16 お姉様は本当はあんな辺境で暮らしたくないはずだわ!
瞳からは感情が一切読み取れない。沈黙がかえってソノアを不安にさせたようだ。
「ソノア、黙りなさい」
冷たく言い放つとソノアは目を見開いた。
「この方を侮辱する資格は、あなたにはないわ。たとえ辺境であろうとこの方は、かけがえのない夫よ。選んだ方なの。ヴァルター伯爵家は、あなたのような卑しい心が入り込む余地などない、清らかな場所なの」
一切の迷いも淀みもなかった。ソノアの顔から完全に笑みが消え去る。王太子も驚いたように見つめていた。
ディートリッヒは聞くと、こちらへ視線を向ける。これまでに見たことのないほど。彼の大きな手が、手をそっと包み込む。
ほんのりとした温かさに胸の奥が、じんわりと熱くなっていく。彼もいてくれる。王宮の広間はソノアと王太子の顔が青ざめたまま、静まり返っていた。
ディートリッヒが手を握ったその行動は、彼らに明確な否定を突きつけたのだ。周囲の貴族たちも一挙一動を固唾を飲んで見守っていたが、誰も口を開くことはない。
「あなたたちに話すことはもう何もない。では失礼するわ、王太子殿下、ソノアさん」
ディートリッヒの手を引いて場を離れようとすると、ソノアが震える声で呼び止めた。
「お、お姉様……! 男に誑かされているだけでしょう!? お姉様は本当はあんな辺境で、暮らしたくないはずだわ!」
ソノアの必死な叫びに振り返ることはしない。ディートリッヒが手を握る力を、少しだけ強めたのが分かった。温かさが支えてくれる。
「あなたの哀れな妄想はもう聞き飽きた。この方と辺境の地で、私の人生を生きているから。あなたのような卑しい心を持った人間には、決して理解できないほど誇り高く、優しい人なの」
ソノアは完全に言葉を失う。もう一度、ディートリッヒの手を強く握りしめ、隣を堂々と歩き出した。
広間の喧騒を後にし、少し離れた静かな回廊へと向かう。数人の貴族たちがいたが、誰も近づいてこない。
夫妻は壁際に寄り添うように立ち止まった。
「気分が悪くなる。あんな場所には、二度と行きたくない」
毒づくとディートリッヒは顔をじっと見つめる。先ほどの怒りの炎が消え、深い安堵の色に変わっていた。
「……無理をさせたな」
いつもよりもずっと穏やかで、心配をする響きが含まれていた。じんわりと温かくなる。労わられて苦笑した。
「今更そんなことを言うなんて、あなたも随分と甘くなったわ。でも、別に無理なんかしていない。あれは本心」
彼の口元が動く。夜会の喧騒の中で二人だけが分かち合える、密やかな笑み。
「……ありがとう、フロラティア」
ディートリッヒが手を握りしめながら、もう一度感謝の言葉を口にした。響きはこれまでにないほど深く限りない信頼と、愛おしさがある。
胸が一人でにどきりと高鳴って。大きな手に包まれた自分の手を見つめた。
王都での夜会を終え、予約したホテルへと戻る途中、馬車の中でふと隣に座るディートリッヒを見た。夜会での言葉と温かい手の感触が、まだ鮮明に残っている。
「あなたも案外、気が利くものね。庇ってくれるなんて絵本の勇者みたい」
ディートリッヒは眉一つ動かさず、一瞥した口元に笑みが浮かんだのが見える。
「当然だ。私の家族を守るのは私の務めだ」
温かくなる。家族という言葉が以前とは比べ物にならないほど、ほんわかとした温かい響きを持っていたから。
「立派なことですこと。務めを果たしたのならもう少し労ってもらっても、良い頃合いなんじゃないかしら。ね?」
ディートリッヒは何も言わず手を取り、そっと握りしめた。熱さにこっちの頬はほんのり熱くなる。
途中で適当なお店に入った。ルカスのお土産を買うため。本人はいるけどあげたいと思って。旅の思い出としてね。
次の日、今度は子供を乗せてお土産屋を闊歩することに。
「フロラティア様、何か面白いものってありますか!?」
町に着くとルカスは目を輝かせ、手を引いて雑貨店へと駆け寄る。ディートリッヒも二人に続いて、ゆっくりと店内へと入ってきた。
店内には色とりどりの玩具や、可愛らしい小物が所狭しと並べられている。ルカスは目をキラキラさせながら、あちこちを走り回っていた。
「慌てなくても、逃げやしないわ。ゆっくり選びなさい」
ルカスはたくさんの玩具の中から、小さな木製の馬の人形を見つけてきた。以前、壊してしまい直してあげた人形とよく似ている。
「フロラティア様、これ、ルナみたいです!」
ルカスが嬉しそうに言う。ルナは城で飼っている馬の名前。純粋な瞳を見ていると心も温かくなる。子供の純粋さはセラピーだ。
「馬。あなたも相変わらず、物好きね。もっと他に貴族の子どもらしい玩具があるでしょうに」
ディートリッヒがルカスから馬の人形を受け取った。人形をじっと見つめるとルカスに視線を向ける。
「……良いものだ。大切にしろ」
穏やかでルカスへの温かい愛情があるのが見て取れた。ルカスは嬉しそうに頷く。それでいいのかと、思わなくもない。
「はい!父上も何か買わないんですか?」
ルカスが尋ねるとディートリッヒは考えるような素振りを見せた。




