の視線は見取り図へ落ちたままでした。」

KP「足音を消して背後へ回り、左腕を肩へ添える。振り向かせるより早く、刃を首へ押し込みました。」

KP「しかし、手応えが浅い。」

KP「皮膚を破った直後、刃先が硬いものへ衝突します。衣服の下へ頸部を覆うアーマーが仕込まれていました。」

PL「戦闘を考えていなかったんじゃないのか。」

KP「襲われる瞬間を警戒してはいませんでした。ただし、襲われた場合に備えた装備は着ています。」

KP「ナイフはアーマーの縁を滑り、首へ僅かに刺さりました。血が流れますが、致命傷には届きません。」

KP「医者は弓を手放しました。」

KP「床へ落ちる音と同時に身体を捻り、主人公の腕を外側へ弾きます。続けて机を押し倒し、二人の間へ器具と資料を散乱させました。」

PL「追う。ここで離したら次は警戒される。」

KP「倒れた机を越えるなら、医者の反撃を受ける可能性があります。」

PL「いや、待て。」

KP「行動を変えますか?」

PL「変える。こいつは戦闘そのものを想定していなかったのに、首を守る装備だけは着ていた。なら、ここで無理に距離を詰めると他にも何かある。」

PL「逃げ道だけ見る。シャマルダルはまだ呼ばない。」

KP「医者は首へ手を当てながら、部屋の奥へ下がります。傷を確認した後も、こちらへ襲い掛かる様子はありません。」

KP「ただし、入口ではなく、病院内部へ続く通路を選びました。」

PL「逃げたというより、予定していた場所へ向かっている?」

KP「そこまでは分かりません。医者は主人公から距離を取りながら、廊下の奥へ移動しています。」

PL「なら追い立てる。ここでシャマルダルを出したら、医者は二人をまとめて警戒する。」

PL「確実に仕留められる場所まで待つ。逃げ道が減って、アーマーの隙間を狙える場所まで追う。」

KP「主人公はすぐには追いませんでした。」

KP「床へ落ちた弓を跨ぎ、散らばった資料越しに医者の背中を見送ります。失敗した不意打ちを繰り返すのではなく、次の一撃を外せない場所へ移すために。」

KP「首から落ちた血が、廊下へ点々と続いていました。」

主人公「別れの言葉は早めに言い始めることだ。」

KP「そう問いながら一歩下がります。右手のナイフは首へ向けたまま、左腕は身体の陰へ隠れています。」

PL「ダーツランチャーの射線は外さない。これは最初から決めていた動きだ。」

KP「医者には、距離を取って追撃を躊躇したように見えます。」

PL「殺す前に計画を聞き出さないといけない。だから傷は半端に留めてある。闘争心だけを削り、反撃より会話を選ばせる。」

KP「首の傷から流れた血が襟へ染み込み、床へ一滴ずつ落ちています。致命傷ではありませんが、放置すれば失血は続きます。」

PL「反応を見分ける。大義で動いているなら、完全に黙るか、既に手遅れだと全部明かすか、こちらを勧誘する。個人の計画なら、失敗したと悟って話し出すはずだ。」

KP「医者は傷口を押さえながら、ナイフの切っ先を見ています。呼吸は速いものの、まだ言葉はありません。」

PL「落ち着く時間は与えない。ただし、会話出来なくなるほど追い込まない。」

KP「返答を待つ間にも血は流れ続けます。指へ込めた力が僅かに弱まり、そのたびに新しい赤が手首へ伝いました。」

PL「まだ黙るなら、第三の武器を出す。」

KP「黒い液体を入れ、ゴム栓をした試験管ですね。」

PL「そう。量は試験管一本分だけ。SANを削って判断を狂わせるが、会話不能になるところまでは壊さない。」

KP「左手を外套へ差し入れます。ダーツランチャーは腕の内側へ隠したまま、指先だけで試験管を抜き取りました。」

KP「ガラスの底へ貼り付いた黒い液体の中で、細い気管と神経系が絡み、成虫原基らしき組織がゆっくりと形を変えています。」

PL「医者から中身が見える角度へ掲げる。ナイフの狙いも、ランチャーの射線も外さない。」

KP「医者の視線が試験管へ移ります。」

KP「外を覆い、病院を圧壊させたもの。その一部が密閉され、傷を負わせた相手の手に握られている。」

KP「SANチェックを行います。」

ダイス「SANチェック 失敗。」

KP「傷口を押さえていた指が緩みます。」

KP「血が一筋、掌から肘へ流れました。視線は試験管へ固定され、呼吸の間隔が崩れます。」

主人公「壁を壊し、これを焼いた後、何をするつもりだった。」

KP「医者の唇が動きます。」

KP「医者は試験管へ視線を留めたまま、首の傷を押さえていた手を下ろします。止血を諦めたのか、もう必要がないと判断したのか、血は襟から胸元へ流れ続けていました。」

医者「お前はまだ知らんのだ。この計画の全貌を。これが人類史を続けるための方法だとは、私とて思わなかったさ。」

主人公「何を言ってる。滅んでるじゃないか。」

医者「ああ、分からないか。」

KP「恐怖で声を震わせることも、失敗を悔やむこともなく、医者は僅かに口角を上げました。」

医者「この世界は偽りだ。偽りの星。神々を星から追い出すための嘘。」

医者「つまり犠牲ってことだ。偽星作戦なんて洒落た題で煽り、地球を作り直した。今までの地球は要らんからと、ヘルクレス座グレートウォールへ放棄した。」

医者「この世に潜んでいた神々を裏切り、人類は決別したのさ。悪夢の氾濫は終わらないとも。」

PL「偽りなのは、星に見せかけた何かじゃない。ここそのものが、捨てられた地球なのか。」

KP「医者は答えません。代わりに、試験管の中で蠢く黒い液体へ目を向けます。」

医者「これで十分か、人間。お前も死ぬんだよ。」

医者「ただ、俺はこの生物に火を付け、気管を利用して集めた水素と酸素で着火する。この星を恒星にする。」

主人公「恒星にしちゃ矮小だ。」

医者「それは仕方ないさ。」

医者「だが、この生物にこの星ごと捕食させ、飼いならすために契約する。そしてヤマンソへ餌として与え、利用し、地球までのパスを作る。」

医者「クトゥグアが最初から地球に滞在していなかったのは誤算だが、代わりがいるなら結構だ。」

PL「こいつが欲しかったのは脱出手段じゃない。向こうへ戻る道そのものだ。」

KP「ナイフの切っ先を向けられたまま、医者は血の付いた手を広げます。」

医者「お前の望む答えは出してやったぞ。」

医者「一週間程度で始める手段はなかったと思ったが、お前の物資とゴヤのおかげだ。」

医者「あの松明は火薬じゃないと着火しない。ニトログリセリンは丁度切らしていたからな。」

PL「情報を吐いたんじゃない。もう止められないから話している。」

KP「医者はその言葉を否定しません。」

医者「生き延びるか、謎の正義を全うするか。」

医者「お前たちを利用してゴヤの出力を上げるため、病院ごと爆破する予定だったが、そんなものはもうどうでもいい。確実性を上げるための補足でしかない。」

医者「本題は既に達成された。」

KP「右手のナイフへ力が入ります。左腕に隠したランチャーも、まだ医者を捉えています。」

主人公「いつだ。」

医者「重力は緩み、空気は落ちず、地上に燃え移ることはない。」

医者「病院の破片を小さくして着火を広げ、私の未来を確実にしてもらおうとしていただけだ。」

KP「医者は息を吸い、血の臭いが混じった空気を吐き出しました。」

医者「そうだ。二時間前に、全て実行したとも。」

PL「ここで終わりだ。呼ぶ。」

主人公「シャマルダル!」

シャマルダル「ちゃんと当てる。」

KP「返事と同時に、長大な切っ先が医者へ向けられます。」

KP「剣と呼ぶには直線が長過ぎました。映画の撮影用に誇張して作られたオブジェのようでありながら、装飾のために鈍らせた箇所は一つもありません。」

KP「レンブラント・ガリラヤ。」

KP「戦場にいる味方へ希望を与え、敵へ絶望を与える武器です。」

KP「本来なら上空から自由落下しながら標的を追尾する、JDAMに近い運用を想定して作られています。神を狩るためのものではなく、神に与する者を狩るための武器でした。」

PL「ここには落とすための空も、高度もない。」

KP「必要ありません。」

KP「シャマルダルは柄を握り込み、長い切っ先を医者へ合わせました。」

KP「本来必要だった、落下させるという面倒な過程を一段階省略しただけです。」

KP「見栄えを重視した玩具は、人間を相手にした瞬間、過剰なほどの猛威を振るいました。」

KP「レンブラント・ガリラヤの切っ先が通過した後、医者の身体は腰を境に分かれました。」

KP「下半身はその場へ崩れ、上半身だけが床を滑ります。大量の血が遅れて広がり、散乱した資料の文字を端から塗り潰していきました。」

PL「死んだか?」

KP「まだです。」

KP「医者は自分の断面へ一度だけ目を向けます。驚きも悲鳴もなく、残された時間を計るように呼吸を整えました。」

医者「致命傷か。数日くらいなら生き延びられるか…。」

PL「数日?」

KP「生存を諦めていません。」

KP「両腕を床へ突き、血の中で上体を起こします。身体を失った苦痛よりも、途中になった仕事を続けることへ執着しているようでした。」

医者「そうだな。お前には実に辛い未来を聞かせた。」

医者「詫びとして、手術代をまけてやる。」

PL「まだ手術する気かよ。」

KP「医者の片手が白衣の内側へ入ります。」

PL「ナイフを向ける。何を出す?」

KP「小さな薬包と、液体の入った容器です。」

医者「あと、麻酔を弱める薬だ。麻酔科じゃないから、あまり上手く作れなくてな。」

KP「血に濡れた指で一方を持ち上げ、もう一方へ視線を落とします。」

医者「こっちは上手く出来たが。」

PL「近付かない。口も閉じる。」

KP「そう決めたはずでした。」

医者「材料の一部がメアノール。抗鬱剤ではあるが、強烈な悪夢を見るものになっている。」

医者「せいぜい気を付けることだ。」

PL「待て、身体が動かない。」

KP「右手のナイフを握り直そうとしても、指が命令に従いません。足を引こうとしても、床へ縫い付けられたように重い。」

PL「シャマルダルを呼ぶ。」

KP「声が出ません。」

KP「医者がいつ動いたのか、薬をどう運んだのか、その過程だけが認識から抜け落ちています。」

KP「気付いた時には、舌の上へ異物が乗っていました。」

KP「苦味のある液体が口内へ広がり、薬包の一部が唾液を吸って崩れ始めています。」

PL「吐き出す。」

KP「顎が開きません。」

KP「喉だけが、飲み込むために動き始めました。」

KP「あなたは手術の記憶と、その悪夢を見る。」

KP「喉が紐解かれる。」

KP「その奥を抉られ、その肺を詰められる。」

KP「並べられた内臓に見覚えがあって良い筈がない。」

KP「そして、その内臓の傷物を患者二人のものから取り、詰め込み、自分の肉体は修復される。」

KP「銀と白の無機質で清楚な空間は、没個性という感想すら抱けない。」

KP「医者はライムグリーンの地球外生命体の様な外見で刃物を向ける。」

KP「黒曜石の鋭さを持った、切ったことに気付かせない刃物。」

主人公「やめろ、やめろ、やめてくれ。」

KP「扁桃炎で切除された喉とか、そういうものを思い出す。」

KP「何故かコンテナがあった。」

KP「みんなよくなった。」

KP「どれがお前なのだ?」

KP「どれが俺なのだ?」

KP「分からない、分からない。」

KP「そして医者は自分の体を縫合し、立って告げた。」

医者「お前の内臓は効率の良い生贄にさせてもらった、二人なのに四人分だ。なんて優秀だろうか。」

KP「そして、シャマルダルがただそこらのメスを使って、油断した医者の縫合を解いた。」

KP「下半身の方にメスを刺し直せなくした。」

KP「麻酔を流し、加減の効かないそれは意識を奪う。」

KP「立ち直れたのは、数日後の話だ。」

KP「患者二人、シャマルダル、兄弟、そして自分。今はこの六人で、無人になった中では少しだけ質の良いアパートに住み着いている。」

KP「文字通りの炎天下だった。」

KP「空は常に、あの生物によって燃えている。窓の外へ目を向ければ、昼夜の区別を奪う炎が頭上を覆い、焼けた光が部屋の奥まで差し込んでくる。」

KP「それでも、六人は少しだけ平和に暮らしていた。」

KP「アパートへ時々酸素を流し、残された資源を分け、いつまで保存が持つかも分からない食料を使って日々を繋いでいる。」

KP「我々以外の人類も、きっと同じように暮らしている筈だ。」

KP「焼け残った建物へ集まり、酸素を確保し、数人ずつで生存している。その筈だった。」

KP「医者の言葉が事実であり、既に始められた計画が達成されるなら、数年以内に地球へ戻る道が出来る。」

KP「正面から帰還する道ではない。」

KP「星ごと捕食させた生物を利用し、ヤマンソを経由して作られる、地球へこっそり入り込むためのパスだ。」

KP「それまで生き延びればいい。」

KP「そう考えることは出来た。」

KP「しかし、アパートでは時々ポルターガイストが起きている。」

KP「置いた物が別の場所へ移り、閉じた扉が開き、誰も触れていない家具が床を擦る。」

KP「風や建物の傾きでは説明出来ない動きが、六人の生活へ少しずつ入り込んでいた。」

PL「外に他の生存者がいるなら、そいつらが入ってきた可能性は?」

KP「足跡も、侵入された痕跡もありません。」

PL「なら、人間が来ているとは限らない。」

KP「人類の中にも、神の中にも、もう自らのままでは生きながらえられない個体がいる。」

KP「肉体を失い始めたもの。存在を維持出来なくなったもの。生体へ固執しなければ、ここへ留まることすら出来ないもの。」

KP「それらは、生きている身体を求めている。」

KP「特に執拗に狙われているのは、二人の患者だった。」

KP「数日前まで呼び掛けにも応じず、医者の手術を受けていた二人。」

KP「夜になると、その寝床の周囲だけで物が動く。」

KP「扉は内側へ開こうとし、壁の中から指で探るような音が続き、眠る身体へ近付くほど、室内の酸素が僅かに減っていく。」

KP「第二部『オペレーション・オーバーロード』は、病院を脱出したことで終わった。」

KP「だが、病院で生き延びた身体は、外に残されたものにとって、次の住処になり得る。」

KP「帰るべき地球には、まだ届かない。」

KP「今いるアパートもまた、本来の家ではない。」

KP「それでも失われた肉体は、ここを自分の帰る場所にしようとしていた。」

KP「第三部『ノーデンス・ノーライフ』。」

KP「帰巣を始めます。」


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