弾圧からの解放 ~とある東洋人の軌跡⑪
Chapter11
中東の刺すような太陽が、城門前の広場を無慈悲に照らし出していた。
長く続いた「追いかけっこ」も、いよいよ終わりの時を迎えようとしていた。
真也は、重装備の衛兵たちに完全に取り囲まれていた。
「さんざん逃げ回りやがって……コイツッ!」
血走った目で、物騒な曲刀を構えた大人たちが、荒い息を吐きながら真也を包囲する。
砂埃と男たちの汗の臭いが、熱気に混じって鼻を突く。
(……追いかけてきた衛兵の数は、走っているうちに結構減ってきたかな。…そろそろ、ここを強行突破してもいい頃合いだ)
目の前にはまだ百人近い兵士が立ち塞がっているが、今の真也にとって、そんなものは関係ない。
先ほどアジトの外周を走っていたら、遠目からではあるが城の上の高台に“言っていた処刑の広場”がチラッと見えたのだ。
あそこだ。あそこに、きっとみんながいる。
「アジトの内部構造についての情報は殆どなかったけど、この門からあの高台まで辿り着かないといけないってことだろう。
……なら、もう追いかけっこは打ち切りだ。あの場所へ急ごう」
目指すべき場所が分かった。
悪いけれど、ここは力ずくで突っ切らせてもらうことにする。
走るのをやめ、静かに佇む真也に向かって、衛兵たちが肩で息をしながらじりじりと距離を詰めてくる。
手間ではあるけれど、一人ずつ大人しくさせていくしかない。
「城門で休んでいる兵士も含めて二百人か……」
真也は静かに腰を落とし、戦うための呼吸を整えた。
* * * * *
同じ頃、城内の高台――処刑台広場。
そこでは、張り詰めた沈黙の中に、全員の視線が一人の男に注がれていた。
集った皆が視線をやるのは、生一…そして、血走った目つきをしたファサルというプロ格闘家…
自分が勝手に「ハイキック野郎」と名付けた、この地獄の執行人だ。
先ほどの決死の猛攻を受けたファサルは、今や余裕の笑みを消し、その瞳には本物の殺意が宿っていた。
ここからは遊びではない、文字通り全力をもって自分を叩き潰すつもりだろう。
自分は、ゆっくりと近づいてくるファサルの足元に目をやった。
…わずかにびっこを引いている。
軸足だ。先ほどのドラゴンスクリューの手ごたえは確かにあった。
(…でも、ここからどうすればいい……やっぱり…)
腹部の傷がズキズキと強烈に痛み、意識が遠のきそうになる。血や汗が目に入り、冷静に思考を巡らせることができない。
もう痛みで立ってるのがやっとという感じだ。
そんな自分の傍らへ、八薙がふらふらと歩み寄ってきた。
「お前…」
「一緒に戦いましょう。俺も、まだ動けます」
八薙がフラフラと生一の前に立つ。
「俺もいるで…立ってるだけやけどな」
小谷野も、腹部をプルプル震わせながら這うようにして近づいてきた。
「壁くらいには…なるで…」
兼元も、右腕をダラーンとさせながらその横についた。おそらく、腕の靭帯が切れているのだろう。
ファサルが、獲物を確実に仕留めるためにゆっくりと歩み寄ってくる。
それを、瀕死の四人で迎え撃つという、あまりにも残酷で絶望的な構図だった。
仁科さんや葉月、そしてネイシャさんは、祈るような表情でこちらを見つめていた。
でもやっぱり逃げてほしかった。
もはやギリギリ立っているような瀕死の4人では敵わない相手だと感じていた。
皆の状態は生一もよく把握している。
だからまずは…と、生一が八薙を制して前に出た。
ファサルの視線が、明確に自分に向けられていることを自覚していたからだ。
その勇気ある一歩を見て、ファサルが何かを話し始めた。
当然、意味など分からない。けれど生一は一応返答してみる。
『久しぶりに愉しい闘いだったぜ。だが、もう遊んでやる暇がねぇ。
城門に残っているネズミどもにも、しつけをしなきゃならんからな……そろそろ終わりの時間だ』
「何言ってるのかよく分からんが、おまえの強さには正直感服した。
ただ、もう止められないんだよ。
俺ら…日本人に……しかもレスラーに喧嘩を売った時点でな…」
『終わりなんだよ。俺らに楯突いた段階でなぁ。
お前の運命は決まっていたんだ』
「止めてやるぜ。日本のプロレスラーから学んできた、この魂で」
『終わらせてやる……』
「ここで……止める!」
対峙する二人の言葉は、一切通じていない。
けれど、その場にいる仁科さん、葉月、そして八薙は同時に、奇妙な感覚に襲われていた。
(……お互い言葉が理解できてないのに、なんか微妙に会話がかみあってるんだが…)
アジャパが拳を震わせながら呟く。
『信じているぞ、ファサル。ワシはお前が敗れることなど万に一つも無いと思っとる。相手が日本人だろうが誰だろうが奴が負ける事は無い!』
生一は八薙たちを制して、さらに一歩、前へと出た。
ファサルの狙いが自分であることを、肌で感じていた。
同時にファサルも動き出し、一気に間合いを詰めてくる。
「勝負ッ!!」
間合いに入った瞬間。
やはり、閃光のような蹴りが繰り出された!
“左足”による、死のハイキックだ。
一発で終わらせようとしたのだろう。
しかし、思った通りだった。
蹴りの「キレ」は、先ほどまでよりも鈍っているように感じた。
生一は回避せず、あえて前に出て、その蹴りを「受け止めよう」とする。
もう一つの足……そう、奴の左足の靭帯をも痛めつければ、いくら化け物でも、もうまともに立つことができなくなるはずだ。
奴の機動力を完全に断つ!(そして股間を4人がかりで破壊する!)
それ以外に、大逆転のチャンスはない。
蹴りの軸足を痛めている分、いかに「魔の左ハイキック」とはいえ、なんとか目で追える速さになっていた。
ガードしてからそのまま足を抱き込むようにして掴む……そのはずだった。
しかし…
現実は、あまりにも無常だった。
生一の死力を尽くしたガードを紙細工のように突き破り、剛脚が後頭部を直撃した。
「ガッ!!」
鈍い衝撃と共に、生一はまたしても派手に吹っ飛ばされ……動かなくなった。
「生一ッ!!」
小谷野の叫びが響くが、ピクリとも反応がない。
さらにファサルの冷酷な目は、生一だけを見据えていた。完全に息の根まで止めようと、倒れ伏す生一に向かって歩いていく。
「いやぁぁあああ!」
ネイシャさんの悲鳴が、広場に木霊する。
小谷野、そして兼元が必死に割って入ろうとする。
小谷野が、ボロボロの両手を広げて「行かせない」というポーズを取った瞬間。
ドフッ!
小谷野の腹部に、またしても強烈な足刀がめり込んだ。
またしても、同じ箇所だ。
さらに、返す刀で放たれた右フックが顔面にクリーンヒットし、小谷野は無残に吹き飛ばされた。
そしてそのまま、彼も動けなくなった。
しかし、尚も兼元が生一の前に立ちはだかる。
片腕は上がらない……が、彼は生一の前で、岩のように仁王立ちをしていた。
ただ、もう飛び技を繰り出す力など残っていない。
ただの、棒立ちだ。
ファサルは、邪魔な障害物を蹴り倒そうと、無慈悲に蹴りのモーションに入った。
その瞬間!
隙だらけだとばかりに、八薙が思いっきり蹴りをファサルの背中へ叩き込んだ。
『ぐわぁっ!』
不意に背後を急襲され、ファサルが苦悶の声を上げて振り返る。
八薙に向かって振り向き鋭く睨みつける。
腕に力が入らないなりに懸命の抵抗を見せた八薙。
『日本を……舐めるなよ』
闘志はまだ消えていない。
『ハッハッハ、手こずっているようだな、ファサル!』
やや冷や汗を流しながらも、アジャパが下卑た笑い声を上げた。
いよいよ怒りが頂点に達したファサルが、まず八薙を仕留めるべく動く。
『クソガキどもが……コイツもまた起き上がりやがって……
もういい加減片付けたくなってきたぜ!』
もう先に片付けてやるとばかりに八薙と一の間合いを一気に詰め、鋭い蹴りを繰り出した。
八薙は死に物狂いでガードの体勢を取る。
確かに、蹴りの速度は落ちている。
しかし、ここでも八薙のガードを突き破り、重厚な一撃がヒットした。
スピードは落ちていても「重さ」が絶望的に違っていた。
ガードが突き破られた瞬間、咄嗟に頭を低く沈めたため、クリーンヒットだけは免れたが、八薙の体は大きく吹き飛ばされた。
『クソ野郎が! コイツ、また咄嗟に直撃を避けやがった』
寸前のところで致命傷だけは回避し続ける八薙に対し、ファサルは相当な苛立ちを募らせていた。
そんな惨劇を、倒れたまま「目」だけが追っている人間がいる。
……生一だ。
もう体が動かない。
目だけは動く。
八薙が、自分の代わりに奴の猛攻を一身に受けているのが、はっきりと見えた。
生一は動かない体に心の中で何度も怒鳴りつけた。
(動けよ! 俺の体! 動け、動けよ!!)
けれど、指先一つ、びくともしない。もう、一欠片の力も入らなかった。
眼球を動かし、視線を送ることしかできない。
自分の見ているすぐ目の前で、八薙が一方的に蹂躙されている。
八薙はそれでも、なお立ち上がろうとする。致命的な直撃をかろうじて避け続けているようだが、それも長くはもたない。
「クソォ……ここまで来たのによォ……」
悔しさで、ついに涙が溢れ出しそうになる。
体が…動いてくれない……
小谷野が気絶の淵から、声を上げて無理やり立ち上がってみせたが、すぐに糸が切れたようにぶっ倒れてしまった。
兼元も意識朦朧のまま腕をダランとさせた状態で、生一の前に突っ立っているだけの状態だった。
もう、戦える人間は…誰もいないのか……
仁科さんも葉月も、「もう十分頑張った」という絶望と諦念の混じった表情をしていた。
悔しいけれど、最後に一筋の光が見えたと思ったけれど……やはり、自分たちの敵う相手ではなかったのだ。
その現実を、受け入れるしかない。
もう…これ以上抗えない。
そんな中、八薙の腹部へファサルの強烈なソバット(後ろ回し蹴り)が突き刺さった。
深く足刀を叩き込まれた八薙は、激しく咳き込みながら、地面へと崩れ落ちた。
ついに、八薙も動けなくなった。
それを冷徹に確認した後、ファサルは倒れている生一へと視線を向けた。
トドメを刺すとばかりに、一歩、また一歩とズンズン歩いてきた。
自分に最も手痛いダメージを負わせた人間から順に、確実に殺していくつもりだろう。
靭帯を損傷させ、己のプライドを傷つけた生一から。
周囲の女性陣が騒然となる中、倒れたままの生一に向けて歩を進める“ハイキック野郎”ことファサル。
生一は目だけを動かして奴を見据えるが、体は依然として動かない。
そんな時だった。
……ふと、倒れている生一の目の前に、誰かの足が見えた。
兼元ではない。
誰の足だ……?
必死に目線を上へと向けてみる。
そして生一はか細い声で、その人物に声をかけた。
「……遅ぇよ……この練習生」
トドメを刺そうとした怪物の前に、一人の少年が立ちはだかっていた。
真也だった。
真也はまっすぐに敵を見据えたまま、まず生一に静かに語りかけた。
「遅くなって、すみません。これからは選手交代ということで、後は安心して寝っ転がっててください」
「……任すわ」
「どうも」
トドメを刺したければ、まずは自分を倒してからにしろと言わんばかりに、真也は自分の目の前に立ち塞がった。
「真也…」
立ったまま意識を失いかけていた兼元が、その登場に驚く。
「真也君…あなたまで来たら……」
仁科さんが、涙を流しながら呟く。
しかし、周囲の衛兵や村人たちは、まず真也がどこから現れたのか、その気配のなさを不思議に思っていた。
『オイ、あそこに現れるまでまったく気配を感じなかったぞ。……誰だ? あのガキも“日本人”なのか?』
『あいつは誰だッ!』
アジャパが、狼狽えた声を上げた。
「こんにちは」
間抜けなことに、真也は日本語で挨拶をしてしまった。当然、通じるはずもない。
しまった、という顔で、真也は言い直した。
『ナマステ(こんにちは)』
『ふざけるなッ!!』
怒鳴りつけたのは、目の前の怪物・ファサルだった。
既に彼の間合いだった。
ファサルは問答無用で、いきなり鋭い蹴りを見舞った。
真也の後頭部を。
一撃で粉砕するためのハイキックだ。
「危ないっ!!」
葉月が絶叫する。
しかし、真也はその急襲の蹴りを、片手で受け止めてみせた。
片手。それも、全く揺るがぬ姿勢でだ。
その光景に、衛兵たちもアジャパも、息を呑んで唖然とした。
真也はキャッチした手を、決して離さない。
蹴り足をガッチリと掴んだまま、彼はまず、広場の左側を静かに見渡した。
壁際で倒れている村人。小谷野先輩。そしてネイシャさん。他にも、手錠で数珠繋ぎにされている村の女性たち。
サーッと素早く状況を俯瞰し、今の惨状を瞬時に理解する。
そして、片足立ちの体勢で動けずにいたファサルの腹部へ、吸い込まれるようなボディブローを叩き込んだ。
「グゥウッッ!!」
強烈な衝撃にのけ反り、ようやく間合いが離れた。
しかし、一発のパンチを受けただけのファサルの様子が、明らかにおかしかった。
取り囲んでいた衛兵たちは、彼が何をしたのか理解できず、当惑の表情を見せる。
組織のボス・アジャパから見ても、それはただの間合いを離すためだけの軽い一撃にしか見えなかった。
けれど、ファサルは急激に全身を震わせ始め、体中から脂汗が噴き出してきた。
打撃の衝撃が、時間差で体の芯まで浸透し、巡っているような感覚。
(……なんだ、コイツは……ッ!?)
目の前にいるのは、まだ十代のあどけない少年だ。
けれど、その少年が放ったみぞおちへの一撃は、鋼のような腹筋を通り抜け、五臓六腑を直接震わせるような、経験したことのない衝撃だった。
腹部に全く力が入らなくなり、それでもファサルは必死の形相で立ち上がろうとする。
けれど、尚も襲い来る内臓の痛みに、膝がガクガクと震えて止まらない。
周囲の者たちには、今のやり取りで何が起きたのか、全く分からなかった。
衛兵たちも、極端な猫背になって呻く最強の幹部を見て、ただ呆然と立ち尽くしていた。
たった一発、腹部へ打撃を受けただけなのに……
ファサルの異変に気づきながらも、アジャパは何が起きているのか理解できずにいた。
真也は、やや右後ろに立っている兼元に質問する。
「こいつが、ここの親玉……ですか?」
「……ああ、そうやで。もう疲れたし、遠慮なく倒してええんやで……」
「分かりました。けが人も結構多いみたいですし、終わらせます」
体を震わせながら、ようやく立ち上がったファサルへ、真也はゆっくりと歩み寄る。
信じられない、という表情を浮かべながらも、ファサルは再び殺意を込めて構えた。
『このクソガキがぁ!』
真也が自分の間合いに入った瞬間! ファサルは再び渾身の左ハイキックを放った。
今度はその軌道を完全に見切り、屈んで鮮やかに避けた真也。
その流れのまま、下から突き上げるような掌底を、ファサルの顎骨へと叩き込んだ。
「ゴギィ!」という重苦しい鈍音。
後に生一が”天翔龍玄蕃”と命名したアッパー式の掌底を受けたファサルの巨躯は、なんと三メートルほども宙を舞い、地面へと真っ逆さまに叩きつけられた。
頭から急角度に落ちたのもあり、彼はそのままピクリとも動かなくなった。
あっという間の出来事に、衛兵たちは声も出せずに唖然としていた。
『ウ……ウソだろ!』
たった二発で最強の幹部が沈んだことに、アジャパは戦慄した。
けれど、彼は即座に戦況を判断し、残った衛兵たちに狂ったような指示を飛ばした。
この辺は流石にここのボスというだけある。
『貴様らッ! 何をしている! 繋がれている村の女どもを、今すぐ皆殺しにしろォ!!』
その叫びで我に返った衛兵たちは、ロープで身動きの取れない女性たちに向かって、一斉に剣を振り上げ、斬りかかろうとした。
その数、牢番も合わせて四十名ほど。
女性たちは手首を縛られたうえに互いに連結されているため、逃げる術はない…と思っていたのだが…
『こっちへッ!!』
なんと、既に手首のロープを外し終えていた仁科さんと葉月が、村の女性たち全員を真也の後ろへと巧みに誘導していたのだ。
二人の手首の縄は、いつの間にか解かれていた。村の女性たちの手首の縄こそまだ繋がっていたが、互いを連結していた太いロープは、既に切り落とされていた。
これで、構図は一変した。
衛兵たちが彼女たちを捕まえるためには、目の前の「怪物・真也」を倒さなければならなくなったのだ。
あどけない顔の少年だが、たった二発であのファサルを圧倒したのだ。
あまりの恐怖に、衛兵たちの足が止まった。
『観念しろ、アジャパ!』
起き上がった八薙が、鋭く告げた。
しかし、アジャパはまだまだと言わんばかりに隣にいたネイシャさんを荒々しく自分の懐へと引き寄せた。
ネイシャさんは縄で乱暴に縛られたままで、抵抗することもできない。
『この女の命が惜しくないのか! 分をわきまえよ! 下がれ、反逆者どもッ!』
アジャパは小型の刃物を抜き放ち、ネイシャさんの白い喉元に突きつけた。
追い詰められたとはいえ、とんでもない暴挙に出た。
近づいたら本当に彼女の首を掻っ切る勢いだ。
『まずはその男だ! そこから一歩も動くなッ!』
血走った目で、ナイフの切っ先を真也に向ける。
「え…僕?」
真也は、そんな間の抜けた表情を浮かべた。
アジャパは、続けて衛兵たちに命じる。
『お前たちはまずはこの男を捕らえろ!
捕らえてまずは二度と動けぬようにきつく縛り上げろッ!』
状況を打開するための、最悪の、けれど妥当な判断だった。
真也を封じてしまえばこっちで戦えるメンバーはとたんに居なくなる。
けれど、今は仲間の命を優先するしかなかった。
「真也……悪いけど、あの人俺らの命の恩人やねん。悪いけど動かんでや」
兼元が、苦渋に満ちた声で真也に言った。
「そうですか……分かりました」
真也は大人しく両腕を降ろし、無抵抗の意思を示した。
その隙を逃さず、衛兵たちが真也の背後に詰め寄る。
アジャパが、勝ち誇ったようにさらに吠える。
『良し! まずはその男を吊るし上げろ! 身動きできぬように縛りつけ、こちらへ連れ…うッッ!?』
ナイフを指示棒のようにして“こっち”と死刑台の方を指したまさにその瞬間だった。
背後だ!
処刑台の物陰に潜んでいた人影が、脱兎のごとく走り込み、アジャパの手首を木刀で力いっぱい叩いた。
激痛にアジャパが悲鳴を上げ、ナイフが床に落ちる。
その「何者か」は、落ちたナイフを素早く遠くへと蹴り上げた。
蹴り上げたナイフは弧を描いて、外壁の庭の方へと消えていった。
あっという間の出来事だった。
その人物は、そのままネイシャさんを奪い取るように抱きかかえてアジャパから素早く距離を取ることに成功した。
そして、真也や兼元に向かって力強く叫んだ。
「ネイシャさんは無事確保したぞ! 動けるか真也ッ!」
勇一の声だ。
物陰で心臓が口から飛び出しそうなほど震えていたが、ここしかないという一瞬にすべてを賭けた。
真也はまだロープで完全に縛られる前だったため、自慢の剛力でそれを強引に振りほどいてみせる。
慌てて剣を抜き、真也に斬りかかろうとした衛兵がいたが、真也はサッと懐に飛び込み、その曲刀を鮮やかに片手で奪い取ってみせた。
武器を奪われ驚愕した衛兵は、背中を向け逃げ出した。
真也はその奪った剣で、まず体に巻きつけられた残りのロープを切り落とす。
(この大きめの剣〔シャムシール〕って、意外と切れ味が良いんだな……)なんて、呑気なことを感じながら対処していた。
八薙が、孤立したアジャパの元へ、静かに歩み寄った。
そしてもう一度問いかける。
『まだ、観念しないのか?』
冷や汗を流しながらも、アジャパは応じず、脱兎のごとく背を向けて走り出した。
城門に向かって坂を駆け降り、自分一人だけでも逃げ延びるつもりだ。
「あっ、待てコラァッ!」
兼元が叫んだが、真也以外に動ける者はもういない。
真也はまだ足の絡まれた部分のロープを切るのに手間取っており、すぐには追えなかった。
ここは逃げられてしまったか…と誰もが思った、その時――
階下から、アジャパの悲鳴が響き渡った。
宮殿内に潜伏していた、あの脱走した村人たち。
彼らが、城から逃げ出そうとするアジャパを、完璧な布陣で待ち構えていたのだ。
村人達数人に取り囲まれ、悪徳の頭領・アジャパは、ついに御用となった。
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