69話魔法使いの独白
フィガロという名で配信を始めて、もう六年になる。
最初の頃は、誰にも見向きもされない配信だった。「異国から流れ着いた魔法使い」というロールプレイは、当時の界隈ではさほど珍しいものでもなく、似たようなコンセプトの配信者は他にもいくらでもいた。差別化のしようもなく、ただ淡々と、独り言のような配信を続ける日々が続いた。
――なぜ、この業界に足を踏み入れたのか。
その問いへの答えは、フィガロにとって、少しだけ複雑なものだった。彼の「本業」もまた、人知れず行うべきものだったからだ。
フィガロは、古くから受け継がれてきた「結界術」を扱う魔術師だった。とはいえ、派手な戦闘や悪しきものとの対峙が本分ではない。彼の役目は、もっと地味で、しかし欠かせないものだった。土地に根付いた古い結界のほころびを見つけ、修繕し、悪しきものが入り込む隙を未然に塞ぐ。人々が気づかぬところで、日常の平穏を静かに支え続ける仕事だった。
この仕事もまた、ただの善意で行っているわけではない。同じような異能を持つ者たちを取りまとめ、各地の案件を割り振る裏の機関があり、フィガロはそこに登録された正式な「請負人」の一人だった。依頼が入れば、指定された土地へ赴き、結界の綻びを修繕する。完了報告を上げれば、機関から相応の報酬が支払われる。世間には決して知られない仕事だが、それでも、きちんと対価の伴う生業だった。
感謝されることも、存在を知られることもない。それが、結界術師としての在り方だった。何百年と受け継がれてきたその務めを、フィガロもまた、淡々とこなしてきた。
だが、心のどこかで、ずっと渇いていた。誰かに見てもらいたい。誰かと言葉を交わしたい。そんな、ごくありふれた願いを、彼は長い間、押し殺してきた。
配信活動を始めたのは、その渇きを、ほんの少しでも埋めたかったからだ。表の顔では語れない自分の一部を、「異国の魔法使い」という仮初めの姿を借りて、そっと世に出してみたかった。自分という存在をまったくのゼロから偽るのではなく、本質に近いものを形にしたい――そう考えて作り上げたのが、この「異国から流れ着いた魔法使い、フィガロ」という姿だった。最初から、この立ち絵で、この名前で、配信を始めた。
転機が訪れたのは、配信を始めて二年ほど経った頃だった。ある夜、視聴者がたった三人しかいない配信の中で、そのうちの一人が、ぽつりとコメントを残した。
『今日、仕事で失敗して、誰にも相談できなくて。でも、この配信見てたら、少し落ち着きました』
フィガロは、その一言に妙に胸を打たれた。誰かの助けになれた、という実感が、これまで感じたことのないほど鮮烈に胸に残った。
(――結界を張ることも、こうして誰かの心を守ることも、根っこは同じなのかもしれないな)
そう思い至ったとき、フィガロの中で、配信という行為の意味が変わった。これは、もう一つの「結界」なのだと。目に見える脅威からではなく、日々の孤独や疲れから、誰かをそっと守るための場所。
それから、フィガロは意識を変えた。人気を追うのではなく、目の前の数少ない視聴者と、真摯に向き合うことを心がけるようになった。ロールプレイの奥に、確かな誠実さを滲ませるようになった。
視聴者は、ゆっくりとだが着実に増えていった。「達観した魔法使い」というキャラクターは、いつしか「悩みを静かに受け止めてくれる存在」として、一部で熱心な支持を集めるようになっていた。
Vtuberという活動の良さを、フィガロは今、こう捉えている。素顔を隠したまま、誰かの支えになれること。感謝の言葉を、直接受け取れること。それは、長きにわたり陰から人々を守り続けてきた結界術師にとって、これまで一度も味わったことのない、ささやかで、しかしかけがえのない喜びだった。
――そして今、フィガロは自室のデスクで、V-CROWNの大会結果を改めて見返していた。
「――クリムゾフィア殿、か」
あの三画面同時視聴の初顔合わせの日から、まだひと月ちょっとしか経っていない。それなのに、随分と長い時間を共にしたような感覚があった。
(誰かと共に戦う、というのは、こういう感覚なのだな)
これまで、フィガロは基本的に一人で配信活動を続けてきた。コラボという形を取ることもほとんどなかった。理由は単純だ。誰かと組めば、自分の「静かな配信」というスタイルが崩れてしまうのではないか、という漠然とした不安があったからだ。それに、本業で培った「陰から支える」という在り方が、誰かと肩を並べて戦うという経験と、うまく噛み合うのかも分からなかった。
だが、今回の大会で得たものは、その不安を軽く上回っていた。索敵で状況を読み解くクリムゾフィアの姿は、どこか自分の結界術――目に見えぬ綻びを見つけ出す仕事――と重なるところがあった。指揮を執るシャーロットの的確な判断力にも、素直に敬服した。
「――案外、悪くないものだな」
誰に言うでもなく呟き、フィガロは小さく笑った。窓の外には、いつもと変わらない夜が広がっている。だが、フィガロの胸の内には、これまでにない温かさが灯っていた。
まだ、クリムゾフィアやシャーロットの正体について、深く考えることはない。ただ、この縁を大切にしたいという気持ちだけが、静かに、確かに育っていた。




