15-1 飛行機事故の話
【15話/B面】Aパート
放課後になると校舎の東側2階に人が集まる。
誰かが部室にやってきて、それが複数名になったあたりから『日本文化交流研究部』の活動は始まる。
ただ、この日は顧問をしてくれている先生が特別に話をしてくれるという事で部員たちは集った。
「自分入れて10名。揃いました、三枝先生。」
クラスメイトで生徒会の西山も来てくれている。
「ホント、西山君入れたら10名にもなったのね。よし。今日は10回忌だから皆さんと分かち合いをさせていただきます。
静那さんもよく聞いていてね。」
先生は、おそらく知り合いがこの中にいたであろうという感じを含ませつつ、とある事件の話をしてくれた。少し俯きつつも、しっかりした口調で。
* * * * *
「1985年…この年は何があったか分かる?」
「阪神が優勝した年と違います?」
“あんた何言ってんのよ”という視線が仁科さん側から飛んできたのだが、三枝先生は構わず続ける。
「それもあるけどね…確かに大阪の街が盛り上がった…それもよく覚えてる。
でもこの年の夏にね、忘れられない事があったの。」
「何か悲しい事なんですか?先生。」
少しうつむくが三枝先生は話し始めた。
「そうね。日本で史上最悪の航空事故と言われている“日航ジャンボ機墜落事故”が起こったのがこの年なのよ。
もう10年前の事だから覚えてないと思う。
だってその頃君たちは5~6歳だもんね。
私は社会人になって教師としてこれから頑張ろうって思ってた時期で“社会”っていう空間にまさに飛び込まんとしていた時だった。
だから衝撃的だったな。
500人以上のかけがえのない命が一瞬で亡くなったのよ。
勿論、社会全体に大きな衝撃を与えた。
当時は原因追及など色んな報道があったし、そのことで大きく日本社会が動いた。」
「500人以上…」
勇一達に緊張が走る。
「でも私は今年が墜落事故の10回忌にあたるからとか、墜落の原因は何だったのかとかそういう話をするためにここにきたんじゃない。
墜落するまでの間、機内でどんな事が起こっていたのか記録されたものが残っていて、その資料や証言を伝えたくて今日は話に来たの。
知りたい?人は死を前にしてどんな事を思うのかって。」
「はい、先生知りたいです。」
「まず…君達だったらどんなことを思う?」
「僕は、家族を悲しませることになるから申し訳ないな…って。」
「素敵な意見ですね。でももっと極限状態を想像してみて。穏やかな気持ちでいられる?」
「私…私も多分西山君と同じこと考えると思うけど、極限状態になったらやっぱり“死にたくない”って叫んでパニックになってると思う。取り乱さないようにとかそんなこと感じられないくらい…」
「そうよね。突然死にたくなんかないよね。他には?」
「お…自分は、なんか悔しいかな。ただただ悔しい。社会をまだ知らないし、まだやりたい事あるのにって。」
「じゃあそう思わないようにやるだけよね。“いつか”じゃなくて“今”」
「私は、正直に言っていいですか…」
「もちろんよ。この時間はそういう場よ。」
「好きな人と幸せになりたかったなって思うかも。どんな形でも…」
「それも自然な感情だと思う。素直な気持ちで良いと思うよ。」
「私は怖くて何も考えられなくなるかも。私の死を知った家族の事を考えると辛いけど。」
「自分も家族の事は考えるかな。極限状態っていうのがまだ分からないけど、一番に思い出すなら家族かな…。」
「家族か…俺はあんまり思わないかもしれない。でもやっぱり先逝って申し訳ないとは…思うかも。」
「私は…」
静那も口を開いた。一同は注目する。
「私は、最後まであきらめたくないって何かあがくかも。だってみんなかけがえのない命だから。なんとかして助からないかなってさ。それが飛行機の中だとしても。」
「静那さんらしい命を大切にしたいっていう素敵な意見ね。」
「でも助からなかったんでしょ…」
「そうね。でも助からなかった命も何かを残そうとしたのは事実なの。
それを今日は紹介します。」
一同が先生の方に改めて視線を向ける。
「墜落するってことが判明した時、もちろん機内はパニックだった。操縦不能に陥り乗客は泣き出す人や叫ぶ人がいたみたい。
急に突きつけられた“死”に誰もが受け入れられるわけがない。
彼らの心情を察するなんておこがましいと思う。本当は大人でも発狂したい心理なのに…彼らなりに必死に自分の精神状態と戦ってたんだと思う。
スチュワーデスさんが墜落寸前まで皆をなだめようと頑張っていたっていう記録が残ってる。自分の仕事を最後まで全うしようとしたんでしょう。
墜落寸前まで頑張っていたのは機長だって同じ。最後までなんとか無事着陸できないか…墜落地点の共有ができないかなど、極限の状態でも考えていたんじゃないかな。」
「極限の状態…か…。」
「墜落してから遺体は勿論、色んな遺品が残っていてそれも話題を呼んだ。
父親らしき人が書き記したものがいつくか見つかってね…
『子どもをよろしく』という短い文章だったり『お父さんは本当に残念だ』という感じの手帳にしたためた文章が見つかったり。
子どもに対してだろうメッセージ『□□、立派になれ』って書かれたものが残っていた。
家族の事を思ってか、メッセージを最後に伝えたかったのでしょうね。」
「…遺言っていうことですよね…」
「そうね。無念を書いたものがあれば、家族に向けての感謝のメッセージが書かれたものもあった。死を目の前にしても感じる事は違うのって不思議ね。
遺体の検証もされたんだけど、子どもを守ろうとして必死に抱きかかえていた遺体など見つかってる。
当時は炎よりも煙が酷くて立ち入れないくらいの状態だったから、検証も遅れたせいで死体の損傷は酷かったらしい。
検証していくうちにDNA鑑定結果からかどうかは分からないけど子どもを抱きかかえていた死体の人物と抱きかかえられていた子どもは親子ではなかった事が判明したの。
それで、人は極限状態の時は、親子でなくても無意識に子どもを守ろうとするものではないかっていう意見も挙がった。
目の前の命が他人であろうとも必死で守ろうとした記録。それが事実として残ってる。
私たちは残されたものとしてどう生きるべきかって感じる。そんなきっかけがこの事件になってる。」
「どう生きるか…ですか。」
「皆思う所が違っててもちろん良いのよ。でも人間の本質が親子でなくても無意識に子どもを守ろうとするものだとしたら、残された君達はどうしたい?
“立派になれ”っていう言葉も自分に認められたものだとしたらどう感じる?」
「立派って言ってもちょっと抽象的すぎませんか…どう立派になればいいか…」
「そこはあなたがこれから考えていくテーマなんじゃないの?こういうのが“立派”だっていう定義なんて私は教えてあげられないし。
あなたの中で確固たる“立派”な姿を思い描けるまでは突き詰めてみたら。」
「はい…」
「今日の話は皆の心の中に留めておくだけで良いよ。
あなたたちの両親…そのまた両親とさかのぼっていくと、ご先祖様はどこかでつながっているっていうのは聞いたことあるよね。
だから隣人の人、それが外国の人だったとしても思いやりを持つことができれば良いんじゃないかって先生は思う。
先生がこの事故で一番印象に残っているのは、目の前の命が他人であろうとも命を守ろうとした所かな。
家族とか他人とか関係ないじゃない。
まぁまだ理屈では理解できても感情では分からないと思う。
けど心には留めた上でお互い感じた事を話できればいいんじゃないかな。」
まずは先生が感じた事を真っすぐに伝えてくれた。いや、勇一達に向けて分かりやすくかみ砕いて伝えたようなニュアンスだった。
「じゃあ後は皆で話してみて。先生はそろそろ職員室に戻ります。」
三枝先生が去ってからしばらくして仁科さんがポツリと呟く。
「そういえば先生って若いころからずっと独身だって言ってた…あれって…」
その言葉に周りは何も言わなかった。
『B面』では、勇一達が立ち上げた部活「日本文化交流研究部」での日常トークを描いています。時々課外活動で外出もします。
各話完結ですので、お気軽にお楽しみください。
尚、本編のストーリーとB面の話数は所々リンクしています。こちらを読んでから本編を読み進めていくとより楽しめます。
※文章中、誤字がありますが、これは意図的に入れております。
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