5-1 貧しいってこと
【5話/B面】Aパート
高知県のとある高校、校舎西側2階の奥まった一室――
そこは、高知だけでなく、ベラルーシ、カナダ、東京、そして関西……異なるルーツを持つ少年少女たちが、それぞれの『日本』を持ち寄る不思議な聖域だ。
誰かが訪れ、その顔ぶれが複数名になったあたりから、当たり前の日常を再発見するための場所、『日本文化交流研究部』の活動が幕を開ける。
授業終了を告げるチャイムが鳴り響いてからしばらくして、静那が控えめに、けれどどこか嬉しそうな足取りで部室の扉を開けて入ってきた。
「こんにちは」
彼女の透き通るような声が、まだ人の気配が薄い室内に心地よく響く。
けれど、彼女が一番乗りというわけではなかった。
だいたい、先客として「ボス」こと生一が、いつものように部屋の隅の席で椅子を斜めに傾け、熱心に漫画を読みふけっているのだ。
静那は、自分の定位置へと向かう前に、まず彼の元へ歩み寄った。
「こんにちは、ボス」
「おう、漫画の邪魔や」
生一は漫画から視線を外すことなく、ぶっきらぼうに、けれどどこか親しみを感じさせる声でそう返した。
「窓、開けますね。雨も止んだので、空気を入れ替えましょう」
静那は生一の許可を待つこともなく、窓枠に手をかけ、ガラガラと音を立てて窓を大きく開け放った。
途端に、雨上がりの湿り気を帯びた五月の柔らかな風が部室へ入り込み、開いたままの扉へと抜けていく。
彼女は自分の椅子を静かに引き、腰を下ろすと、日記のようなものを書き始めた。
他の部員たちが集まってくるまでの間は、彼女にとって今日一日を振り返る大切なひとときなのだ。
ペンを走らせるカリカリという微かな音が響く中、その様子をじっと見ていた生一が、ふと思い出したように問いかけてきた。
「お前、飯食うてるか?
今日も屋上にいたやろ。……多分昼、何も食べてないやろ」
生一は少し難しい顔をして、静那の細い肩のあたりに、心配そうな視線を向けた。
「そうですねボス……四月は必要経費というやつが結構かかりましてね。持ち合わせが厳しいんですよ」
静那はペンを置き、自嘲気味に答えた。
「家に帰ってからの、寮長さんの作ってくれるごはんが、今の私の『生命線』というやつです」
「朝は?」
「食べてますよ。一応」
「一応って、何よ」
「ごはんとか味噌汁とかです。日本人っぽいでしょう。あとお魚をいただいた時は、自分で調理して夜と朝にいただきます。魚をさばく練習にもなりますから」
静那は、自分が包丁を握る姿を思い出したのか、わずかに誇らしげな表情を見せた。
「まぁならええけど、昼抜くん厳しないか?
高校生って言ったら成長期や。ただ太ればええってわけやないけど、女子には『宿命的に太らなあかん部位』があるねん。社会人になって大人と対等に勝負していくためにもな」
生一は、どこか遠い未来を見据えるような仕草で言った。
「何の勝負ですか?」
「うん、まぁ……それはおいおい言う。でも女にはやらんといかん時があるってことよ。
コレ、日本人でなくても全世界の女共通や」
「誰かの名言ですかね」
「俺のカンや。人生十七年生きてきた中でな」
「さすがボスですね」
「何がさすがなんか分らんけど、昼くらいなんか食えよ。……五月になったら仕送りとかで使えるお金が増えるみたいやけど、それまで耐えられるか?
あんまりお金無いと、色々できんやん」
生一は、静那の質素な身なりをそれとなく気遣っているようだった。
「確かに、私まだ家と高校までの往復くらいしか出来てないですね。あ、帰りにおばさんに買い物頼まれて、スーパーへ寄ったかな……あ、『スパー』ね」
そこへ、廊下から軽快な足音が近づいてくるのが聞こえた。
「お疲れ様。静ちゃんも買い物とか行くの?」
仁科さんが、弾けるような笑顔で部室の扉を開けた。
「部長の勇一はちょっと遅くなるって。あと椎原さんも。
でさ、今の間に静ちゃん含めた女子の間でもっと親睦を深める為、近々どこか買い物行きたいな~って思ってんの」
仁科さんは、静那の隣に椅子を引き寄せ、前のめりになって目を輝かせた。
「今の間に計画立てない? 静ちゃん。行くお店話し合いたいんだけど。ね、どう?」
「私は……ちょっと厳しいかな。特に今月」
静那は申し訳なさそうに視線を落とした。
「何でよ静ちゃん? あれからまだタコ焼き屋も行ってないし、静ちゃんに是非食べてもらいたいスイーツがあるのに……『クレープ』っていう――」
やたらと押しの強い仁科さんに対して生一が制する。
「静那、今金ないねんぞ。五月になるまでは仕送り来んから、何も買えんらしいで」
「そうなの静ちゃん? それならそう言ってよ。私おごるから!」
仁科さんは即座にそう提案し、静那の肩を軽く叩いた。
「ええぇ、それは悪いですよォ。さすがに」
「遠慮しなくてもいいのよ」
「それでも、ちょっと……」
「ホラ、後輩に対してグイグイ行き過ぎてるから畏縮してるやん」
生一が呆れたようにため息をついた。
「うるさいな。私は静ちゃんと遊びに行きたいだけなの! あんた関係ないでしょ」
仁科さんは生一を睨みつけると、再び静那の方を向いた
「いや、後輩とはいえ、おごってもらうのはやっぱり気が引けるやろ」
「そうなの、静ちゃん」
仁科さんが優しく尋ねると、教えを噛みしめるように答えた。
「はい。お父さんからも『おごってもらう事よりも、自分が何かしてあげる事を大事にしろ』って言われていて……」
「素敵なお父さんだね」
「はい。ありがとうございます。
それに今本当にお金が無いので、やっぱりゴールデンウィーク過ぎくらいにならないと難しいです……ちょっと」
静那の頑なな、けれど礼儀正しい態度に、仁科さんはふっと肩の力を抜いた
「もう……真面目なの。東京の私の知り合いとは大違い」
「東京の知り合い? どんな人だったんですか?」
静那は、かつて自分が一度だけ訪れた大都会の記憶を辿るように聞き返した。
「うん……。その子はね、東京育ちでお金はそこそこあるんだけど、すぐ使っちゃう子でさ。
東京は本当に誘惑っていうか、物珍しいものが多いのよ。
次々と魅力的な食べ物や催し物を出してくるから、消費したくてたまらなくなるのよ。
利用するには当然お金がかかるでしょ」
静那はその言葉を熱心に聞き入った。
「結局、コンサートや新商品、魅力的なお店と回っていくうちに、高校生の財布はあっという間にカラになるのよね」
仁科さんは、自嘲気味に小さく笑った。
自分もかつて、その渦中にいたことを微かに思い出しているようだった。
「それでも世の中は東京を中心に、面白いモノをどんどん世に送り出していくのよ。
それで好奇心旺盛な十代の学生は、それを体験したり見てみたくなったりして、我慢できなくなるわけ」
「……置いてけぼり、ですか」
静那がぽつりと呟いた。
「そうなの。そこでお金が無いなら踏みとどまれば良いんだけど……やっぱり時間が経つごとに自分が世間から置いてけぼりを食らっているような感覚になるし、そこから手段を選ばなくなるケースがあるのよ」
生一は、珍しく茶化すこともなく、静かにその話を聞いていた。
「都会には、お金を使わせる魅力がいっぱいっていう事ですね」
「そうなのよね。お金は有限なのに、それを超えてでも使わせようとする社会って何なんだろうね。振り返ってみれば、私も含め、人間の欲望をうまくコントロールされてたように感じる」
仁科さんは、窓の外に広がる高知の静かな山々を見つめた。
「そうならないように、自分の感情を自分でコントロールしないといけないんだけどね。だから私は、食べ物みたいな自分の血肉になるもの以外は、あまり見ないようにしてる」
彼女の言葉には、一度都会の荒波に揉まれた者特有の重みがあった。
「以前はブランド物のファッションなんかも、すっごく興味あったんだよ。けどね……立ち止まれるようになった……かな」
「高知に来てからですか?」
「ううん。その知り合いの子を見ていて感じたの。
その子、それなりにお金あるのにも関わらず、いつも貧乏だ貧乏だって嘆いてた」
仁科さんは、静那の澄んだ瞳をじっと見つめた。
「私から見れば、私よりずっと裕福な家庭で育っているのに。それでも、さらにお金を得るために暴走しつつあった様子を見て、『貧しい』ってなんなんだろうなって思ったのよ」
静那は少し考え込んでから、確信を持って答えた。
「結局、感情を自分でコントロールすることができるかどうか……ですか?」
「そうね。金銭的に貧しくても、自分の感情をコントロールできればいいんだと思う。ずっと我慢してたらストレスたまるけど、そこも含めてのコントロールかな」
「お前にしてはええ話やな」
「やかましいわ!」
仁科さんは即座に突っ込んだが、すぐに表情を改めて静那を見た。
「いくらお金あっても、貧しいって思ってる人はたくさんいるからね。気の持ちようよ。でも静ちゃん……本当にお金無いの?」
「……はい、あと二千五百円くらい……」
静那は、恥ずかしそうに答えた。
「マジで! 五月まであと半月もあるじゃない。まさかだと思うけど、お昼ご飯代は別にある……よね?」
「いえ、お昼ごはんのお金コミです」
「それじゃ無理よ! 二週間を二千円台で乗り切るのはきついって! 服とか買えないじゃない」
仁科さんは、自分のことのように焦り始めた。
「服は……家に、二着だけありますよ」
「ええぇ! 女の子にとって洋服って、イノチみたいな物よ。もしかして、学校が無い日にそれをずっと着回してるとか?」
仁科さんは、信じられないという顔で絶句した。
「はい……まぁ」
「それはダメよ、静ちゃん! 洋服の一着くらいは買いに行きましょう! お金は私出すから」
静那は、仁科さんの勢いに圧倒され、戸惑うように首を振った。
「あ……あの」
「下着だって大事よ。ブランドとかじゃなくてもいいから、可愛いやつを」
「あの……あのですね……」
「今の静ちゃんを、より素敵に見せるのは、やっぱり――」
ここでハッとして、仁科さんは言葉を止めた。
生一の冷ややかな視線に気づき、自分がまた暴走していたことに気づいたのだ。
「……あぁ、そうだった、私、また先走ってたよね。なんか、ゴメン……」
仁科さんは、少し赤くなった顔を伏せて謝った。
「でもさ、静ちゃん。やっぱり五月になったら、お洋服を一緒に買いに行かない?
やっぱりお年頃の女の子なんだから、お洒落は大事よ」
「はい……そうですね」
「さっきはああ言ったけれど、やっぱりお洒落は女性のたしなみ。やっておくべき……いや、やっておいたほうが、絶対に素敵……かな?
それにお化粧だって、きっと静ちゃん、してないでしょう。元の素材が良いから」
「化粧も……まだですね。化粧って、高くないですか?」
「大丈夫! お化粧道具とCDは、女子高生の間では回しながら利用するものって言われてんのよ」
「じ……じゃあ、やってみようかな」
「そうよ、静ちゃん、やってみよう! じゃあ五月になったら行こ。
おごりとかじゃなくて、対等な関係でのお買い物! いい?」
「うんっ」
「よーし、やっと『はい』じゃなくて『うん』って言ってくれた」
仁科さんは嬉しそうに、パッと顔を輝かせた。
「え? あ。ゴメン……なさい」
「いやいや、それでいいのよ。私にも、勇一に話してるみたいに砕けてしゃべってくれたら嬉しいなって思ってたから」
「あ、そう……だね。ありがとう。仁科先輩!」
「何か、俺の話した?」
そのタイミングで、部室の扉が再び開き、勇一と椎原さんが入ってきた。
二人は、生徒会室での事務的な手続きを終えてきたところだった。
椎原さん”も”連れて行ったことで、勇一一人では手間取ったであろう活動報告は、驚くほど円滑に承認されたようだった。
『B面』では、勇一達が立ち上げた部活「日本文化交流研究部」での日常トークを描いています。時々課外活動で外出もします。各話完結ですので、お気軽にお楽しみください。
尚、本編のストーリーとB面の話数は所々リンクしています。こちらを読んでから本編を読み進めていくとより楽しめます。
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