第15話 悪夢の睡眠導入剤 15-5
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そこは、今宵薬局だった。
カウンターの横の長椅子に、慎二は横たわっていた。頬に当たる座布団の感触も、棚に並ぶ瓶の淡い光も、薬草の香りも、全部現実のものだった。
店主が傍らに座り、そっと肩に手を置いている。
「……え」
慎二は起き上がろうとして、身体の力が抜けた。
「ここは……」
「店を出ようとしたところで、急に倒れられたんです」
店主は落ち着いた声で言った。
「意識が遠のいたようでしたので、こちらで休ませていました」
慎二は息を呑んだ。
では、あれは何だったのか。 斧で頭を割られた痛みも、槍で刺された感覚も、何度も何度も殺され、逃げ場のない闘技場へ引き戻される絶望も、全部ほんの一瞬の夢だったというのか。
頭が混乱した。
「……夢……?」
自分でも情けないほど弱い声だった。
店主は微笑んだだけで、肯定も否定もしない。
その時、店の扉が開いた。
風鈴めいた音が鳴る。
慎二は反射的に顔を上げた。
入ってきたのは、大柄な男だった。筋肉の厚い肩、厳つい顔、口数の少なそうな雰囲気。革ジャンの下からでも、鍛えられた体つきが分かる。
そして何より、その顔立ちが、あの夢の中で自分を叩き起こし、闘技場へ引きずっていった大男に、あまりにもよく似ていた。
慎二の喉から、ひゅっと音が漏れた。
男は慎二を一瞥し、不思議そうに眉を動かしただけだった。
「いつもの、ありますか」
低い声で店主に尋ねる。
慎二はそれだけで全身の血が引いた。
「ひっ……!」
彼は叫び声を上げると、ほとんど転げるように長椅子から起き、店の外へ飛び出した。
商店街の夜道を、夢中で走った。転びそうになっても、振り返れなかった。背後から斧が飛んでくる気がした。あの闘技場へまた連れ戻される気がした。
今宵薬局の中では、残された大男がぽかんとしていた。
「……何だ、あの人」
店主は小さな包みを用意しながら、首を傾げる。
「さあ?」
男はいつもの薬を受け取り、代金を置き、ほどなく帰っていった。
扉が閉まり、店内が静かになる。
店主はカウンターへ戻ると、水晶球をそっと撫でた。球の中には、商店街から必死に逃げていく慎二の後ろ姿が映っている。肩をすくめ、何度も背後を気にしながら、惨めなほど必死に走る姿。
店主の柔らかな表情が、ほんの少しだけ変わった。
口元に、三日月のような笑みが差す。
「……ちょっとは懲りたでしょうか」
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その後、商店街周辺の再開発の話は、思わぬところで失速した。
景気が急に冷え込み、大手の投資計画が見直され、行政も大型の再整備に及び腰になった。噂は噂のまま萎み、買い集めた土地の値も、当初ほどの期待は持てなくなった。
慎二はそこで、早々に手を引いた。
損を出す前に周辺の土地を売り払ったので、致命傷にはならなかった。むしろ、まだ引き際としては上手い方だったと言える。だが、彼の中で何かが決定的に変わっていた。
前のように、相手を追い立てる言葉が喉から出なくなったのだ。
「一ヶ月以内に出ていけ」
その一言を口にしようとすると、あの闘技場の土の臭いが蘇る。
「居場所がない」
その言葉の先に、自分が膝をついて泣いていた姿が重なる。
慎二は理由を誰にも話さなかった。
話せるはずがない。
睡眠薬を飲んで倒れた一瞬に、まるで戦場の地獄を何度も味わったなどと口にしても、笑われるだけだ。
ただ、彼はあの偽造した権利書を自分で破った。
今宵薬局。
店の奥で、「 」は水晶球を眺めていた。「 」には水晶球から慎二の様子が映っている。
その様子を見て「 」は客に見せることのない三日月のような笑みをしている。
それは口元の縫合後が裂けんばかりに。
「いや、今回のお客さまには楽しませてもらいました。たまにはこちらの店でもこういうお客さまが来ないと面白みがありません」
「 」は水晶球を布で覆い、静かに店の明かりを消した。
第15話 悪夢の睡眠導入剤 -了-
これにて今宵薬局はいったん終わりといたします。
自分としては初の小説でしたが、素人なりには書けたと思います。
少し休憩をいただいて、続編となる物語を投稿する予定です。




