02 朴念仁に人の心が理解できるわけがない。知っていて無視したのならあなたの人間性を疑う
ある日の午後。ルカスと城の周りを散策していた。領民の暮らしぶりを見ることがささやかな楽しみ。
以前は荒れていた畑も、最近は少しずつ整備され作物の芽が出始めている。
ディートリッヒがしっかりと領地を治めている証拠なのだろう。冷徹な顔しか見ていなかったけれど、仕事に対しては真面目なのだと改めて感じた。
その時、遠くから剣を打ち合わせる音が聞こえてきた。音のする方へ向かうと、ディートリッヒが庭の片隅で騎士たちと訓練をしているところ。
鎧を身につけ、剣を振るう姿は普段の冷たい雰囲気とは異なり力強く、どこか凛として見えた。
「父上……」
ルカスが小さな声で呟いた。その目はディートリッヒの姿をまっすぐに見つめている。憧れのような寂しさのような、複雑な感情が入り混じった目。ルカスの手を取り、その場から離れた。
「何よ、物珍しげに見るものじゃない。あの男はああ見えて案外、武術の腕は確かなのね。顔が良いだけの役立たずじゃなかっただけマシか」
毒舌にルカスは小さく笑った。
「父上は強いです」
ルカスの言葉に驚いた。やはりルカスにとって、ディートリッヒは憧れの父親なのだろう。だからこそ、その愛情の欠如に傷ついているのかもしれない。
ディートリッヒがルカスにもっと目を向けるように仕向けられないかと考え始めた。もちろん、直接何かをすればあの朴念仁は警戒するだろう。
何か、もっと自然な形で……。
その日から、ルカスの得意なこと。ディートリッヒが興味を持ちそうな話題を、さりげなく会話に挟むようにした。例えば、ルカスが描いた絵をわざとディートリッヒの執務室の前に飾ってみたり。
ルカスが薬草について熱心に話している時に、わざとディートリッヒに聞こえるような声で質問をしてみたりした。ディートリッヒの態度は変わらない。相変わらず冷たい視線を向けるだけだ。
「まあ、当然でしょ。あの朴念仁に、人の心が理解できるわけがない」
心の中で毒づきながらも諦めずにルカスとの時間を大切にした。
ある夜、ルカスが熱を出した。慣れない環境と無理をしたのが原因だろう。看病のために一晩中ルカスの部屋に付きっきりになる。
氷で額を冷やし、薬草を煎じて飲ませた。ルカスの小さな体は熱いのにディートリッヒは隣の部屋で眠っている。無性に腹が立つ。
「あなた、自分の息子が熱を出しているのを知っているの? 何もしないつもりかしら。このままでは本当に熱が上がってしまうわよ!」
たまらず、ディートリッヒの部屋の扉を叩いた。返事はない。眠っているのか、それともわざと無視しているのか。どちらにしても、その無関心さに怒りは頂点に達した。
翌朝、ルカスの熱は少し下がったが、まだ微熱がある。ルカスをベッドに寝かせたまま、ディートリッヒの執務室に向かう。
「あなた、昨夜、ルカスが熱を出したわ。知っていて無視したのならあなたの人間性を疑うわね」
ディートリッヒは執務中の手を止め、ゆっくりと顔を上げた。その目はやはり冷たいままだった。
「……何?」
「何、ではない。あなたの子どもが苦しんでいたの。父親として心配することはない? それとも、私に全て押し付けてあなたは責任から逃れるつもり?」
「私には領地を治めるという重要な責務がある。子供の世話はあなたに任せている。それが夫婦の役割分担だろう」
ディートリッヒの言葉に怒りで震えた。
「役割分担? ふざけないで! あなたはただ、自分の都合の良いように私を利用しているだけ! 辺境に追いやった妹と何ら変わりない!ひとでなしって、言い訳が全員総じて同じみたいねっ」
言い放つとディートリッヒの顔に、初めて微かな動揺の色が浮かんだのが見えた。それはすぐに消え去り再び冷たい表情に戻る。
「言いたいことはそれだけか? ならば私は執務に戻る」
ディートリッヒは再び書類に目を落とした。怒りは収まらない。
ルカスが熱を出した翌日。いつも以上にディートリッヒに冷たく当たった。朝食の席でも彼が何か口を開こうとすれば、すかさず皮肉を浴びせた。
ディートリッヒは相変わらず無反応で、毒舌は虚しく空を切るだけだ。
「フロラティア様、もう大丈夫ですよ」
ルカスは私の手を取り、心配そうに言った優しい言葉に怒りも少しだけ落ち着いた。
「そう? ならよかった。でも、無理は禁物。あなたはまだ体が小さいの」
ルカスの頭を優しく撫でた。この子だけが心を温めてくれる存在なのだろう。
その日の午後。ルカスと一緒に図書室で過ごしていた。ルカスは新しい植物図鑑に夢中で古びた歴史書を読む。ヴァルター伯爵家の歴史には代々厳しい気性の当主が多かったと記されている。ディートリッヒもその血筋なのかもしれない。ふと、ルカスが小さな声で尋ねた。
「フロラティア様はどうして父上と結婚したんですか?」
読んでいた本から顔を上げた。ルカスはまっすぐな目で見つめている。ごまかしても仕方ない。
「私は、妹……私の妹に嵌められたの。王太子妃の座を奪われ、この辺境に追いやられた。だから、これは望んだ結婚じゃないの」
正直な答えに、ルカスは悲しそうな顔をした。
「……そう、ですか」
「でも、ルカス。あなたと出会えてよかったと今は思っている」
頭を再び撫でた。顔にようやく小さな笑顔が戻る。ルカスの間には、言葉にはできない信頼が生まれていた。ルカスは心を開き、私もまたこの子を守りたいという気持ちが日に日に強くなっている。




