06:めでたしめでたし
婆の居場所が分かった――気がする。
初めに正直に打ち明けておく。夢は見ていない。
あくる朝も降り続く雨のため暗い朝だった。日頃の勘だけを頼りに起き上がる。周囲の誰もが熟睡できてはいなかったようで、サリが起きると皆も寝所から顔を出した。
「おはよう。カラ、婆の居場所がわかったかもしれない」
言い終わらぬうちに、数歩分離れた場所に立っていたカラがすごい勢いで近づいてきた。目の前で両肩をがしりと掴まれる。たくましいその腕は少し揺れているようだった。
「おしえてくれ!サリ」
ダラとマヤも駆け寄っていた。サリは一度「うん」と頷いてから外の様子を確認した。水は階段の1番下を超える位置まで上がっていた。雨の勢いは変わっていない。
入り口を背に立ち、サリは話し始めた。
「婆は無事だと思う。もう少し様子を見るのがいいと私は思う」
カラが何か言いたそうに口を開きかけたが、ギュッと固く口元を締めた。わかった、続きを話すよ。
昨夜使った油灯の残り油を指に取って、床に線を引いていく。3人の視線がサリの手元に集中しているのがわかった。
「これが、近くの川だ。毎朝カラが水を汲んでくれる場所」
3人が頷いたのを確認して、次を書き足していく。私は小さな丸をひとつ書いた。
「ここら辺にムンチャンの木がある?」
3人が口々に「ある!」と叫んだ。これはカラたちが昨日捜索に向かったのとは別方向だ。よし、間違いではなさそうだ。説明を続けよう。
「婆は多分ここでムンチャンの実を集めていたと思う。そして――」
もう一度指先を油に浸けて、図を書き足していった。何せ自分では見たことのない景色だ。婆から聞いた話のみで書き続けるのは自信がなく、ひとつずつ確認しながら慎重に進めていった。
「――ここに大きな穴がある。奥の方が高くなっていて、水が入り込まないようになっているはずだ。恐らく婆はここにいる」
それは婆の秘密の隠れ家みたいなものらしい。集落のものがこの洞穴の存在を知っているのかは聞けなかったが、婆のとっておきだと自慢していたことを思い出したんだ。夢見なんかではない、婆とサリ、2人だけの内緒話さ。
「この場所まで今向かうのは危険だと思う。婆もこの水量では歩くのが厳しいはずだ。もう少しだけ待ってみるのがいいと思う」
このまま何日も豪雨が続くなら、婆だけではなく集落も危ない。けれどきっと今、婆は無事にやり過ごしている。たったひとりで心細いかもしれないけれど、婆なら雨がいつ上がるかすらわかっているかもしれない。だからもう少し、せめて昼までは――
「わかった」
それはカラの言葉だった。
「昼まで様子を見よう。俺は偉大なる我が姉、ラニの娘サリの言葉を信じる。それでも雨が止まなかった時は、なんとしても俺が連れ帰る。安心しろ」
いつ雨が上がるのかと、空ばかり見上げて過ごす時間は昨日よりもさらに長く感じた。
あまりにずっと眺めていたものだから気が付けなかった。なんだか雨足が弱まっていないか?
ビシャビシャと絶え間なく聞こえていた雨音が、少し小さくなった。
「雨が、止む?」
サリの隣に座っていたマヤも気がついたようだ。
完全に止みはしなかったものの、雨は随分と小降りになった。このまま止んでくれたら、集落が流される恐れもなくなりそうだ。
「カラ、私も行きたい」
そう遠い距離ではない。水の中を歩くことがサリにとってどの程度負担なことかも、正確にはわからない。けれどこの目で婆のことを確かめたい。
止められるかと思ったが、カラはあっさりと頷いた。
「サリが来てくれたら俺も心強い」
念の為と、カラは男をひとり応援に呼んだ。カラに負けず劣らず屈強な男だ。私は腰に巻いた布をたくし上げた。濡れた布を巻きつけたまま歩くのは体力を使うからね。少しでも節約さ。見た目を気にしている場合じゃない。細く、白すぎる足がむき出しになった。
「婆を迎えに行く。2人も協力してくれ」
3人で婆がいると思う洞穴を目指した。泥水の中を歩くのは、想像以上に大変だ。先頭を歩くカラ、その後ろをサリが続く。もうひとりの男がしっかりと後ろからついて来てくれていた。
初めて歩く道。自分で丸を書いた場所にムンチャンの木が高くそびえるように生えているのが見えた。そこから先に道はない。緩やかな傾斜になっていて、進んで行くうちに足元の水位は限りなくゼロに近づいていき、それもやがてぬかるみになった。
「ここ、か?」
カラの期待と困惑の混ざり合った声が聞こえて足を止めた。想像していたよりとても小さな穴だったんだ。婆なら入れると思う。サリも入れるだろう。カラは――ちょっと厳しいかな?
「サリ、入れるか?」
ついて来て良かったと思った。カラはここまで来て初めてちょっと困った顔をしている。
「任せて。婆を連れてくるから」
洞穴の中に入った。蒸し蒸ししているかと思いきや、意外にもひんやりとしていて心地よくすら思えた。そしてなるほど――中はかなり広い。奥へ進もうとして最初の一歩――何か踏んだ。ぐにゃりとした嫌な感触だった。恐る恐る拾い上げて、穴の入り口で正体を確認してみる。それは腐った食べかけのナンカの実だった。これ、婆が投げ捨てたのか?
穴の外にいたカラたちも、突然腐ったナンカの実が出てきて戸惑っているようだ。事情を手短に説明して、穴の中へと戻る。
「婆ー?」
「あいよー」
声をかけると拍子抜けするほど元気な声が上から降ってきた。婆の声だ。
「雨が止んだのかい」
「止んだよ。帰ろう婆」
婆はしばらく降りてこなかった。ガサゴソという音だけが響いている。
「よいしょ。狭いからサリは先に出ていな」
「わかった」
穴の外に出て婆を待った。中での様子は聞こえていたようで、カラの顔にもすっかり安堵が浮かんでいる。
「サリ、これ受け取れ」
穴の中から婆が包みを押し出してきた。婆よりもデカい包みだ。それをぎゅうぎゅうと押すものだから、私は布が破けやしないかと、そちらの方が心配になった。婆はというと、涼しい顔をして籠を片手に穴から出てきた。心配したんだよ、婆。
婆が大量に拾い集めたムンチャンの実と、タマリンドは、しばらくの間集落の皆が使うに十分な量だった。すごいね、婆。これ何日もかけて集めてたんでしょう?
無事婆が戻り、サリは一層集落の皆から信仰に近い信頼を寄せられることとなったが、その実態を知るのは婆とサリの2人だけ、だった。
お読みいただきありがとうございました。
この話は5世紀初めのタルマナガラ王国(現インドネシア)をイメージした創作です。
次の転生先でお会いできましたら幸いです。(10/1の午前7時に転生予定です)




