第15話:光輪の女王、降臨せよ
Scene 1:白磁の覚醒
シエルは小さく息を吸い込み、右手に握りしめた青いキーチップを、白磁の二十面体の中央へと近づけた。
カチッ。
チップが吸い込まれるようにスリットへと噛み合う。
一瞬の静寂ののち、多面体の内部から、精密な時計の歯車が噛み合うような、極小の駆動音が響き渡った。
「ロック、解除……!」
カイが叫ぶ。
次の瞬間、球体に近い正二十面体の美しい調和が、物理法則に従ってダイナミックに崩壊を始めた。
コト、コト、コト……。
二十の三角形パネルが、まるで生き物のようにスライドし、順次反転を開始する。白磁の装甲が裏返り、内側からゴールドとシルバーの精密な金属フレームが露出していく。
そして、上部の三角形パネルが連動して固定を解かれた、その瞬間だった。
バシュッッ!!
高圧電磁ラッチが解放され、左右の装甲が一気に外側へと滑らかに展開した。わずか0.5秒。目にも留まらぬ速度で展開されたのは、薄手で半透明の、淡いブルーに透き通る美しい一対の翼だった。
続いて、下方のパネルが流れるような動きで四方に割れ、細身の四肢を形成する。
中央のパネルが上方へとスライドし、小さな王冠を模した頭部がせり上がる。
「フィン……フィイィィィ……」
バイオリンの弓を引くような、涼やかで透明感のある電子音が、研究室内に響き渡った。
装甲の隙間に刻まれたシルバーのラインが、淡いブルーの光を帯びて一斉に本発光する。
そこに立っていたのは、マットホワイトの装甲に包まれた、極めて優美で巨大な「白い天馬」だった。体高はカイの身長を優に超える二・八メートル、半透明の翼は広げれば八メートルに達し、白磁の質量が研究室の床を軋ませる。
六機目のテラ・ノーツ――コロナ。
「すごい……なんて綺麗な変形シーケンスだ」
カイは思わずスパナを握り直したまま、見とれていた。アトラスの一気に弾けるような瞬間変形とは異なる、各フェーズに優雅な「間」を設けた、まるで美しい舞のような変形シークエンスだった。
Scene 2:最後の贈り物
白い天馬――コロナは、青く澄んだ瞳を瞬かせ、目の前に立つシエルを見つめた。
そして、その長い首をゆっくりと下げ、シエルの額にそっと鼻先を寄せた。
『……お久しぶりね、シエル。大きくなったわね』
シルバーベルを揺らすような、静かで母性的な女性の声。
シエルの瞳から、こらえきれず涙がこぼれ落ちた。
「母さん……? 本当に、母さんなの……?」
コロナは優しく瞬きをし、首を横に振った。
『私はコロナ。ルナ博士が遺したテラ・ノーツ。でも、私の制御AIには、あなたの母が最期に転写した意識のフラグメント(記憶の断片)が眠っています。……シエル。あなたが鍵を持ってここに辿り着く日を、私はずっと待っていました』
シエルはコロナの白磁の首筋をぎゅっと抱きしめた。その胸元のチップとコロナの胸部の核が共鳴し、まばゆい青い光となって研究室を満たす。
『適合者を確認。……マイスター契約、完了。さあ、シエル。私の背に乗って。ルナ博士が望んだ「空」を、一緒に取り戻しましょう』
シエルは涙を拭い、覚悟を決めた強い眼差しで頷いた。
「ええ……。行こう、コロナ」
Scene 3:女王と王、そして空へ
アトラスは、コロナの誕生を固唾をのんで見守っていたが、やがて一歩前に出ると、青い瞳を強く輝かせた。
『……コロナ。生きていたか、姉よ』
アトラスの王としての厳かな声に対し、コロナは優雅に首を傾げると、その澄んだ瞳でアトラスを見下ろした。
『あら……アトラスちゃん? その姿は何?』
「……ぬっ?」
アトラスの目のLEDが、動揺したようにチカチカと明滅した。
『あなたのあの美しい、天を覆うような十二面体の翼はどこへ行ってしまったの? ずんぐりして、翼が骨組みだけなんて……まるで迷子のトカゲのようね』
コロナの余裕に満ちた、どこかからかうような問いかけに、アトラスは赤面するように胸のインジケーターを真っ赤に発光させた。
『ぐ、ぐぬぬ……! 大破壊の折に物理フレームが激しく破損したのだ! 笑うな、コロナ! 私はこれでも王(King)だぞ!』
『ふふ、そうね。失礼したわ、我が王』
コロナはくすくすと笑うような駆動音を立てた。
『仕方のない子。……でも、大丈夫よ。私たちのコアは双対関係にある。本来なら、エネルギーを同調させれば、あなたの翼を再構築できるはず。けれど……今の不完全な私たちの回路だけでは、同期できずに拒絶反応を起こしてしまうわね』
コロナは、アトラスの横で義手のモニターを覗き込んでいるカイに視線を向けた。
『二つのコアの不一致を論理的・物理的に中継する、新しい「マイスター」の技術……あなたの力が必要になりそうね、技術者さん』
「俺の、力……?」
カイが自身の機械義手を見つめた、その時だった。
ビーーーッ! ビーーーッ!
研究室のスピーカーから、突如として耳障りな赤色警告音がかき鳴らされた。
『警告。中枢AIマザーのセキュリティシステムが復旧。隔離区画LUNA-06をロックオン。カテドラル級「インクィジター」が接近中。直ちに排除プログラムを実行する』
「ちっ、もう見つかりやがったか!」
カイがゴーグルを押し下げて叫ぶ。
『シエル、行きましょう!』
コロナが大きく翼を広げ、その背中中央の装甲をスライドさせて半埋没型のライディング・シェルを解放した。シエルはコロナの背のシェルへと深く収まり、腰回りを電磁固定クランプがガッチリとホールドする。
「カイ! あなたたちは地下の整備通路から脱出して! 地表へのルートを確保して、必ず追いつくわ!」
シエルの銀髪が、コロナの発光する青い光に照らされて美しくなびく。
「分かった! 死ぬなよ、シエル! アトラス、俺たちも走るぞ!」
『うむ!』
コロナの強力なスラスターが火花を散らす。
「フィン……フィイィィィ!」
一対の淡いブルーの翼が大きく羽ばたき、コロナはルナの研究室のガラス天窓を突き破って、白磁のエデンの空へと飛び立った。
キャノピーのない剥き出しの上半身だが、コロナの展開した局所防護フィールドが流体を偏向させ、猛烈な風圧と加速度の大半を受け流していた。防壁の境界線で摩擦熱の青いスパークがパチパチと爆ぜ、極限の急上昇に伴う激しい振動と、シールドを透過して伝わる熱波の余熱がシエルの肌をチリチリと刺激する。その圧倒的なスケール感とスリルの中、シエルは初めて、自分の意志で世界の「青」へと向かって駆け上がっていくのだった。
(第16話へ続く)




