01 その涙で人を騙せると思っているのなら随分とおめでたい頭をしている
「お姉様、どうか私をお許しください。でも、これも殿下のため……ですから」
妹のソノアが目を潤ませるのを見て、心底うんざりした。
異世界転生してはや十五年。フロラティア・ポルトナイトとして生まれ変わる後に今現在、前世の記憶を持つが故にこの国の貴族社会の薄っぺらさに辟易していた。
特に、愛らしい顔の裏で虎視眈々と地位を狙う腹黒さには、吐き気がする。企みはついに現実のものとなった。策略により王太子妃の座を追われたのだ。
代わりに辺境の地を治める伯爵のディートリッヒ・ヴァルターに嫁ぐことに。
「どこまで演技派なのやら。その涙で人を騙せると思っているのなら、随分とおめでたい頭をしているわね、ソノア」
毒舌にソノアはビクリと肩を震わせた。ざまあみろ。結婚式は簡素。テキトーにされているなと、わかっていた。辺境のヴァルター伯爵領は想像以上に荒れ果てている。
城も古く領民の暮らしも決して豊かではない。夫となるディートリッヒ・ヴァルターは見るなり言い放つ。
「フロラティア嬢、あなたを愛することはない。これはただの政略結婚だ。互いに干渉せず、義務だけ果たせば良い」
氷のように冷たい声だった。端正な顔には何の感情も浮かんでいない。望むところだ。愛なんて最初から期待していない。余計な情を向けられる方が迷惑だから。
「ええ、結構です。私もあなたを愛するつもりなど毛頭ございませんもの。所詮、あなたは私の妹にまんまと利用された哀れな男。同情はしますが、それ以上でもそれ以下でもありません」
言い返すと、ディートリッヒは眉一つ動かさなかった。つまらない男。結婚生活は言葉通りだ。
ディートリッヒはほとんど構うことなく、政務に没頭しているようだった。
与えられた部屋で本を読んだり、前世の知識を活かして薬草の栽培を試みたりして過ごす。そんなある日。城の庭で、一人ぽつんと座り込んでいる小さな男の子を見つけた。
年の頃は十歳くらいだろうか。色素の薄い髪と、ディートリッヒによく似た灰色の瞳を持つその子はどこか寂しげな雰囲気をまとっていた。
「そこで何をしているの?」
声をかけると男の子はビクリと肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。
「……あ、あの、僕は、ルカス、です……」
か細い声で答えるルカス。ディートリッヒの連れ子だということを知っていた。奥方は病で早くに亡くなったと聞いている。
「ルカス? ふうん。自分の息子が庭で座り込んでいるのに気づかないなんて、朴念仁は一体何を考えているの」
思わず口から出た毒舌にルカスは目を丸くした。
「父上は、いつも忙しいから……」
チクリと胸が痛んだ。この子も愛されない孤独を知っているのだろうか、そんなの寂しすぎる。
「忙しいのは結構だけど、子供をほったらかしにするのはどうかと思うけど。さあ、そんなところに座っていないで、お城の中に入りなさい。風邪をひいたら面倒だし」
ルカスの手を取れば、小さな手はひどく冷たい。その日から世話を焼くようになった。ディートリッヒは相変わらずルカスに構うこともなく、全てを押し付けたかのように振る舞う。許せん。
「あなた、自分の息子が何をしているか知っているの? 今日も一人でご飯を食べていたし。父親ならもう少し気にかけてあげたらどう?」
夕食時、ディートリッヒに皮肉を込めて言った。
「私の務めは領地の統治だ。子育てはあなたに任せたはず」
ディートリッヒは冷淡な目で見返した。ああ、本当に腹が立つ。
「呆れた。あなたのような無責任な男は初めて。でも、ご心配なく。あなたに期待することなど何もないから。育てるのは勝手でやっていることだから」
言い放ち、ルカスを連れて部屋を出た。ルカスは服の裾をキュッと握っている。勉強を教え遊び相手になり、時には一緒に城の周りを散歩したりもした。最初は戸惑っていたが次第に懐き、笑顔を見せるように。
「フロラティア様、ありがとう」
ルカスのまっすぐな言葉に凍り付いていた心が少しずつ解けていくのを感じた。ディートリッヒとの関係は相変わらず冷たいままで、彼に対して常に皮肉や毒舌で応じた。
彼もまた、妻として見ている様子はない。冷たい関係の中でも少しずつ変化は訪れる。
懐くにつれて、ディートリッヒが時折。遠巻きに私たちを見ていることに気がつく。視線にはほんの少しの戸惑いが含まれているように見えた。
(接し方とかをもしや知らない?)
ルカスとの生活は穏やかに過ぎていった。朝は一緒に庭で採れたハーブに水をやり、午後は城の図書室で勉強を教えた。ルカスは学ぶことが好きで特に珍しい薬草の図鑑には目を輝かせた。
「フロラティア様、これはどんな薬草ですか? 毒があるって書いてありますけど……」
ルカスが指差すのは鮮やかな赤い実をつけた植物の絵だ。
「これはね。死神の口づけって呼ばれるものよ。少量でも人を死に至らしめるほどの猛毒を持っているわ。でも、使い方によっては病を治す薬にもなるの。毒と薬は紙一重ってこと」
説明にルカスは真剣な眼差しで聞き入っていた。純粋な瞳を見ていると、心も少しだけ和らぐ気がする。
もちろん、ディートリッヒとの関係は相変わらず。
彼は朝食と夕食に顔を合わせるものの目を合わせることはほとんどない。会話も最低限。ルカスのことすら任せきりだ。
「あなた、ルカスが今日、算数の問題で満点だったわよ。少しは褒めてあげたらどうなの?」
ディートリッヒにチクリと言った。ルカスは嬉しそうに隣に座っていたが、ディートリッヒは顔色一つ変えない。
「それが務めだ。当然のことだろう」
冷たい声にルカスの表情が少し曇るのが見える。
「あら、ご立派なことですこと。でも、あなたのような冷酷な父親の元でよくこれだけ素直な子に育ったものだわ。奇跡としか言いようがない」
わざと嫌味たっぷりに言い放つと、ディートリッヒの手が一瞬だけ止まるのが見えた。だが、すぐに彼は食事を再開する。
「フロラティア様……」
ルカスが心配そうに顔を見上げた。ルカスの頭を優しく撫でる。
「大丈夫よ、ルカス。あの朴念仁はああいうものなの。気にすることはないから」
ルカスはそれでも寂しそうだった。隣にいることで少しは安心したよう。




