第3話 時戻しの咳止め 3−1
黄昏れ時、シャッター街と化した商店街に一店舗だけ営業している店があった。
その店の店名は今宵薬局と書かれている。
店名が書かれた看板は古いが、店内はありふれた薬局の様子での薬が所狭しと並べられている。ただ、その薬は一般的に流通している市販品とは違う印象がある。
そしてカウンターの向こうに男がひとり座ってなにやら水晶球をじっと眺めている。
男は20代後半で顔は整っている。しかし、よく見ると化粧で誤魔化されているが口の周囲にうっすらと縫合の傷跡がある。その男はこちらに気づくと、にこやかな顔になった。
「やあ、こんにちわ、いやもうこんばんわかな、今宵薬局へようこそ。私はここの店主の「 」です。今回のお客様は、彼女を事故で失い悲嘆に暮れている方です。彼の喪失感をどうすれば埋めれば良いか、この処方箋は難しいですねぇ」
水晶球には、アパートの一室。死んだ目をしてベッドに横たわる青年が映っていた。
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十二月の夜。街はクリスマスのイルミネーションで彩られていた。
でも、相川直樹の目には、その光景は何も映らなかった28歳。都内の出版社で編集者として働いている。いや、働いていた、と言うべきか。2週間前から、仕事を休んでいる。
直樹はアパートの部屋で、ベッドに横たわっていた。カーテンは閉めたまま。部屋は薄暗く、空気が淀んでいる。
テーブルの上には、食べかけのコンビニ弁当と、空になったペットボトルが散乱していた。
直樹は天井を見つめた。何も考えられなかった。いや、考えたくなかった。
1ヶ月前の、あの日のことを思い出さないように。
でも、思い出してしまう。何度も、何度も
頭から消そうとしても頭に浮かんでしまう。
11月20日。土曜日の午後。
直樹は、恋人の桜井明日香と待ち合わせをしていた。明日香は26歳、カフェで働いている明るい女性だ。付き合って3年になる。
待ち合わせ場所は、渋谷駅のハチ公前。午後3時の約束だった。
でも、明日香は来なかった。
午後3時を過ぎても、3時半を過ぎても。直樹は何度もスマートフォンを確認したが、明日香からの連絡はなかった。
電話をかけても、繋がらない。
午後4時も過ぎた時、直樹のスマートフォンが鳴った。でも、それは明日香からではなく、見知らぬ番号だった。訝しんだが、とりあえず出ることにした。
「もしもし……」
「相川直樹さんですか?」
男性の声。野太い声、どこか緊張している。
「はい、そうですが」
「警視庁渋谷警察署の者です。桜井明日香さんの関係者でいらっしゃいますか?」
直樹の心臓が、激しく跳ねた。
「はい……わたしの彼女です。何かあったんですか?」
「桜井さんが、交通事故に遭われました。現在、聖マリア病院に搬送されています」
直樹の手から、スマートフォンが滑り落ちそうになった。
「事故……?」
「詳しくは病院でご説明します。すぐに来ていただけますか」
直樹は警察から病院の住所を聞いてすぐに向かった。タクシーに飛び乗り、病院へ。
病院に着いたとき、明日香はすでに手術室にいた。
医師が説明してくれた。明日香は横断歩道を渡っているときに、信号無視の車に跳ねられた。頭部に強い衝撃を受けている。今、緊急手術中だ、と。
直樹は待合室で、何時間も待った。
午後8時、医師が出てきた。その表情を見た瞬間、直樹は全てを悟った。
「ご家族の方でしょうか……」
「僕は恋人です」
「そうですか……残念ですが、桜井さんは亡くなられました」
直樹の世界が、音を失った。
「手術は尽くしましたが、損傷が大きすぎて……本当に、申し訳ございません」
医師は深く頭を下げた。
直樹は何も言えなかった。ただ、その場に立ち尽くしていた。
明日香は、死んだ。
もう、会えない。
それから1ヶ月。直樹は、まともに生活できなくなっていた。
仕事は休職した。友人からの連絡も無視した。部屋に閉じこもり、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
何のために生きているのか、わからなかった。
明日香の笑顔が浮かぶ、その度に彼女がもういないのだと感じ否定する。
いくら否定しても、考えないように仕向けても、次にはまた彼女の顔が浮かぶ。
それが辛くて、ぼーっとするか寝るかしかなかった。
ある夜、直樹は久しぶりに外に出た。いくら辛くても腹は減る。
手早く買い物ができるコンビニに向かった。
12月の夜風は冷たかった。街はクリスマスムード一色。カップルたちが、楽しそうに笑いながら歩いている。
直樹は、その光景を見るのが辛かった。
コンビニで適当に買い物を済ませ、帰ろうとしたとき、ぼんやりして歩いていたためだろうか。いつもと違う道に出ていることに気づいた。
見知らぬ路地。薄暗く、人通りもないシャッター街、少し不気味ですらある。
でも、一軒だけ、明かりが灯っている店があった。
薬局だった。
「今宵薬局」
町中で見かけるありふれた薬局で、ガラス戸の向こうには、柔らかな光が漏れている。
直樹はちょうど目薬を切らしたところだった。
目薬でも買っていこうと店に立ち寄ることにした。
ガラス戸を開けると、カラン、カラン、と鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ」
穏やかな声。店の奥から、ひとりの人物が現れた。
男は20代後半、整った顔をしている。眼鏡をかけ、黒髪を後ろで束ねていた。彼は直樹にこやかな顔で挨拶をした。
「ようこそ、今宵薬局へ」
その薬局の店主は、微笑んだ。
そして店主は直樹の顔をじっと眺めて
「お客さま、随分と落ち込んでおられるご様子。」
「わたし、そんなに落ち込んでいますか?」
「ええ、そりゃもうこれ以上ないくらい……、喪失感というのでしょうか。」
直樹は何も答えられなかった。直樹が先ほどより沈んだ顔を見て店主は察する。
「言いにくいのですが、大切な方を失くされたのですね」
驚いた顔をする直樹を見て、店主の指摘が正しかったようだ。
直樹は疲れ切った顔で店主を見た。
「はは……、店長さんあなたはきっと占い師にもなれますよ。」
店主は少し困った顔をする。
「わたし、そういうのはむしろ向いていないと思うんですがねぇ」
「失礼ですが、お客さまはどのような方を亡くされたのですか」
天守の質問に直樹の目に涙が滲んだ。
「一ヶ月ほど前に彼女を事故で亡くしまして。でも会いたい、もう会えないとわかっているのに……」
直樹は嗚咽をしてしまい、それ以上話すことが出来なかった。
「みっともないところをお見せしました」
「いえ、わたしの方こそ不躾な質問をしてしまいました」
その様子を見た店主は少し思案し、
「少し、お待ちください」
そう言ってから、店主はは店の奥に消えた。
店主の前で嗚咽を出してしまい、情けなくなる直樹。
少し自分を落ち着かせてから、店主が戻ってくる間に店内を見回した。棚には、見たこともない薬が並んでいる。「声のしずく」「時の砂」など。どれも見かけない薬ばかりであった。
商品棚を眺めているうちに店主が戻ってきた。手には、一本の瓶があった。
「これをお使いください」
カウンターに置かれた瓶。琥珀色の液体が入っている。ラベルには「時戻しの咳止め」と書かれていた。
「咳止め……?」
「ええ。でも、ただの咳止めではありません」
今宵は瓶を手に取った。
「このシロップを一口飲んでください。そして、咳を一回してください。そうすれば、10分間だけ、過去に戻ることができます」
直樹は息を呑んだ。
「過去に……戻れる?」
「ええ。戻りたい場所を強く思い浮かべながら咳をすれば、そこに戻ることができます。ただし、10分間だけです」
この店主は何を言っているのか、過去に戻って活躍する物語はごまんとあるが、あくまでも物語の中だけである。ひとを揶揄うにもほどがある。
でも……、それでも……
「それがあれば……彼女を救える?」
「それは、わかりません」
今宵の表情が、わずかに曇った。
「過去は変えられるかもしれませんし、変えられないかもしれません。ただ、あなたにその瞬間に立ち会う機会を与えるものです。ただそれは、あなたがさらに辛い思いをするかもしれません」
直樹は瓶を見つめた。
「お代は……」
「いえ、お代は結構ですよ。」
「しかし、このようなものをタダでもらうわけにはいけませんよ。」
「対価は頂いているんです。ただそれは金銭とかではないだけです。」
「その対価というのは?」
「それは秘密です。でも安心してください、けっしてあなたに不利益をもたらすものではないとだけ言っておきます。」
よくわからなかったが、直樹は了承することにした。
店主は時戻しの咳止めを直樹に手渡した。
「どうぞ、お大事に。使いどころは考えてお使いください」
直樹は瓶を握りしめた。
「そうそう。このシロップは、一瓶で10回分です。使い終わったら、もう過去には戻れません。どうぞ、よく考えてお使いください」
直樹は頷き、店を出た。
もしかしたら彼女を、明日香を救えるかもしれない。
時戻しの咳止めの効果など信じられないが、もし本当に時を戻せるなら
直樹は夜の道を走っていった。




