1-1 とある交流会の一日
【1話/B面】Aパート
【B面】のスタートです。よろしくお願いします。
校舎の窓から見える景色は、まだ桜の舞う春の始まりの色彩に包まれていた。
舞台は一九九五年の日本。
高知県の高知市内にある、とある高校からこの物語は動き出す――
つい先日、初々しい入学式を終えたばかりの一年生の教室では、この日の全授業が幕を閉じ、下校前のホームルームタイムが始まろうとしていた。
放課後の静寂を待つ校内には、ホームルームの開始を告げるお決まりのメロディーがスピーカーから流れ出す。
ビートルズの『イエスタデイ』――
その物悲しくも美しい旋律が、廊下の隅々にまで染み渡っていく。
担任教師が明日の連絡事項を淡々と伝え、それを確認した生徒たちが一斉に席を立つと、号令と共にその日のホームルームは無事に終了した。
それと同時に、誰よりも早く教室を飛び出し、颯爽と校舎の西側二階にある教室へと足早に向かう一人の女子生徒がいた。
彼女は日本人ではない。
ほぼ全員が黒髪の日本人生徒たちの中に混じって、一人だけ白みがかったブロンドの髪を風に靡かせているため、どうしても周囲の目を引いてしまう。
クラスメイトたちの間ではその特異な容姿も少しずつ見慣れた光景になりつつあったが、全校生徒という大きな枠組みから見れば、彼女の存在はまだまだ際立って目立っていた。
彼女は、今日の放課後から本格的にスタートする部活動を、心から楽しみにしていたのだ。
部活とはいっても、まだ人数が規定に達していないため、正式な「部」としては登録できない同好会のような状態なのだが。
今日という日は、その記念すべき活動の初日であった。
* * * * *
活動の内容は、一言で言えば「ここ日本という国について色々と知るため」の集まりである。
他国からやってきた人間が、テレビのニュースやラジオから流れる断片的な情報だけを追っていても、どうしても理解できない壁に突き当たることがある。
「知っている」だけでは分からないことだらけだ。
生の体験や、他人の実体験に基づいた言葉を経なければ、気づけないことや、言葉の裏側にある本当の意味は掴めない。
日本人が普段の生活の中で当たり前のように聞き流している言葉でさえ、彼女にとっては不思議な謎だらけだったりするのだ。
国が違えば、生活の基盤となる文化も価値観も全く異なる。
部室となる空き教室が近づくにつれ、彼女の足取りは自然と早まっていく。
日本にやってきてから高校に入るまでの間、実のところ彼女は日本の学校の空気にうまく溶け込めず、不登校という孤独な時間を過ごしていた。
年の近い友達と、たわいもない話を交わす機会もほとんどなかったのだ。
だからこそ、本を読んで知識を得るだけではなく、生身の人間と関わり、自分の「知らない」を誰かと分かち合う時間を、彼女は何よりも欲していた。
それは、彼女にとって人一倍の楽しみであり、希望でもあった。
自分で選んだ高校とはいえ、当時、海外から遠い日本という異国の地へ一人でやってきた彼女の胸の内には、計り知れない不安しかなかった。
しかし、この高校に入学する直前、偶然にも出会った「とある先輩」が、不慣れな彼女を甲斐甲斐しくサポートしてくれた。
そして、彼女が日本を知るための居場所として、この部活動まで立ち上げてくれたのである。
「(どんな活動になるんだろう……)」
そんな瑞々しい期待を胸に抱きながら、彼女は部室となる西側二階の教室へと急ぐ。
* * * * *
教室へと繋がる静かな通路、その曲がり角に差し掛かったあたりで、彼女は一人のロングヘアーの生徒に呼び止められた。
その生徒は、自分よりも十センチ以上も背が高かった。
日本の女子高校生にしては長身な方だ。
彼女の白みがかったブロンドの髪を確認すると、その長身の女性は穏やかに声をかけてきた。
「もしかして、シーナさん?……武藤……静那さんですか?」
不意に自分の名前を呼ばれ、ブロンドを揺らして静那は足を止めた。
「あ、はい。静那です。あの……」
相手の顔を少し見上げるようにして、静那は答える。
「椎原と申します。顧問の三枝先生からお話があったと思うけれど、今日からこちらの活動に参加させてもらうことになったから、よろしくね。静那さん」
その言葉を聞いた途端、武藤静那の表情は、春の陽光を浴びた花のようにパアァと明るくなった。
この人が、今日から自分たちと一緒に活動してくれる新しい部員。
背は高いけれど、その眼差しは驚くほど優しげだった。
事前に聞いていた話では、この部活に参加するまでは茶道部でお茶を嗜んでいたという。
その影響だろうか、彼女の立ち居振る舞いには、日本女性らしいしなやかさと、どこか凛とした気品が漂っていた。
静那はそんな第一印象を抱きつつ、失礼のないようにと早速自己紹介を返そうと言葉を紡ぐ。
「あのっ、私はベラルーシというところから来て……その……」
「まぁ、自己紹介は部室内でやるってのでどうだ?」
そこへ、後ろから少し遅れて一人の男子生徒がやってきた。
この部活動を立ち上げた張本人であり、静那を助けた「とある先輩」である。
彼はまず、自分よりも背の高い椎原さんに丁寧な挨拶を交わした。
「椎原さんですよね。三枝先生から話は聞いています。
ありがとうございます、こっちの活動に参加してくれて」
「白都勇一君ね。部長だって聞いてた」
「まぁ、そこは成り行きなんですけどね。三枝先生、決断が早いというか……決めたら後はサッとこっちに振るような感じなので」
「多分、そんな流れだろうと思った」
椎原さんは、どこか楽しそうに微かな笑みを浮かべた。
部長である勇一は、そのまま二人を促して部室の扉へと向かう。
鍵を取り出して開けようとしたが、扉は既にわずかに開いていた。
中には、既に先客がいたのである。
やや茶髪気味の男が、窓際の席で隅っこの方を選び、熱心に漫画を読み耽っていた。
勇一はその男に向かって、呆れたような声をかける。
「なんだよ! いるんならドアくらい開けておいてくれよ」
すると、茶髪の男は漫画から目を離さずに即座に反応した。
「いや、お前(勇一)以外に先公が来るかもしれんやろ。一応、用心してドアは閉めておかんと」
「その漫画、もし先生に見つかったら没収になるからか」
勇一が吐息混じりに言うと、茶髪の男は、面倒くさそうな顔を隠そうともせずに顔を上げた。
この男もまた、成り行きでこの部活に加わった一人である。
ちなみに、勇一とは補習を受ける仲間という奇妙な縁があった。
既に面識のある静那は、親しみ込めた足取りで生一に近寄っていく。
「ボス! 来てくれたんですね」
「おう、漫画の邪魔や」
わざとぶっきらぼうに失礼な返答を投げた。
とりあえず全員が着席することになり、三人が机に荷物を置く。
漫画を読んでいた茶髪の男も、ようやくキリをつけたのか本を閉じ、椅子を引いて座り直した。
静寂が戻ったところで、部長の勇一が静かに口を開いた。
「自己紹介の前になんだけど、今日は椎原さん以外にも、もう一名新入部員が見つかったんだ!
仮入部というか、今のところ期間限定での参加みたいだけど、面白かったら継続してくれるかもしれない。今、近くにいるから呼んでくる。だから三人とも、少し待ってて」
活動開始の前に飛び込んできた、部員増加という嬉しいニュース。
「もう一名増えたんですか? 勇一すごーい」
静那は瞳を輝かせ、素直に喜んだ。
「俺以外にも、内申点狙いのヤツがいるんか……」
茶髪の男は冷めたような眼差しで、春の空が広がる窓の外を眺めた。「呼んでくる」とは言ったものの、少し時間がかかると踏んだのか、再び漫画に手を伸ばした。
「ボス! もうすぐ来ますから、ここは待ちましょうよ」
静那が、再び漫画の世界へ逃げ込もうとする茶髪の男を優しく嗜める。
「あの……静那さんは一コ下(1回生)だけど、前から藤宮君の知り合いなの? やけに遠慮なく話しかけているけれど」
不思議そうに静那へ問いかけたのは、椎原さん
静那は包み隠さず、柔らかな笑顔で答える。
「そうなんですよ。ボスは普段、一匹狼なんですけど……屋上でなぜか会うので、よく話しています。まぁ『屋上仲間』ですね」
「変な名前で言わんでええよ。俺、上で寝てるだけやし」
椎原さんに返答した茶髪の男子生徒は「藤宮君」という。
「でも、私は藤宮君と全然接点がなかったから、これが初めての会話になるかも」
椎原さんの言葉に、生一は椅子を揺らしながら答えた。
「まぁ、椎原はアレよ。特進クラスやしな。まず普通は会わんよなぁ。
というか、名前……『椎原』でええか?」
「いいよ。静那さんも、呼び捨てでいいからね」
「さすがに先輩なので……椎原先輩でお願いします」
「もう……そんなに気を使わなくてもいいのに」
そんな穏やかな会話を三人で交わしていると、部長の勇一がもう一名の参加者を伴って戻ってきた。
勇一よりも少しだけ小柄な男子生徒である。
「あれ、確か西山君じゃない? ……生徒会の」
椎原さんが真っ先に反応し、驚きの声を上げた。
どうやら、二人は既に知っている顔同士のようだった。
「うん。こんにちは、椎原さん。……と、静那さん、だよね。これから時々、顔を出させてもらうよ」
西山、本名・西山憲治は、少し緊張で強張った面持ちを崩さぬまま、たどたどしく挨拶をした。
その様子を見て、生一がボソリと呟く。
「俺、どうやら空気みたいやな」
茶髪の藤宮君の拗ねたような言葉に、勇一が素早くフォローを入れる。
「まぁまぁ。でも、お前が隅っこで漫画を読んでいたら、存在に気づかないのも無理ないって! ほら、西山。この通り、部員として生一もいるよ」
藤宮君の下の名前は「きいち」である。
勇一が紹介すると、静那がもう一度生一の元へ駆け寄り、元気な声をかけた。
「ボス! こっちに来てください。初日ですので、皆で自己紹介しましょう」
普通は先輩が後輩を気遣う場面だが……
「めんどいなぁ……」
「でも、私、ボスの事まだ良く知らないですもん。屋上でよく目撃するくらいで……是非、ボスの事、知りたくて……なにとぞ」
静那には、新しく覚えた言葉をすぐに使ってみるという愛らしい癖がある。
どこかで覚えたばかりの「なにとぞ」という言葉を、早速披露してみせたのだ。
生一は「まぁ、ええか」と投げやりに呟き、渋々と机の輪の方へと移動してきた。
西山を迎え入れたことで、大きめの机の周りには五人の輪が出来上がった。
一年生の静那に対し、あとの四人は全員二年生である。
皆が椅子を揃えて座ったところで、勇一が部長としての第一声を発しようとした。
「まずは、自己紹介に――」
バンッ!
勇一が言い終わるよりも前に、突然、教室の扉が勢いよく開け放たれた。
そこには、一人の女子生徒が息を切らして立っていた。
「すいません! 白都君の立ち上げた部活動って、ここで合ってる?」
入ってくるなり、直球の質問を投げかけてきたその女子生徒。
勇一と西山は、その顔にすぐに見覚えがあった。
彼女は関東からの転入生であり、勇一と同じ二年生でクラスメイトの仁科小春だった。
「仁科さん? だよね。これから部活が始まるところなんだけど。その……うん、ここが部室だよ」
部長として勇一が答えると、同じクラスメイトの西山もフォローを入れる。
「仁科さん、ここに来てくれたってことは、一緒に活動に参加してくれるっていうこと?」
「うん。三枝……先生が教えてくれて。やりたいことが今すぐ見つからないなら、内申点も上げてあげるから、ここに行きなさいってさ……」
「内申点か……。フン、現金な女だ」
生一が、部室の空気の中にボソッと皮肉を零した。
「ちょっと! なんで面識もないあんたに、そんなこと言われなきゃならないのよ!」
小声の呟きを聞き逃さず、仁科さんは即座に噛みついた。
相手が男子生徒であろうとも、全く物怖じしない性格のようだ。
しかし、そんな刺々しい空気をものともせず、静那がひまわりが咲くような勢いで仁科の元へと駆け寄った。
「あのっ……私、静那と言います!
詳しくはこの後自己紹介しますけど、是非一緒にこの交流会に参加してください。
お願いします!!」
静那は目をキラキラと輝かせながら、仁科さんの瞳の奥をじっと真っ直ぐに見つめた。
至近距離でその純粋な眼差しを浴び、仁科さんは心の中で呟く。
(何、この天使みたいな子~可愛い……)
仁科さんは、その眩しすぎる輝きにあっという間に毒気を抜かれてしまったようだ。
「え……えぇ……
私が何か教えられることって、あまり無いかもしれないけれど……その……よろしくね、静那さん」
「やったよ!」という顔をして、静那が勇一を振り返る。
「トントン拍子で部員が集まっていくな~」
西山が驚きで目を丸くしながら、勇一に小声で話しかけた。
『日本文化交流会』を立ち上げた段階で、静那を中心にメンバーは早くも六人にまで膨れ上がったのである。
「始まる前に色々あったけれど、ようやく……というか、自己紹介に入ろうか。皆さん、いいかな?」
「あ、部活動が始まるのって、本当にこれからだったんだ……」
仁科さんが少しだけ安堵した様子を見せる。
「じゃあ……」
勇一はまず、白みがかったブロンドヘアーの少女、静那に視線を向けた。
座っている一同の視線も、自然と彼女へと集まる。
まずは全員、この部活動を立ち上げるきっかけとなった彼女自身の言葉を聞きたいと思っていた。
静那と呼ばれるこの少女は、一体どこの国から、どんな想いでここにやってきたのだろうか。
五人からの好奇と期待が混ざり合った視線を肌で感じながら、静那はゆっくりと立ち上がった。
『B面』では、勇一達が立ち上げた部活「日本文化交流研究部」での様子を描いています。各話完結型のお話ですので、お気軽にお楽しみください。
尚、本編のストーリーとB面の話数は所々リンクしています。こちらを読んでから本編を読み進めていくとより楽しめます。
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