06 おむすびころりん。あのディートリッヒが手遊びについて尋ねてくるなんて
ある日、ルカスと城の庭で遊んでいた時、ふと前世でよく遊んだ手遊びを思い出した。
「ルカス、これ、知ってる?」
手を合わせて、指を動かしながら歌い始めるとルカスは目を丸くしてこちらを見た。
「何ですか、フロラティア様?」
「これはねおむすびころりんっていう歌と手遊び。昔、私の故郷でよく歌われていた」
ルカスの手を取って、ゆっくりと手遊びを教え始めた。
「おむすびころりん すっとんとん」
歌詞に合わせて手を転がす。
「ねずみがチューチュー」
指をちょこちょこ動かす。ルカスは最初は戸惑っていたがすぐに楽しそうに真似をし始めた。庭にルカスとの笑い声が響き渡る。
ルカスの屈託のない笑顔を見ていると、心も自然と軽くなるのだ。その様子を遠くから見ている影があった。ディートリッヒだ。
彼はいつもと同じように、感情の読めない顔で見ていた。視線に気づかないふりをして、ルカスと手遊びを続ける。なにを想っているのかな。
数日後、ディートリッヒが執務室でルカスと対面する機会があった。ルカスに新しい刺繍を教えていた時、ディートリッヒが書類を取りに部屋に入ってきたのだ。
いつもなら挨拶もそこそこに、部屋を出ていく彼だったが。その日はなぜか、一瞬だけ足を止めた。ルカスは、教えてもらったばかりの手遊びを、ディートリッヒに見せようと、小さな声で歌い始める。
「おむすびころりん すっとんとん……」
ディートリッヒはルカスが歌いながら手を動かす様子を、無言で見ていた。彼の表情は変わらない。ああ、やはりこの朴念仁にはこんな遊びは理解できないのだろう。
諦めかけたその時。ルカスが「ねずみがチューチュー」と歌いながら指をちょこちょこ動かすと、ディートリッヒの口元がごくわずかに緩んだ。
ピクニックの時のような明確な笑顔ではなかったが、確かに彼の顔に小さな変化が生まれたのだ。視線はルカスの小さな手元にじっと注がれている。
「……何の真似だ」
ディートリッヒのいつもの低い声には以前のような冷徹さはない。どこか興味を抱いているような、響きがあった。
「これはおむすびころりん、っていう手遊びですよ、父上! フロラティア様が教えてくれたんです!」
ルカスは嬉しそうに説明。ディートリッヒはルカスと妻の顔を交互に見た後、何も言わずに執務室を出て行った。
「はーぁ、相変わらず無愛想な男。でも、少しは興味を持ったみたい」
ルカスを励ます。ルカスは、ディートリッヒの反応に少しがっかりしたようだったが、それでも嬉しそうに頷いた。
その日の夕食後。ディートリッヒは珍しく、食卓にそのまま残っていた。いつもなら、食事が終わるとすぐに自室に戻るのに。不思議に思っていると彼は突然、ぼそりと呟いた。
「……あの、手遊びとやら。どうやるのだ」
耳を疑う。あのディートリッヒが手遊びについて尋ねてくるなんて。 思わず、彼の顔をまじまじと見てしまった。彼は少しだけ居心地が悪そうな顔をしている。
「あなたも興味があったの? そんなことなら、もっと早く言えばいいのに。ほら、ここに手を出して」
意地悪く笑いながら、ディートリッヒの前に手を出した。ディートリッヒは少し躊躇しながらも大きな手を私の前に差し出す。
「おむすびころりん すっとんとん……」
歌いながら彼の指を動かすと、ディートリッヒの表情はどこかぎこちなかったが確かに好奇心がある。知りたかったんだなぁ。
「ねずみがチューチュー」
指を動かすと彼は再び、微かな笑みを浮かべる。その時、確信した。あの氷のように閉ざされた彼の心にも、小さな亀裂が入り光が差し込もうとしているのだと。
ディートリッヒがあの手遊びに興味を示してから、城の中の空気は、ほんの少しだけ温かくなったように感じられた。誤差だけど。
相変わらず妻への態度は冷たいままだが、ルカスと彼の間には、かすかに何かが生まれつつある。氷の塊のような男が、少しずつ人間らしい感情を見せ始めていることに、正直自分が一番驚いていた。
夜、ルカスが寝静まった後、一人だけの自室でグラスを傾けていた。琥珀色の液体が月明かりを浴びてキラキラと輝く。酒は前世のワインに近い風味で少し甘い。ほろ苦さもあって、今の心境にはぴったりだ。
「まさかあの朴念仁が、手遊びに興じる日が来るなんて」
思わず口に出た独り言は酒のせいで少しだけ甘く響いた。手遊びをするディートリッヒのあの戸惑いがちな顔。好奇心を宿した瞳を思い出すとなぜか笑みがこぼれる。
本当に奇妙な男。グラスの中の液体をゆっくりと喉に流し込む。じんわりと体が温かくなるのを感じながら、今日一日の出来事を振り返っていた。
ルカスは今日も元気いっぱいで、新しい薬草について熱心に質問してきたし。ディートリッヒは執務室でルカスが持ってきた絵を、以前よりも少しだけ長く眺めていたような気がする。微かな変化。
本当に微かな変化の積み重ね。確実にあの凍てついた氷の壁に、小さな亀裂が入り始めている。
「私、一体何をやっているの」
グラスを置くとため息をついた。本来なら、陥れた妹への復讐を考えるべきなのに。いつの間にかこの辺境の地で、義理の息子を育て。冷たい夫の心を溶かすことに躍起になっている。前世の私が見たら、さぞ呆れることだろう。
窓の外では満月が煌々と輝いている。静かで、何もかもを見透かしているような月。この辺境の地に来て色々な感情を経験した。妹への怒り、見知らぬ土地での不安。
ルカスへの愛情、ディートリッヒへの苛立ち。時折見せる彼の変化への戸惑い。ディートリッヒが心を閉ざすに至った過去の傷を知っている。
それでも冷たさに、つい毒舌を吐いてしまうのは悪い癖だ。不思議と彼の心を完全に理解したいと願う自分がいる。グラスを手に再び月を見上げた。
「あなた、一体いつになったら私に心を開いてくれるのかしらね」
呟く声は誰にも届くことなく、夜の闇に吸い込まれていった。以前のような完全な諦めはない。かすかな期待のようなものが混じっている。




